「親分、あつしのところへ、居候が來ましたよ」
八五郎がまた、妙な報告を持つて來ました。六月のある朝、無風の薄曇り、今日もまた、うんと暑くなりさうな
「良い年をしてみつともない。何處へ居候に行くんだ」
「あつしが居候に行くんぢやありませんよ。あつしが居候を置いたんで、へツ、大したものでせう」
八五郎は相變らずのお先煙草、大して極りも惡がらずに、縁側の上に
「お前が居候を置いた。そいつは豪氣だな。一人置くも二人置くも、大した違ひはあるまいから、
「置いても構ひませんがね。姐さんはどうなさるんで?」
「あ、成程、其處までは考へなかつたよ」
斯う言つた平次と八五郎です。御用がヒマで〳〵、仕樣がない此頃です。
「
「頼まなきや、お前の手酌を眺めてゐるのか。押掛け嫁にしちや、少し我儘が過ぎるやうだな」
「へ、ま、そんなことで」
「いやにニヤニヤするぢやないか。何處の
「
「年は?」
「少し若い。數へて十三」
「何んだ、まるつ切りのねんねぢやないか。俺はまた、
「そんな
八五郎は眼を細くするのです。
「何んだつてまた、そんな娘を、お前見たいな者に預けたんだ」
「お前見たいな――は氣になりますね。これでも、向柳原へ行くと、町内一番の人氣者で」
「まア、その氣で附き合はう。ところで、その娘の
「平右衞門町の
「そいつは合點が行かないね、平右衞門町の伊八は、元は左官だといふが、金廻りが良いので、評判の良い男だ。娘をお前に預けるわけがないぢやないか」
「あつしもそんなことを言つて、隨分斷りましたがね、一緒に住んでゐる妹のお萬がだらしがない上、相長屋の兩隣りが、
「何んだ。食扶持付きで叔母さんに預けたのなら、お前が居候扱ひをすることはなからう。言はばお客樣見たいなものぢやないか」
「早く言へば、そんなもので」
「そのお客樣をコキ使つたり、お酌をさしちや惡からう」
「叔母さんもさう言ひますよ。でも、お
「勝手な野郎だな」
「でも、叔母さんと二人、鼻突き合せて小言ばかり喰らつてゐるところへ、若い娘が一人割り込んで來たのは、賑やかになつて良いものですね」
それが本音らしい樣子です。相手が十三であらうと、六十八であらうと、話し相手には不足する八五郎ではありません。
「へ、へ、へツ〳〵」
八五郎は
「おい、變な野郎が飛込んで來たよ。水でもぶつかけてやれ」
平次はお勝手へ聲をかけました。井戸端では、女房のお靜が洗濯にいそしんでゐる樣子。
「それには及びませんよ。――昨夜から笑ひ續けで、何しろピカピカする年増が乘込んで來て、一と晩あつしと睨めつこでせう」
「それが可笑しいのか。馬鹿々々しい」
「だつて、――言ふことを聽いてくれなきや、世間の手前、私も歸るわけには行かない。押掛け嫁のつもりで來たから、部屋の隅にでも泊めてくれ――と、あつしの床の前に坐り込んで――
「
斯う聽くと、八五郎の馬鹿笑ひも、それは複雜なテレ隱しらしく仔細がありさうな氣がして、平次はそれとはなしに、後を
「平右衞門町の左官の伊八の娘が、あつしのところへ轉げ込んでゐることは、親分に話しましたね」
「十三だつてね。いかに可愛らしい娘でも、そいつは押掛け嫁にならないよ」
「昨夜向柳原へ來たのは、そのお
「?」
「叔母と言つた處で、年はまだ若い。
「妙に開き直るぢやないか。少し眼の色が變だぜ」
「二十五になつた許りの、
八五郎は額を叩いたり、頬を撫でたり、舌を出したりするのです。
「その言ひ分は? どうもお前といふものが相手ぢや、押掛け嫁や借金取りぢやあるめえ」
「
「何んだつまらねえ、――早く歸しや宜いぢやないか」
「ところが、さう手輕に歸されないことがあるんですよ」
「――」
「誰がどんなこと言つて來ても、娘のお信乃を
「それでお前はどうしたんだ」
「それから一と晩睨めつこですよ。お信乃はお萬叔母さんを
「何んだつまらねえ」
「でも、二十五の出戻りの、ピカピカする年増と――」
「それはもう三度も聽いたよ」
「お萬といふのは、剛情な女ですね、――たつた一人の
