「親分、良い陽氣ですね」
「何んだ、八にしちや、大層お世辭が良いぢやないか。何にか又頼み度い事があるんだらう。金か御馳走か、それとも色の取持か。どつちだ」
錢形平次と八五郎は、
「そんな
「馬鹿野郎、張り倒すよ」
「へツ自分は張り倒されて見てえ位のもので、近頃はもて過ぎてポーとして居ますよ」
八五郎はさう言つて、八つ手の葉つぱのやうな手の平を、自分の耳のあたりでパツと開いて見せるのでした。
「
「どうもしたわけぢやありませんよ、今日は、一番親分の智惠を試しに來たんで」
「言ふことが一々
「へツ、智惠の時貸しは驚いたな、――
八五郎が懷中から取出したのは、小菊に包んだ小さい品物でした。受取つて開けると、中から出たのは、飴色の
「これは何んだ」
「櫛ですよ」
「櫛はわかつて居る――まさか熊手と間違やしめえ」
「その櫛に
「何處の新造に貰つて來たんだ」
「今頃こんな古風な櫛を差す
八五郎の説明が、七面倒に持つて廻る間、平次は指先で
「ぢや、八五郎親分が鑑定してやるが宜い。お前の智惠試しに丁度
「ところが駄目で」
「兜を脱いだのか」
「あつしの智惠袋が
「だらしがねえなア、それ御覽」
「へエ」
平次は
「これほどよく磨いた櫛の背に、傷のやうな、引つ掻きのやうなものが見えるだらう」
「え、え、それは見えますよ」
「針で
「すると」
「待て〳〵、此まゝでは讀めまい、――少しは櫛を汚すが、構はないだらうな」
「構やしません」
平次は八五郎の返事を背に聽いて、お勝手へ行くと、念入りに櫛を洗ひ始めましたが、大方
「これを拭きさへすれば宜い、――それ見な」
ざつと乾かした櫛を、紙で柔かく拭いて行くと、櫛の表の針の引つ掻きに墨が殘つて、いとも
「へエ、驚きましたね、これが讀めるんですね、へエ」
感に堪へて、八五郎の長んがい
「假名で十九文字、斯う書いてある、『よさくさにやれみりゐけひぬげやいほてぬ』――解つたか、八」
「――あびらうんけんそわか――見たいなもので」
「馬鹿だなア」
「でなきや、
「こいつは隱し言葉だよ」
「へエ?」
「そのお茶屋の嫁の母親といふのが、娘に知らせ度いことがあつたが、あけすけに書けないので、こんな判じ物の隱し言葉で書き遺したのだらう」
「へエ」
八五郎はすつかり感に堪へました。
「それにしちや、文字が確りしてゐるが、餘つ程氣性の確かな人だつたと見える」
「それぢや、親分の智惠で、ちよいと繪解きをして下さいよ――」
「そんなわけには行かないよ、いろ〳〵の
平次は深々と腕などを組んで居ります。
「親分は今までに、いろ〳〵の隱し言葉を解きましたね、一字送り、
「――」
「その
八五郎はもどかしさうに言ふのでした。一字送りといふのは、いろは四十八文字の表を繰つて、書いた暗號文字の次の字を拾つて讀む方法。二字送り三字送りは、二つ目又は三つ目の假名を讀む方法、逆讀みはいろは文字の一つづつ上のを讀んで行く方法。そして耶馬臺讀みは、
「これは、そんなに手輕に讀める隱し言葉ではないよ、少し考へさしてくれ」
平次の顏のむづかしさ。それに相對して、八五郎も高々と腕などを
「出來たツ」
八五郎はいきなり膝を叩きます。
「何んだ、びつくりするぢやないか」
「よさくさはあさくさぢやありませんか、――淺草にやれ――と
「みりゐけひぬげは何んだ」
「まだ其處までは考へて居ませんよ」
「それぢや何んにも分らない、――が、俺にはどうやら解けたらしいよ」
「へエ、――淺草ぢやなくて、上野か、芝か」
「そんな氣樂な話ぢやない、――これはいろは四十八文字の表を、この隱し言葉で
「へエ?」
