ガラツ八の八五郎が、兩國の水茶屋
「近頃變なのがウロウロして、何を仕掛けられるか氣味が惡くて叶はないから御用のひまなとき、八五郎親分でも時々覗かして下さいな――」
朝野屋の名物娘お秀が、人に反對や遠慮をさせたことのない、壓倒的な調子でかう平次に頼んで行つてからのことでした。
そのころお秀は二十六の年増盛り、
九月のよく晴れた日の夕景。
「あツ、お前さん、錢箱なんか覗いて、何をするんだい」
お秀は土間に飛び降りると、木綿物の
「何んにもしませんよ」
極端に
「何んにもしないことがあるものか、若い娘の癖に、錢箱なんか覗いたりして、この中にはからくりも品玉もありやしないよ、――あ、八五郎親分、丁度宜いところでした。この娘を縛つて行つていきなり二三
お秀は娘の肩を掴んで、ガラツ八の方に押しやるのです。
「
八五郎はノツソリと店先へ入つて來て、張りきつたお秀の顏と、シクシク泣いてゐる、貧しさうな娘の顏を見比べて居ります。
「泣くのは
お秀の片頬には、意地の惡さうな――その癖滅法魅力的な冷笑が浮ぶのでした。
「どうにも仕樣がないぢやないか、錢箱を覗いたつて、小判が
八五郎はこんな事を言ひ乍ら、何んとかして娘を逃してやり度い心持になつてゐるのでした。お秀ののしかゝつて來る年増美の
「本當に頼み甲斐のない人ねえ。そんな事ぢや用心棒の足しにもならないぢやありませんか、チエツ」
お秀は大舌打を一つ、八五郎を掻きのけて、娘の胸倉を掴みさうな見幕です。
その頃の下つ引などの中には、
「聞捨てにならない事をいふぢやないか。俺が何時お前の店の用心棒になつた」
正直者のガラツ八が、ムキになつてそれを迎へました。
「おや、おや、おや、――それぢや八五郎親分、お前さんは泥棒や
「何?」
「娘は――あれ、あんなにあわてて逃げて行くぢやありませんか。錢箱の中から小錢でも無くなつてゐたら、どうしてくれるんですツ」
「小娘が睨んだだけで、錠をおろした錢箱の中から小判が飛んで行くかよ。宜い
「鳥もちで
「焦れつたいのは俺の方だよ、――最初から無い小判が、盜まれつこないぢやないか」
「何んだとえ、親分」
爭ひは次第に眞劍になつて行くばかりです。兩國名物のお秀、弱い稼業の女には違ひありませんが意地も張りも、刄のやうに
「何を騷ぐんだ、――大變な人立ちぢやないか」
丁度その爭ひの中へ、親分の錢形平次がブラリと入つて來ました。
「親分、聞いて下さい、――
「ま、待つてくれ。さうましく[#「ましく」はママ]立てられちや話がわからない。一體これはどうしたといふことだ」
平次はいきり立つお秀を押へて、兎にも角にも話の順序を立てさせました。
「成程、一應は
平次はお秀を
「だつて見す〳〵怪しい人間を逃がしてしまつたぢやありませんか。この間から、いろ〳〵變なことばかり續くけれど、あの娘が一番
お秀の怒りは
「そんな事をいへば、世間には怪しい人間は澤山あるよ。それを一々とがめたり縛つたりしてゐた日には、江戸の人間の半分ほどは岡つ引にしなきやなるまい。ちよいと怪しい事があつても、何事もなく濟めばそれで宜いとしたものさ」
「そんな事があるものですか、親分。怪しい奴や怪しい事を、江戸中にないやうにするのが、親分の
お秀もなか〳〵負けては居りませんでした。
「俺達の眼から見れば、――お前達は氣が付かないだらうが、――この店にだつて二つや三つの怪しい事がある。それを一々とがめ立てすると、
平次は少し道學先生めきました。お秀のいきり立つたのを
「二つ三つ怪しい事? 氣になるぢやありませんか、親分。どんな事が怪しいんです。訊かして下さいな」
