番茶話
泉 鏡花
泉 鏡太郎
蛙
(
かへる
)
小石川
(
こいしかは
)
傳通院
(
でんづうゐん
)
には、(
鳴
(
な
)
かぬ
蛙
(
かへる
)
)の
傳説
(
でんせつ
)
がある。おなじ
蛙
(
かへる
)
の
不思議
(
ふしぎ
)
は、
確
(
たし
)
か
諸國
(
しよこく
)
に
言傳
(
いひつた
)
へらるゝと
記憶
(
きおく
)
する。
大抵
(
たいてい
)
此
(
これ
)
には
昔
(
むかし
)
の
名僧
(
めいそう
)
の
話
(
はなし
)
が
伴
(
ともな
)
つて
居
(
ゐ
)
て、いづれも
讀經
(
どきやう
)
の
折
(
をり
)
、
誦念
(
しようねん
)
の
砌
(
みぎり
)
に、
其
(
そ
)
の
喧噪
(
さわがし
)
さを
憎
(
にく
)
んで、
聲
(
こゑ
)
を
封
(
ふう
)
じたと
言
(
い
)
ふのである。
坊
(
ばう
)
さんは
偉
(
えら
)
い。
蛙
(
かへる
)
が
居
(
ゐ
)
ても、
騷
(
さわ
)
がしいぞ、と
申
(
まを
)
されて、
鳴
(
な
)
かせなかつたのである。
其處
(
そこ
)
へ
行
(
ゆ
)
くと、
今時
(
いまどき
)
の
作家
(
さくか
)
は
恥
(
はづか
)
しい――
皆
(
みな
)
が
然
(
さ
)
うではあるまいが――
番町
(
ばんちやう
)
の
私
(
わたし
)
の
居
(
ゐ
)
るあたりでは
犬
(
いぬ
)
が
吠
(
ほ
)
えても
蛙
(
かへる
)
は
鳴
(
な
)
かない。
一度
(
いちど
)
だつて
贅澤
(
ぜいたく
)
な
叱言
(
こゞと
)
などは
言
(
い
)
はないばかりか、
實
(
じつ
)
は
聞
(
き
)
きたいのである。
勿論
(
もちろん
)
叱言
(
こゞと
)
を
言
(
い
)
つたつて、
蛙
(
かへる
)
の
方
(
はう
)
ではお
約束
(
やくそく
)
の(
面
(
つら
)
へ
水
(
みづ
)
)だらうけれど、
仕事
(
しごと
)
をして
居
(
ゐ
)
る
時
(
とき
)
の
一寸
(
ちよつと
)
合方
(
あひかた
)
にあつても
可
(
よ
)
し、
唄
(
うた
)
に……「
池
(
いけ
)
の
蛙
(
かへる
)
のひそ〳〵
話
(
ばなし
)
、
聞
(
き
)
いて
寢
(
ね
)
る
夜
(
よ
)
の……」と
言
(
い
)
ふ
寸法
(
すんぱふ
)
も
惡
(
わる
)
くない。……
一體
(
いつたい
)
大
(
だい
)
すきなのだが、
些
(
ちつ
)
とも
鳴
(
な
)
かない。
殆
(
ほとん
)
どひと
聲
(
こゑ
)
も
聞
(
きこ
)
えないのである。
又
(
また
)
か、とむかしの
名僧
(
めいそう
)
のやうに、お
叱
(
しか
)
りさへなかつたら、こゝで、
番町
(
ばんちやう
)
の
七不思議
(
なゝふしぎ
)
とか
稱
(
とな
)
へて、
其
(
そ
)
の
一
(
ひと
)
つに
數
(
かぞ
)
へたいくらゐである。が、
何
(
なに
)
も
珍
(
めづら
)
しがる
事
(
こと
)
はない。
高臺
(
たかだい
)
だから
此
(
こ
)
の
邊
(
へん
)
には
居
(
ゐ
)
ないのらしい。――
以前
(
いぜん
)
、
牛込
(
うしごめ
)
の
矢來
(
やらい
)
の
奧
(
おく
)
に
居
(
ゐ
)
た
頃
(
ころ
)
は、
彼處等
(
あすこいら
)
も
高臺
(
たかだい
)
で、
蛙
(
かへる
)
が
鳴
(
な
)
いても、たまに
一
(
ひと
)
つ
二
(
ふた
)
つに
過
(
す
)
ぎないのが、もの
足
(
た
)
りなくつて、
御苦勞千萬
(
ごくらうせんばん
)
、
向島
(
むかうじま
)
の
三
(
み
)
めぐりあたり、
小梅
(
こうめ
)
の
朧月
(
おぼろづき
)
と
言
(
い
)
ふのを、
懷中
(
ふところ
)
ばかり
春
(
はる
)
寒
(
さむ
)
く
痩腕
(
やせうで
)
を
組
(
く
)
みながら、それでものんきに
歩
(
ある
)
いた
事
(
こと
)
もあつたつけ。……
最
(
も
)
う
恁
(
か
)
う
世
(
よ
)
の
中
(
なか
)
がせゝつこましく、
物價
(
ぶつか
)
が
騰貴
(
とうき
)
したのでは、そんな
馬鹿
(
ばか
)
な
眞似
(
まね
)
はして
居
(
ゐ
)
られない。しかし
此
(
こ
)
の
時節
(
じせつ
)
のあの
聲
(
こゑ
)
は、
私
(
わたし
)
は
思
(
おも
)
ひ
切
(
き
)
れず
好
(
す
)
きである。
處
(
ところ
)
で――
番町
(
ばんちやう
)
も
下六
(
しもろく
)
の
此邊
(
このへん
)
だからと
云
(
い
)
つて、
石
(
いし
)
の
海月
(
くらげ
)
が
踊
(
をど
)
り
出
(
だ
)
したやうな、
石燈籠
(
いしどうろう
)
の
化
(
ば
)
けたやうな
小旦那
(
こだんな
)
たちが
皆無
(
かいむ
)
だと
思
(
おも
)
はれない。
一町
(
いつちやう
)
ばかり、
麹町
(
かうぢまち
)
の
電車通
(
でんしやどほ
)
りの
方
(
はう
)
へ
寄
(
よ
)
つた
立派
(
りつぱ
)
な
角邸
(
かどやしき
)
を
横町
(
よこちやう
)
へ
曲
(
まが
)
ると、
其處
(
そこ
)
の
大溝
(
おほどぶ
)
では、くわツ、くわツ、ころ〳〵ころ〳〵と
唄
(
うた
)
つて
居
(
ゐ
)
る。しかし、
月
(
つき
)
にしろ、
暗夜
(
やみ
)
にしろ、
唯
(
と
)
、おも
入
(
い
)
れで、
立
(
た
)
つて
聽
(
き
)
くと
成
(
な
)
ると、
三
(
み
)
めぐり
田圃
(
たんぼ
)
をうろついて、
狐
(
きつね
)
に
魅
(
つま
)
まれたと
思
(
おも
)
はれるやうな
時代
(
じだい
)
な
事
(
こと
)
では
濟
(
す
)
まぬ。
誰
(
たれ
)
に
何
(
なん
)
と
怪
(
あや
)
しまれようも
知
(
し
)
れないのである。
然
(
さ
)
らばと
言
(
い
)
つて、
一寸
(
ちよつと
)
蛙
(
かへる
)
を、
承
(
うけたまは
)
りまする
儀
(
ぎ
)
でと、
一々
(
いち〳〵
)
町内
(
ちやうない
)
の
差配
(
さはい
)
へ
斷
(
ことわ
)
るのでは、
木戸錢
(
きどせん
)
を
拂
(
はら
)
つて
時鳥
(
ほとゝぎす
)
を
見
(
み
)
るやうな
殺風景
(
さつぷうけい
)
に
成
(
な
)
る。……と
言
(
い
)
ふ
隙
(
ひま
)
に、
何
(
なん
)
の、
清水谷
(
しみづだに
)
まで
行
(
ゆ
)
けばだけれど、
要
(
えう
)
するに
不精
(
ぶしやう
)
なので、
家
(
うち
)
に
居
(
ゐ
)
ながら
聞
(
き
)
きたいのが
懸値
(
かけね
)
のない
處
(
ところ
)
である。
里見
(
さとみとん
)
さんが、まだ
本家
(
ほんけ
)
有島
(
ありしま
)
さんに
居
(
ゐ
)
なすつた、お
知己
(
ちかづき
)
の
初
(
はじめ
)
の
頃
(
ころ
)
であつた。
何
(
なに
)
かの
次手
(
ついで
)
に、
此話
(
このはなし
)
をすると、
庭
(
には
)
の
池
(
いけ
)
にはいくらでも
鳴
(
な
)
いて
居
(
ゐ
)
る。……そんなに
好
(
す
)
きなら、ふんづかまへて
上
(
あ
)
げませう。
背戸
(
せど
)
に
蓄
(
か
)
つて
御覽
(
ごらん
)
なさい、と
一向
(
いつかう
)
色氣
(
いろけ
)
のなささうな、
腕白
(
わんぱく
)
らしいことを
言
(
い
)
つて
歸
(
かへ
)
んなすつた。――
翌日
(
よくじつ
)
だつけ、
御免下
(
ごめんくだ
)
さアい、と
耄
(
ぼ
)
けた
聲
(
こゑ
)
をして
音訪
(
おとづ
)
れた
人
(
ひと
)
がある。
山内
(
やまのうち
)
(
里見氏
(
さとみし
)
本姓
(
ほんせい
)
)から
出
(
で
)
ましたが、と
言
(
い
)
ふのを、
私
(
わたし
)
が
自分
(
じぶん
)
で
取次
(
とりつ
)
いで、はゝあ、
此
(
こ
)
れだな、
白樺
(
しらかば
)
を
支那鞄
(
しなかばん
)
と
間違
(
まちが
)
へたと
言
(
い
)
ふ、
名物
(
めいぶつ
)
