三太郎の日記 第一

阿部 次郎

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Es irrt der Mensch, solang er strebt.


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自序






 此類の書は序文なしに出版せらる可き性質のものではない。自分は自分の過去のために、小さい墓を建ててやるやうな心持で此書を編輯した。自分は自分の心から愛し且つ心から憎んでゐる過去のために墓誌を書いてやりたい心持で一杯になつてゐる。
 此書に集めた數十篇の文章は明治四十一年から大正三年正月に至るまで、凡そ六年間に亙る自分の内面生活の最も直接な記録である。之を内容的に云へば、舊著「影と聲」の後を承けた彷徨の時代から――人生と自己とに對して素樸な信頼を失つた疑惑の時代から、少しく此信頼を恢復し得るやうになつた今日に至るまでの、小さい開展の記録である。自分は自分の悲哀から、憂愁から、希望から、失望から、自信から、羞恥から、憤激から、愛から、寂寥から、苦痛から促されて此等の文章を書いた。全體を通じて殆んど斷翰零墨のみであるが、如何なる斷翰零墨もその時々の内生の思出を伴つてゐないものはない。固より外面的に見れば、此等の文章の殆ど凡ては最も平俗な意味に於ける何等かの社會的動機に動かされて書いたものである。經濟上の必要や、友人の新聞雜誌記者に對する好意や、他人の依頼を斷りきれない自分の心弱さなどは、外から自分を動かして、此等の文章を書くための筆を握らせた。併し此等の外面的機縁は自分の文章の内容を規定する力をば殆ど全く持つてゐなかつた。自分は此等の外面的、社會的必要に應ずるために、常に内面的衝動の充實を待つてゐた。さうして内面的衝動の充實を待つて始めて筆を執つた。從つて自分は屡※(二の字点、1-2-22)經濟上の窮乏を忍んだり、締切の日に後れて他人に迷惑をかけたり、口約束ばかりで半年も一年も引張つて置いたりしなければならなかつた。此等の文章は外面的機縁によつて火を導かれたが、外面的動機の力を以つて爆發したものではない。固より此等の文章は悉く内面に蓄積する心熱の苦しさに推し出されたものだと云ふのは誇張である。併し書くに足る程の内面的成熟を待つて之を記録したと云ふだけの權利は、自分に許されてゐると信じてゐる。自分は此等の文章がまだまだ熱と力に缺けてゐることを熟知してゐる。併し、その時々に自分の人格に許された限りの誠實を盡して、此等の文章を書いたと云ふことだけは憚らない。
 とは云へ、誠實の深さも亦人格の深さと始終する。自分は從來に於ける自分の文章を貫く誠實が、甚だ淺く輕いものなことを思ふ時、そゞろに冷汗の流れることを覺える。囘想すれば、事物の眞相に透徹せむとする誠實も淺かつた。自分の生活を深く〳〵穿ち行かむとする誠實も亦淺かつた。――從來、自分は比較的に論理的客觀的思考の力に富んだ者と、世間から許されてゐるやうな氣がしてゐた。さうして自分も亦深い反省なしに、茫漠として此評價を受納れてゐた。然るに、その實、自分の思想は、現在刹那の内面的要求をのみ基礎として、事物の一面にのみ穿貫し行く部分觀に過ぎないものが甚だ多かつた。さうして自分は自分の内面的要求が特にその阻遏さるゝ點に於いて燃え立つことを經驗した。從つて自分は常に自分の要求を阻遏する一面にのみ極度に強い光を投げて、自然と人生と自己とを觀じて來た。自分の思想は、自然に就いても、自己に就いても、靜かに深い客觀性を缺いた少年の厭世主義が主調をなしてゐた。而も此厭世主義を自己に適用するに當つて、自分は解剖の一面にのみ熱して、開展に向ふ努力の一面を忘れ勝であつた。自分は自分の解剖が穿貫の力を缺いてゐるとは今でも思つてゐない。さうして現在と雖も、實相の凝視、解剖、並びに嫌厭を、無意味にして呪ふ可き事だとは少しも思はない。併し自分の人格は、何と云つても解剖の一面に停滯して、靜かなる包容と、根強き局面開展の力とを缺いて居た。自分は過去の自分を囘顧する時、此點に於いて自分が憎くて恥かしくてたまらない。殊に自分は今自分の内生が徐々として轉向しつゝあることを感じてゐる。從つて過去の自分に對する愛着は、次第に冷淡と憎惡とに變化しつゝあることを感じてゐる。自分は今此變化し行く心を以つて過去の文章を見る。さうして自ら生み、自ら育てて來た此等の小さい者に對して、流石に愛憐の情に堪へない。自分の此書を編輯するこゝろは捨てる子のためにその安息の處を――その墓を準備してやる母親のこゝろである。
 併し此の如き未練愛着のこゝろは、舊稿を編輯する理由にはなつても、之を公表する理由にはならない。自分は何の權利があつて、敢て此書を公表するのであるか。自分の信ずる處では、自分は二ヶ條の理由によつて、此權利を享受する資格があるやうである。自分は此二ヶ條の理由によつて、此書の出版が現在の思想界に對して多少裨補する處ある可きを信じてゐる。
 第一に此書に輯められたる文章には未熟、不徹底、其他あらゆる缺點あるに拘らず、眞理を愛するこゝろと、眞理を愛するがために矛盾缺陷暗黒の一面をもたじろがずに正視せむとする精神とは全篇を一貫して變らないと信ずる。此書の大部分を占めてゐる内容は、自分の矛盾と缺乏とに對する觀照である、從つて自分は此觀照の記録によつて他人のこゝろを温め清めることが出來るとは思つてゐない。此書は恐らくは讀者を不愉快にし陰氣にする書に相違あるまい。併し自分は自分の文章が徒らに、理由なくして、他人を不愉快にし陰氣にするとは信じてゐない。讀者が此書によつて陰氣になり不愉快になるならば、それは陰氣になり不愉快になることが、讀者その人の必ず一度は經過しなければならぬ必然だからである。自分はその人を往く可き處に往かしめるために、之を不愉快にし陰氣にすることを恐れない。矛盾を正視すること、矛盾の上を輕易に滑ることを戒めることは、凡ての人を第一歩に於て正路に就かしめる所以である。若し此書を貫く根本精神が多少なりとも生きてゐるならば、讀者の胸中に、矛盾を正視しながら、而も其中に活路を求むるの勇氣を鼓吹する點に於いて、幾分の裨補がない譯はないと思ふ。
 第二に此書は單純なる矛盾と暗黒との觀照ではない。同時に暗黒に在つて光明を求める者の叫である。さうして又、實際、暗黒から少しづつ光明に向つて動きつゝある心の記録でもある。固より自分の心は魔障の多い心である。自分には、僅に一歩を進めるためにも、猶除かなければならぬ千の障礙がある。自分は千鈞の魔障を後にひいて、人生の道を牛歩する下根の者である。此六年の日子を費して自分の歩いた道は恐らくは一寸にも當らないであらう。併し、兎に角に、自分の内生は此間に多少の開展を經て來た。自分は道草を喰ひながら、どう〳〵※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りをしながら、迷ひながら、躓きながら、どうにかして此處まで歩いて來た。その間の勞苦は、自分にとつて決して小さいものではなかつた。假令個々の部分を形成する思想内容には見るに足るものが極めて少いにしても、此小なる開展の跡を貫く微かなる必然は、神と人との前に全然無意義なものではあるまい。自分が此書を編むに際して經驗する心持は、必ずしも羞恥の情のみではないのである。
 自分は此小さい經驗の報告が、それ〴〵の道を進みつゝある現代の諸友に、多少なりとも參考になるやうにと切望してゐる。自分は過去に對する未練と愛着とによつて此書を編んだ。願くは之が同時に、現在並に將來の思想界を幾分なりとも裨補するの書ともならむことを。
大正三年二月十一日
谷中の寓居にて
阿部次郎
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斷片