「例へば、斯うだ、よとあるのは『をわかよたれ』のよの前のかの字だ。次のさとあるのは『あさきさめみし』のさの次のきの字だ、斯んな具合に三番目はくの前のおの字、四番目はさの次のきの字、――一つ置きにいろは歌の表と睨み合せて、隱し言葉の後前々々と千鳥がけに讀んで見るが宜い、多分
「ハイ」
先刻
かきおきはまたしちのまもりぶくろにあり
「あツ、讀めますね、こいつは」「――書き置きは又七の守り袋にあり――と讀むんだらう。こいつは
「行きませう。養仙寺前の茶屋、竹原屋へ行つて、嫁に訊いたらわかるでせう」
「斯うなりや、
「なんだいそれは、八?」
「退屈でもして居なきや、親分はこんな餌にはかゝりませんよ」
「岡釣りと間違へてやがる」
そんな事を言ひ乍らも平次は、此
谷中の養仙寺前の竹原屋といふのは、相當大きくやつて居る茶屋ですが、平次と八五郎が飛込んで聽くと、
「嫁の里の後取息子が亡くなつて、嫁と伜は飛んで行きましたよ」
留守番をして居る、少し耳の遠い
「里の息子――といふと此家の嫁の弟だね」
「へエ、實の弟で又七と言ひますが、――母親が再縁したので、嫁も嫁の弟も、今の父親とは義理ある仲ですよ」
「その息子が死んだのは何時だ」
「
「家は何處だ」
「千駄木の地主で、中屋萬藏と訊ねて下さればわかります」
「何んだ、中屋の萬藏が、此家の嫁の里だつたのか」
平次も八五郎もそれはよく知つて居ります。駒込切つての大地主で、山の手一圓に知られた豪家です。
千駄木の大地主、中屋萬藏の豪勢な家は、
「いきなり乘込むんでもあるまい。お前は竹原屋の嫁を知つて居るだらう」
「へエ、よく知つて居ますよ、まだ二十一の半元服の、そりや良い女ですよ」
八五郎は大呑込みで、襟を直したり、十手を内懷ろに突つ張らせたりして居ります。
「何を
「
「好い氣なもんだ」
そんな事を言つて見送る平次のところへ、間もなく八五郎は、綺麗な新造を一人、追つ立てるやうに連れ出して來ました。
「親分、これがお春さん――竹原屋の新造ですよ」
「さうか、俺は神田の平次だ。大した手間は取らせない、ちよいと顏を貸してくれ」
「ハイ」
平次はお春を物蔭に
「八、お前は其處を見張つて居てくれ。人が來たつて、構やしないが、立ち聽きされちや面白くない」
「あつしは聽いても構ひませんか」
「馬鹿野郎、聽いて惡いと思つたら、そのでつかい耳の穴へ、二三本づつ指でも突つ込んで置け」
「へツ、驚いたなア」
八五郎は向うの方へフラフラと立去りました。
「お春さんと言つたね」
「ハイ」
それは若々しい町女房でした。色白で、愛嬌者らしくて、少し
「弟の又七が死んださうだな」
「ハイ、可哀想に、――弱い子ではなかつたのですが、町内の本道も首を
「父親?」
「私も、弟の又七も、母の連れつ子でございました。中屋の父には二人共義理ある中で」
「ところで、
「?」
「お前の弟の肌身に着けて居る守袋の中に、亡くなつた母親の
「いえ、何んにも」
お春の大きい眼は、覺束なくも
「八が持つて來た、
「番頭の音吉どんですよ、――あの人は亡くなつた母に頼まれて居た癖に長い間忘れて居たんですつて」
「あの櫛はいろ〳〵の事を教へてくれたよ。お前の母親が何にか知つて居たのかも知れない」
平次は斯う説明してやつたのです。
「まア、――
「何が怖いのだ」
「何んだかわかりませんが、――そんなお話を聽くと、私は恐ろしくなります」
單純で綺麗な町女房の神經は、理窟も根據もなく、本能的に
「お前の母親は、どんな病氣で死んだんだ」
「ブラブラ病ひで御座いました。
「
「いえ、――自分ほど幸せな者はないと、口癖のやうに申して居りました」
「
「お寅さんが來た年ですから、一昨年の秋で」
「お寅さんといふのは?」
「――」
「奉公人か」
「え、奉公人のやうな」