の
爺
(
とつ
)
さんは、と
頷
(
うなづ
)
かれたのが、コツプに
油紙
(
あぶらがみ
)
の
蓋
(
ふた
)
をしたのに、
吃驚
(
びつくり
)
したのやら、
呆
(
あき
)
れたのやら、ぎよつとしたのやら、
途方
(
とはう
)
もねえ、と
言
(
い
)
つた
面
(
つら
)
をしたのやら、
手
(
て
)
を
突張
(
つツぱ
)
つて
慌
(
あわ
)
てたのやら、
目
(
め
)
ばかりぱち〳〵して
縮
(
すく
)
んだのやら、五六
疋
(
ぴき
)
入
(
はひ
)
つたのを
屆
(
とゞ
)
けられた。
一筆
(
ひとふで
)
添
(
そ
)
つて
居
(
ゐ
)
る――(お
約束
(
やくそく
)
の
此
(
こ
)
の
連中
(
れんぢう
)
の、
早
(
はや
)
い
處
(
ところ
)
を
引
(
ひ
)
つ
捉
(
とら
)
へてお
目
(
め
)
に
掛
(
か
)
けます。しかし、どれも
面
(
つら
)
つきが
前座
(
ぜんざ
)
らしい。
眞打
(
しんうち
)
は
追
(
お
)
つて
後
(
あと
)
より。)――
私
(
わたし
)
はうまいなと
手
(
て
)
を
拍
(
う
)
つた。いや、まだコツプを
片手
(
かたて
)
にして
居
(
ゐ
)
る。うまい、と
膝
(
ひざ
)
を
叩
(
たゝ
)
いた。いや、まだ
立
(
た
)
つたまゝで
居
(
ゐ
)
る。いや
何
(
なん
)
にしろ
感心
(
かんしん
)
した。
臺所
(
だいどころ
)
から
縁側
(
えんがは
)
に
出
(
で
)
て
仰山
(
ぎやうさん
)
に
覗
(
のぞ
)
き
込
(
こ
)
む
細君
(
さいくん
)
を「これ
平民
(
へいみん
)
の
子
(
こ
)
はそれだから
困
(
こま
)
る……
食
(
た
)
べものではないよ。」とたしなめて「
何
(
ど
)
うだい。」と、
裸體
(
らたい
)
の
音曲師
(
おんぎよくし
)
、
歌劇
(
オペラ
)
の
唄
(
うた
)
ひ
子
(
こ
)
と
言
(
い
)
ふのを
振
(
ふ
)
つて
見
(
み
)
せて、
其處
(
そこ
)
で
相談
(
さうだん
)
をして
水盤
(
すゐばん
)
の
座
(
ざ
)
へ……も
些
(
ちつ
)
と
大業
(
おほげふ
)
だけれども、まさか
缺擂鉢
(
かけすりばち
)
ではない。
杜若
(
かきつばた
)
を
一年
(
ひととせ
)
植
(
うゑ
)
たが、あの
紫
(
むらさき
)
のおいらんは、
素人手
(
しろうとで
)
の
明
(
あか
)
り
取
(
とり
)
ぐらゐな
處
(
ところ
)
では
次
(
つぎ
)
の
年
(
とし
)
は
咲
(
さ
)
かうとしない。
葉
(
は
)
ばかり
殘
(
のこ
)
して
駈落
(
かけおち
)
をした、
泥
(
どろ
)
のまゝの
土鉢
(
どばち
)
がある。……
其
(
それ
)
へ
移
(
うつ
)
して、
簀
(
す
)
の
子
(
こ
)
で
蓋
(
ふた
)
をした。
(
とん
)
さんの
厚意
(
こうい
)
だし、
聲
(
こゑ
)
を
聞
(
き
)
いたら
聞分
(
きゝわ
)
けて、
一枚
(
いちまい
)
づゝ
名
(
な
)
でもつけようと
思
(
おも
)
ふと、
日
(
ひ
)
が
暮
(
く
)
れてもククとも
鳴
(
な
)
かない。パチヤリと
水
(
みづ
)
の
音
(
おと
)
もさせなければ、
其
(
そ
)
の
晩
(
ばん
)
はまた
寂寞
(
しん
)
として
風
(
かぜ
)
さへ
吹
(
ふ
)
かない。……
馴染
(
なじみ
)
なる
雀
(
すゞめ
)
ばかりで
夜
(
よ
)
が
明
(
あ
)
けた。
金魚
(
きんぎよ
)
を
買
(
か
)
つた
小兒
(
こども
)
のやうに、
乘
(
の
)
しかゝつて、
踞
(
しやが
)
んで
見
(
み
)
ると、
逃
(
に
)
げたぞ!
畜生
(
ちくしやう
)
、
唯
(
たゞ
)
の
一匹
(
いつぴき
)
も、
影
(
かげ
)
も
形
(
かたち
)
もなかつた。
俗
(
ぞく
)
に、
蟇
(
ひきがへる
)
は
魔
(
ま
)
ものだと
言
(
い
)
ふ。
嘗
(
かつ
)
て
十何匹
(
じふなんびき
)
、
行水盥
(
ぎやうずゐだらひ
)
に
伏
(
ふ
)
せたのが、
一夜
(
いちや
)
の
中
(
うち
)
に
形
(
かたち
)
を
消
(
け
)
したのは
現
(
げん
)
に
知
(
し
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
雨蛙
(
あまがへる
)
や
青蛙
(
あをがへる
)
が、そんな
離
(
はな
)
れ
業
(
わざ
)
はしなからうと
思
(
おも
)
つたが――
勿論
(
もちろん
)
、それだけに、
蓋
(
ふた
)
も
嚴重
(
げんぢう
)
でなしに
隙
(
すき
)
があればあつたのであらう。
二三日
(
にさんにち
)
經
(
た
)
つて、
(
とん
)
さんに
此
(
こ
)
の
話
(
はなし
)
をした。
丁
(
ちやう
)
ど
其日
(
そのひ
)
、
同
(
おな
)
じ
白樺
(
しらかば
)
の
社中
(
しやちう
)
で、
御存
(
ごぞん
)
じの
名歌集
(
めいかしふ
)
『
紅玉
(
こうぎよく
)
』の
著者
(
ちよしや
)
木下利玄
(
きのしたりげん
)
さんが
連立
(
つれだ
)
つて
見
(
み
)
えて
居
(
ゐ
)
た。――
木下
(
きのした
)
さんの
方
(
はう
)
は、
(
とん
)
さんより
三四年
(
さんよねん
)
以前
(
いぜん
)
からよく
知
(
し
)
つて
居
(
ゐ
)
たが――
當日
(
たうじつ
)
連立
(
つれだ
)
つて
見
(
み
)
えた。
早速
(
さつそく
)
小音曲師
(
せうおんぎよくし
)
逃亡
(
かけおち
)
の
話
(
はなし
)
をすると、
木下
(
きのした
)
さんの
言
(
い
)
はるゝには、「
大方
(
おほかた
)
それは、
有島
(
ありしま
)
さんの
池
(
いけ
)
へ
歸
(
かへ
)
つたのでせう。
蛙
(
かへる
)
は
隨分
(
ずゐぶん
)
遠
(
とほ
)
くからも
舊
(
もと
)
の
土
(
つち
)
へ
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
ます。」と
言
(
い
)
つて
話
(
はな
)
された。
嘗
(
かつ
)
て、
木下
(
きのした
)
さんの
柏木
(
かしはぎ
)
の
邸
(
やしき
)
の、
矢張
(
やつぱ
)
り
庭
(
には
)
の
池
(
いけ
)
の
蛙
(
かへる
)
を
捉
(
とら
)
へて、
水掻
(
みづかき
)
の
附元
(
つけもと
)
を(
紅
(
あか
)
い
絹絲
(
きぬいと
)
)……と
言
(
い
)
ふので
想像
(
さうざう
)
すると――
御容色
(
ごきりやう
)
よしの
新夫人
(
しんふじん
)
のお
手傳
(
てつだ
)
ひがあつたらしい。……
其
(
そ
)
の
紅
(
あか
)
い
絲
(
いと
)
で、
脚
(
あし
)
に
印
(
しるし
)
をつけた
幾疋
(
いくひき
)
かを、
遠
(
とほ
)
く
淀橋
(
よどばし
)
の
方
(
はう
)
の
田
(
た
)
の
水
(
みづ
)
へ
放
(
はな
)
したが、
三日
(
みつか
)
め
四日
(
よつか
)
め
頃
(
ごろ
)
から、
氣
(
き
)
をつけて、もとの
池
(
いけ
)
の
面
(
おも
)
を
窺
(
うかゞ
)
ふと、
脚
(
あし
)
に
絲
(
いと
)
を
結
(
むす
)
んだのがちら〳〵
居
(
ゐ
)
る。
半月
(
はんつき
)
ほどの
間
(
あひだ
)
には、
殆
(
ほとん
)
ど
放
(
はな
)
した
數
(
かず
)
だけが、
戻
(
もど
)
つて
居
(
ゐ
)
て、
皆
(
みな
)
もみぢ
袋
(
ぶくろ
)
をはいた
娘
(
むすめ
)
のやうで
可憐
(
かれん
)
だつた、との
事
(
こと
)
であつた。――あとで、
何
(
なに
)
かの
書
(
しよ
)
もつで
見
(
み
)
たのであるが、
蛙
(
かへる
)
の
名
(
な
)
は(かへる)(
歸
(
かへ
)
る)の
意義
(
いぎ
)
ださうである。……
此
(
これ
)
は
考證
(
かうしよう
)
じみて
來
(
き
)
た。
用捨箱