「何にか、わけがありさうだな」
「あつしもさう思ひましたよ。ところが、お萬もそれに氣が付いて、お信乃は何んか持つて來なかつたか――と、うるさく訊くんです」
「何を持つて來たんだ」
「何んにも持つちや居ません」
「飛んだ
平次は一應同情しました。
「尤も、あんな客なら、毎晩來たつて退屈しませんよ」
「何をつまらねえ」
「お萬もさう言ひました。當分は毎晩來る――とね」
八五郎は大した迷惑もして居さうもありません。
「サア、大變ツ、親分」
八五郎の大變が飛込んで來たのは、それから又四五日經つてからでした。
平次はまだ朝飯が濟んだばかり。
「どうした、八。叔母さんに追ひ出されたやうな恰好ぢやないか。下駄のない國から、夜逃げをして來たわけぢやあるめえ」
「落着いちやいけませんよ。平右衞門町の伊八が、昨夜首をくゝつて死んでしまひましたよ。妹のお萬が知らせてくれたんで、一緒に飛んで行つて見ましたが」
八五郎は
「手當をして見たのか」
「冷たくなつて伸び切つて居るんですもの、どうすることも出來ません。行つて見て下さいよ、親分」
「俺が行つたところで仕樣があるまいよ」
「でも、
「?」
「伊八が死ぬ前、こちとらに一人娘を頼んだのは、行儀見習とも思へないし、左官乍ら工面の良い伊八が、喰ふに困つての娘を
「それに」
「いざ娘のお信乃を出すとき、父親の伊八が別れを
「首でも
平次はまだ氣乘りのしない樣子です。
「まだありますよ。左官の伊八は、隨分大金を持つて居たらしいんです。それも職人の
「それは何處から聽いた?」
「お萬がさう言ふんだから嘘ぢやないでせう」
「よし、行つて見よう。そいつは放つて置けない」
「有難い、それであつしも義理が立ちますよ」
娘お信乃を
明神下から平右衞門町は一と走り、狐の嫁入りの村雨に
尤も三軒長屋が三軒とも、物持ちの伊八の持家で、右手の屑屋久吉夫婦と、左手の浪人
「ま、親分さん」
その顏には、さすがにためらひのない驚きと、喜びの色が
三軒長屋の中の家、左官の伊八の住居は、まことに粗末なものではありますが、何んとなく豊かな感じがして居るのは、物持で評判の伊八が、世間へ
「この通りですもの、親分」
お萬が案内してくれたのは、たつた二た間の次の部屋、床は敷いてありますが、それを隅の方に押しつくねて、古い疊の上に、五十男の伊八が、ボロきれのやうに
「もう陽が高いのに、佛樣を此始末はひどからう」
平次もさすがに、この有樣を見兼ねました。
「でも、御近所の衆は、ふだんから仲が惡くて、呼んだつて來て下さらないし、江戸には親類といふものもなく、町役人に申上げたけれど、一寸見ただけで、――日頃の心掛が惡いからだ――とか何んとか言つて、すぐ戻つてしまひました」
お萬は泣き度いやうな顏をするのです。小柄な丸ぽちやで、可愛らしさの拔けない年増振り、泣いてなんか居ないことは、平次にもよくわかります。
此上は佛の
「お萬は
平次は改めてお萬の顏を見ました。
「八五郎親分がよく御存じの筈です。一と晩睨めつこをして、歸つて來ると此始末なんですもの」
チラリと八五郎を見たお萬の顏には、でも、少しは女らしい耻らひの影がさしたやうでもあります。
「どれ、一應」
平次は立ち上がりましたが、あまりのことに見兼ねたものか、
伊八は若く見える男ですが、實は五十六になつて居るさうで、
「おや、繩は途中で切つてあるが」
平次は先づそれに氣がつきました。伊八の命を奪つた繩は、
「私は何んにも知りません。朝歸つて見ると、戸が開いて、こんなになつて居りました」
「御近所は近いな」
「兩方は壁隣りで、お向うだつて鼻の先です。小さいくしやみをしても聽えます」
「お向うはどんな人が住んでゐるんだ」
「二軒長屋で、一軒は
「すると誰が、此繩を切つて、死骸を引きおろしたのだ」
「――」
「お萬は
「宵のうち――まだ
お萬の言葉に、八五郎も
「八、お前はこの近所の人を知つてるだらうな」
「皆んな知つて居ますよ。大きい聲ぢや言へねえが、油斷のならねえのが揃つて居るやうで」
