「錢形平次親分といふのはお前樣かね」
中年輩の駄馬に
布子を着せたやうな百姓男が、平次の家の門口にノツソリと立ちました。
老けてゐるのはその
澁紙色に
焦けた皮膚のせゐで、實は三十五六をあまり越してゐないかもわかりません。油氣のない髮を
藁しべで結つて、
月代は伸び放題、從つて熊の子のやうな凄まじい髯面ですが、微笑すると眼尻に皺が寄つて、飛んだ可愛らしい人相になります。
「錢形の親分は奧にゐるよ――俺は子分の八五郎といふものさ」
八五郎はさう言つて、グイと長んがい
顎を引いて見せました。
「道理で――」
百姓男は感に
堪へた顏をするのです。
「御挨拶だね、何か用事があるのかい」
「江戸開府以來といはれた捕物の名人にしちや、少し變だと思ひましたよ。惡く思はないで下さいよ」
「言ふことが一々丁寧で腹も立てられねえ」
相手が正直過ぎて、八五郎のガラツ八も大たじ〳〵でした。
「八、何をして居るんだ。お客なら早く取次ぐが宜い」
平次は奧から聲を掛けます。奧と言つても入口の三疊の隣の六疊。首を
伸せば、格子の外に立つた客の
睫毛も讀めさう。
こんなやり取りがあつて、客の百姓男は
漸く中へ通されました。
疊の上へ眞四角に坐ると、座布團から膝が二三寸はみ出して、その上に置いた手が、八つ手の葉のやうにでつかいのも、何となく大地の子らしい
人柄を思はせます。
「錢形の親分さんで御座いますか。私は
柏木の在の者で、百兵衞と申しますが――」
百姓男は
慇懃に挨拶しましたが、八五郎に氣を兼ねたものか、容易に用事を切出しません。
「これは八五郎と言つて俺同樣の男だ。遠慮なく話すが宜い。一體どんな用事で柏木から
遙々來なすつたんだ」
平次はもどかしさうに
誘ひの水を向けます。
「それぢや申しますが、實は親分さんに御願ひがあつて參りました」
「――」
「外ぢやございませんが、親分の智惠でこれを一つ判じて頂き度いんで」
百兵衞はさう言つて、内懷ろから
欝金木綿の財布を出すと、中から大事さうに疊んだ紙片を拔取り、その
皺を寧丁に
[#「寧丁に」はママ]膝の上に伸して、平次の方に押しやるのでした。
紙片は半紙を四つに切つて、それに
禿筆で書いたもの、
ほうきからたつみ
かまのはなからひつじさる
くわのみみからいぬゐ
くちのなかのめ
斯う讀めます。
「フーム」
平次もさすがに
唸るばかり。
「親分さん、これを何と解いたもので御座いませう」
「
箒から
辰巳、鎌の鼻から
未申、
鍬の耳から
戌亥、口の中の眼――と讀むんだらうな。どうだ分つたか、八」
平次の智惠もこの謎には持て餘しました。
「自慢ぢやねえが、
薩張りわからねえ。――どうかしたら、箒だの鎌だの
鍬だのつて、お百姓の道具調べぢやありませんか」
「鎌の鼻や鍬の耳なんか百物語へ出て來さうだぜ」
「鍋の耳に、五
徳の足なら分つてるが――」
「馬鹿だなア。――お聽きの通りだ百兵衞さん。この判じ物は、こちとらの智惠ぢや解けさうもないぜ。寺小屋の師匠か、
占物に持つて行つちや何うだ」
平次は到頭投げてしまひました。
「それもやつて見ました。村の手習師匠にも、
菩提寺の和尚にも、左門町の白井白龍先生にも見て貰ひましたが、まるつきり見當がつきません。此の上は江戸一番といふ――」
「それは止してくれ。この平次は唯の岡つ引きだ。學者や
易者に分らないことが分るわけはねえ。ところで、この謎々を解けば、一體どんなことになるんだ」
「そいつは申上げても仕樣が御座いません。ほんの