(
ようしやばこ
)
、
用捨箱
(
ようしやばこ
)
としよう。
就
(
つい
)
て
思
(
おも
)
ふのに、
本當
(
ほんたう
)
か
何
(
ど
)
うかは
知
(
し
)
らないが、
蛙
(
かへる
)
の
聲
(
こゑ
)
は、
隨分
(
ずゐぶん
)
大
(
おほ
)
きく、
高
(
たか
)
いやうだけれども、
餘
(
あま
)
り
遠
(
とほ
)
くては
響
(
ひゞ
)
かぬらしい。
有島
(
ありしま
)
さんの
池
(
いけ
)
は、さしわたし
五十間
(
ごじつけん
)
までは
離
(
はな
)
れて
居
(
ゐ
)
まい。それだのに、
私
(
わたし
)
の
家
(
いへ
)
までは
聞
(
きこ
)
えない。――でんこでんこの
遊
(
あそ
)
びではないが、
一町
(
いつちやう
)
ほど
遠
(
とほ
)
い
遠
(
とほ
)
うい――
角邸
(
かどやしき
)
から
響
(
ひゞ
)
かないのは
無論
(
むろん
)
である。
久
(
ひさ
)
しい
以前
(
いぜん
)
だけれど、
大塚
(
おほつか
)
の
火藥庫
(
くわやくこ
)
わき、いまの
電車
(
でんしや
)
の
車庫
(
しやこ
)
のあたりに
住
(
す
)
んで
居
(
ゐ
)
た
時
(
とき
)
、
恰
(
あたか
)
も
春
(
はる
)
の
末
(
すゑ
)
の
頃
(
ころ
)
、
少々
(
せう〳〵
)
待人
(
まちびと
)
があつて、
其
(
そ
)
の
遠
(
とほ
)
くから
來
(
く
)
る
俥
(
くるま
)
の
音
(
おと
)
を、
廣
(
ひろ
)
い
植木屋
(
うゑきや
)
の
庭
(
には
)
に
面
(
めん
)
した、
汚
(
きたな
)
い
四疊半
(
よでふはん
)
の
肱掛窓
(
ひぢかけまど
)
に、
肱
(
ひぢ
)
どころか、
腰
(
こし
)
を
掛
(
か
)
けて、
伸
(
の
)
し
上
(
あが
)
るやうにして、
來
(
く
)
るのを
待
(
ま
)
つて、
俥
(
くるま
)
の
音
(
おと
)
に
耳
(
みゝ
)
を
澄
(
す
)
ました
事
(
こと
)
がある。
昨夜
(
ゆうべ
)
も
今夜
(
こんや
)
も、
夜
(
よ
)
が
更
(
ふ
)
けると、コーと
響
(
ひゞ
)
く
聲
(
こゑ
)
が
遙
(
はるか
)
に
聞
(
きこ
)
える、それが
俥
(
くるま
)
の
音
(
おと
)
らしい。
尤
(
もつと
)
も
護謨輪
(
ごむわ
)
などと
言
(
い
)
ふ
贅澤
(
ぜいたく
)
な
時代
(
じだい
)
ではない。
近
(
ちか
)
づけばカラ〳〵と
輪
(
わ
)
が
鳴
(
な
)
るのだつたが、いつまでも、
唯
(
たゞ
)
コーと
響
(
ひゞ
)
く。それが
離
(
はな
)
れも
離
(
はな
)
れた、まつすぐに
十四五町
(
じふしごちやう
)
遠
(
とほ
)
い、
丁
(
ちやう
)
ど
傳通院前
(
でんづうゐんまへ
)
あたりと
思
(
おも
)
ふ
處
(
ところ
)
に
聞
(
きこ
)
えては、
波
(
なみ
)
の
寄
(
よ
)
るやうに
響
(
ひゞ
)
いて、
颯
(
さつ
)
と
又
(
また
)
汐
(
しほ
)
のひくやうに
消
(
き
)
えると、
空頼
(
そらだの
)
みの
胸
(
むね
)
の
汐
(
しほ
)
も
寂
(
さび
)
しく
泡
(
あわ
)
に
消
(
き
)
える
時
(
とき
)
、それを、すだき
鳴
(
な
)
く
蛙
(
かへる
)
の
聲
(
こゑ
)
と
知
(
し
)
つて、
果敢
(
はか
)
ない
中
(
なか
)
にも
可懷
(
なつかし
)
さに、
不埒
(
ふらち
)
な
凡夫
(
ぼんぷ
)
は、
名僧
(
めいそう
)
の
功力
(
くりき
)
を
忘
(
わす
)
れて、
所謂
(
いはゆる
)
、(
鳴
(
な
)
かぬ
蛙
(
かへる
)
)の
傳説
(
でんせつ
)
を
思
(
おも
)
ひうかべもしなかつた。……その
記憶
(
きおく
)
がある。
それさへ――いま
思
(
おも
)
へば、
空
(
そら
)
吹
(
ふ
)
く
風
(
かぜ
)
であつたらしい。
又
(
また
)
思出
(
おもひだ
)
す
事
(
こと
)
がある。
故人
(
こじん
)
谷活東
(
たにくわつとう
)
は、
紅葉先生
(
こうえふせんせい
)
の
晩年
(
ばんねん
)
の
準門葉
(
じゆんもんえふ
)
で、
肺病
(
はいびやう
)
で
胸
(
むね
)
を
疼
(
いた
)
みつゝ、
洒々落々
(
しや〳〵らく〳〵
)
とした
江戸
(
えど
)
ツ
兒
(
こ
)
であつた。(かつぎゆく
三味線箱
(
さみせんばこ
)
や
時鳥
(
ほとゝぎす
)
)と
言
(
い
)
ふ
句
(
く
)
を
仲
(
なか
)
の
町
(
ちやう
)
で
血
(
ち
)
とともに
吐
(
は
)
いた。
此
(
こ
)
の
男
(
をとこ
)
だから、
今
(
いま
)
では
逸事
(
いつじ
)
と
稱
(
しよう
)
しても
可
(
よ
)
いから
一寸
(
ちよつと
)
素破
(
すつぱ
)
ぬくが、
柳橋
(
やなぎばし
)
か、
何處
(
どこ
)
かの、お
玉
(
たま
)
とか
云
(
い
)
ふ
藝妓
(
げいしや
)
に
岡惚
(
をかぼれ
)
をして、
金
(
かね
)
がないから、
岡惚
(
をかぼれ
)
だけで、
夢中
(
むちう
)
に
成
(
な
)
つて、
番傘
(
ばんがさ
)
をまはしながら、
雨
(
あめ
)
に
濡
(
ぬ
)
れて、
方々
(
はう〴〵
)
蛙
(
かへる
)
を
聞
(
き
)
いて
歩行
(
ある
)
いた。――どの
蛙
(
かへる
)
も、コタマ! オタマ! と
鳴
(
な
)
く、と
言
(
い
)
ふのである。
同
(
おな
)
じ
男
(
をとこ
)
が、
或時
(
あるとき
)
、
小店
(
こみせ
)
で
遊
(
あそ
)
ぶと、
其合方
(
そのあひかた
)
が、
夜
(
よ
)
ふけてから、
薄暗
(
うすぐら
)
い
行燈
(
あんどう
)
の
灯
(
ひ
)
で、
幾
(
いく
)
つも〳〵、あらゆるキルクの
香
(
にほひ
)
を
嗅
(
か
)
ぐ。……あらゆると
言
(
い
)
つて、「
此
(
これ
)
が
惠比壽
(
ゑびす
)
ビールの、
此
(
これ
)
が
麒麟
(
きりん
)
ビールの、
札幌
(
さつぽろ
)
の
黒
(
くろ
)
ビール、
香竄葡萄
(
かうざんぶだう
)
、
牛久
(
うしく
)
だわよ。
甲斐産
(
かひさん
)
です。」と、
活東
(
くわつとう
)
の
寢
(
ね
)
た
鼻
(
はな
)
へ
押
(
お
)
つつけて、だらりと
結
(
むす
)
んだ
扱帶
(
しごき
)
の
間
(
あひだ
)
からも
出
(
だ
)
せば、
袂
(
たもと
)
にも、
懷中
(
ふところ
)
にも、
懷紙
(
くわいし
)
の
中
(
なか
)
にも
持
(
も
)
つて
居
(
ゐ
)
て、
眞
(
しん
)
に
成
(
な
)
つて、
眞顏
(
まがほ
)
で、
目
(
め
)
を
据
(
す
)
ゑて
嗅
(
か
)
ぐのが
油
(
あぶら
)
を
舐
(
な
)
めるやうで
凄
(
すご
)
かつたと
言
(
い
)
ふ……
友
(
とも
)
だちは
皆
(
みな
)
知
(
し
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
此
(
こ
)
の
話
(
はなし
)
を――
或時
(
あるとき
)
、
(
とん
)
さんと
一所
(
いつしよ
)
に
見
(
み
)
えた
事
(
こと
)
のある
志賀
(
しが
)
さんが
聞
(
き
)
いて、
西洋
(
せいやう
)
の
小説
(
せうせつ
)
に、
狂氣
(
きやうき
)
の
如
(
ごと
)
く
鉛筆
(
えんぴつ
)
を
削
(
けづ
)
る
奇人
(
きじん
)
があつて、
女
(
をんな
)
のとは
限
(
かぎ
)
らない、
何
(
なん
)
でも
他人
(
たにん
)
の
持
(
も
)
つたのを
内證
(
ないしよ
)
で
削
(
けづ
)
らないでは
我慢
(
がまん
)
が
出來
(
でき
)
ない。
魔的
(
まてき
)
に
警察
(
けいさつ
)
に
忍
(
しの
)
び
込
(
こ
)
んで、
署長
(
しよちやう
)
どのの
鉛筆
(
えんぴつ
)
の
尖
(
さき
)
を
鋭
(
するど
)
く
針