言ひかけて、八五郎は自分の口に
「
「ハイ」
「誰も動かしやしまいな」
「氣味が惡いんですもの、私は一と眼見ると驚いて飛出し、八五郎親分を呼びに行きました。――それつきりです」
平次はそれを聽き乍ら、默つて踏臺と睨めつこをして居ります。何處にもある半開の
「何にか變なことがありますか? 親分」
「お萬が動かさなかつたといふと、佛樣が踏臺を其處へ持つて行つて
「へエ?」
「首を
「?」
「蹴飛ばした踏臺が、三尺も先へ普通に滑つて行つて、行儀よく立つて居る筈はない。此疊はボロボロだし、雜物が多過ぎる」
「?」
平次の
「それに――」
平次は續けました。その踏臺を持つて來て、伊八がブラ下がつたと思はれる
「――繩は短か過ぎるよ。お前氣の毒だが、ちよいと踏臺の上に立つて、
「へエ、そいつは氣の毒過ぎますね」
「遠慮をするなよ。首を
「へツ〳〵、やりきれねえな」
でも八五郎は、踏臺の上に昇つて、
「それ見ろ、その繩は短か過ぎるだらう。お前のやうなノツポでも、踏臺に登つて、首は
「すると、どうなりませう、親分」
「お前も
「すると」
「お萬、正直のことを言へツ」
「へツ」
平次は急に
「お萬は、
これは底の底まで見通さうとする、
「でも」
「?」
「近頃兄さんが、嫌らしい事ばかり言つて、差向ひでは居られなかつたんですもの」
お萬の
「八五郎の方が無事だつたといふのか」
「八五郎親分は男らしい方で、少しも嫌味なところはないんですもの」
平次は八五郎をチラリと見ました。充分に惡戯つ兒らしい一
「たつたそれ丈けぢやあるまい」
平次は追及の手を緩めません。
「それは、私からは申上げられません」
お萬はさう言つてチラリと八五郎の顏を見るのです。なか〳〵の
「ところで、お前の兄の伊八と近所の衆との仲はどうだ」
平次は話題を變へました。
「あんな近所づき合ひの惡い人はありませんよ。右隣の久吉さんと、左隣の
「どうして、そんなに仲が惡かつたのだ」
「皆んな
此邊にも、何にか仔細がありさうですが、平次はもう一度話題を變へて、
「お萬が昨夜外へ出たのは
「出かけるとき
もう一度、チラリとした、えも言はれない
「ところで、伊八を、うんと怨んで居る者はなかつたのか」
「怨んでゐるといふわけぢやありませんが、兄さんが昔々、何んとか言ふ大名のお出入りで、その頃知合だつたといふ、お隣の久吉さんと檜木さんは、月に一度や二度は、兄さんをつかまへて金をせびつて居りました。兄さんに餘つ程弱い尻があつたのでせう」
お萬はヅケヅケと斯うまで言ひ切るのです。伊八の持家の長屋二軒を、無理に明けさして入つたあたりから、三人の關係は、疑へば隨分疑へるものがある樣子です。
「そのくせ、仲が惡いと言つたな」
「そりや、もう犬と猿で」
お萬は簡單に片づけてしまひます。
お萬は平次に言ひつけられて、佛樣の物を買ひに出た後、その後ろ姿を指さして、待ち構へて居たやうに、八五郎は言ふのです。
「あの女が變ぢやありませんか」
「お前そんなことを言つちや濟むめえ。あの女は大層お前を褒めて居たぢやないか」
「
「色男にはなり度くないね。でも、下手人はあの女ぢやあるまいよ。女の手で大の男を
「へエ」
平次は外へ出ると、先づ第一番に向うの
「御免よ、少し訊き度いが」
「へエ、入らつしやい。錢形の親分さんでせう、――眼が不自由でも、お話の樣子でよくわかります。何しろ帶ほどの路地を
それは三十五六の、立派な男でした。相手を平次と知つたのは、感のよさよりは、
「宅の市さんとか言つたね。お前さんは長く此處に住んでゐるのか」
「三年くらゐ前から住んで居ります。此方側の家作は伊八さんぢやございません。これは角の酒屋で」
餘計なことを言ふ宅の市です。
「眼は少し見えさうぢやないか」
「
さうは言ふものの、身の丈けも
「その喧嘩の相手は誰だつた」
「伊八親方でございましたよ。あの人は柄は小さいが、きかん氣の人でしたから」
さう言ふ宅の市の住居はなか〳〵よく