内證事で。――それぢや、親分さん、これでお暇いたします。大きにおやかましう御座いました」
百兵衞は謎々の理由を訊かれると、餘つ程それが言ひ度くなかつた樣子で、挨拶もそこ〳〵、逃げるやうに外へ――不器用な
恰好で飛出してしまひました。
「ありや何ですえ、親分」
「わからないよ」
「親分の智惠を試しに、何處かの人の惡い奴が、わざとあんな風をして來たんぢやありませんか」
八五郎はそんな事まで氣を廻すのでした。
「馬鹿なことを言へ、あれは眞面目なお百姓だよ。あの
柄は
拵へものぢやない」
この不思議な訪問者が、やがて恐る可き事件の豫告とは平次も氣が付かなかつたのです。
「錢形の親分、遠方で氣の毒だが、柏木まで行つてくれまいか」
柏木の
寅吉といふ、顏の賣れた中年者の御用聞が、神田の平次の家を
訪ねて來のは
[#「來のは」はママ]、それから二十日餘りの後――正月の松が取れたばかりの、ある日の晝近い時分でした。
「柏木の親分の頼みなら、何處までも出掛けるが、一體どんな用事なんで――」
平次は案外手輕に乘り出すのです。ろくな御用始めもなくて、少し
腐つてゐた矢先でもあつたのでせう。
「十二
社の近所に、
楢井山左衞門といふ大名主があるが、
苗字帶刀まで許された
家柄で、主人の山左衞門は三月ばかり前にポツクリ亡くなつた――」
「――」
「卒中だといふから、それに不思議はないが、
遺言をする間もない急死で、
代々楢井家に積んである筈の何千兩といふ金の行方がわからない。
尤も地所も家屋敷も貸金もうんとあるから、別に當座不自由をするわけではないが、困つたことに甲府送りの公儀御用金を五千兩ほどお預りしてあるので、春早々それを返さなければならない。いかに柏木一番の長者でも、差迫つて五千兩の工面は容易でないから、暮からこの春へかけて楢井家は毎日
煤掃きのやうな騷ぎだ」
「フーム、それから」
話は大分面白さうで、平次も膝を乘り出しました。
「楢井家に傳はる金と、公儀から御領りの金、
併せて一萬兩近いものが、何處かに隱してあるに相違ないといふが、三月の間搜し拔いてもどうしても見付からない。――ところで、この騷ぎの眞つ最中、昨夜若旦那の福松が死んだのだ」
「?」
「屋敷の裏で、
崩れた石垣に打たれて死んでゐるのを、今朝往來の人が見付けた。
鍬なんかを捨ててあつたところを見ると、石垣を掘り崩して、先代の親旦那が隱した金でも搜してゐたのかも知れない」
寅吉は前後の事情を
詳しく説明して、平次の智惠を借りに來たのです。大公儀が甲府勤番の諸士を
賄ふために用意した五千兩の大金、柏木で
紛失してしまつたでは、土地の御用聞の寅吉の顏が立たなかつたのです。
「ところで柏木の親分、少し訊き度いことがあるが――」
話を聽き了つた平次は改めて訊ねました。
「何だえ、錢形の」
「柏木に、百兵衞といふ男がゐないだらうか、三十五六の大きい百姓風の――」
「それは楢井家の作男だよ。
亡くなつた先代の山左衞門が、自分の子のやうに可愛がつた男だ。一國者で少し扱ひ惡いが――」
「よしツ、行かう」
平次は百兵衞が
楢井家の作男と聞くと、急に乘出します。
「行つてくれるか、有難い。それぢや明日でも――」
「いや、その福松とかいふ若主人の死骸を見て置き度い。これから直ぐ出かけよう」
平次は直ぐ支度をすると、居合はせたガラツ八と三人、神田から柏木まで、近からぬ道を急いだのです。
柏木に着いたのは、幸ひにまだ日暮れ前。
「有難い。陽のあるうちに見て置き度いものが澤山あつた。家の中へ入る前に、ざつと外を調べて置かう」