 青田三太郎は机の上に頬杖をついて二時間許り外を眺めてゐた。さうして思出した樣に机の抽斗の奧を探つて三年振に其日記を取出した。三太郎の心持が水の上に滴した石油の樣に散つて了つて、俺はかう考へてゐる、俺はかう感じてゐると云ふ言葉さへ、素朴なる確信の響を傳へ得ぬ樣になつてからもう三年になる。彼は其間、書くとは内にあるものを外に出すことに非ずして、寧ろペンと紙との相談づくで空しき姿を隨處に製造することだと考へて來た。日記の上をサラ〳〵と走るペンのあとから、「嘘吐け、嘘吐け」と云ふ囁が雀を追ふ鷹の樣に羽音をさせて追掛けて來るのを覺えた。三太郎は其聲の道理千萬なのが堪らなかつた。解らぬのを本體とする現在の心持を、纒つた姿あるが如くに日記帳の上に捏造して、暗中に模索する自己を訛傳する、後日の證據を殘す樣なことは、ふつつり思ひ切らうと決心した。さうして三年の間雲の如く變幻浮動する心の姿を眺め暮した。併し三年の後にも三太郎の心は寂しく空しかつた。この空しく寂しい心は彼を驅つて又古い日記帳を取出させた。とりとめのない此頃の心持をせめては罫の細かな洋紙の上に寫し出して、半は製造し半は解剖して見たならば、少しは世界がはつきりして來はしまいかと、果敢ない望が不圖胸の上に影を差したのである。日記帳の傍には三年前のインキの痕を秩序もなく殘した白い吸取紙が、春の日の薄明りに稍※(二の字点、1-2-22)卵色を帶びて見えてゐる。三太郎は碁盤に割つた細かな罫の上に、細く小さくペンを走らせて行く。
「生活は生活を咬み、生命は生命を蝕ふ。俺の生活は湯の煮えたぎる鐵瓶の蓋の上に、あるかなきかに積る塵埃である。其底に生命が充溢し、狂熱が沸騰してゐると云ふ意味ではない。俺の心は唯常に動搖してゐる。動搖を豫期する念々の不安は現在の靜安をも徒に脅迫してゐる。一皮を剥いた下には赤く爛れた樣々の心が、終夜の宴の終局を告ぐる疲れたる亂舞に狂ひ囘つてゐる。重ねて云へば、俺の生活は芝居の波である。波の底には離れ〴〵になつた心が、下※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りらしい乏しさを以つて、目的もなく唯藻掻いてゐる。この動亂こそ我が生存の唯一の徴候である。其處には純一なる生命もなく、一貫せる主義もなく、從つて又眞の生活もない。俺の生活は既に失はれた。俺は今眼を失へるフオルキユスの娘達の樣に、黄昏れる荒野の中に自らの眼球を搜し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐる。
 俺は古の心美しき人達の歌に聲を合せる――俺にも昔は眞正の生活があつた。幼き日は全心に沁み渡る恐怖と悲哀と寂寞と、歡喜と爭心と親愛との間に過ぎた。俺は子供として又人として、無花果の嫩葉が延びる樣に純一蕪雜に生きて來た。俺の心は一方にスクスクと延びて行く命であつた、一方には又靜かに爽かなる鏡であつた。命が傷ついて鏡が曇つて、茲に動亂を本體とする現在が來る。明日になつては命が枯れるか鏡が碎けるか、現在の俺には何事も解らない。唯俺には滿足し得ざる現在がある、現在に滿足せざる焦躁がある。
 尤も、猥雜によつて心の命を傷つけらる可き俺の運命は早くも幼年時代に萌してゐた。俺の幼い心には後年の教育と經驗とによりて蹂躪せらる可き空想の世界が早くより其種を卸してゐた。俺は羅馬舊教の傳説中に養はれた祖母に育てられて、北國の山村に成長した。山村の夜はとりわけ寂しく靜かであつた。此寂しく靜かなる山村の夜々に、桃太郎カチカチ山の昔噺と共に俺の心に吹込まれたるものは、天國煉獄地獄の話であつた。俺は幼心に自らの未來を推想して、到底直ちに天國に登るを許さる可き善人だとは自信し得なかつた。俺は地獄と煉獄との間に懸る自分の魂に、成年の感じ得ざる新鮮なる恐怖を感じてゐた。特に最も氣懸りなのは、煉獄の長い修練により、罪の淨めも了へて天國に送られる際に、苛責の血に汚れたる手足を洗ふ可き水の流れのあるなしであつた。俺は夜中に眼を醒して此事を思出すと堪らなかつた。さうして傍に眠てゐる祖母を搖起しては、よく泣き乍ら此問題の解答を求めたものであつた。死の恐怖と死後の想像とは幼年時代から少年時代にかけて久しく俺の生活の寂しく暗い一面を塗つてゐた。思ひ出すは十一二の時分に遭遇した大地震である。俺は母や弟妹と共に裂けて外れた雨戸から外に這出した。時は雨が上つて空がまだ曇つてゐる秋の夕暮であつた。素足に踏む土は冷く、又ジメジメしてゐた。火を失したのであらう、遠くの村々の燒ける炎は曇つた空に物凄く映つた。大地の底は沸騰した大釜の樣にゴーゴー唸つてゐた。さうして湯氣を噴出する口を求めて釜の蓋をゆるがす樣に、數分の間を置いては大地を震はしてゐた。俺は此の中に立つて、今犇々と胸にこたへる死の恐怖に比すれば、平日の念頭に上る死の壓迫などは丸で比較にならぬと思つたことを記憶してゐる。此の如き反省が直ちに念頭に上る迄に、死は當時の自分を威嚇してゐたのである――併し心の生命が傷つくと共に死の恐怖も亦其新鮮なる姿を失つた。俺は今死を恐れない、少くとも死の恐怖が現在の俺を支配してゐない。今の若さで、それ程迄に俺の生の色は褪めて了つた。それ程迄に俺の心は疲れ萎びて了つた。
 兎に角羅馬舊教の世界は、周圍の雰圍氣によつて養成された自分の世界に、兩立し難き異彩を點綴したる最初であつた。爾來幾多の世界は別々の戸口を通して俺の頭腦の中に侵入して來た。其或者は俺の心に作用して從來知らざりし歡喜と悲哀とを教へた。其或者は俺の理解を強制して瘤の如く俺の頭の一角に固著した。此等の種々の世界は俺の心の中で、俺の頭の中で、若しくは俺の心と俺の頭とに相對壘して、相互の覇權を爭つてゐる。俺の生命は多岐に疲れて漸く其純一を失つて來た。過度の包攝は俺の心の生命を傷つけた。
 俺の心の世界では一つの表象フオルシテルングが他の無數の表象を伴ひ、一つの形象ビルトが他の無數の形象を伴つて來る。無數の表象と無數の形象とは相互に喧嘩口論をし乍らも、其手だけは源氏の白旗を握る小萬の手の如く緊乎と握り合ひつつ、座頭の行列の樣に慘ましくおどけ乍ら無限に心の眼の前を通つて行く。一つの表象が中心となり、一つの形象が焦點となつて、他の意識内容は皆情調シテインムングの姿に於いて其背景を彩るのならば何の論もない。凡てが表象と形象との姿を現はして中心を爭ふが故に、俺の心の世界には精神集注 Konzent ration と云ふ跪拜に價する恩寵が天降らない。俺の意識は唯埒もなく動亂するのみである。俺の An Sich は苦しい夢の見通しである。