(
はり
)
のやうに
削
(
けづ
)
つて、ニヤリとしたのがある、と
言
(
い
)
ふ
談話
(
はなし
)
をされた。――
不束
(
ふつゝか
)
で
恐
(
おそ
)
れ
入
(
い
)
るが、
小作
(
せうさく
)
蒟蒻本
(
こんにやくぼん
)
の
蝋燭
(
らふそく
)
を
弄
(
もてあそ
)
ぶ
宿場女郎
(
しゆくばぢよらう
)
は、それから
思
(
おも
)
ひ
着
(
つ
)
いたものである。
書齋
(
しよさい
)
の
額
(
がく
)
をねだつた
時
(
とき
)
、
紅葉先生
(
こうえふせんせい
)
が、
活東子
(
くわつとうし
)
のために(
春星池
(
しゆんせいち
)
)と
題
(
だい
)
されたのを
覺
(
おぼ
)
えて
居
(
ゐ
)
る。……
春星池活東
(
しゆんせいちくわつとう
)
、
活東
(
くわつとう
)
は
蝌蚪
(
くわと
)
にして、
字義
(
じぎ
)
(オタマジヤクシ)ださうである。
玉蟲
(
たまむし
)
去年
(
きよねん
)
の
事
(
こと
)
である。
一雨
(
ひとあめ
)
に、
打水
(
うちみづ
)
に、
朝夕
(
あさゆふ
)
濡色
(
ぬれいろ
)
の
戀
(
こひ
)
しく
成
(
な
)
る、
乾
(
かわ
)
いた
七月
(
しちぐわつ
)
のはじめであつた。……
家内
(
かない
)
が
牛込
(
うしごめ
)
まで
用
(
よう
)
たしがあつて、
午
(
ひる
)
些
(
ち
)
と
過
(
す
)
ぎに
家
(
いへ
)
を
出
(
で
)
たが、
三時頃
(
さんじごろ
)
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
て、
一寸
(
ちよつと
)
目
(
め
)
を
圓
(
まる
)
くして、それは〳〵
氣味
(
きみ
)
の
惡
(
わる
)
いほど
美
(
うつく
)
しいものを
見
(
み
)
ましたと
言
(
い
)
つて、
驚
(
おどろ
)
いたやうに
次
(
つぎ
)
の
話
(
はなし
)
をした。
早
(
はや
)
いもので、
先
(
せん
)
に
彼處
(
あすこ
)
に
家
(
いへ
)
の
建續
(
たてつゞ
)
いて
居
(
ゐ
)
た
事
(
こと
)
は
私
(
わたし
)
たちでも
最
(
も
)
う
忘
(
わす
)
れて
居
(
ゐ
)
る、
中六番町
(
なかろくばんちやう
)
の
通
(
とほ
)
り
市
(
いち
)
ヶ
谷
(
や
)
見附
(
みつけ
)
まで
眞直
(
まつすぐ
)
に
貫
(
つらぬ
)
いた
廣
(
ひろ
)
い
坂
(
さか
)
は、
昔
(
むかし
)
ながらの
帶坂
(
おびざか
)
と、
三年坂
(
さんねんざか
)
の
間
(
あひだ
)
にあつて、
確
(
たし
)
かまだ
極
(
きま
)
つた
名稱
(
めいしよう
)
がないかと
思
(
おも
)
ふ。……
新坂
(
しんざか
)
とか、
見附
(
みつけ
)
の
坂
(
さか
)
とか、
勝手
(
かつて
)
に
稱
(
とな
)
へて
間
(
ま
)
に
合
(
あ
)
はせるが、
大
(
おほ
)
きな
新
(
あたら
)
しい
坂
(
さか
)
である。
此
(
こ
)
の
坂
(
さか
)
の
上
(
うへ
)
から、
遙
(
はるか
)
に
小石川
(
こいしかは
)
の
高臺
(
たかだい
)
の
傳通院
(
でんづうゐん
)
あたりから、
金剛寺坂上
(
こんがうじざかうへ
)
、
目白
(
めじろ
)
へ
掛
(
か
)
けてまだ
餘
(
あま
)
り
手
(
て
)
の
入
(
はひ
)
らない
樹木
(
じゆもく
)
の
鬱然
(
うつぜん
)
とした
底
(
そこ
)
に
江戸川
(
えどがは
)
の
水氣
(
すゐき
)
を
帶
(
お
)
びて
薄
(
うす
)
く
粧
(
よそほ
)
つたのが
眺
(
なが
)
められる。
景色
(
けしき
)
は、
四季
(
しき
)
共
(
とも
)
に
爽
(
さわや
)
かな
且
(
か
)
つ
奧床
(
おくゆか
)
しい
風情
(
ふぜい
)
である。
雪景色
(
ゆきげしき
)
は
特
(
とく
)
に
可
(
い
)
い。
紫
(
むらさき
)
の
霞
(
かすみ
)
、
青
(
あを
)
い
霧
(
きり
)
、もみぢも、
花
(
はな
)
も、
月
(
つき
)
もと
數
(
かぞ
)
へたい。
故々
(
わざ〳〵
)
言
(
い
)
ふまでもないが、
坂
(
さか
)
の
上
(
うへ
)
の
一方
(
いつぱう
)
は
二七
(
にしち
)
の
通
(
とほ
)
りで、
一方
(
いつぱう
)
は
廣
(
ひろ
)
い
町
(
まち
)
を
四谷見附
(
よつやみつけ
)
の
火
(
ひ
)
の
見
(
み
)
へ
拔
(
ぬ
)
ける。――
角
(
かど
)
の
青木堂
(
あをきだう
)
を
左
(
ひだり
)
に
見
(
み
)
て、
土
(
つち
)
の
眞白
(
まつしろ
)
に
乾
(
かわ
)
いた
橘鮨
(
たちばなずし
)
の
前
(
まへ
)
を……
薄
(
うす
)
い
橙色
(
オレンジいろ
)
の
涼傘
(
ひがさ
)
――
束
(
たば
)
ね
髮
(
がみ
)
のかみさんには
似合
(
にあ
)
はないが、
暑
(
あつ
)
いから
何
(
ど
)
うも
仕方
(
しかた
)
がない――
涼傘
(
ひがさ
)
で
薄雲
(
うすぐも
)
の、しかし
雲
(
くも
)
のない
陽
(
ひ
)
を
遮
(
さへぎ
)
つて、いま
見附
(
みつけ
)
の
坂
(
さか
)
を
下
(
お
)
りかけると、
眞日中
(
まひなか
)
で、
丁
(
ちやう
)
ど
人通
(
ひとどほり
)
が
途絶
(
とだ
)
えた。……
一人
(
ひとり
)
や
二人
(
ふたり
)
はあつたらうが、
場所
(
ばしよ
)
が
廣
(
ひろ
)
いし、
殆
(
ほとん
)
ど
影
(
かげ
)
もないから
寂寞
(
ひつそり
)
して
居
(
ゐ
)
た。
柄
(
え
)
を
持
(
も
)
つた
手許
(
てもと
)
をスツと
潛
(
くゞ
)
つて、
目
(
め
)
の
前
(
まへ
)
へ、
恐
(
おそ
)
らく
鼻
(
はな
)
と
並
(
なら
)
ぶくらゐに
衝
(
つ
)
と
鮮
(
あざや
)
かな
色彩
(
しきさい
)
を
見
(
み
)
せた
蟲
(
むし
)
がある。
深
(
ふか
)
く
濃
(
こ
)
い
眞緑
(
まみどり
)
の
翼
(
つばさ
)
が
晃々
(
きら〳〵
)
と
光
(
ひか
)
つて、
緋色
(
ひいろ
)
の
線
(
せん
)
でちら〳〵と
縫
(
ぬ
)
つて、
裾
(
すそ
)
が
金色
(
こんじき
)
に
輝
(
かゞや
)
きつゝ、
目
(
め
)
と
目
(
め
)
を
見合
(
みあ
)
ふばかりに
宙
(
ちう
)
に
立
(
た
)
つた。
思
(
おも
)
はず、「あら、あら、あら。」と十八九の
聲
(
こゑ
)
を
立
(
た
)
てたさうである。
途端
(
とたん
)
に「
綺麗
(
きれい
)
だわ」「
綺麗
(
きれい
)
だわ」と
言
(
い
)
ふ
幼
(
いとけな
)
い
聲
(
こゑ
)
を
揃
(
そろ
)
へて、
女
(
をんな
)
の
兒
(
こ
)
が
三人
(
さんにん
)
ほど、ばら〳〵と
駈
(
か
)
け
寄
(
よ
)
つた。「
小母
(
をば
)
さん
頂戴
(
ちやうだい
)
な」「
其蟲
(
そのむし
)
頂戴
(
ちやうだい
)
な」と
聞
(
き
)
くうちに、
蟲
(
むし
)
は、
美
(
うつく
)
しい
羽
(
はね
)
も
擴
(
ひろ
)
げず、
靜
(
しづ
)
かに、
鷹揚
(
おうやう
)
に、そして
輕
(
かる
)
く
縱
(
たて
)
に
姿
(
すがた
)
を
捌
(
さば
)
いて、
水馬
(
みづすまし
)
が
細波
(
さゝなみ
)
を
駈
(
かけ
)
る
如
(
ごと
)
く、ツツツと
涼傘
(
ひがさ
)
を、
上
(
うへ
)
へ
梭投
(
ひな
)
げに
衝
(
つ
)
くと
思
(
おも
)
ふと、パツと
外
(
そろ
)
へそれて
飛
(
と
)
ぶ。
小兒
(
こども
)
たちと
一所
(
いつしよ
)
に、あら〳〵と、また
言
(
い
)
ふ
隙
(
ひま
)
に、
電柱
(
でんちう
)
を
空
(
くう
)
に
傳
(
つた
)
つて、
斜上
(
なゝめあが
)
りの
高
(
たか
)
い
屋根
(
やね