平次は楢井家の門を入ると、家の中の騷ぎには眼もくれず、其の足ですぐ庭から井戸端へ、畑へ、
塀から石垣へ、その
外の
産土神の小さい森へ、
肥料溜から空井戸へ、物置から裏の流れへと、暮れて行く陽の光を
惜しむやうに、大急ぎで見廻りました。
「若旦那が死んでゐたのは此の邊だよ」
寅吉は低い石垣の下に立ち止りました。
「人間の背より低い石垣が崩れて、その
下敷になつて死ぬのは變ぢやないか。石垣の下へ腹ん這ひにでもなつて居るところへ、上から石を轉がして落さなきや――」
若旦那福松の死骸を見る前に、平次は早くもその死に對して一脈の疑ひを
挾んだのです。
「だが、此の通りの血だぜ」
「そいつは後からでも附けられるよ」
平次にさう言はれると、寅吉はその明智に承服しないわけには行きません。
「おや? 石垣の石が一つ
足りないが――」
平次は石垣の崩れと、その下に轉がつた石とを目分量で勘定して居りました。
「
最初つから石が不足ぢやないのかな」
「いや崩れた
跡が三つで、下に落ちて居る石は二つだ」
「一つは上にあるだらう」
「上にもない――おや、變なことがあるぞ。畑をひどく荒してゐるが――。
霜柱をこんなに
碎いて、土を掘つて何處かへ運んだ樣子だ」
「フーム」
「行つて見よう。――その井戸の中が怪しい。
井桁の下まで泥だらけだ」
「そいつは空井戸だ。中には水はない筈だ」
「水はないが、井戸の中に眞新らしい土がうんとあるぜ。――石も投り込んであるやうだ。あの土に
霜柱の
碎けたのが交つて、石に血が付いてゐると大變なことになるが――」
平次のさう言ふ顏色を讀むと、ガラツ八はつい目と鼻の先の物置に飛んで行つて、三間
梯子を輕々と引つ
擔いで來ました。
「まだ中が見えるだらう、入つて見ませうか親分」
「さうしてくれ」
ガラツ八は平次の答へも待たず、空井戸の中に梯子をおろすと、一應落着き工合を調べる間もなくスルスルと降りて行きました。
「どうだ、八。土は?」
「新しい畑の土だ。霜柱がザクザク交つてますぜ――井戸の中の霜柱なんか話の種だ」
「それから石は?」
「あつ、血」
八五郎の聲は井戸の上まで、無氣味に響きます。
併しそれで十分でした。若旦那の福松は、
昨夜夜中に起出して、この井戸の中に突き落され、――或ひは自分から入つたところを――上から石を投げ込まれて
慘殺され、死骸は曲者の手で引上げられて、少し離れた石垣の下で怪我死をしたやうに
僞裝されたのでした。
その後へ畑の土を投げ込んだのは、空井戸の中を覗いた位では、血の跡も見えないやうに細工したのでせう。さう思つて見れば、
朽ちかけた
井桁に、
微か乍ら泥足の跡が附いて居ります。
「恐ろしい足跡ぢやないか」
寅吉その寸法を
測つて居ります。仁王樣の
草鞋のやうな跡が、夕陽を受けてどうやら
斯うやら讀めるのでした。
「もう一度引返して見よう」
三人は默りこくつて畑の中を石垣の下まで引返しました。陽はすつかり
傾いたせゐか、霜柱を碎いた足跡が、先刻よりは濃い凹みの
陰影を作つて、はつきり見えるのです。
「大きい足跡と小さい足跡とあるやうだ。小さいのが殺された若旦那で、大きいのが下手人のだらう」
「斯んなでつかい足跡が滅多にあるわけはねえ。十二文半甲高といふ足を
搜すんだね」
さう居ふ寅吉は、胸の中に百兵衞の大きい身體と、その
拔群の手足を考へて居るのでした。
其處から
納屋へ行つて見ると、
