「八、久しく顏を見せなかつたな」
錢形の平次は縁側一パイの三文
「へエ、相濟みません。ツイ忙しかつたんで――」
「金儲けか、女出入か」
「からかつちやいけません」
「まさかあの
「何んです、その案山子に魔がさしたてエのは」
「白ばつくれちやいけない、踊だよ。水本
「へツ」
「變な聲だな、すつかり言ひ當てられたらう。――惡い事は言はないから、あれだけは止す方が宜いぜ。
「それですよ、親分」
「何がそれなんだ。眼の色を變へて膝なんか乘出しやがつて」
「その水本賀奈女師匠が、思案に餘つて錢形の親分さんにお願ひして、ちよつと
ガラツ八の八五郎は、急に居住ひを直して、突き詰めた顏になるのです。
「御免
平次は
「でも、水本賀奈女師匠が人に
「變なこともあるだらうよ。近頃は向柳原へ行くと、男達は皆んな魔がさしたやうにソハソハして居るつていふぢやないか」
平次はまるつ切り相手になりません。
「親分」
「もう澤山だ、歸つてくれ。――水本賀奈女にさう言ふが宜い、踊の師匠の
ガラツ八はスゴスゴと歸つて行きました。まさに一言もない姿です。
「さア、大變ツ、親分」
息せき切つて飛込んだガラツ八。
「今日の大變は荒つぽいやうだな、何が始まつたんだ、八」
平次は相變らず驚く樣子もなく植木の
「師匠が
ガラツ八は少し喰ひ付きさうです。
「水本
「だから言はないこつちやない、あの時親分が行つて下されば――」
「怒るな八、殺されたのは氣の毒だが、岡つ引が十手を突つ張らかして、評判のよくない踊の師匠のところへ行けるか行けないか、考へて見ろ。一體どうしたんだ」
「可哀想ですよ、親分。――晝湯から歸つて來て、
「誰も居なかつたのか」
「内弟子のお秋は
ガラツ八の話は手眞似が入ります。
「兎も角行つて見よう」
平次は立ち上がりました。
「野郎ツ、來やがれツ」
「何をツ、お
「その手を離せ、畜生ツ」
「誰が離すものかツ」
「あツ、何んといふ事をするんだ」
さすがにひるんだ錢形平次。
「親分、此野郎だ、師匠を殺したのは」
「何をツ、人殺しは此野郎に間違ひはねエ、あつしが此眼で見たんだから」
二人はまた齒を
「半次に助七ぢやないか、こいつは一體どうした事なんだ」
ガラツ八の八五郎は、二人の間へ割つてはひつて、何うやら彼うやら引離し、二頭の
「ね、八五郎親分。此半次の野郎が、師匠に振り飛ばされて、うんと
と助七、
「何をツ、師匠を死ぬほど怨んでゐたのはうぬぢやないか」
とやり返す半次。八五郎は
そのこんがらかつた二人の言葉を整理して聽くと、半次は――ツイ先刻、賀奈女の家の木戸から庭へ廻つて、何心なく聲を掛けると、當の賀奈女は大肌脱になつたまゝ、鏡臺の前に倒れ、助七が次の間――入口の三疊でまご〳〵して居たと言ひ、一方助七に言はせると、師匠に用事があつて、入口から聲を掛けたが返事がない、
それから騷ぎになつて、折柄通りがかりの八五郎が飛込み、錢形平次に報告されましたが、半次と助七は、日頃の
「よし〳〵、二人で相談してやつたんでなきや、二人共
平次は漸くいきり立つ二人を宥めました。二人で相談して賀奈女を殺し、二人で相談してこんな芝居を打つといふ
半次は床屋の
「ところで、二人が表と裏から入つて行くとき、誰にも逢はなかつたのか」
平次は
「逢やしませんよ。――だから此野郎が殺したに違げえねエと――」
半次がまくし立てると、
「逢つたのは、このひよつとこ野郎だけですよ、親分」
助七も敗けては居ません。
「もう宜い、二人が喧嘩をしてゐるうちに、本當の下手人は何んな細工をするか解らない――歩き
平次は半次と助七を引つ立てるやうに、薄暗くなりかけた街へ飛出し、向柳原へ急ぎ乍ら續けました。