 今あることなければならぬことと、現に實現されたることと實現を求むる力として現實の上に壓迫して來ることと――約言すれば現實と理想との矛盾は、恐らくは精神と云ふ精神の必ず脱る可からざる状態であらう。此矛盾は健全なる自遜と努力とに導くのみであつて、何の悲觀する必要もない。併し俺の意識の中では現實と現實と、理想と理想とが相食んでゐる。樣々の心持が海の怪の樣に意識の中に戲れて、現に頭を擡げてゐる一怪を認めて俺の現實を代表させ樣とすれば、それぢやア駄目だよと云つて思ひがけぬ處に他の一怪が頭を波の上に突き出す。午後の日が彼等の長い髮の上にきらめいて、波が怪しい波紋を織り出してゐる。其上に一つの理想は西から吹いて西から波濤を起して來る。一つの理想は北から吹いて北から波濤を起して來る。心の海は今自らの姿に驚き呆れてゐる。
 此の如くにして内界が分裂すると共に更に不思議なる現象が現はれて來た。俺は自らあることに滿足が出來なくなつた。現にあることあるを迫ることの孰れをも含んで、兎に角自らあることに滿足が出來なくなつた。俺は飢ゑたる者の如くに自ら知ることを求める樣になつた。自らあること自ら知ることと――〈ヘーゲルの言葉を藉りて云へば An Sich(本然?)と F※(ダイエレシス付きU小文字)r Sich(自覺?)とである。ヘーゲルの意味と俺の意味と全然相蓋うてゐぬことは云ふ迄もない。先人の用語は唯俺に都合のよい内容を盛る爲の容れ物に過ぎない〉――の對照は實に不思議なる宇宙の謎語である。自らあることは自ら知ると共に自らあることの内容を變更して來る。強き者は自らを強しと知ると共に多く驕傲と云ふ内容を得易い。單に強くありし者は其自覺と共に強く且つ驕れる者となつた。弱き者は自らを弱しと知ると共に謙遜と焦躁と努力との内容を得來る。單に弱きのみなりし者は弱きが爲に謙遜し焦躁し努力する者となつた。若し是が、自ら知ると共に自らあることも亦複雜になり豐富になるに止まるならば固より論はない。併し疑ふらくは自ら知ることは自らあることの純一に強盛に素樸に發動することを妨げると云ふ一般的傾向を持つてゐるらしい。若しくは自らあることの爛熟と頽廢との隨伴現象として來ると云ふ一般的傾向を持つてゐるらしい。ヘーゲルは「ミネル※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の梟は夕暮に飛ぶ」と云つたと聞く。F※(ダイエレシス付きU小文字)r Sich は An Sich を蠶食し陷沒せしむるものと云ふことが事實ならば、而して此事實を評價する者が俺の樣に An Sich の純粹集中無意識とを崇拜する者ならば、其者の哲學は遂に Pessimismus ならざるを得まい。少くとも自覺と本然との矛盾に就いて深き悲哀なきを得まい。俺には此點に就いて大なる疑問がある。俺の心が此疑問の生きたる Illustration である。
 併し自覺と本然との一般的關係はどうでもよい。兎に角 An Sich が生命の純一を失つて徒に動亂する魂なりとすれば、此魂の自覺は益※(二の字点、1-2-22)其悲哀を深くし、其矛盾を細密の點まで波及せしめ、其散漫を二重に三重に散漫にして、到底手も足も出し得ない者にする傾向あることは爭ふを許さぬ。F※(ダイエレシス付きU小文字)r Sich は動亂する本然の情態を靜かなる智慧の鏡に映して觀照 Anschauen を樂とする譯に行かない。俺の心は慟哭せむが爲に鏡に向ふかさねである。鏡中の姿を怖るるが故に再度三度重ねて鏡を手にする累である。反省も批評も自覺も凡て病である。中毒である。Sucht である。
 散漫、不純、放蕩、薄弱、顛倒、狂亂、痴呆――其他總ての惡名は皆俺の異名である。從つて俺は地獄に在つて天國を望む者の憧憬を以つて蕪雜と純潔と貞操と本能とを崇拜する。嗚呼俺は男と大人との名に疲れた。女になりたい。子供になりたい。兎に角俺は俺でないものになりたい。――
 併し此の如く生活を失へる者の歌、失へる生活を求むる者の歌を聲高らかに歌ふことは餘りに俺の身分に相應しくない。嚴密の意味に於いて云へば、俺は失へる生活を求むる心さへ既に失つてゐる。俺は心から求めたことがない男である。求めよ然らば與へられむと云ふ言葉の眞僞を實際に試したことのない男である。素直にして殊勝なるロマンテイケルは何時の間にか其姿を晦ました。フオルキユスの娘は今も猶隱れん坊の對手を搜す樣に、其眼球を荒野の黄昏に搜し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐる。恐らく彼女は永久に眼球探しの遊戲をやめないであらう。處は荒野である。時は黄昏である。身は失明者である。搜されるものは失はれたる生活である。又何の缺けたることがあらう。彼女の眞實に求むる處は唯此暗く悲しい氣分である。」
 三太郎は此迄書いて來て急に筆をすてた。さうして憎さげに罫の細かな洋紙の上に一瞥を投げた。「嘘吐け、嘘吐け」と云ふ囁が三年前と同じく、サラサラと走るペンのあとから、雀を追ふ鷹の樣に羽音をさせて追掛けて來た。三太郎は又ペンをとつて別の頁をあけた。
「俺の心の海にはまだ俺の知らぬ怪物が潛んでゐるらしい。俺の An Sich はまだ本當に F※(ダイエレシス付きU小文字)r Sich になつて居ない。俺は女の樣な物云ひをした。俺はあつて欲しいことを皆否定の方に誇張してゐる。俺は人生に向つていやですよと云つてゐるのである。
 兎に角日記は矢張り書く可からざるものであつた。書くと云ふことは An Sich が生きて動くと云ふことではなかつた。F※(ダイエレシス付きU小文字)r Sich の鏡をキラキラと磨くと云ふことでもなかつた。唯指の先に涎をつけて、心の隅に積つた塵の上に、へへののもへじを書くことに過ぎなかつた。
 結論は俺には何もわからないと云ふことである。」
 かう書いて三太郎は日記帳を再び抽斗の奧に投げ込んだ。さうして何時の間にか點いてゐる電燈を仰いで薄笑をした。遠くの方から蛙の聲が聞えて來る。
(明治四十五年四月二十三日夜)
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三太郎の日記