お秀は少しからかひ氣味になりました。平次の言葉を、當座のがれと見て取つたのでせう。
「そんな事はいはない方が宜い」
「でも、それぢや安心して居られないぢやありませんか。錢箱を覗いたり、へんな事を訊いたりする娘より、もつと氣になることがあつちや、この店を開けて置くわけには行きません」
「よし〳〵、それ程いふなら教へてやらう、――ツイ今しがた餘分の茶代を置いて外へ出て行つた若い男があつたらう」
「え」
「二十二三の一寸良い男だ、――町人風には相違ないが、出は
「?」
「自分の懷ばかり覗いてゐたらう、――お前の言ひ草ぢやないが、あれは懷中の錢箱を覗いて居るんだよ、――多分親の金でも持出したんだらう」
「それだけですか、親分」
「まだあるよ、もう一人ツイ先刻出て行つた四十五六の女があつた筈だ。
「どうしてそんな事が、親分」
お秀もすつかり
「少し氣が付けば、誰にでもわかる事だよ。あの女は、粗末乍ら身扮がキチンとしてゐるくせに、
「?」
「四十五六の女といふものは、この世の中で一番行屆く人間だ。俺達のやうな物事の裏ばかり讀んでゐる人間も、四十五六の女には時々
「親分」
「さう氣が付いたところで、親の金を持出した道樂息子や、嫁に
「親分、そんな事ぢやありませんよ。現にこの帳場の錢箱を――」
「待つてくれ、お秀」
「この錢箱を幾度も〳〵覗くのは、私に取つちや、道樂息子や身投げ女と一緒にはなりませんよ」
お秀はなか〳〵引込む樣子もありません。
「こいつはいつて宜いか惡いか解らないが、――その娘の
錢形平次は思ひも寄らぬ事を言ふのです。
「親分」
「娘はその
「え?」
「その土竈は年代ものらしいが、横の方に壞れて
平次はさう言つて、面白さうに笑ふのです。
「ま、親分」
お秀の口も完全に封じられましたが、その時、
「お秀、なにをつまらねえ事を言ふんだ。親分が御迷惑なさるぢやないか、――どうも相濟みません。氣ばかり無闇に強くなつて、飛んだ女でございます」
「あれは本當ですかえ、親分」
兩國の歸り、宵闇の柳原をブラリブラリと歩き乍ら八五郎はたまり兼ねたやうに訊くのです。
「何が?」
「親分の見立てですよ、――親の大金を持出した息子だの、身投げの場所を
「嘘だよ」
平次の應への
「へエ――」
「皆んな嘘だよ、本當の事はたつた一つもないのさ」
「へエ――あれがねえ。驚いたね、どうも、何んだつてあんな
ガラツ八も、さすが驚きました。辻の
「今に判るよ」
平次はあまりそれに立ち入り度くない樣子です。
「娘が覗いてゐた
「あれだけは本當さ」
「へエ――」
ガラツ八には益々判らなくなります。
「あの懷中ばかり見てゐた息子も、錢箱の裏ばかり覗いてゐた娘も、逃げたと見せて、實は俺の話を
「へエ――?」
ガラツ八には
「二三日前にお秀が來て、變なことがあるから、お前を用心棒に貸してくれといつた時から、俺はあの家を見張つて居たのさ、――そして、あの水茶屋の親爺の留助といふのは、中國筋の大藩の浪人者で、鳴川留之丞といふ者の世を忍ぶ姿と知つたんだ、――そのうちに一と騷動始まるよ。見てゐるが宜い」
「へエ――」
ガラツ八は何が何やら解りませんが、平次はどうやら重大なことを嗅ぎ出して、その發展まで大方察してゐる樣子です。
が、事件の
翌る朝。
「親分、兩國に殺しがありましたよ、直ぐ願ひます」
バラ
「何處で誰がやられたんだ」
「朝野屋の
「あツ、到頭」
「不思議なことに、水茶屋の中で、もう一人浪人者が殺されてゐますよ」
「そいつは大變だ」
平次は手早く用意をして、飯も食はずに飛び出しました。