軒の下に仁王樣の草鞋のやうなのが十足ばかりブラ下げてあり、そのうち三足には明かに新しい足形が附いて居ります。
「百兵衞のだ」
寅吉は眞つ先に立つて納屋の中へ入つて見ました。中にはこれも眞新らしい
半濕りの泥の附いた
鍬が一梃、それに頭の上には井戸替の時にでも使つたらしい手頃の
麻繩が二三本輪にして掛けてありますが、その一本には、明かに血潮らしいものを、泥で拭ひ取つた跡がはつきり附いてゐるではありませんか。
家の中へ入ると、
楢井家は打續く不幸にすつかり
滅入り乍らも、お
葬ひの支度やら、
弔問の客などで、何となくザワザワして居ります。
寅吉の姿を見て一番先に驅けて來たのは、
甥の千次郎といふ二十七八の男でした。
「親分、御苦勞樣で」
「千次郎さん、錢形の親分が來てくれたよ。此方は八五郎
兄哥だ」
「それは、どうも」
千次郎は少しばかり
腑に落ちない顏をして居ります。
「若旦那の死にやうが變つてゐるし、それに一萬兩といふ大金も搜さなきやならない」
「へえ――」
ヅケヅケ言ふ寅吉の顏を、千次郎は不足らしく見て居るのです。
「ところで、百兵衞は見えないやうだが」
「
葬ひの支度で、新宿まで小買物やら使ひやらに行きましたよ」
「あの男は亡くなつた大旦那に可愛がられたといふが」
平次は横から口を出しました。
「どういふものか、あの變人へ目をかけましたよ。大旦那の物好きでせう」
「若旦那は?」
「これは百兵衞とは性の合はない方でした。何しろ一國者で、
稼ぐより外に道樂のない百兵衞から見ると、揚弓、
雜俳から茶屋遊びと、道樂強い若旦那の仕打が氣に入らなかつたのも無理はありません。百兵衞は主人に向つて遠慮のないことをヅケヅケ言ひましたよ」
千次郎の調子には、百兵衞を物の數とも思はない
口吻の裏に、妙に反感らしいものが響くのでした。
そんな話をしてゐるところへ番頭の喜之助が顏を出しました。四十五六の、一
理窟こねさうな男で、千次郎よりは、一段と扱ひにくさうですが、身體は二人とも立派で、忙しい時は、作男の中に交つて、
田圃の仕事位は出來さうです。
「おや、親分さん方」
「
取混みのところを氣の毒だが、錢形の親分が、どうしても一萬兩の金を今日明日中に見付けてやらうと言ふんだ」
と寅吉。
「それは有難いことで。さうして下さると、楢井の家名も
疵がつかずに濟みます」
「ところで、若旦那の死骸を見せて貰ひ度いが――」
「へえ、どうぞ」
喜之助に案内されて、三人は奧の一間に通りました。型の如き
屏風の中に、北枕で若旦那の死骸が横たへてありますが、線香をあげて
膝行り寄つた平次は、たつた一目で、井戸の中で、三間以上の高さから、十貫目もある石を叩き付けられた死骸に相違ないと見てとりました。まことに二た目とは見られない、
慘憺たる死にやうです。
「親分さん、御覽の通りで御座います。弟の敵を取つて下さい、お願ひ――」
そつと平次の横で
囁いて、ワナワナと
顫へる手を合せるのは、三十前後の年増女。あまり綺麗ではありませんが、
鄙びた中にも品のある女でした。
「姉さんのお稻さんだよ」
寅吉は、後ろから言葉を添へます。慘死した福松の姉で、今では楢井家にたつた一人殘る娘。一度縁付いたが、夫に死なれて離縁になり、楢井家へ歸つたのだ――とこれは後で聽きました。
もう一人、お稻の後ろに引添ふやうに、美しい顏を
俯向けて居るのは、お由といつて先代の
配偶の遠い
姪で、十九になつたばかり。福松に
娶合せるといふ噂もありましたが、そのまゝに流れてしまつたやうです。