 世の中に出來ない相談と云ふ事がある。到底如何にもすることが出來ぬと頭では承知し乍ら、情に於いて之を思ひ切るに忍びぬ未練がある場合に、人は自分の前に突立つ冷かな鐵の壁に向つて出來ない相談を持ち掛け勝なものである。出來ない相談を持掛ける心持は「痴」の一字で盡されてゐる程果敢ないものに違ひない。十年壁に面して涙を滾してゐた處で冷かな壁は一歩でも道を開いて呉れ相にもない。實功の方面から云へば出來ない相談は無用なる精力の徒費である。唯出來ない相談を持掛けずに濟む心と之を持掛けずにはゐられぬ心との間には拒む可からざる人格の相違がある。
 實現を斷念した悲しき人格の發表――此處に「痴」の趣がある。痴人でなければ知らぬ黄昏の天地がある。


 我等には未來に對する樂しき希望がある。併し我等には又取返さねば立つてもゐても堪らぬ程の口惜しい過去もないことはない。過去の因果が現在の心持にだにの樣に食ひ込んで離れぬ場合も亦多からう。併し夢を食ふ貘でも過去を一舐にして消して呉れる力があらう筈もない。過去に向けられたる希望は凡て痴である。出來ない相談である。二十になつて漸く戀の心を悟つた藝者が、何も知らずに一本にして貰つた昔の事を考へて、取返しのつかぬ口惜しさに頬にかゝる後れ毛を噛み切つても、返らぬ昔は返らぬ昔である。血の涙でも昔を洗ひ去る譯に行かない。唯出來ない相談と知り乍ら又しても之を持掛けずにはゐられぬ心が誠の戀を知る證しにはなるのである。併し假令誠の戀を知る證しは立つても一旦受けた身と心とのしみは自然の世界では永恆にとれる期があるまい。燒け跡の灰は家にならない。燒け跡の灰は痴者の歌である。


 自覺とは因果の連鎖の中にある一つの環が自ら第幾番目の環に當るかを悟ることである。自覺をしても因果の連鎖は切れない。因果を超越するものは唯「新生」である。嗚呼併し自然の世界の何處に新生があるか。新生とは限りなくなつかしく、限りなく恐ろしい言葉である。


 因果の連鎖を辿り行く儘に吾人の世界には新しい眼界も開けよう。新しい歌も生れよう。併し其世界と其歌とには常に死靈の影が附纒つてゐる。天眞とも離れ過去の渾然たる文明とも離れた吾人の世界は「新生の歌」が響くには餘りに黴臭い。自分はせめて痴者の歌をきいて涙を流したいと思ふ。
(明治四十四年八月十四日)
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 余は獨立の人格である。故に余は獨自の思想を持つ。但し獨自の思想を持つとは其結合の状態、統一の方法が獨自の面目を呈露するの意味であつて、其要素が悉く獨得であると云ふ意味ではない。要素に於て悉く獨得なるは狂者の思想である。他人と全然交渉なき怪物である。要素に於て共通にして結合に於いて獨自なればこそ余は友を持ち戀人を持つ。同時に余は余として人生の大道を行く。
 余が獨自の思想を組織する要素は、一面には現代の徒と共通である。一面には現代の徒と背いて古代の詩人哲學者と交感する。一面には現代と古代と共に超脱して獨得の閲歴に其根柢を置く。余は獨自の思想を詐りて苟くも安きを求むるの惡漢ではない。羊の皮を着て群羊の甘心を買ふの奸物ではない。余は獨自の思想を有する事を標榜して憚らず人生の大道を行く。
 余は憚らず人生の大道を行く。併し余は余が思想人格の全部を白日の下に晒して大道を濶歩することを恐れる。余は現代と矛盾する思想を發表するには細心なる辯解を附して前後左右を護衞する。重大なる損失を齎すべき思想は暫く裹んで之を胸裡に藏する。汝怯者よ、汝覆面して人生の大道を行く者よ。
 余の知慧は二重の組織より成る。内面の生活を蒸餾して其精髓を蓄へるは一つの知慧である。此知慧を警護して蛇の如く怜しく外界との調和を計るは今一つの知慧である。自分には此第二の知慧が苦々しい。第二の知慧は第一の知慧を保護すると共に又之を蒼白にする。小兒の如く無邪氣に、白痴の如く無選擇に、第一の智慧を放ちて世界を闊歩せしむる能はざるは、我が性格の弱きが故か、我が呼吸する雰圍氣の鉛の如く重きが故か。嗚呼我が魂よ、コボルトの如く躍れ跳れ。