)
へ、きら〳〵きら〳〵と
青
(
あを
)
く
光
(
ひか
)
つて
輝
(
かゞや
)
きつゝ、それより
日
(
ひ
)
の
光
(
ひかり
)
に
眩
(
まぶ
)
しく
消
(
き
)
えて、
忽
(
たちま
)
ち
唯
(
たゞ
)
一天
(
いつてん
)
を、
遙
(
はるか
)
に
仰
(
あふ
)
いだと
言
(
い
)
ふのである。
大
(
おほ
)
きさは
一寸
(
いつすん
)
二三分
(
にさんぶ
)
、
小
(
ちひ
)
さな
蝉
(
せみ
)
ぐらゐあつた、と
言
(
い
)
ふ。……しかし
其
(
その
)
綺麗
(
きれい
)
さは、
何
(
ど
)
うも
思
(
おも
)
ふやうに
言
(
いひ
)
あらはせないらしく、じれつたさうに、
家内
(
かない
)
は
些
(
ち
)
と
逆上
(
のぼ
)
せて
居
(
ゐ
)
た。
但
(
たゞ
)
し
蒼
(
あを
)
く
成
(
な
)
つたのでは
厄介
(
やつかい
)
だ。
私
(
わたし
)
は
聞
(
き
)
くとともに、
直下
(
すぐした
)
の
三番町
(
さんばんちやう
)
と、
見附
(
みつけ
)
の
土手
(
どて
)
には
松並木
(
まつなみき
)
がある……
大方
(
おほかた
)
玉蟲
(
たまむし
)
であらう、と
信
(
しん
)
じながら、
其
(
そ
)
の
美
(
うつく
)
しい
蟲
(
むし
)
は、
顏
(
かほ
)
に、
其
(
そ
)
の
玉蟲色
(
たまむしいろ
)
笹色
(
さゝいろ
)
に、
一寸
(
ちよつと
)
、
口紅
(
くちべに
)
をさして
居
(
ゐ
)
たらしく
思
(
おも
)
つて、
悚然
(
ぞつ
)
とした。
すぐ
翌日
(
よくじつ
)
であつた。が
此
(
これ
)
は
最
(
も
)
う
些
(
ちつ
)
と
時間
(
じかん
)
が
遲
(
おそ
)
い。
女中
(
ぢよちう
)
が
晩
(
ばん
)
の
買出
(
かひだ
)
しに
出掛
(
でか
)
けたのだから
四時頃
(
よじごろ
)
で――しかし
眞夏
(
まなつ
)
の
事
(
こと
)
ゆゑ、
片蔭
(
かたかげ
)
が
出來
(
でき
)
たばかり、
日盛
(
ひざか
)
りと
言
(
い
)
つても
可
(
い
)
い。
女中
(
ぢよちう
)
の
方
(
はう
)
は、
前通
(
まへどほ
)
りの
八百屋
(
やほや
)
へ
行
(
ゆ
)
くのだつたが、
下六番町
(
しもろくばんちやう
)
から、
通
(
とほり
)
へ
出
(
で
)
る
藥屋
(
くすりや
)
の
前
(
まへ
)
で、ふと、
左斜
(
ひだりなゝめ
)
の
通
(
とほり
)
の
向側
(
むかうがは
)
を
見
(
み
)
ると、
其處
(
そこ
)
へ
來掛
(
きかゝ
)
つた
羅
(
うすもの
)
の
盛裝
(
せいさう
)
した
若
(
わか
)
い
奧
(
おく
)
さんの、
水淺葱
(
みづあさぎ
)
に
白
(
しろ
)
を
重
(
かさ
)
ねた
涼
(
すゞ
)
しい
涼傘
(
ひがさ
)
をさしたのが、すら〳〵と
捌
(
さば
)
く
褄
(
つま
)
を、
縫留
(
ぬひと
)
められたやうに、ハタと
立留
(
たちど
)
まつたと
思
(
おも
)
ふと、うしろへ、よろ〳〵と
退
(
しさ
)
りながら、
翳
(
かざ
)
した
涼傘
(
ひがさ
)
の
裡
(
うち
)
で、「あら〳〵あらあら。」と
言
(
い
)
つた。すぐ
前
(
まへ
)
の、
鉢
(
はち
)
ものの
草花屋
(
くさばなや
)
、
綿屋
(
わたや
)
、
續
(
つゞ
)
いて
下駄屋
(
げたや
)
の
前
(
まへ
)
から、
小兒
(
こども
)
が
四五人
(
しごにん
)
ばら〳〵と
寄
(
よ
)
つて
取卷
(
とりま
)
いた
時
(
とき
)
、
袖
(
そで
)
へ
落
(
おと
)
すやうに
涼傘
(
ひがさ
)
をはづして、「
綺麗
(
きれい
)
だわ、
綺麗
(
きれい
)
だわ、
綺麗
(
きれい
)
な
蟲
(
むし
)
だわ。」と
魅
(
み
)
せられたやうに
言
(
い
)
ひつゝ、
草履
(
ざうり
)
をつま
立
(
だ
)
つやうにして、
大空
(
おほぞら
)
を
高
(
たか
)
く、
目
(
め
)
を
据
(
す
)
ゑて
仰
(
あふ
)
いだのである。
通
(
とほ
)
りがかりのものは
多勢
(
おほぜい
)
あつた。
女中
(
ぢよちう
)
も、
間
(
あひだ
)
は
離
(
はな
)
れたが、
皆
(
みな
)
一齊
(
いつせい
)
に
立留
(
たちどま
)
つて、
陽
(
ひ
)
を
仰
(
あふ
)
いだ――と
言
(
い
)
ふのである。
私
(
わたし
)
は
聞
(
き
)
いて、
其
(
そ
)
の
夫人
(
ふじん
)
が、
若
(
わか
)
いうつくしい
人
(
ひと
)
だけに、
何
(
なん
)
となく
凄
(
すご
)
かつた。
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
一昨年
(
いつさくねん
)
の
秋
(
あき
)
九月
(
くぐわつ
)
――
私
(
わたし
)
は
不心得
(
ふこゝろえ
)
で、
日記
(
につき
)
と
言
(
い
)
ふものを
認
(
したゝ
)
めた
事
(
こと
)
がないので
幾日
(
いくか
)
だか
日
(
ひ
)
は
覺
(
おぼ
)
えて
居
(
ゐ
)
ないが――
彼岸前
(
ひがんまへ
)
だつただけは
確
(
たしか
)
だから、
十五日
(
じふごにち
)
から
二十日頃
(
はつかごろ
)
までの
事
(
こと
)
である。
蒸暑
(
むしあつ
)
かつたり、
涼
(
すゞ
)
し
過
(
す
)
ぎたり、
不順
(
ふじゆん
)
な
陽氣
(
やうき
)
が、
昨日
(
きのふ
)
も
今日
(
けふ
)
もじと〳〵と
降
(
ふ
)
りくらす
霖雨
(
ながあめ
)
に、
時々
(
とき〴〵
)
野分
(
のわき
)
がどつと
添
(
そ
)
つて、あらしのやうな
夜
(
よる
)
など
續
(
つゞ
)
いたのが、
急
(
きふ
)
に
朗
(
ほがら
)
かに
晴
(
は
)
れ
渡
(
わた
)
つた
朝
(
あさ
)
であつた。
自慢
(
じまん
)
にも
成
(
な
)
らぬが
叱人
(
しかりて
)
もない。……
張合
(
はりあひ
)
のない
例
(
れい
)
の
寢坊
(
ねばう
)
が
朝飯
(
あさめし
)
を
濟
(
す
)
ましたあとだから、
午前
(
ごぜん
)
十時半頃
(
じふじはんごろ
)
だと
思
(
おも
)
ふ……どん〳〵と
色氣
(
いろけ
)
なく
二階
(
にかい
)
へ
上
(
あが
)
つて、やあ、いゝお
天氣
(
てんき
)
だ、
難有
(
ありがた
)
い、と
御禮
(
おれい
)
を
言
(
い
)
ひたいほどの
心持
(
こゝろもち
)
で、
掃除
(
さうぢ
)
の
濟
(
す
)
んだ
冷
(
ひや
)
りとした、
東向
(
ひがしむき
)
の
縁側
(
えんがは
)
へ
出
(
で
)
ると、
向
(
むか
)
う
邸
(
やしき
)
の
櫻
(
さくら
)
の
葉
(
は
)
が
玉
(
たま
)
を
洗
(
あら
)
つたやうに
見
(
み
)
えて、
早
(
は
)
やほんのりと
薄紅
(
うすべに
)
がさして
居
(
ゐ
)
る。
狹
(
せま
)
い
町
(
まち
)
に
目
(
め
)
まぐろしい
電線
(
でんせん
)
も、
銀
(
ぎん
)
の
絲
(
いと
)
を
曳
(
ひ
)
いたやうで、
樋竹
(
とひだけ
)
に
掛
(
か
)
けた
蜘蛛
(
くも
)
の
巣
(
す
)
も、
今朝
(
けさ
)
ばかりは
優
(
やさ
)
しく
見
(
み
)
えて、
青
(
あを
)
い
蜘蛛
(
くも
)
も
綺麗
(
きれい
)
らしい。
空
(
そら
)
は
朝顏
(
あさがほ
)
の
瑠璃色
(
るりいろ
)
であつた。
欄干
(
らんかん
)
の
前
(
まへ
)
を、
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
が
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
る。
私
(
わたし
)
は
大
(
だい
)
すきだ。
色
(
いろ
)
も
可
(
よ
)
し、
形
(
かたち
)
も
可
(
よ
)
し……と
云
(
い
)