福松は道樂者で通人ではあつたが、恐ろしく
醜男で、お由の氣に入らなかつたらしく、お由はまたお人形のやうに綺麗ですが、福松から見ると野暮つたい泥臭い娘に過ぎなかつたのでせう。
「皆んなの寢部屋を見せて貰ひ度いが――」
平次はいきなり變なことを言ひ出します。
「へえ、どうぞ」
案外氣輕に案内してくれたのは、
甥の千次郎でした。
何分お城のやうな大きな家で、寢部屋なども下女二人は別ですが、あとは
銘々のを存分に、一部屋づつ取つてあります。その銘々の寢部屋がまた、百姓家の呑氣さでろくな締りもなく、それぞれ勝手に外へ出られるやうになつて居りますから、夜中に外へ出ようと思へば、誰でも人に知られずに勝手に出られるわけで、此の點では二人の下女の外には、家中の者で『
現場不在證明』を持つてゐる者は一人もありません。
最初に見たのは番頭の喜之助の部屋。押入から布團を引出すと、中から、ポロポロと
生濕りの土がこぼれ落ちるではありませんか。
「あ、これは?」
寅吉は氣色ばみましたが、平次は素知らぬ顏で、その土
塊を集めて鼻紙に包みます。
次は千次郎の部屋。此處も押入の布團の中は、かなりの泥で、畑の肥料の交つた生濕りの黒土は、少し位
揉んだところで、容易に落ちません。
お稻とお由の布團にはさすがに泥は附いてゐませんが、作男の百兵衞の乾し堅めたやうな
煎餅布團などは、ザクザクするほどの泥が入つて居ります。
錢形平次は泥の紙包みを三つ
拵へて、ひどく面白さうでした。案内の千次郎は呆れ返つて物も言ひません。
百兵衞が歸つて來たのは、すつかり暗くなつてからでした。平次はそれを縛らうとする寅吉を無理に
物蔭に連れて行つて、
「柏木の親分。百兵衞を縛り度いのは
尤もだが、證據が揃ひすぎて腑に落ちないことばかりだ。暫く待つてくれ」
「だが錢形の親分。萬一逃げられちや――」
「いや、それは大丈夫だ。――若旦那殺しの下手人を
擧げるのも大事だが、俺は今晩中に一萬兩の金を搜し出して見せるよ」
「本當かい、それは?」
平次の大言に驚いて、張り切つた寅吉も暫くは百兵衞を見送る氣になりました。
「又逢つたね、百兵衞」
「あツ、錢形の親分さん」
いきなり灯の中へ顏を持つて行つた平次。それを見た百兵衞の
面喰ひやうはありませんでした。
「大層驚くぢやないか」
「親分が此處に居なさるとは思ひません」
「ところで、いろ〳〵訊き度いことがある。
提灯を
點けて、納屋へ來てくれ」
「へえ――」
百兵衞はこの平次の變つた望みに
從ふ外はありません。
その間に平次はガラツ八の八五郎を呼んで、
「八。
菩提寺の和尚と、村の手習ひ師匠と、左門町の
占ひ者白井白龍に逢つて、百兵衞の外にあの不思議な謎々の文句の判じ方を聽きに行つたものはないか、訊いてくれ。歸りには寅吉親分の家で落合ふことにしよう」
「それぢや、親分」
八五郎は宵闇の中を飛んで行きました。
百兵衞に
提灯を持たせて、納屋の中へ入つた平次は、
「この
草鞋は皆んなお前が
履いたのか」
「へえ――」
「よく數を勘定してくれ」
「おや、さう言へば一足汚れたのが多くなつてますよ。二足だけしか履かなかつたが――」
百兵衞は
腑に落ちない顏をして居ります。
「ところで、あの謎々の文句だが、あれは何處から出したんだ。今となつては言つた方が宜からう。――若旦那の福松はあの文句のために殺されて居るんだ」
「えツ、本當ですか、それは親分」
「俺は嘘は言はない。その疑ひがお前にも
懸つて居るぞ。見るが宜い、寅吉親分は何時縛つたものかと考へて居るぢやないか」