兩國へ行つて見ると、まだ時刻が早いので大した人立ちもせず、
「親分、どうしませう、父さんが――」
お秀の熱つぽい眼が入口に迎へて、何やら平次に訴へます。
「氣の毒だが、こんな事にならなきや宜いがと思つてゐたよ」
「親分はそんな事まで見拔いてゐたんですか。それぢや、どうして用心させて下さらなかつたんです」
お秀は平次に食つてかゝりさうでした。
「それが出來なかつた、――どれ、見せてくれ」
平次は事件に觸れたくない樣子で、お秀をかきのけるやうに入りました。
「親分、お早やう」
「八か。大層早かつたんだね」
「こんな事にならなきや宜いがと思ひましたよ」
「
八五郎が
「
「親分は知つてゐなさるんで?」
「近頃知つたばかりだ、――昨日錢箱を覗いた娘の父親だよ」
「えツ」
「後ろから刺すのは
平次はつく〴〵そんな事を言ふのです。
「見てゐたやうですね。親分」
「どれ、もう一人の方を見せてくれ」
「此方ですよ」
下つ引の一人が指したのは、土竈の裏、問題の錢箱の蔭。水茶屋の親爺留助は、これも一刀を拔いて
「八、
「親分が來なさるまで、そつとして置きましたよ」
「そいつは有難い」
死骸の側、土竈へ眼を移すと、
手を入れて見ると、
「おや?」
中から出たのは紙片が一枚。
身の丈五尺四寸五六分、中肉にて眼鼻大なる方。髯の跡青く、受け口にて、前齒二本缺 け落ちたり。右耳朶 に小豆粒ほどの黒子あり。言葉は中國訛 り。聲小にして、至つて穩かなり――
「こいつは留助の人相書だぜ、親分」八五郎は覗き乍ら、水茶屋の親爺の死骸と見比べます。
「その通りさ」
「留助は自分の人相書を、
「それは解らねえが、兎に角、昨日この店へ入つて、自分の懷の中ばかり覗いてゐる若い男があつたらう」
「親分が――親の大金を持出した息子――と見立てた」
「この若い男の懷の中に、この人相書があつたのさ」
「それぢや下手人は判つたやうなものぢやありませんか、親分、早く擧げてしまひませう」
「待て〳〵、逃げも隱れもする相手ぢやねえ。それより、調べるだけ此處を調べて行かう」
平次は落着き拂つて四方を眺めました。店の先にはもう、彌次馬が一杯に立つて居ります。
「お秀、隱さずに言つてくれ」
平次はいきなり、涙一
「何を隱すもんですか」
「それぢや訊くが、お前の父親留助、――實は淺野樣家中の
「えツ?」
「だから隱すなと言つてるぢやないか、――その時江戸へ持つて來た大事な書き物があつた筈だ。それをこの
平次の問ひは恐ろしく
「そんな事を、――知るものですか、親分」
お秀の調子は少し
「俺は、お前が――變な人間が附け
「――」
平次の話の行屆くのにお秀も
「二人の素姓が判ると――淺野樣御留守居に願つて、十二年前の
檢屍の役人の來るまでは、死骸に手の觸れやうもありません。平次は床几に腰をおろして、暫らくの暇を、斯う靜かに語り進むのでした。
藝藩の三人侍、鳴川留之丞と、鞍掛宇八郎、
鳴川留之丞はそれを
そのため、責任者の砧右三郎は死に、鞍掛宇八郎は、長の
「晝の一
「誰が、その勝つた鞍掛宇八郎を刺したのでせう」
「さア?」
平次の明察も其處迄は屆き兼ねたのです。
「どうかすると、
「――」
平次の
「ね、親分」
「それは考へられない事はないが、後ろから突くのはあんまり
「兎に角、あの若い浪人者をしよつ引いて來ませうか」
とガラツ八。
「砧右之助は駒形の六兵衞
「へエ――」
ガラツ八は飛んで行きました。下つ引を二三人狩り集めて、走らせる
「お秀」
手配が一段落になると、平次は靜かに話を向けましたが、當のお秀は以ての外の不機嫌さです。