 赤兒を豺狼の群に投ずるは愚人の事である。汝の右と汝の左とには汝よりも遙かに巧みに自ら守る人多きを見よ、汝の蛇の知慧は寧ろ少きに過ぎると一つの聲は云ふ。汝は汝の所持する物を公表するに時の利害を考量するに過ぎぬ。持たざるを持てりとし、持てるを持たずとする虚僞に比すれば遙かに上品ぢやないかと今一つの聲が慰める。併し此二つの聲は世間に對する申譯の言葉とはなつても自分に對する申譯とはならない。苟も蛇の言葉を解することが余には堪へ難く苦々しいのである。
 強者は自己の思想を外界に徹底せむが爲に發表の順序を考慮する。弱者は外界の壓迫を避けて靜に獨り往かむが爲に世間の鼻息を窺ふ。


 自分にとつて興味ある對話の題目は唯自己と自己に屬するものとである。併し此題目は他人にとつて死ぬ程退屈なものであらう。又他人にとつて興味ある對話の題目は唯其人と其人に屬するものゝみである。併し他人にとつて興味ある對話は自分にとつて死ぬ程退屈なことである。故に吾人が他人と對話して非常に面白かつた場合には、自分の對手に與へた印象は甚だ惡かつたものと覺悟せねばならぬ。又對手に與へる印象をよくする爲には吾人は非常な退屈を忍ばねばならぬ。兩者半々ならば其人の經驗は甚だ幸福なる經驗である…………
 レオパルヂは覺え帳にかう云ふ意味の言葉を書いた。此言葉を書いた時レオパルヂの唇には苦い、淋しい微笑が浮んだであらう。この苦い、淋しい微笑が此の如き蛇の言葉の生命である。處世の哲學を説く商業道徳の講師の樣に、ニコリともせずに此の如き言葉を發する者は一面に於て卑俗である、一面に於て痴愚である。


 薄明(D※(ダイエレシス付きA小文字)mmerung)が事物を美化することは屡※(二の字点、1-2-22)云はれた。此事は其自身に美しい事物に關しては適用することが出來ない。印象派の畫家は強烈なる光の戲れを愛するが故に白日を擇ぶ。自然の風光は白日も美しく薄明も亦美しい。薄明は唯其自身に醜いものを美化する。薄明の美化は自然よりも寧ろ人生のことである。
 自分の世界は呪はれたる世界である。我が意識の外に切り捨て、忘れ去り、葬り終るに非ざれば心の平安を保持し難き事柄が少からず眼前にウヨ〳〵してゐる。從つて我が心には抽象(Abstotraktion)の願切ならざるを得ぬ。抽象の願切なる限り、醜き物、厭はしき物、煩しき物に弱き光を與へて、之を意識の微かなる邊に移して呉れる朦ろは嬉しい光である。
 更に薄明は我が想像に活動の餘地、添補の餘地を與へる。余は朦ろなる事物を余自身に價値あるものとして創造する。此創造によりて事物の本質(Wesen)が浮んで來るか否かは明白でない。唯余自身の本質が薄明に乘じて對象に乘り移るの事實丈は疑はれぬ。從つて如何なる事物にも一定の光の下には美しく見ゆべき條件が潛んでゐることも亦爭はれぬ。抽象の意義は唯本質の榮えむが爲に雜草を刈り去る處にある。本質を逸したる抽象は無意義である。
 闇中に見る女の眼は凡て大きく潤を帶びて見える。此大きく潤のある眼を通じて想像の手を女の肌に觸れる時、女の肉體は凡て美しい。後姿の美しい女は其後姿が自分にとつては女の本質である。
 嗚呼併し明るみの中に見むと欲するやみ難き要求よ。明るみの光に消え行く幻の悲哀よ。此悲哀に促されて更に辿り行く人生の薄明よ。


 自分は未だインスピレーシヨンと云ふものを知らない。併し今まで散ばつてゐた思想が次第に纏つて、水面に散點してゐた塵埃の渦卷に近づくに從つて漸く密集し、歩調を整へて旋轉するが如き刹那の經驗は決してないことはない。思惟の脈搏が歩一歩に高まり、心のテンポが漸次に快速となるにつれて、肉體の上にも顏面の充血が感ぜられる。未だ鏡に向つて檢査する機會を持たないが恐らくは眼も潤ひ且つ輝いてゐよう。此時自分の心はムヅ痒いやうな苦しいやうな快感を覺える。
 此状態は何時襲來するときまつてゐない。併し多くは讀書の後、安眠の後の散歩中に來る。自分は思想の湧く間散歩をつゞける。さうして前に湧いた思想が後に湧く思想に壓されて記憶の外に逸せむとする頃、急いで家に歸つて紙に向ふ。併し紙に向ふ迄には散佚して引汐の樣にひいて了ふ場合が多い。結論は形骸を頭の中にとゞめても新生の熱は冷灰となつて了ふ。偶※(二の字点、1-2-22)寫しとゞめても讀み返して見れば下らぬことが多い。
 自分が經驗する思想の※(「扮のつくり/土」、第4水準2-4-65)湧は一尺ほれば湧いて來る雜水の樣なものであらう。深く鑿つて清冽なる純水に達する時の心持は自分にはわからない。併し湧き出るものは雜水で使用するに堪へずとも、兎に角※(「扮のつくり/土」、第4水準2-4-65)湧の快感と苦痛とだけは知つてゐる。