ふうちにも、
此
(
こ
)
の
頃
(
ごろ
)
の
氣候
(
きこう
)
が
何
(
なん
)
とも
言
(
い
)
へないのであらう。しかし
珍
(
めづら
)
しい。……
極暑
(
ごくしよ
)
の
砌
(
みぎり
)
、
見
(
み
)
ても
咽喉
(
のど
)
の
乾
(
かわ
)
きさうな
鹽辛蜻蛉
(
しほからとんぼ
)
が
炎天
(
えんてん
)
の
屋根瓦
(
やねがはら
)
にこびりついたのさへ、
觸
(
さは
)
ると
熱
(
あつ
)
い
窓
(
まど
)
の
敷居
(
しきゐ
)
に
頬杖
(
ほゝづゑ
)
して
視
(
なが
)
めるほど、
庭
(
には
)
のない
家
(
いへ
)
には、どの
蜻蛉
(
とんぼ
)
も
訪
(
おとづ
)
れる
事
(
こと
)
が
少
(
すくな
)
いのに――よく
來
(
き
)
たな、と
思
(
おも
)
ふうちに、
目
(
め
)
の
前
(
まへ
)
をスツと
飛
(
と
)
んで
行
(
ゆ
)
く。
行
(
ゆ
)
くと、
又
(
また
)
一
(
ひと
)
つ
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
る。
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
るのが
向
(
むか
)
うへ
行
(
ゆ
)
くと、すぐ
來
(
き
)
て、
又
(
また
)
欄干
(
らんかん
)
の
前
(
まへ
)
を
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
る。……
飛
(
と
)
ぶと
云
(
い
)
ふより、スツ〳〵と
輕
(
かる
)
く
柔
(
やはら
)
かに
浮
(
う
)
いて
行
(
ゆ
)
く。
忽
(
たちま
)
ち
心着
(
こゝろづ
)
くと、
同
(
おな
)
じ
處
(
ところ
)
ばかりではない。
縁側
(
えんがは
)
から、
町
(
まち
)
の
幅
(
はゞ
)
一杯
(
いつぱい
)
に、
青
(
あを
)
い
紗
(
しや
)
に、
眞紅
(
しんく
)
、
赤
(
あか
)
、
薄樺
(
うすかば
)
の
絣
(
かすり
)
を
透
(
す
)
かしたやうに、
一面
(
いちめん
)
に
飛
(
と
)
んで、
飛
(
と
)
びつゝ、すら〳〵と
伸
(
の
)
して
行
(
ゆ
)
く。……
前
(
さき
)
へ〳〵、
行
(
ゆ
)
くのは、
北西
(
きたにし
)
の
市
(
いち
)
ヶ
谷
(
や
)
の
方
(
はう
)
で、あとから〳〵、
來
(
く
)
るのは、
東南
(
ひがしみなみ
)
の
麹町
(
かうぢまち
)
の
大通
(
おほどほり
)
の
方
(
はう
)
からである。
數
(
かず
)
が
知
(
し
)
れない。
道
(
みち
)
は
濡地
(
ぬれつち
)
の
乾
(
かわ
)
くのが、
秋
(
あき
)
の
陽炎
(
かげろふ
)
のやうに
薄白
(
うすじろ
)
く
搖
(
ゆ
)
れつゝ、ほんのり
立
(
た
)
つ。
低
(
ひく
)
く
行
(
ゆ
)
くのは、
其
(
そ
)
の
影
(
かげ
)
をうけて
色
(
いろ
)
が
濃
(
こ
)
い。
上
(
うへ
)
に
飛
(
と
)
ぶのは、
陽
(
ひ
)
の
光
(
ひかり
)
に
色
(
いろ
)
が
淡
(
うす
)
い。
下
(
した
)
行
(
ゆ
)
く
群
(
むれ
)
は、
眞綿
(
まわた
)
の
松葉
(
まつば
)
をちら〳〵と
引
(
ひ
)
き、
上
(
うへ
)
を
行
(
ゆ
)
く
群
(
むれ
)
は、
白銀
(
しろがね
)
の
針
(
はり
)
をきら〳〵と
飜
(
ひるがへ
)
す……
際限
(
かぎり
)
もなく、それが
通
(
とほ
)
る。
珊瑚
(
さんご
)
が
散
(
ち
)
つて、
不知火
(
しらぬひ
)
を
澄切
(
すみき
)
つた
水
(
みづ
)
に
鏤
(
ちりば
)
めたやうである。
私
(
わたし
)
は
身
(
み
)
を
飜
(
かへ
)
して、
裏窓
(
うらまど
)
の
障子
(
しやうじ
)
を
開
(
あ
)
けた。こゝで、
一寸
(
ちよつと
)
恥
(
はぢ
)
を
言
(
い
)
はねば
理
(
り
)
の
聞
(
きこ
)
えない
迷信
(
めいしん
)
がある。
私
(
わたし
)
は
表二階
(
おもてにかい
)
の
空
(
そら
)
を
眺
(
なが
)
めて、その
足
(
あし
)
で
直
(
すぐ
)
に
裏窓
(
うらまど
)
を
覗
(
のぞ
)
くのを
不斷
(
ふだん
)
から
憚
(
はゞか
)
るのである。
何故
(
なぜ
)
と
言
(
い
)
ふに、それを
行
(
や
)
つた
日
(
ひ
)
に
限
(
かぎ
)
つて、
不思議
(
ふしぎ
)
に
雷
(
らい
)
が
鳴
(
な
)
るからである。
勿論
(
もちろん
)
、
何
(
なに
)
も
不思議
(
ふしぎ
)
はない。
空模樣
(
そらもやう
)
が
怪
(
あや
)
しくつて、
何
(
ど
)
うも、ごろ〳〵と
來
(
き
)
さうだと
思
(
おも
)
ふと、
可恐
(
こは
)
いもの
見
(
み
)
たさで、
惡
(
わる
)
いと
知
(
し
)
つた
一方
(
いつぱう
)
は
日光
(
につくわう
)
、
一方
(
いつぱう
)
は
甲州
(
かふしう
)
、
兩方
(
りやうはう
)
を、
一時
(
いちじ
)
に
覗
(
のぞ
)
かずには
居
(
ゐ
)
られないからで。――
鄰村
(
となりむら
)
で
空臼
(
からうす
)
を
磨
(
す
)
るほどの
音
(
おと
)
がすればしたで、
慌
(
あわたゞ
)
しく
起
(
た
)
つて、
兩方
(
りやうはう
)
の
空
(
そら
)
を
窺
(
うかゞ
)
はないでは
居
(
ゐ
)
られない。
從
(
したが
)
つて
然
(
さ
)
う
云
(
い
)
ふ
空合
(
そらあひ
)
の
時
(
とき
)
には
雷鳴
(
らいめい
)
があるのだから、いつもはかつぐのに、
其
(
そ
)
の
時
(
とき
)
は、そんな
事
(
こと
)
を
言
(
い
)
つて
居
(
ゐ
)
る
隙
(
ひま
)
はなかつた。
窓
(
まど
)
を
開
(
あ
)
けると、こゝにも
飛
(
と
)
ぶ。
下屋
(
げや
)
の
屋根瓦
(
やねがはら
)
の
少
(
すこ
)
し
上
(
うへ
)
を、すれ〳〵に、
晃々
(
きら〳〵
)
、ちら〳〵と
飛
(
と
)
んで
行
(
ゆ
)
く。しかし、
表
(
おもて
)
からは、
木戸
(
きど
)
を
一
(
ひと
)
つ
丁字形
(
ちやうじがた
)
に
入組
(
いりく
)
んだ
細
(
ほそ
)
い
露地
(
ろぢ
)
で、
家
(
いへ
)
と
家
(
いへ
)
と、
屋根
(
やね
)
と
屋根
(
やね
)
と
附着
(
くツつ
)
いて
居
(
ゐ
)
る
處
(
ところ
)
だから、
珊瑚
(
さんご
)
の
流
(
なが
)
れは、
壁
(
かべ
)
、
廂
(
ひさし
)
にしがらんで、
堰
(
せ
)
かるゝと
見
(
み
)
えて、
表欄干
(
おもてらんかん
)
から
見
(
み
)
たのと
較
(
くら
)
べては、やゝ
疎
(
まばら
)
であつた。
此
(
こ
)
の
裏
(
うら
)
は、すぐ
四谷見附
(
よつやみつけ
)
の
火
(
ひ
)
の
見
(
み
)
櫓
(
やぐら
)
を
見透
(
みとほ
)
すのだが、
其
(
そ
)
の
遠
(
とほ
)
く
廣
(
ひろ
)
いあたりは、
日
(
ひ
)
が
眩
(
まぶし
)
いのと、
樹木
(
じゆもく
)
に
薄霧
(
うすぎり
)
が
掛
(
かゝ
)
つたのに
紛
(
まぎ
)
れて、
凡
(
およ
)
そ、どのくらゐまで
飛
(
と
)
ぶか、
伸
(
の
)
すか、そのほどは
計
(
はか
)
られない。が、
目
(
め
)
の
屆
(
とゞ
)
くほどは、
何處
(
どこ
)
までも、
無數
(
むすう
)
に
飛
(
と
)
ぶ。
處
(
ところ
)
で、
廂
(
ひさし
)
だの、
屋根
(
やね
)
だのの
蔭
(
かげ
)
で、
近
(
ちか
)
い
處
(
ところ
)
は、
表
(
おもて
)
よりは、
色
(
いろ
)
も
羽
(
はね
)
も
判然
(
はつきり
)
とよく
分
(
わか
)
る。
上
(
うへ
)
は
大屋根
(
おほやね
)
の
廂
(