「父親の萬藏はどんな人だ」
「良い人でしたが、お寅さんが來てからは、少しづつ變つてしまひました」
お寅さんといふのは、お春の母親――つまり中屋萬藏の女房のお米が亡くなつた後で入り込んで來た、萬藏の
「八、ちよいと來い」
「へエ」
「中屋へ乘込んで見ようと思ふがどうだ」
「行つて見ませう。守袋を
「お春さんは、岡つ引を案内しては、中屋へ歸り
「ハイ」
お春はホツとした樣子で、靜かに二人に會釋すると、中屋の方へ立去ります。
「ね、親分、良い女でせう」
ヒヨイとしやくつた、八五郎の
「氣が多過ぎるよ、お前は」
「へツ、女房のない
龜の子のやうに首を
中屋萬藏の家は、豪勢と言つても、それは矢張り唯の百姓屋でした。深い植込の中に隱された、凄まじい贅澤な木口の家には、門も玄關も、家の中には
「ハイ、私は主人の萬藏で御座いますが」
迎へてくれたのは、四十五六のまだ元氣な男でした。
「俺は神田の平次だが、子供が死んださうではないか」
「ハイ、
「案内してくれ」
「これよ、誰か」
「ハイ」
聲に應じて來たのは、三十前後の小氣のきいた男でした。
「音か、御役人樣方を、又七のところへ御案内申し上げてくれ」
「へエ、かうお出で下さいまし」
音吉は先に立つて、奧の一と間へ案内しました。
「お前は此家に何年位居るのだ」
「十五六年になります。私は遠縁で、唯の奉公と違ひますので、ことのほか目を掛けて頂いて居ります」
音吉は少し足を
「内儀のお米が死んだ時、何にか變なことがなかつたのか」
「何んにもなかつたと思ひますが、――でも少し
「脆過ぎたといふと」
「床へ就いてから、たつた三日目に亡くなつたのですから、誰でも變に思ひましたが、でも一年半も前の事ですから」
音吉は絶望的に淋しい笑ひを浮べるのでした。
「他に氣の付いたことはないか」
「坊つちやんの
「それは大事な物でも入つて居たのか」
「そんな氣がしてなりません。亡くなつた母親が、大變大事にさせて置きましたから」
「たつたそれだけの事か」
「左樣で御座います」
音吉は默り込んでしまひました。あまりお
奧の一と間に通ると、其處には又七の死骸を横たへて、經机の前に老番頭の和助が、つくねんと坐つて居りました。
錢形平次と八五郎を、唯の
「え? 錢形の親分? ――さうか、それは〳〵飛んだ御苦勞樣で」
打つて變つた調子に、平次は少しばかり胸を惡くしました。
又七の死骸に近づいて、片手拜みに拜んで、そつと顏の巾を取つた平次は、思はずハツと息を呑みました。
「これは?」
十二といふにしては、背丈のよく
「
と八五郎。
「いや、喉に何んの變つたこともない」
「すると?」
「息を詰められたのだ。布團のやうなもので、蒸し殺されたのかも知れない」
「檢屍便覽には尻を見ろ――とありますね」
「それには及ぶまい、――これでは成程お寺で引受けないわけだ」
言ふ迄もなく其頃は、變死と見ると、寺方で
「この子は昨日元氣がよかつたのか」
「へエ、大變な機嫌で御近所の子供さん達と遊んで居りました」
答へたのは老番頭の和助でした。
「此部屋に一人で寢るのか」
「いえ、飛んだ怖がりで、大抵私と一緒に此部屋に寢て居ります」
横合から口を出したのは、若い番頭――この中屋の遠縁だといふ音吉でした。
「昨夜は? ――これは大事なことだ、間違ひのないやうに返答をするのだ」
平次は念を押しました。
「私は養仙寺前の竹原屋まで用事を頼まれて參りましたが、あんまり遲くなつて、泊めて頂きました。此節は辻斬や
「用事といふのは?」
「ほんの
「?」
「坊つちやん――の又七さんから、竹原屋のお姉樣に、相談し度いことがあるから、明日にも來てくれるやうにといふ
「その仕入の金といふのは?」