 夕燒の空が河を染めてゐる。河沿の途を大人と子供とが行く。「もう歸らうぢやありませんか」と手をひいてゐる女が云ふ。「いやア、もつと行かうよ」と手をひかれてゐる子供が云ふ。疲れた親は活力に溢れた子供のアスピレーシヨンに水をさす。活力に任する子供は疲れた親に同行を強ひる。親と子とが自然の愛によつて結合されたるはお互の因果である。親の手に縋る事なしに河沿の途を遠く〳〵行く術を知らぬ子供のアスピレーシヨンは運命の反語である。
 夕燒の光は次第に消える。河筋は遠く白く闇の中に浮んで見える。河の面に霧が深くなる。
(四四、一一、二〇)
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 價値ある情調を伴つてこそ知識も、思想も、乃至情緒其物も始めて身に沁みる經驗となる。全心の共鳴を惹起すこともなく、數知れぬ倍音と融け合つて根強い響を發することもなく、離れて鳴り離れて消ゆる思想や知識は餘りに乾枯びて、餘りに貧しい。明るみに輝く焦點の後には、暗きに隱れ、薄明の中に見え隱れする背景がなければならぬ。一度鳴れば心の世界の隅々に反響を起して、消えての後も意識の底の國に餘韻永く響く樣な知識と思想と情緒とが欲しい。一言にして盡せば心の世界に靈活なるシンボリズムの流通を感ずる生活がしたい。
 併し情調の生活は往々にして思想と人格とを拒むの生活となる。現實の生活が餘りに複雜にして思想の單純に括り難いことを知るからである。自我の發動が餘りに移り氣に、變幻多樣を極めて人格の不易に綜合し難いことを知るからである。昨日は何處に彷徨つてゐたやら、明日は如何なる國に漂ひ着くやら、此等は凡て知るを要せぬ、且知ることを得ぬ問題である。唯瞳を燒くが如く明かなるは現在の生活と其情調とである。其時々の情調を噛みしめて、其時々の共鳴を樂んで行くより外に吾人の生きる道がない。吾人の生活は刹那から刹那へとぼ〳〵と漂ひ流れて行く。
 此の如く永久に刹那々々の情調を追つて行くのがロマンチシズムならば世にロマンチシズム程淋しいものはあるまい。情調の放蕩の外に此世に生きる道がないとしたら他人は知らず自分は耐らない。「昨日」に對する不信の意識も淋しく、「明日」に對する不安の意識も亦淋しい。依つて立ち依つて安んずるに足る可きもの、若しくは包んで温めて呉れるものがなかつたら自分の心は永久に不滿である。自分の心の空は永久に曇天である。我心は漂泊し放蕩する情調を括る不易の或物に向つて喘いでゐる。之に觸れゝば複雜にして移り氣な自我の全體が自然に響き出し躍り出す樣な一つのキイノートに向つて喘いでゐる。嗚呼我が知らざる「我」は何處の空に彷徨つてゐることであらう。
 聖オーガスチンは神の中に憩ふに非ざれば平安あることなしと云つた。自分は要求の點に於て未だ中世に彷徨つてゐる男であらう。思想が欲しい。人格が欲しい。「神」が欲しい。


 要求を現實に化する根強い力を持つてゐる人にとつては或時を劃して天地が引繰返るに違ひない。或時期を境界として其生涯が著しい二つの色に染分られるに違ひない。併しノラと共に奇蹟を信ずることが出來なくなつた吾人にとつては、精神の如何なる昂揚もやがては引き去る可き滿潮である。高潮に乘じて歡呼し熱狂する自我の背後には、冷かに檢温器の水銀を眺めてゐる第二の自我がある。「我身を共に襠の引纏ひ寄せとんと寢て抱付締寄せ」泣いてゐる美しい夕霧の後には、皺くちやな人形遣の手がまざ〳〵と見えてゐる。此の如き二重意識の呪を受けた者の世界は光も暗である。狂熱も嘲笑である。悲壯も滑稽である。要するに一切がフモールである。
 此フモールの世界に安住して、目新しいフモールの發見に得意になつてゐられる人は幸福である。自分には其背後に奇蹟の要求が覗いてゐる。其笑には「現象の悲哀」が籠らぬ譯には行かない。