「此處は毎晩誰か泊るんだ」
「決つちや居ませんよ。相吉さんが泊つたり、辨次郎さんが泊つたり」
「それは何だ」
「相吉さんは私の
「何方が相吉だ」
「あつしで」
平次の聲に應じて出たのは、二十五六の一寸肌合の意氣な男でした。
「
「御冗談で、親分」
平次の
「辨次郎は?」
「あつしで、へエ――」
ピヨコピヨコと三つ四つ續け樣にお辭儀をしたのは、三十二三の
「ドスを持つてゐるかい」
「へエ――」
「出して見せな」
この問ひも辨次郎を驚かすに充分です。
「用心棒が
「へエ――」
辨次郎は觀念したらしく、腹卷を
「見事な道具だが、血は附いちやゐないな」
「親分、御冗談でせう」
少しあわてた辨次郎に、平次は面白さうに笑つて
「昨夜は二人共外へ出なかつたんだな」
「へエ――珍らしく親方が店へ來て泊るつて言ふから、あつしと相吉さんは、
辨次郎はそんな事まで、先を
「八、暫らく此處を頼むぜ。一人も外へ出しちやならねえ、宜いか」
「親分は?」
「ちよいと
平次は笑ひ乍ら出て行きました。行先は横網のお秀の家であつたことは言ふ迄もありません。
留守番は下女が一人。
「昨夜此處に泊つたのは誰と誰だ。隱さずに言へ」
「親方が店へ泊つた外は、皆んな此處に居ましたよ」
「お秀は何處へ寢る」
「
下女の口は思ひの外
「二階は?」
「相吉さんと辨次郎さんが、夜更けまでベチヤベチヤ話して居るんで、姐さんに小言を言はれてゐました」
「お秀は下から
「へエ――」
「二人共一と晩中何處へも出ないだらうな」
「出られるわけはありませんよ、梯子段は一つだし――格子は釘付けだし」
下女は思ひの外氣が廻ります。
「二階を見せてくれ」
「へエ――」
十手を見せられると、文句はありません。平次は
「相吉と辨次郎は、二人共
「いえ、辨次郎さんは、お腹の加減が惡いとか言つて、二階から降りて來たのは相吉さん一人でしたよ」
「朝飯は?――それも相吉一人か」
「いえ。辨次郎さんも
「二人は金づかひは何うだ」
「二人共まだ若いんですもの」
「借金は?」
「私からまで借りるくらゐですから――」
この下女には、相吉と辨次郎を頤で使ひさうなところがあります。
「二人は脇差を持つてゐるかい」
「相吉さんが持つてゐますよ」
「見えないやうだが」
「質にでも入れたんでせう」
それでは疑ふ張合もありません。平次はもう一度二階へ行きました。念のため格子へブラ下げて朝陽に
「相吉と辨次郎と、何方が聲が大きいんだ」
こんな變なことまでも訊きます。
「辨次郎さんは柄に似ない小さい優しい聲で、相吉さんは大きな聲ですよ」
「よし〳〵、飛んだ世話になつたな」
平次はお世辭を言ひ捨てて、
「八、解つたよ」
平次はいきなり斯んなことを言ひ乍ら飛び込んだのです。
「何が解つたんで、親分?」
八五郎は顏へ掛つた蛛の巣でも拂ふやうな手付きをしました。
「皆んな解つたよ、
「えツ」
「鞍掛宇八郎を刺した血刀がないんで俺は骨を折つたが、眼の前の大川が流れてゐることに氣が付かなかつたんだ。ちよつと出て俺の立てた
平次の言葉の豫想外さに、何んとなく皆んな顏見合せて默りこくつてしまひました。丁度その時三人の下つ引は、
「拙者をどうしようと言ふのだ。無禮な事をすると許さんぞ」
昨日の町人とも武家ともつかぬ
「砧樣、お手間は取らせません。昨夜、此處で起つたことを、皆んな仰しやつて下さいまし」
平次はぐつと下手に出ました。
「お前は何んだ」
「神田の平次でございます。十二年前の藝州に起つた事、鳴川留之丞の惡事、何も彼も存じて居ります」