「言ひますよ、親分。――それは半歳ほど前に亡くなつた大旦那から預つたもので――」
「その時大旦那は何と言つた」
「福松は
放埒だから、うつかり大金の隱し場所を教へるわけに行かないが、俺も取る歳だ。此の頃の樣に身體が弱つちや、何時どんな事があるかもわからない。そこで一生懸命工夫を
凝らして此の謎々を
拵へたよ。萬一の用意に福松に一枚、お前に一枚預けて置く。俺の身體に若しもの事があつたら、その謎々を解いて一萬兩の金を出し、半分は御役所に返し、半分は楢井の
身上の爲にしてくれ。見る人が見れば必ず分る筈だ――と
斯う仰有いました」
「すると福松もそれと同じ謎々を書いた紙片を一枚持つて居たのだな」
「それに相違御座いません」
「死骸も手廻りの品も見たが、そんなものはなかつたぞ」
寅吉は口を
容れました。
「誰が盜つたんでせうよ」
「若旦那と一番
懇意にしてゐたのは誰だ」
平次は言葉を改めます。
「浪人の北田淺五郎樣、
やつとうの先生ですが、
やつとうより
雜俳が上手で、若旦那と無二の仲でしたよ。今晩もお通夜に見えてゐますが――」
「家の者では」
「番頭さんでせうか、千次郎さんでせうか」
これは百兵衞も見當がつきません。
「ところで、先代の山左衞門旦那は百姓仕事が好きだつたのか」
「へえ、それはもう。この大身代の大旦那樣ですが、三日も
鍬を持たずに居ると、氣分が惡いと仰有つて、よく私と一緒に
野良へ出ましたよ。よく出來た方で――」
百兵衞は自分の仕事に理解のあつた先代の主人を
偲んで、つい
濕つぽくなるのでした。
「その大旦那が使つた
鎌と鍬がある筈だ。見せて貰はうか」
「これで御座いますよ。親分さん」
百兵衞はいそ〳〵と納屋の壁に打ちつけた横木から、鍬と鎌を
外して持つて來てくれました。どつちもよく洗つて
磨いて、刄先はピカピカ光つて居ります。
「
物尺を貸してくれ。どれ〳〵、鎌の
柄は二尺五寸か、鍬の
柄は三尺八寸、それでよし」
平次は納屋に
備付けた粗末な物尺で、鎌と鍬の柄の長さを計り乍ら續けました。
「もう一つ訊くが、その泥だらけな鍬はどうしたんだ」
「あ、又か。使つたら洗つて置け、洗はなきや
錆びるからつてあれほど言つて置くのに」
百兵衞はブリブリし乍ら、泥だらけな鍬を取おろして、納屋の外へ持出してゴシゴシやつて居ります。
母屋へ引返すと、お通夜の人が大分集つて、中には福松と無二の間だつたといふ、浪人北田淺五郎なども
交つて居ります。
平次は家中の者の居る中でいきなり、
「百兵衞、――
箒から
辰巳――といふ謎々の文句の箒はこれだよ」
と
土竈の前、
荒神柱の側に置いてある荒神箒を指すのでした。
「――」
多勢の眼は、平次の指先の荒神箒から辰巳の方角へ動きます。其處は眞直ぐに門口で、闇の中には廣々と畑が
展べられて居るだけ。
「鎌の鼻――か、面白いな。ところで寅吉親分、
斯う暗くなつちや、鎌や鍬で寸法を取つて歩くのも
厄介だ。今晩は親分のところへ厄介になつて、明日の朝うんと早く來て見るとしようか」
「宜いとも。ところで、一萬兩は大丈夫か」
寅吉は人の聽く耳を
憚つて、平次の傍に
摺り寄ります。
「大丈夫とも、もう手に入つたも同樣だよ」
こんな大きな事を言ひ乍ら、平次と寅吉はつい
淀橋の近所の寅吉の家へ引揚げました。
「親分、分りましたよ」
其處に待つて居たのはガラツ八です。
「お寺か、
占者か」
「占ひの白井白龍のところへ、今朝あの
謎を持つて行つた者がありますよ」