 一つの感情が旋律メロデイをなして流れて行く文藝は固より美しいに違ひない。併し二重意識の洗禮を受けたる吾人は、樣々の感情が即いたり離れたり調和したり反照したりしながら複雜な和聲ハアモニーを拵へて行く文藝でなければ物足りない。抽象的な調和統一は如何でも構はぬ。多量のデイツソナンスを交へた處に微妙なる情調の統一を保つて行けばそれでよいのである。自分一個の嗜好から云へば眞面目と巫山戲との中が割れて兩者が綯ひ交られて行く處に妙に遣瀬ない情調を喚起する、フモリスチツシユの作品は隨分好きである。心の傷に手を觸れて身にこたへる苦しさを樂しまうとする類であらう。
 嘗て富士松加賀太夫の膝栗毛市子の段を聽いた。洒落と浮氣で世を渡る彌次郎兵衞が其洒落と浮氣で持切れなくなつて、悄氣て弱つて本氣になる所に、しんみりした、悲しい、遣瀬ないフモールがあつた。又嘗て菊五郎の同じ膝栗毛赤坂の段を見た。併し其彌次郎兵衞は冥土の衢に彷徨つて、弱り切つて、本氣になつた彌次郎兵衞ではなかつた。踊り自慢の惡戲小僧が白張の提灯を被つて巫山戲てゐるとしか思はれなかつた。此場合に於いてフモールの印象を與へると與へぬとは作の本質を捉へると捉へざるとの相違である。自分は菊五郎を有望だと思ふ丈に、其現在の傾向を追うて慢心することを恐れる。菊五郎は一轉化しなければ唯鼻ツぱしの強い親分と、一通りの單純な滑稽の役者に過ぎない。悲壯と崇高とフモールとの役者になる爲にはもつと〳〵心の苦勞を積まねばならぬ。悲壯と崇高とフモールとを表現するに堪へざる俳優は吾人にとつて用のない俳優である。
(四四、一二、三〇)
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 普通の解釋に從へば抽象とは具象の正反對である。抽象する作用は常に事物の具象性を破壞し、抽象せられたるものは既に具象性を失つてゐるのである。併し自分の考は少しく普通の解釋と違つてゐる。自分の解釋が正しいならば、具象性を破壞するものは抽象作用其ものに非ずして抽象の方法である。從つて具象性を破壞する抽象もあれば、具象性の印象を一層明確深※(「二点しんにょう+(穴かんむり/豬のへん)」、第4水準2-90-1)にする抽象もある。
 若し事實と云ひ具象と云ふことが吾人の感官を刺戟する猥雜なる外界の一切を意味するものとすれば、彼の現實乃至具象の世界は既に吾人の知覺をすら逸してゐる。況して吾人の悟性乃至理性に映ずる世界の姿が此種の現實を離れ、具象性を失つてゐることは云ふ迄もない事柄である。知覺は無意識的に外來の刺戟を選擇する。更に悟性と理性とは經驗の價値と意義と強度とによりて知覺の世界に選擇を施す。選擇するとは或種の經驗を強調して或種の經驗を捨象することである。抽象作用を度外視して世界を認識することは徹頭徹尾不可能である。從つて現實の世界具象の世界は抽象作用を俟つて始めて吾人の頭腦中に成立するのである。世に抽象的に非ざる具象界は存在し得ない。具象の世界は抽象作用の子である。現實の世界は吾人の創造する處である。
 吾人が猥雜なる外來の刺戟中より現實の世界を創造するに當りて、渾沌を剖判す可き重要なる原理となるものは、強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗の意義である。而して經驗の意義を決定するにはリツプスも説けるが如く二樣の要素がある。一つは經驗そのものが意識に對して有する壓力である。強度である。一つは其經驗と吾人の要求との適合不適合の呼吸である。狹義に於ける其經驗の價値である。若し此兩面が美しい調和と平衡とを保つならば、其強度と壓力によりて吾人の世界に一定の地位を要請する經驗は、隱れたる自我の要求と何等の鬪爭なくして其要請する地位を占有することが出來、又自我の要求によりて強調せられ若しくは捨象せらる可き經驗は、知覺の側より何等の顯著なる抗議を受ることなくして其抑揚を完くすることが出來て、吾人は素朴無邪氣に古典主義の世界に優游するを得る譯である。併し吾人の世界に在つて古典主義は遠き世の破れたる夢となつた。破れたる夢を慕ひて新しき世に其復活を圖らむとする新古典主義はあつても、昔ながらに素朴無邪氣なる古典主義の姿は今の世の何處にも發見することを得ないであらう。少なくとも自分一己の世界に在りては、知覺の世界に於いて一定の強度と壓力とを有する經驗に對して、隱れたる自我の要求は我が求むる處は此の如く醜き者に非ずと顏を背ける。自我の要求より出發する經驗の抑揚に對して、知覺の世界は現實を離れたる白日の夢よと嘲弄する。要求の眼より見れば知覺の世界は姿醜く、品卑しく、碎け且つ歪んでゐる。知覺の世界に立脚すれば要求の世界は實相を離れたる空しき紙の花に過ぎない。茲に至りて始めて現實と理想とは主義として鬪爭し、具象と抽象とは兩立し難き極端となつて、抽象作用は意識的に非ざれば行はれ難い事となるのである。捨象とは拒斥である、放逐である。一面に、焦躁する自我は眼を瞋らし肩を聳かして醜き知識を擯出する。一面に、捨象せられたる經驗は怨靈となりて新しき世界の四周を脅迫する。此の故に吾人の世界は第一に知覺と要求との兩端に分裂し、第二に不安にして強制の陰影を殘し、第三に稀薄にして本能の強健を缺くのである。
 併し吾人の意識に内界統一の願望ある限り、吾人は依然として抽象の歩を進めなければならぬ。經驗に抑揚を附して人生の精髓を選擇しなければならぬ。貧弱なる文明の遺産を繼承し、不統一なる知覺の世界に生れたるだけに、愈※(二の字点、1-2-22)切に抽象の歩を進めなければならぬ。明治の日本に生れ合せたる吾人は大向うから人生の芝居を覗く連中である。前面にウヨウヨする無數の頭顱と、前後左右に雜談ゴシツプする熊公八公の徒と、場内の空氣を限る鐵の格子とを抽象して、せめて頭腦の世界に於いて棧敷の客とならなければならぬ。吾人の抽象に反抗と感傷との臭あるはやむを得ない。兎に角に予は抽象の生活を愛する。
 抽象は超脱となり、超脱は包容となる。予と雖も之を知らざるものではない。併し此不統一なる世界に生れて、誰か自ら詐ることなくして包容の哲學を説くを得よう。予は抽象の低き階級に彷徨する。故に予は抽象の哲學を説く。


 前段の論理を摘要し添補する。
 具象とは五官よりする印象を、如實に遺漏なく保存するの意ならば、人間の世界には何處にも具象と云ふものはない。若し具象とは經驗の意義、本質、價値を掲げ出すの義ならば、内的要求より出發するの抽象は愈※(二の字点、1-2-22)具象性を強烈にするの作用である。眞正の具象性は抽象の成果として到達せらる可き状態である。
 第二の意味に於ける具象の概念は經驗の本質を掲揚し保存することを精髓とする。經驗の意義を捨象する作用が即ち具象性を破壞するの抽象である。抽象が具象性を破壞するには二樣の途がある。第一は經驗の内容を捨象して其形式のみを保存するのである。第二は猥雜なる官能的刺戟に執着して經驗の意義本質を逸するのである。感覺的現實を偏重する者は形式的普遍のみを求むる者と同樣に抽象的である。具象性を破壞する惡抽象たるに於いて兩者の間に二致がない。
 事件や行動の報告よりは情調情緒の報告の方が更に具象的なる場合がある。情緒情調の報告よりは思想の報告の方が更に具象的なる場合がある。事件や行動の報告に非ざれば、事件や行動の報告を通じて思想感情を暗示するに非ざれば、具象的でない樣に考へるのは反省を缺ける淺薄なる思想である。
 併し事件行動の如き知覺的具象と、思想感情の如き抽象を經たる具象との間には顯著なる一つの差別がある。それは後者が同樣の經驗を經て同樣の抽象を試みたる者に非ざれば通ぜざることである。思想感情の直寫は同類の間にのみ通ずる貴族的隱語である。思想感情の傳達を欲して事件行動の報告を欲せざる者の爲に存在する神祕的記號である。余は他人に煩されずして靜に自己の生活を經營することを欲するが故に、自己の生活を公衆の前に隱す抽象的原語を愛する。
 但し茲に云ふ抽象とは知覺の世界に就いて順當に其意義本領を強調し、其偶然を刈除し行くの抽象である。知覺の世界に就いて抽象の歩を進むれば自然に價値の世界に到達すると云ふ一元的信念に基くの抽象である。