「――」
「それから、
「何?」
「懷ろの人相書を落していらつしやいましたね、――これ、この通り」
平次は
「成程それほどまで判つてゐるなら、皆んな言つても差支えあるまい。――昨日この店先で、其方が
砧右之助の
「用意の
砧右之助の言葉は、立派に筋が通りますが、疑へはまだ、いくらでも疑へます。
「鞍掛樣を誰が刺したか、お心當りはございませんか」
「ない」
砧右之助の調子はブツ切ら棒でした。その時不意に、一陣の
「砧右之助覺悟ツ」
「覺えはないぞ」
「言ふな、卑怯者ツ」
床几を廻つて、兎もすれば右之助に飛びかからうとするのは昨日錢箱騷ぎを起した娘、――鞍掛宇八郎の娘お京です。たつた十八、色の淺黒さも、眼の凉しさも、野の花を
「違ふ、お孃さん、敵違ひだ」
平次は二人の間に割つて入りました。
「言ふな」
少しあせつたお京、――蒼い顏、
「鞍掛樣を
「おツ」
ガラツ八は下つ引と手をわけて、茶店を遠卷に、グルリと圓陣を描きました。
「今ぞ、御教へ申しませう。
「な、何を言ふ。岡つ引奴ツ、俺達はそんな大それた事をするものか」
辨次郎と相吉は、飛び退いて
「證據は山ほどある。夜露に濡れた辨次郎の袷には、一と晩
「えツ」
「脇差は川へ投り込んだが、金はその丸太を
平次の論告は烈々として
「まだある、――辨次郎は昨日俺の話を立ち聽きしてゐた筈だ。土竈に何にか隱してあると覺つて相吉と相談して薄明るい内に二階を脱出し、柳原土手で時を過した上、一人で忍んで來ると、留助はもう殺され、鞍掛樣は夢中になつて
「――」
「隱れて樣子を見て居ると、砧樣は繪圖面だけ取つて歸つた。ホツとして出て來ると、砧樣の落した人相書が目に付いた。――辨次郎は
詰め寄る平次。二人は顏見合せて、ジリジリと引き退ると見せて、
「えツ、破れかぶれだ」
「あ、危いツ」
平次の投げ錢は、僅かにそれを救ひましたが、
「えツ、くたばつて了へツ」
二度目の襲撃、お京は
「己れツ」
砧右之助はパツと飛び込みました。横合からお京に殺到する相吉を迎へて、
「わツ」
相吉が見事もんどり打ちました。
「あツ」
「捕物だ」
兩國の橋へかけての眞晝の
「寄るな〳〵」
ガラツ八は精一杯の
× × ×
「變な捕物だつたね、親分」
歸り途、ガラツ八は相變らず平次の心境を叩くのでした。
「お蔭で一と組の良い若夫婦が出來上るよ。――お京さんの危いところを見兼ねて、フト助太刀したのは砧右之助の大手柄さ、あれで兩家の面白くない
「そんな蟠りがあつたでせうか」
「自分の親だけ自害して、繪圖面まで其方の手柄にされちや、砧右之助一寸納まるまいよ。尤も繪圖面は右之助の手に入つたが――」
「へエ――」
「武家はうるさいな、八」
「もう一つ解らない事があるんだが――」
「何んだい」
平次もすつかり上機嫌です。
「身投げの場所を搜した女房といふのは今日出て來ませんね」
「あれは身投げなんかぢやないよ、お京さんの
「なアーンだ」
「それを身投げにしたところが俺の作だ」
平次は面白さうでさへありました。
「もう一つ、――脇差が本當に大川の底にあつたんですか」
「ないよ」
「へエ――」
「あつたところで見えるものか、それも俺の作だよ」
ガラツ八も少し驚きました。
「尤も、同じ親分の作でも、
ガラツ八は二つ三つ首を振つて眼を据ゑました。
「おだてちやいけねエ」
「
「なアに、順當に物を運んで考へただけさ。嘘だと思つたら大川をかひ堀して見ねえ、脇差だつてきつとあの底から出て來るから」
二人は聲を合せて笑ひました。全くよき秋の日の夕ぐれです。