ひさし
)
ぐらゐで、
下
(
した
)
は、
然
(
さ
)
れば
丁
(
ちやう
)
ど
露地裏
(
ろぢうら
)
の
共同水道
(
きやうどうすゐだう
)
の
處
(
ところ
)
に、よその
女房
(
かみ
)
さんが
踞
(
しやが
)
んで
洗濯
(
せんたく
)
をして
居
(
ゐ
)
たが、
立
(
た
)
つと
其
(
そ
)
の
頭
(
あたま
)
ぐらゐ、と
思
(
おも
)
ふ
處
(
ところ
)
を、スツ〳〵と
浮
(
う
)
いて
通
(
とほ
)
る。
私
(
わたし
)
は
下
(
した
)
へ
下
(
お
)
りた。――
家内
(
かない
)
は
髮
(
かみ
)
を
結
(
ゆ
)
ひに
出掛
(
でか
)
けて
居
(
ゐ
)
る。
女中
(
ぢよちう
)
は
久
(
ひさ
)
しぶりのお
天氣
(
てんき
)
で
湯殿口
(
ゆどのぐち
)
に
洗濯
(
せんたく
)
をする。……
其處
(
そこ
)
で、
昨日
(
きのふ
)
穿
(
は
)
いた
泥
(
どろ
)
だらけの
高足駄
(
たかあしだ
)
を
高々
(
たか〴〵
)
と
穿
(
は
)
いて、
此
(
こ
)
の
透通
(
すきとほ
)
るやうな
秋日和
(
あきびより
)
には
宛然
(
まるで
)
つままれたやうな
形
(
かたち
)
で、カラン〳〵と
戸外
(
おもて
)
へ
出
(
で
)
た。が、
出
(
で
)
た
咄嗟
(
とつさ
)
には
幻
(
まぼろし
)
が
消
(
き
)
えたやうで
一疋
(
ひとつ
)
も
見
(
み
)
えぬ。
熟
(
じつ
)
と
瞳
(
ひとみ
)
を
定
(
さだ
)
めると、
其處
(
そこ
)
に
此處
(
こゝ
)
に、それ
彼處
(
あすこ
)
に、
其
(
そ
)
の
數
(
かず
)
の
夥
(
おびたゞ
)
しさ、
下
(
した
)
に
立
(
た
)
つたものは、
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
の
隧道
(
トンネル
)
を
潛
(
くゞ
)
るのである。
往來
(
ゆきき
)
はあるが、
誰
(
だれ
)
も
氣
(
き
)
がつかないらしい。
一
(
ひと
)
つ
二
(
ふた
)
つは
却
(
かへ
)
つてこぼれて
目
(
め
)
に
着
(
つ
)
かう。
月夜
(
つきよ
)
の
星
(
ほし
)
は
數
(
かぞ
)
へられない。
恁
(
か
)
くまでの
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
の
大
(
おほい
)
なる
群
(
むれ
)
が
思
(
おも
)
ひ
立
(
た
)
つた
場所
(
ばしよ
)
から
志
(
こゝろざ
)
す
處
(
ところ
)
へ
移
(
うつ
)
らうとするのである。おのづから
智慧
(
ちゑ
)
も
力
(
ちから
)
も
備
(
そな
)
はつて、
陽
(
ひ
)
の
面
(
おもて
)
に、
隱形
(
おんぎやう
)
陰體
(
いんたい
)
の
魔法
(
まはふ
)
を
使
(
つか
)
つて、
人目
(
ひとめ
)
にかくれ
忍
(
しの
)
びつゝ、
何處
(
いづこ
)
へか
通
(
とほ
)
つて
行
(
ゆ
)
くかとも
想
(
おも
)
はれた。
先刻
(
さつき
)
、もしも、
二階
(
にかい
)
の
欄干
(
らんかん
)
で、
思
(
おも
)
ひがけず
目
(
め
)
に
着
(
つ
)
いた
唯
(
たゞ
)
一匹
(
いつぴき
)
がないとすると、
私
(
わたし
)
は
此
(
こ
)
の
幾千萬
(
いくせんまん
)
とも
數
(
すう
)
の
知
(
し
)
れない
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
のすべてを、
全體
(
ぜんたい
)
を、まるで
知
(
し
)
らないで
了
(
しま
)
つたであらう。
後
(
あと
)
で、
近所
(
きんじよ
)
でも、
誰
(
たれ
)
一人
(
ひとり
)
此
(
こ
)
の
素
(
す
)
ばらしい
群
(
むれ
)
の
風説
(
うはさ
)
をするもののなかつたのを
思
(
おも
)
ふと、
渠等
(
かれら
)
は、あらゆる
人
(
ひと
)
の
目
(
め
)
から、
不可思議
(
ふかしぎ
)
な
角度
(
かくど
)
に
外
(
そ
)
れて、
巧
(
たくみ
)
に
逸
(
いつ
)
し
去
(
さ
)
つたのであらうも
知
(
し
)
れぬ。
さて
足駄
(
あしだ
)
を
引摺
(
ひきず
)
つて、つい、
四角
(
よつかど
)
へ
出
(
で
)
て
見
(
み
)
ると、
南寄
(
みなみより
)
の
方
(
はう
)
の
空
(
そら
)
に
濃
(
こ
)
い
集團
(
しふだん
)
が
控
(
ひか
)
へて、
近
(
ちか
)
づくほど
幅
(
はゞ
)
を
擴
(
ひろ
)
げて、
一面
(
いちめん
)
に
群
(
むらが
)
りつゝ、
北
(
きた
)
の
方
(
かた
)
へ
伸
(
の
)
すのである。が、
厚
(
あつ
)
さは
雜
(
ざつ
)
と
塀
(
へい
)
の
上
(
うへ
)
から
二階家
(
にかいや
)
の
大屋根
(
おほやね
)
の
空
(
そら
)
と
見
(
み
)
て、
幅
(
はゞ
)
の
廣
(
ひろ
)
さは
何
(
ど
)
のくらゐまで
漲
(
みなぎ
)
つて
居
(
ゐ
)
るか、
殆
(
ほとん
)
ど
見當
(
けんたう
)
が
附
(
つ
)
かない、と
言
(
い
)
ふうちにも、
幾干
(
いくせん
)
ともなく、
急
(
いそ
)
ぎもせず、
後
(
おく
)
れもせず、
遮
(
さへぎ
)
るものを
避
(
さ
)
けながら、
一
(
ひと
)
つ
一
(
ひと
)
つがおなじやうに、
二三寸
(
にさんずん
)
づゝ、
縱横
(
じうわう
)
に
間
(
あひだ
)
をおいて、
悠然
(
いうぜん
)
として
流
(
なが
)
れて
通
(
とほ
)
る。
櫻
(
さくら
)
の
枝
(
えだ
)
にも、
電線
(
でんせん
)
にも、
一寸
(
ちよつと
)
留
(
と
)
まるのもなければ、
横
(
よこ
)
にそれようとするのもない。
引返
(
ひきかへ
)
して、
木戸口
(
きどぐち
)
から
露地
(
ろぢ
)
を
覗
(
のぞ
)
くと、
羽目
(
はめ
)
と
羽目
(
はめ
)
との
間
(
あひだ
)
に
成
(
な
)
る。こゝには
一疋
(
いつぴき
)
も
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
ない。
向
(
むか
)
うの
水道端
(
すゐだうばた
)
に、いまの
女房
(
かみ
)
さんが
洗濯
(
せんたく
)
をして
居
(
ゐ
)
る、
其
(
そ
)
の
上
(
うへ
)
は
青空
(
あをぞら
)
で、
屋根
(
やね
)
が
遮
(
さへぎ
)
らないから、スツ〳〵
晃々
(
きら〳〵
)
と
矢
(
や
)
ツ
張
(
ぱ
)
り
通
(
とほ
)
るのである。「おかみさん。」
私
(
わたし
)
は
呼
(
よ
)
んだ。「
御覽
(
ごらん
)
なさい
大層
(
たいそう
)
な
蜻蛉
(
とんぼ
)
です。」「へゝい。」と
大
(
おほ
)
きな
返事
(
へんじ
)
をすると、
濡手
(
ぬれて
)
を
流
(
なが
)
して
泳
(
およ
)
ぐやうに
反
(
そ
)
つて
空
(
そら
)
を
視
(
み
)
た。
顏中
(
かほぢう
)
をのこらず
鼻
(
はな
)
にして、
眩
(
まぶ
)
しさうにしかめて、「
今朝
(
けさ
)
ツから
飛
(
と
)
んで
居
(
ゐ
)
ますわ。」と
言
(
い
)
つた。
別
(
べつ
)
に
珍
(
めづら
)
しくもなささうに
唯
(
たゞ
)
つい
通
(
とほ
)
りに、
其處等
(
そこら
)
に
居
(
ゐ
)
る、
二三疋
(
にさんびき
)
だと
思
(
おも
)
ふのであらう。
時
(
とき
)
に、もうやがて
正午
(
おひる
)
に
成
(
な
)
る。
小一時間
(
こいちじかん
)
經
(
た
)
つて、
家内
(
かない
)
が
髮結
(
かみゆひ
)
さんから
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
た。
意氣込
(
いきご
)
んで
話
(
はなし
)
をすると――
道理
(
だうり
)