「――二人は別として、水本
「そりや、澤山ありますよ」
「
「師匠と一年でも半歳でも一緒に暮した、伊勢屋新兵衞などは、良い
助七はそんな事を言ひ乍ら、ニヤリニヤリと笑ふのです。
向柳原の水本
家は入口の三疊の外に、賀奈女が殺されてゐた居間の六疊、あとは踊舞臺を置いた八疊と、
「おや、錢形の親分」
ほぐれる人の渦の中へ、平次は入つて行きました。死體はまだそのまゝ、鏡臺はハネ飛ばされて、座布團の上から
骨細ですが、よく
首に卷いたものは、赤い
「フーム」
錢形平次は死體の顏を一と眼、思はず
「本性が出たんだね、親分。――怖いものぢやありませんか」
八五郎は囁きます。
「お前も講中の一人だつたぢやないか――
平次は有合せの浴衣を顏へ掛けてやつて、神妙に
「さう思つて、先刻からふんだんに線香を上げてますよ」
無駄を言ひ乍らも、二人は念入りに家の中を調べ、死體の位置と、出入口の關係を見、集まつた人達の噂などを集めました。
「なくなつた物は一つもなし、――家の中には少し泥が落ちてゐた――
錢形平次は殘された事情の上に、見事な假想を組み立て乍ら、犯罪の現場を再現して行くのです。
「親分、下手人の見當は?」
「待て〳〵、――路地の外は天下の往來だ、人通りは澤山ある。夕方路地を入つた人間を一々覺えて居る人はあるまいから
「へエ」
間もなく八五郎に引立てられて來たのは、十六七の踊の弟子といふよりは、
「お前か、お秋といふのは?」
「ハ、ハイ」
「先刻あの騷ぎのあつた時、何處に居たんだ」
「あの、
「その豆腐は何處にある」
「お勝手に置いてあります」
「よし〳〵持つて來なくつたつて宜い。――ところで、路地を入つた時誰にも逢はなかつたのか」
「え」
「家に入つた時、一番先に眼についたのは何んだ」
「半さんと助さんが、睨み合つてゐました。そして、氣が付くとお師匠さんが――」
「泣かなくつたつて宜い」
シクシクと手放しで泣出すのを、平次は少し持て餘し氣味です。
「あの――」
「何んだ」
「殺したのは誰でせう」
「そいつはわからないが、――お前には良い師匠だつたのか」
「――」
お秋は默り込んでしまひます。
「下手人を擧げるためには、いろ〳〵訊き度いことがある、正直に言つてくれるか」
「え」
「第一番に、師匠――賀奈女をうんと
「伊勢屋さんですよ。往來で私の顏を見ると、師匠はまだ生きて居るか。――なんて言ふんですもの」
「他には」
「さア」
「此處へ一番よく來たのは誰だ」
「半次さんと助七さんですよ。どんな日も一度づつは來ました。多い時は二度も三度も――」
「大層精が出るんだな」
平次はガラツ八を振り返ります。これもどうかしたら日參した口かもわかりません。
「へツ」
八五郎はその視線を
近所の衆から一と通り訊きましたが、何んの手掛りもなく、路地を入つた者も出たものも、半次、助七、お秋の外には見たものもありません。
それに、死人に對する遠慮があつたにしても、水本
「これだけ評判が惡いと、死に花ですね。――皆んなをこんなに喜ばせるんだから」
ガラツ八はまた飛んでもない事を言ひます。
「馬鹿野郎、何んといふ口をきくんだ」
「へエ」
ガラツ八の無遠慮な口をたしなめ乍ら、その晩は引揚げる外はありません。
翌る日、朝の内に賀奈女の家へやつて來た平次は、思ひも寄らぬ事を發見しました。
「八、此處は路地の奧で何處からも見えまいと思つたら、横田
縁側に立つた平次は、左手に近々と建つてゐる、火の見櫓を見上げるのでした。
「賀奈女もそれを氣にしてゐましたよ。でも、あの調子だから、火の見櫓から見下ろされるのを承知で大肌脱か何んかで化粧してゐたんでせう」