「竹原屋の御新造が、
音吉の話は非常によく筋が通ります。
「音さん、岡つ引が、來て居るんだつてね。いつもの
少し呶鳴りちらすやうな調子で、ガラガラとまくし立て乍ら、部屋の中へ入つて來たのは、パツと咲ききつたやうな、
「お寅さん」
音吉はあわてて飛付いて、その口でも
「まア」
お寅と言つて二十八、主人萬藏の身の廻りの世話をするといふ名目の奉公人で、
「お前は何んだ」
その表情的な眼や、紅い唇に對して、八五郎はムカムカと反感がコミ上げた樣子です。
「奉公人の、お寅ですよ、――勘忍して下さいな、親分、知らなかつたんですもの」
ヘタヘタと
「又七は人手に掛つて死んだんだぜ、――岡つ引が來るのに、不思議はあるめえ」
「まア」
「お前は
平次も少しムカムカした樣子で、遠慮もなく突つかゝつて行きます。
「一と晩、旦那樣の部屋に居ましたよ。嘘だと思つたら、訊いて下さいな」
「八、お前は此女を見張つて居ろ、俺はこの女の部屋を調べて來る」
平次は音吉に眼配せして、それを案内に立上がりました。
「まア、親分、それだけは勘辨して下さい。私は物の始末の良い方ぢやないから、見られちや極り惡いものばかりですよ。
お寅はさう言ひ乍ら、平次の後を追ひかけましたが、
「ならねえ」
「まア」
グイとその袖を引戻した八五郎、
「お前は此處で、俺と睨めつこをして居るんだ、――あんまり傍へ寄るな」
「まア、
女は觀念したものか、其處へヘタヘタと坐り込みました。鳥もちへ匂ひ袋をブラ下げたやうな女で、傍へ寄られると、八五郎でもあまり氣味がよくありません。
その間に平次は、音吉を案内に、お寅の部屋へ入り込みました。丸窓なんかを切つた、恐ろしく野暮つ度く氣取つた六疊ですが、部屋の中の雜然たる有樣は、さすがの平次も手を下しやうもありません。小道具と
一應調べては見ましたが、あまりの亂雜振りに、宜い加減にして切上げる外はありませんでした。
「こいつを調べた日にや、うけ合ひ盆前丸つぶれだよ」
「親分、――あの
音吉に言はれて、平次はもう一度引返しました。押入の中に、こればかりは眞つ直ぐに置いた手筥、その蓋を取つて見ると、ゴタゴタと小物を詰め込んだ中に、子供の守袋らしいものがチラリと見えるではありませんか。
「あつた」
それを引出した平次。中を開けて見ると、身代りのお
「親分」
差のぞく音吉の眼から
「さア、これで宜し、――八五郎に守袋は見付かつたと言つてくれ――俺は裏の方へ行つて見る」
平次は音吉と別れて、ブラリと庭へ出ました。
「おや、番頭さん」
「ヘイヘイ」
老番頭の和助は足を止めました。何やらせか〳〵と外廻りの用事をして居る樣子です。
「この家の戸締りはどうだ」
「ヘイ、主人はやかましい方で、隨分嚴重で御座います。これだけの身上になりますと、人樣の噂にも上りますので、へエ」
和助は無表情な顏を振り仰いで、
「その戸締りは誰が見るのだ」
「主人が宵のうちに一度店から奧からお勝手まで見廻ります」
「今朝又七の部屋の戸締りに變つたことはなかつたのか」
「それが、不思議でございます。外から開けた樣子もないのに、雨戸が
「昨夜
「それは間違ひ御座いません。主人も不思議がつて居りました。多分坊ちやんが夜中に氣分でも惡くて明けたことだらうと申して居ります」
「ちよいと、外からその邊を見せて貰はう」
「かうお出で下さいまし」
老番頭の和助に案内されて、平次は、死んだ又七の部屋の外に立つて居りました。天氣續きの上、庭の土はよく踏固められて、足跡もなんにもなく、戸袋から出して見た雨戸にも頑丈な敷居にも、外からコジ開けたらしい傷一つないのです。
「此雨戸は今朝
「閉つて居りました。私が開けたのですから間違ひ御座いません。――閉つては居りましたが、上下の