こそ……
三光社
(
さんくわうしや
)
の
境内
(
けいだい
)
は
大變
(
たいへん
)
な
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
で、
雨
(
あめ
)
の
水溜
(
みづたまり
)
のある
處
(
ところ
)
へ、
飛
(
と
)
びながらすい〳〵と
下
(
お
)
りるのが
一杯
(
いつぱい
)
で、
上
(
うへ
)
を
乘越
(
のりこ
)
しさうで
成
(
な
)
らなかつた。それを
子供
(
こども
)
たちが
目笊
(
めざる
)
で
伏
(
ふ
)
せるのが、「
摘草
(
つみくさ
)
をしたくらゐ
笊
(
ざる
)
に
澤山
(
たくさん
)
。」と
言
(
い
)
ふのである。
三光社
(
さんくわうしや
)
の
境内
(
けいだい
)
は、
此
(
こ
)
の
邊
(
へん
)
で
一寸
(
ちよつと
)
子供
(
こども
)
の
公園
(
こうゑん
)
に
成
(
な
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
私
(
わたし
)
の
家
(
うち
)
からさしわたし
二町
(
にちやう
)
ばかりはある。
此
(
こ
)
の
樣子
(
やうす
)
では、
其處
(
そこ
)
まで
一面
(
いちめん
)
の
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
だ。
何處
(
どこ
)
を
志
(
こゝろざ
)
して
行
(
ゆ
)
くのであらう。
餘
(
あま
)
りの
事
(
こと
)
に、また
一度
(
いちど
)
外
(
そと
)
へ
出
(
で
)
た。
一時
(
いちじ
)
を
過
(
す
)
ぎた。
爾時
(
そのとき
)
は
最
(
も
)
う
一
(
ひと
)
つも
見
(
み
)
えなかつた。そして
摘草
(
つみくさ
)
ほど
子供
(
こども
)
にとられたと
言
(
い
)
ふのを、
何
(
なん
)
だか
壇
(
だん
)
の
浦
(
うら
)
のつまり〳〵で、
平家
(
へいけ
)
の
公達
(
きんだち
)
が
組伏
(
くみふ
)
せられ
刺殺
(
さしころ
)
されるのを
聞
(
き
)
くやうで
可哀
(
あはれ
)
であつた。
とに
角
(
かく
)
、
此
(
こ
)
の
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
の
光景
(
くわうけい
)
は、
何
(
なに
)
にたとへやうもなかつた。が、
同
(
おな
)
じ
年
(
とし
)
十一月
(
じふいちぐわつ
)
のはじめ、
鹽原
(
しほばら
)
へ
行
(
い
)
つて、
畑下戸
(
はたおり
)
の
溪流瀧
(
けいりうたき
)
の
下
(
した
)
の
淵
(
ふち
)
かけて、
流
(
ながれ
)
の
廣
(
ひろ
)
い
溪河
(
たにがは
)
を、
織
(
お
)
るが
如
(
ごと
)
く
敷
(
し
)
くが
如
(
ごと
)
く、もみぢの、
盡
(
つ
)
きず、
絶
(
た
)
えず、
流
(
なが
)
るゝのを
見
(
み
)
た
時
(
とき
)
と、――
鹽
(
しほ
)
の
湯
(
ゆ
)
の、
斷崖
(
だんがい
)
の
上
(
うへ
)
の
欄干
(
らんかん
)
に
凭
(
もた
)
れて
憩
(
いこ
)
つた
折
(
をり
)
から、
夕颪
(
ゆふおろし
)
颯
(
さつ
)
として、
千仭
(
せんじん
)
の
谷底
(
たにそこ
)
から、
瀧
(
たき
)
を
空状
(
そらざま
)
に、もみぢ
葉
(
ば
)
を
吹上
(
ふきあ
)
げたのが
周圍
(
しうゐ
)
の
林
(
はやし
)
の
木
(
こ
)
の
葉
(
は
)
を
誘
(
さそ
)
つて、
滿山
(
まんざん
)
の
紅
(
くれなゐ
)
の、
且
(
か
)
つ
大紅玉
(
だいこうぎよく
)
の
夕陽
(
ゆふひ
)
に
映
(
えい
)
じて、かげとひなたに
濃
(
こ
)
く
薄
(
うす
)
く、
降
(
ふ
)
りかゝつたのを
見
(
み
)
た
時
(
とき
)
に、
前日
(
さきのひ
)
の
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
の
群
(
むれ
)
の
風情
(
ふぜい
)
を
思
(
おも
)
つたのである。
肝心
(
かんじん
)
の
事
(
こと
)
を
言
(
い
)
ひおくれた。――
其
(
そ
)
の
日
(
ひ
)
の
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
は、
殘
(
のこ
)
らず、
一
(
ひと
)
つも
殘
(
のこ
)
らず、
皆
(
みな
)
一
(
ひと
)
つづゝ、
一
(
ひと
)
つがひ、
松葉
(
まつば
)
につないで、
天人
(
てんにん
)
の
乘
(
の
)
る
八挺
(
はつちやう
)
の
銀
(
ぎん
)
の
櫂
(
かい
)
の
筏
(
いかだ
)
のやうにして
飛行
(
ひかう
)
した。
何
(
なん
)
と……
同
(
おな
)
じ
事
(
こと
)
を
昨年
(
さくねん
)
も
見
(
み
)
た。……
篤志
(
とくし
)
の
御方
(
おかた
)
は、
一寸
(
ちよつと
)
お
日記
(
につき
)
を
御覽
(
ごらん
)
を
願
(
ねが
)
ふ。
秋
(
あき
)
の
半
(
なかば
)
かけて
矢張
(
やつぱ
)
り
鬱々
(
うつ〳〵
)
陰々
(
いん〳〵
)
として
霖雨
(
ながあめ
)
があつた。
三日
(
みつか
)
とは
違
(
ちが
)
ふまい。――
九月
(
くぐわつ
)
の
二十日
(
はつか
)
前後
(
ぜんご
)
に、からりと
爽
(
さわや
)
かにほの
暖
(
あたゝ
)
かに
晴上
(
はれあが
)
つた
朝
(
あさ
)
、
同
(
おな
)
じ
方角
(
はうがく
)
から
同
(
おな
)
じ
方角
(
はうがく
)
へ、
紅舷
(
こうげん
)
銀翼
(
ぎんよく
)
の
小
(
ちひ
)
さな
船
(
ふね
)
を
操
(
あやつ
)
りつゝ、
碧瑠璃
(
へきるり
)
の
空
(
そら
)
をきら〳〵きら〳〵と
幾千萬艘
(
いくせんまんそう
)
。――
家内
(
かない
)
が
此
(
こ
)
の
時
(
とき
)
も
四谷
(
よつや
)
へ
髮
(
かみ
)
を
結
(
ゆ
)
ひに
行
(
い
)
つて
居
(
ゐ
)
た。
女中
(
ぢよちう
)
が
洗濯
(
せんたく
)
をして
居
(
ゐ
)
た。おなじ
事
(
こと
)
である。
其
(
そ
)
の
日
(
ひ
)
は
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
て、
見附
(
みつけ
)
の
公設市場
(
こうせつしぢやう
)
の
上
(
うへ
)
かけて、お
濠
(
ほり
)
の
上
(
うへ
)
は
紀
(
き
)
の
國坂
(
くにざか
)
へ
一面
(
いちめん
)
の
赤蜻蛉
(
あかとんぼ
)
だと
言
(
い
)
つた。
惜
(
をし
)
い
哉
(
かな
)
。すぐにもあとを
訪
(
たづ
)
ねないで……
晩方
(
ばんがた
)
散歩
(
さんぽ
)
に
出
(
で
)
て
見
(
み
)
た
時
(
とき
)
は、
見附
(
みつけ
)
にも、お
濠
(
ほり
)
にも、たゞ
霧
(
きり
)
の
立
(
た
)
つ
水
(
みづ
)
の
上
(
うへ
)
に、それかとも
思
(
おも
)
ふ
影
(
かげ
)
が、
唯
(
たゞ
)
二
(
ふた
)
つ、
三
(
み
)
つ。
散
(
ち
)
り
來
(
く
)
る
木
(
こ
)
の
葉
(
は
)
の、しばらくたゝずまふに
似
(
に
)
たのみであつた。
大正十一年五月
出典:青空文庫(
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/50778_44662.html
)
青空文庫の奥付
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「
番茶話
(
ばんちやばなし
)
」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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