「伊八は大層金を持つて居たといふ話だが、氣がつかなかつたかえ」
「人の懷ろ具合なんか、
何にか不便なことがあると、自分の盲目を利用するくせのある男らしいやうです。
「三度のものは自分で仕度をするのか」
「
「ところで、こいつは大事なことだ。昨夜伊八のところへ誰も來なかつたか」
「夜中に物音がいたしました。人聲もしたやうで、
「時刻は?」
「淺草寺の
「お萬さんが出かけたのを知つてるだらう」
「あの人は愛想の良い人で出かける時はきつと聲をかけてくれますから、よくわかつて居ります。
これが宅の市の言つてくれた全部です。
平次は一たん宅の市のところから歸つて來ると、其處へ、向柳原の八五郎の叔母さんが、伊八から預つた娘の
「おや〳〵、錢形の親分さん、御苦勞樣ですね。八五郎がまた餘計なことにまで首を突つ込んで」
人の良い叔母さんは、この厄介事を八五郎のせゐと思ひ込んでゐる樣子です。
「なアに、八のせゐぢやありませんよ。伊八親方は、人手に掛つて殺されたんで」
「まア」
平次と叔母さんの問答の間に、小さい娘のお信乃がチヨロチヨロと家の中へ入つて行くと、
「あれがお信乃といふんですね、叔母さん」
「さうなんですよ、父親が、――
叔母さんは小さい眼をシヨボシヨボさせて居ります。
「近所附き合ひが惡い上に、ろくな親類もないやうだ。暫らくあの
「あ、宜いとも、乘りかゝつた舟ですから」
八五郎の叔母さんは、斯う言つた人だつたのです。
「これが錢形の親分さんよ。
叔母さんに言はれて、お信乃は泣きじやくり乍ら、素直にお
「お父さんは誰かを
平次は靜かに訊きました。血の
「お隣の二人です」
「お隣の二人?」
「
平次もこれは豫想外でしたが、伊八が娘を遠ざけたりしたのは、左右兩隣に恐ろしい敵が待機して居たためかも知れません。
「それはどういふわけだ」
「私にもわかりません。でも、萬一のことがあつたら、これをお役人樣に渡すやうにと、私に持たせました」
お信乃が取出したのは、子供らしい大きな
手紙に添へてあつた三枚のお守りといふのは、何處のお勝手にも貼つてある、荒神樣と同じ札が三枚、――この意味は平次にもわかりません。
「八、少しむづかしいことになつて來たよ。お前は近所の噂を
「へツ」
八五郎は話を半分聽いて飛出してしまひました。
その後で平次は、お信乃を叔母さんに頼み、土地の御用聞や下つ引を手傳はせて、町役人や五人組を集め、兎も角も伊八の
「御免よ。居るかい」
右隣の久吉の家は、ゴミ箱を引つくり返したやうです。
「へエ、錢形の親分さんで、よく存じて居ります」
「お隣の伊八親方が死んだといふのに、顏も出さないのは、どういふわけだ」
平次はいきなり、
「死んだ者のことを惡く言つちや濟みませんが、あの男は、腹の底からの薄情者でしたよ。あんな慾張りは、
何んと言ふ言ひ草でせう。
「でも、此家だつて伊八のもので、お前は無理に明けさして、只で住んでゐるさうぢやないか」
「それにはそれなりのワケがありましてね」
「伊八の弱い尻を掴んで、長い間
「飛んでもない親分。あの野郎こそ、三千兩といふ大金を盜んで、それを隱して置いた筈で――」
「昨夜、お前は何處へ行つた」
「何處へも行きやしません。
「どつこい、その小判が何處から出た。今お前は膝の下へ
「これは私の溜めた金を兩替して貰つた小判で、紙屑の中から出た譯ぢやございません」
「ちよいと見せてくれ」
「へエ」
平次は手に取つて見ましたが、それは極めて良質の小判で、少し
「昨夜何にか物音を聽かなかつたか」
「宵のうちは、いつものお萬さんと喧嘩でした。でもすぐ納まつたやうで」
「そんなことはチヨイチヨイあるのか」
「此節は毎晩ですよ」
「喧嘩の種は?」
「
久吉の言葉は妙に
「やい、岡つ引」
「へエ」
平次は
「人の家の表玄關を、無斷で開ける奴があるか。次第によつては、勘辨
大刀を引きつけて、クワツと眼を
「相濟みません。お隣に殺しがあつたんで、氣が立つて居ります。何しろ三千兩といふ大金を搜さなきやなりませんから」