「主人を呼んで來てくれ」
「へエ」
和助は飛んで行つて、店から主人の萬藏を呼んで來ましたが、
「私は戸縛りだけはやかましい方で、昨夜も確かに見廻りました。その時伜はもう寢て居りましたが」
萬藏の言葉には、何んの疑ひを挾む餘地もなかつたのです。
平次は中屋の家族全部を、又七の死骸を置いた、隣の部屋に集めました。その
「さて、皆の衆、又七は確かに人手に掛つて殺された――あれは誰が見てもわかることだが、私はいろ〳〵調べて、その
平次が取出したのは、暗號の文字を
「この櫛には、わけのわからない文字が彫つてある。最初は、女の手で
「――」
「ところで此櫛の文字は、判じ物のやうなもので、讀むのに骨は折れたが、兎も角(遺書は又七の守袋にあり)と讀めた。――その守袋は又七の死骸から拔取られて居たが、大方見當をつけて搜すと、わけもなくお寅の
「まア」
頓狂な聲を立てたのは當のお寅でした。
「――
――私はいよ〳〵殺されるかも知れない。昨夜 も夜中に眼をさますと、私の上に馬乘りになつて、私の喉 に匕首 を當てて居た者がありました。私は觀念して眼をつぶると、覺 られたと思つたらしくて、曲者 はそのまゝ私の布團の上から下りてしまひましたが、いづれにしても、私は長いことはあるまいと思ひます。曲者は今晩もまた來るでせう、いや〳〵曲者が來なくとも、近頃の私の呑 む藥は、妙にホロ苦くて、あの藥を呑んでから一日々々と身體が弱るから、いづれは奪られる命にきまつて居ります。私を殺さうとして居る曲者の顏を見てから、私はもうすつかり觀念してしまひました。その曲者は、――私の夫 ――
紙はこれで盡きて居ります」平次の讀むのを聞いて、一座に
「飛んでもない。私が、そんな、そんな」
いきなり立ち上がつて、泳ぐやうな恰好になるのを、平次は靜かに止めました。
「いや、吃驚するのは
「えツ」
「
「――」
一座は默りこくつて、平次の言葉に聽入りました。凄まじい
「――その上、又七を殺して、それも主人かお寅に疑ひが向くやうにした。お寅の手筥に守袋を突込んで、この私に搜し出させたのはそのためだ」
「――」
「曲者は女ぢやない、そして夜中に外から聲を掛けて、又七に雨戸を開けさせて入つた男だ。――淋しがつて居る又七が、曲者の聲を聞いて、一も二もなく、喜んで雨戸を開けた、――八、氣をつけろ、曲者は逃げ腰になつて居るぞ」
平次の言葉の終るを待ちませんでした。パツと逃出した曲者、それに飛付いた八五郎は、庭へ轉げ落ちて、二匹の犬つころのやうに
「野郎ツ、骨を折らせやがるツ」
× × ×
「驚きましたね、あの音吉の野郎が
「さうよ、俺はあの
平次とガラツ八は、繩付の音吉を番屋に預けて、ブラリブラリと神田へ歸る道でした。
初夏の江戸の町は
「恐ろしく手の混んだことをしたものですね」
「俺を釣るつもりでやつた
「又七を殺せばどうなるでせう」
「中屋の大身代が、遠縁の音吉に轉げ込むぢやないか。下手人はお寅か義理の父親の萬藏といふことになる」
「へエ、
「物騷だといふのに、わざ〳〵夜遲くなつてから谷中へ十五兩の金を持つて行つたのが
「――」
「千駄木の中屋へ歸つて、又七の部屋の外から戸を叩いた、淋しがりの又七は飛付いて開けてくれたんだらう。それを可哀想に布團で蒸し殺してそつと谷中へ歸つたのさ、
「成程ね」
「それから、今日俺が中屋へ行つて、音吉に逢つて見ると、いろ〳〵
「へエ」
「竹原屋のお春がお前の伯母さんと
平次の話は明快でした。
「良い心持ですね、親分」
「俺は人を縛つて良い心持になつた事はないが、――でもあのお春夫婦は本當に喜んでゐたね」
さう言ふのがせめてだつたのです。