「女だらう」
「えらいツ、さすがは親分だ」
「おだてちやいけない」
「お
高祖頭巾を深く
冠つた若い女で、中へ通らずに、いきなり見料に小判を光らせて、あの謎を見せたと見ふんで――」
「白龍は何と解いた」
「分らなかつたさうですよ」
「
箒の
辰巳で、
鎌の
未申――なんてえのは三世相にもないよ。ところで一寢入りして出かけようか」
平次は寅吉の家へ泊り込みましたが、眞夜中頃になると、いきなり飛起きて支度を始めるのです。
「何處へ行くんだ、錢形の」
「丁度夜半のお
經が濟んだ頃だ。曲者が今頃動き出してゐるぜ」
十分に支度をして出て行く平次の後から寅吉と八五郎も
跟いて行く外はありません。
何時の間に此の邊の案内を見て置いたか、平次は大して迷ふ樣子もなく、眞暗な畑の中へぐんぐん入つて行きました。
「しつ、靜かに」
何やら畑の中に
蠢めく者――。平次はそれを見ると、半分は身振りで三人を三方に分け、網を次第に絞つて行きます。
物の影がそれに氣が付くのと、
「御用ツ」
八五郎が飛付くのと一緒でした。
灯りの中へ引立てて行くと、それは
甥の千次郎の忿怒と
悔恨とに
歪む顏だつたのです。
驚き騷ぐ家人の中から、おど〳〵するお由を見付けて、それも寅吉に縛らせ、
「まだ眞つ暗だ。一と休みしてから金は搜すとしようか」
平次は落着き拂つて、夜の明けるのを待ちます。
「金は何處に隱してあるんだ。錢形の」
寅吉はたまり兼ねて訊きました。
「もう
種を明かしても宜いだろ、謎の文句を俺は
斯う解いたんだ。――箒は
荒神箒、それに變りはない。其處から
辰巳(東南)の方へ二尺五寸の
鎌の柄の寸法で五十六だけ、つまり百四十尺行く。鎌の鼻といふのは鎌の
八七、七と八を掛けて七八の五十六だ。千次郎はそれを八十七と思ひ込んだから、飛んでもない方へ行つてしまつた」
「――」
「百四十尺――二十三間と二尺行くと向うの生垣に突當る勘定だ。其處から
鍬の柄三尺八寸の寸法で三三が九つ、つまり二十四尺二寸だけ
未申(南西)の方へ行くと、其處に大きな
捨石が一つある。その
戌亥(西北)が空井戸だ。口の中の眼といふのは、井戸の中に何か仕掛けのあることだらう」
平次の謎解きはまことに見事でした。夜が明けると直ぐ、その通り
辿つて見ると、果して昨日の空井戸に突き當り、空井戸の中を調べると、中程のところに二つ、
はめ込みの石があつて、それを拔くと、大きな横穴が口を開くのでした。穴の中に一萬兩の金が隱してあつたことは言ふ迄もありません。
× × ×
一件がすつかり落着してから平次は、ガラツ八の爲めに斯う説明してくれました。
「千次郎とお由は福松を
騙して空井戸につれ出し、其處に
眞物の一萬兩の金が隱してあるとも知らず、此の中に一萬兩あるとか何とか
出鱈目を言つて福松を殺したのさ。謎々を書いた紙を福松の死骸から
奪つたが、さてこれを解きやうはない。そこでお由を白龍のところへやつたんだらう。自分の寢床に昨夜の泥が附いてゐると氣が付いて、百兵衞と喜之助の寢床にまで泥をつけた千次郎の惡智惠も、謎はどうしても解けなかつた。俺が
荒神箒から
辰巳の方へ、
鎌と
鍬の
柄で寸法をとる話をすると、千次郎は鎌の柄の八十七倍と鍬の柄の三十八倍と見當をつけて、飛んでもない方へ行つて搜してゐたんだ。丁度そこを捕へたから言ひ譯が立たないのさ。だが、あの百兵衞といふ男は良い男さ。お
稻の
聟に世話をしようと思ふがどうだらう」
平次のこの
目論見は、間もなく實行されました。