こんな男は、案外金のことを言ふ方がわかりが良いと思つたか、平次はヌケヌケと
「その三千兩が見付かつたといふのか」
「大方見當が付いて居ります。――ところで、その三千兩の
「知らなくてどうするものか。潮田家の
「その三千兩が見付かつたら、どうなさいます」
「御主人樣に屆出で、
「成程、御武家はさすがに
「それは申す迄もない」
「では一つ伺ひますが、此三軒長屋を伊八が求めたのは何時頃のことでせう」
「隨分古いことだな。拙者が伊八の江戸の隱れ家を搜し當てた時は、もう此處へ入つて居たよ。三千兩は手近に隱してあるに違ひないと思つたから、無理に此家を明けさせて入つたら、
「ところで、
「誰も來ない。
「喧嘩の種は?」
「伊八は六十近いくせに、死んだ女房の妹のお萬に
「按摩と?」
この
「あの男は眼が見えるのだ。伊八にひどく
「?」
平次は何にやら考へ込んでしまひました。
「ところで三千兩はどうなつた。伊八の家を念入りに搜して見ようか。立ち合つてくれ」
「それには及びません。――これを御覽下さい」
「荒神樣のお札ではないか」
「伊八の娘の
「――」
「伊八は左官が本職だと言ひましたが、
「――」
「御覽下さい、此通り」
平次は土間に降りると、門口に立てかけてあつた、古材木を一本持つて來て、土間の隅に築いた、頑丈な
「あツ」
檜木官之助が驚いたのも無理はありません。二つ三つ平次の突く材木に從つて、土竈が一角を
「おや、小判? どうしたんです、親分」
八五郎が歸つて來て、ひよいと覗いて精一杯わめきました。それを聽くと屑屋の久吉も、女房のお虎も、
三千兩の小判が、檜木官之助の家と、屑屋の久吉と、伊八の家と、三軒の
「多い分は、伊八が稼ぎ溜めたものでせう、娘のお信乃の爲に取りわけて置きます」
平次はその餘分の小判二三十枚を、あわてて取除けてやつたのは賢いことでした。
「俺の家の土竈から出たのは、俺のものだ」
久吉は慾張りましたが、それは通用する筈もなく、あべこべに土のついた小判を一枚、平次が紙屑の中から見付けたのは、小判の重みで土竈が崩れ、その隙間から屑の中へこぼれたものとわかつて、それも檜木官之助に取り上げられてしまつたのは、あはれにも
「ところで親分、三千兩の金は出たが、伊八を殺したのは誰でせう」
八五郎は小判の騷ぎが一段落になると、改めて平次に訊ねました。
「お前へ頼んだことは?」
「近所の噂ですが、――あの
「
「それから、お萬と來ちやいか物喰ひで大變な女で、宅の市と親しくなつて、伊八との間に喧嘩が絶えなかつたさうですよ。伊八が毆つて、眼の
「お萬が昨夜お湯へ行つた時刻は?」
「
「向柳原のお前の家へ行つたのは?」
「
「よしわかつた」
「あの女ですか、親分」
「女も女だが、あの
「野郎ツ」
八五郎は按摩の家へ飛込みました。其處で高飛びの相談をして居る男女二人が、八五郎とそれに助力した、二三人の下つ引に擧げられたことは言ふ迄もありません。
「えツ、神妙に歩けツ、杖などが要るものか」
八五郎の聲は路地一パイに響きます。
× × ×
一件落着の後、八五郎にせがまれて、平次は斯う説明してやりました。
「伊八は久吉と官之助ばかり
「へツ、へツ、有難い仕合せで」
「あの晩、お萬は冗談見たいにして伊八の首に
「成程ね」
「夜中に曲者が入つたやうに宅の市は言つて居るが、伊八は顏を知らない曲者や、來る筈でない者が來たのを、默つて通す筈はない。その上、兩
「――」
「伊八の家へ入る者は、宅の市の家からはよく見える、――宅の市の眼はよく見えるから、曲者の人相を見破る筈だ。暑いから夜半まで開けつ放しだ」
「あ、成るほど」
「それに伊八の家の軒下に
「そいつは氣が付きませんでした」
「二人は馴れ合ひで伊八を殺し、三千兩を家の中から搜し出さうとしたことだらう」
「――」
「もう少しのところで、お前も飛んだ相棒にさせられるところさ。獨りで居るとろくな事はないよ。早く女房を持つ氣になれ」
「へエ」
八五郎は嬉しく叱られて居りました。