とガラツ八。
「横田樣の火の番をお前知つてるか」
「喜三郎といふのが居ますよ。伊勢屋の死んだ女房の
「行つて會つて見ようよ」
平次は其處から直ぐ、横田若狹の邸内――板塀とすれ〳〵に建てた火の見の下にやつて行きました。賀奈女の部屋から二十間とは離れて居ません。
八五郎に聲を掛けさせると、氣さくに、
「ほい、何んか用事かい」
さう言つて裏木戸から顏を出したのは、五十七八の
「お前は喜三郎といふんだね、あつしは、平次だが――」
「へエ、よく存じて居ります。錢形の親分で」
「早速だが、昨日隣の踊の師匠のところに騷ぎがあつたんだが――」
「さうですつてね、實はあつしも少し引つかゝりがあつて、あの師匠を怨んでゐましたが、
「引つ掛りといふと」
「なアに、大したことぢやありません。伊勢屋の死んだ女房が、私の娘で、へエ――」
「さうか」
平次も相手の正直さに、反つて話の腰を折られた形です。
「ところで、御用と仰しやるのは?」
喜三郎は
「火の見からはよく見えるだらうと思ふが、昨日何んか變つたことがなかつたのか」
「いろ〳〵見えましたよ。私はこんな
「昨日は」
「相變らず鏡の中の自分の
「その顏を見なかつたのか」
平次は少しじれ込みます。
「色の黒い、背の高い頑丈な男で」
「身なりは?」
「茶がかゝつた
「それつ切りか」
「その男が見えなくなると、半次さんと助七さんが裏表から入つて、いきなり
喜三郎の笑ひは
「色が黒くて、背が高くて、頑丈で、茶がかつた萬筋の古袷を着てゐるのは誰だえ」
平次は家へ入つて來ると、近所の衆に訊きました。
「そいつは伊勢屋さんぢやありませんか。――師匠と一緒に暮した伊勢屋新兵衞そつくりですよ」
「その伊勢屋は今どうして居るだらう」
「家は近所ですが、二三日見えませんよ」
口は大抵揃ひます。
早速八五郎を出してやつて、心當りを
この伊勢屋新兵衞といふのは、
その後間もなくお今は死にました。事情が事情だつたので自殺だといふ噂も立ちましたが、事實はひどい
その日も何んの發展もなく暮れて、平次が引揚げの支度をして居る時、
「親分、伊勢屋新兵衞が來て、入口で
近所の衆が苦々しく取次いでくれます。
「構はないから、此處へ通さう」
「大丈夫ですか、少し醉つてるやうですから、佛樣の前で何を言ひ出すか、わかりませんよ」
「言はせるのも功徳だらうよ」
ガラツ八は心得て行くと、間もなく三十二三の色の黒い頑丈な男を連れて來ました。――高い背、よれ〳〵の茶萬筋の袷――。
「あ、錢形の親分」
伊勢屋新兵衞の顏には、一
念佛一つ
「見ろ言はないこつちやない――」
新兵衞の唇からは、
「――俺があれほど言つたぢやないか、――私がゐなきや、生きてゐられないといふ男が、町内だけでも十人はあるとお前が言つたが、――見るが宜い、お前が死ねば、一人も顏を出しやしない、皆んな此先呑氣に生きて行ける證據だ。――俺はな、この伊勢屋新兵衞はな、お前がこんな姿になるのを、此眼で見たいばかりに、家も
伊勢屋新兵衞は吐き出すやうに言ひ終つて、線香をもう一と掴み
「伊勢屋、お前は泣いてるぢやないか、矢張り悲しいのか」
平次はそれを迎へて言ひます。
「悲しい? 冗談でせう、馬鹿々々しくつて、可笑しくつて、涙が出ますよ」
「さうかなア」
「私はね、親分。此女のために、町内一番の
「――」
伊勢屋新兵衞はガツクリ頭を下げると、又も黒く痩せた頬を、涙がハラハラと洗ふのです。
「私の道樂を苦に病んで、死んで了つた女房が可哀想でなりません」
「――」
「親分、私は、金や身上なんざどうなつたつて構やしません。女房さへ達者で生きて居てくれたら、死んだ氣になつて又稼ぎ溜め、元の伊勢屋の半分でも三分一でも
「――」
「女の中にも賀奈女のやうな、自分の容貌と才智と愛嬌に
「――」
「賀奈女のために死んだ男や女は二人や三人ぢやねえ。内弟子のお秋さんの
「何? お秋の許婚がどうした」
平次は聞きとがめました。
「そんな噂もありますよ。町内の衆だつて、賀奈女の容貌と愛嬌と踊には感心し乍ら、腹の中ぢや
「――」
「私は賀奈女の死んだのさへ此眼で見れば、もう思ひおくことはない。死んだ氣になつて働いて、もう一度伊勢屋の身上を建て直し、あの世の女房に見せてやりますよ。――女房はそればかり言ひ續けて死にました。――私は
「――」
「私は坊主になつた氣で働きますよ、――賀奈女にもいよ〳〵これで縁切りだ。心の隅に殘つた
歸つて行く伊勢屋新兵衞、ガラツ八がいくら眼顏で知らせても、平次は縛らうとも呼び戻さうともしません。
「お秋は? 親分」
「あの女ぢやない、許婚がどうしたか知らないが、――あの女ではあるまいよ」
「師匠を殺して置いて、豆腐を買ひに出たんぢやありませんか、その後へ半次と助七が來たとしたら」
八五郎もなか〳〵うまいところを考へます。
「あの女には、荒繩で賀奈女は殺せない。賀奈女の方が力も才智もある。――それに、師匠を殺して、豆腐を買つて來る
「そんなものですかね」
「それより、庭へ喜三郎が來てゐるぢやないか、――外へ出て話を聽かう――。八、お前も一緒に來るが宜い」
平次は
ポクポクと影を引く老人の後に跟いて、平次と八五郎は河岸ツ端まで歩きました。
「親分さん、よく氣が付きましたね」
「それは稼業だもの」
迎へるやうに立止つて淋しく笑ふ喜三郎、平次はその影の前の捨石に腰をおろしました。
「私は今朝飛んだことを申上げてしまひました。――賀奈女を殺した者を見たなんて、あれは皆んな
「――」
「私はあの時火の見
喜三郎老人の話は飛んでもないものでしたが、それを聽く平次は、別に驚く樣子もありません。
「さうだらう、お前の言ふことはあんまり
「私は伊勢屋が憎かつたので御座います。あんな良い娘を
「お前は伊勢屋を賀奈女殺しの罪に
平次の調子は低いが身に
「面目次第も御座いません。親分さん、私は
「あ、待つた」
言ふ間もありませんでした。
「八、飛込め」
「駄目だ、あつしは御存じの徳利で」
「仕樣のない奴だ、泳ぎ位は稽古して置け」
クルクルと裸になつた錢形平次は、場所を見定めて同じ春の水へパツと飛込んだのです。
× × ×
それから十日二十日と日が經ちますが、踊の師匠水本
「親分、賀奈女殺しはどうしたんです?」
「解つてるぢやないか」
八五郎の鼻のキナ臭いのを、平次は面白さうに見て居るのでした。
「ちつとも解りませんよ、――下手人は誰でせう」
「西國巡禮に行つたよ。――お前も
「えつ、あの火の番の喜三郎?」
「野暮な聲を出すなよ。聽いてるのは幸ひお靜だけだが――」
「本當ですか、親分。どうして縛らなかつたんで」
「一度水へ飛込んで亡者になつたぢやないか」
「へエ――」
「誰にも言ふな。――
「呆れたね、あれが下手人で、へエ――」
「何を感心するんだ。あの親爺は娘の敵を討つ氣だつたのさ。
「へエ――」
八五郎は
「現場を見極めた證人(目撃者)だと思つたから、俺も最初は少しも疑はなかつた。が、伊勢屋が憎くて言つた
「――」
「あとは知つての通りさ。――意見を言ふわけぢやないが、容貌と愛嬌と才智だけで何んでもやり遂げようと思ふ女には氣をつけろよ。ハツハツハツ、まアさう言つたやうなわけさ。恐ろしく突き詰めた顏をするぢやないか、八」
平次はさう言つてカラカラと笑ふのです。