 具象と鬪爭して相互に其根柢を奪ふ時、吾人の抽象は古き具象の征服となり、新しき具象の創造とならなければならぬ。吾人の世界は危機に臨んでゐる。進化の曲線は急激なる屈折を要する。自我の脈搏は今其調子を亂してゐる。吾人の内界には騷擾があり醗酵があり憤激がある。
 新しき具象を創造するには、志士となつて所謂事實を改造するか、哲學者となつて事相を觀ずるの見地を變更するか、此二の外に道はあるまい。志士の事業は知覺の世界に就いて自我の要求に協ふ抽象を強制するのである。「永恆の相の下に」觀ずる哲學者と雖も經驗の抑揚を新にして知覺の世界に抽象を施すに非ざれば、換言すれば嘗て重大なる意義を附したるものを輕くし嘗て光を蔽はれたるものを明るくするに非ざれば、到底現實其儘を受納することを得まい。志士と哲學者の抽象は勇者の抽象である、進撃者の抽象である。
 唯弱き者、感傷する者は身邊に蝟集する厭ふ可く、憎む可き知覺に對して、手を振つて之を斥けるよりも先づ眼を背けて其醜より遁れむとする。此の如き抽象の生活には固より不安と動搖と悲哀となきを得ない。現實の包圍に脅迫せらるゝ抽象の悲哀は吾人を超脱の努力に驅るのである。
 事實の改造に絶望する時、暫く三面の交渉を絶つて靜かに一面の世界に沈湎せむとする時、眼を背くるの抽象は吾人の精神に搖籃の歌を唱ふの天使となるのである。流るゝ涙を拭ふの慈母となるのである。現實の光を遮るの黄昏となるのである。
(四十五年三月九日記)
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 如何にして新聞雜誌を讀む可きか、此問題が僕にとつては一苦勞である。全然讀まないのは現代に對して餘りに失禮である、同時に自分にとつても少々心細い。多くを讀むのは餘りに煩さい。同時に更に〳〵有意義なる生活と修養とに費す可き時間が非常なる蠶食を受ける。
 人格上思想上尊敬に價する少數の人を擇んで其人の作丈を讀むことゝすれば、甚だ簡單に現代日本との接觸が出來る譯であるが、それでは未だ知られざる者、竊に近づきつゝある者の豫感に觸れることが出來ない。現今の思想界藝術界には勿論尊敬す可き人が居るけれども、此等の人の大多數は唯自分と共鳴若しくは同感すると云ふ意味で尊敬に價するのみである、或は自分の持たぬものを持つてゐると云ふ意味に於いて尊敬に價するのみである。自分の精神を包んで之を高き處に押し進め、自分の精神の暗處を照して戰慄と羞恥と努力と精進とに躍らしむる者は後より來るか若しくは全然來らざるかの孰れかでなければならぬ。現代に對して觸れ甲斐のある觸れ樣をせむと欲する者は、決して未だ知られざる者を蔑視することを許されない。從つて名前を拾つて讀むことは未だ十分なる新聞雜誌閲讀法と云ふことが出來ない。
 唯最も安全にして秋毫の申分なき省略法は名前によつて讀まないと云ふことである。特定の名前に遭逢する毎に何の躊躇もなくドシ〳〵頁を飛ばして行くことである。固より人には時にとつて出來不出來がある。併し其人の内生活以上に卓出する出來もあり得なければ、全然内生活の俤を傳へぬ程の不出來も亦ある譯がない。作品を通して作者の内的生命に觸れむと欲する者は凡下なる者の佳作よりも偉大なる者の拙作に接することを樂しむ。凡下なる者の佳作を蔑視するの勇氣は吾人を新聞雜誌の呵責から救ふ唯一の道である。此道に從ふことによつて吾人は千頁讀む處を百頁讀んで事足りる樣になる。此方面に於ける生活の單純化は茲に立派に解決を得る譯である。
 尤も此の如くにして「讀まれざる文學者」は讀者によつてそれ〴〵に選擇を異にするであらう。從つて如何なる小作家と雖も凡ての人によつて讀まざる部類に編入されるやうなことはないであらう。世界は廣く、造化の配劑は妙を極めてゐる。群小に至るまで夫々の讀者を有して文壇の一角に存在の理由を有することは感謝す可き天帝の恩寵である。吾人が吾人の標準に從つて「讀まざる人」を決定することは決して天帝の仁慈を妨ぐる結果には立至らない。萬人に共通して許されたことは各自の「讀まざる人」を選擇することである。
 ――僕はかう考へてゐる、併し僕は考へた通りに實行してゐない。退屈な時には讀まない筈のものも遂手にとることがある。手元にないものは假令讀まうと思つたものでも、遂愚圖々々してゐる間に敬意を表することを怠つて了ふ。斯のやうにして僕は親が附けて呉れた名前の三太郎らしく懶惰なる現代生活をしてゐるのである。併し考へ直して見れば、僕をひきずり出して雜誌屋の店頭にも立たしめず、雜誌持の友人の處にも走らしめないやうな作を讀まないからと云つて、何も大業に悲觀したり、親の附けて呉れた名前を侮辱したりするにも當らないことであつた。


 ――は例によつて女性を痛罵してゐる。併し其言ふ處を聞くと彼の非難は申分なく男にも當嵌りさうである。少くとも男の一人なる僕にはヒシ〳〵と當る處が多い。僕は寧ろ女性を呪ふ前に男性を呪ひたい。寧ろ男女の區別なく人間を呪ひたい。男に對立したる意味の女に對して、僕は唯自ら持たざる者を持てる人に對する親愛と尊敬とを感ずる。男性の散漫と不純と放縱との羞恥を感ずる。
 男は女の名によつて人間を呪つてゐる、女は男の名によつて人間を呪つてゐる。共に其最も求めてゐる處に就いて最も不滿を愬へてゐるのだから面白い。女を罵る男の根本の要求は本當に愛して呉れる女を發見することにあるのであらう。男を罵る女の根本の要求は本當に愛して呉れる男を發見することにあるのであらう。僕と雖も固より本當に愛して呉れる女が欲しい。併し僕はそれよりも先に、自ら本當の男であり、人間でありたい。僕の根本要求が茲にあるが故に、僕は男を嫌ひ、人間を嫌ふのである。問題は他人に在らずして自己にある、女に在らずして男にある。本當に男となり人間となるに非ざれば、假令眞正に愛して呉れる人があつても、僕には其愛を甘受し、味解する資格がない。淺ましきは男の要求に協はぬ女よりも寧ろ眞正に愛することを得ざる男である。三太郎は第一に男となり人間とならなければならぬ。僕の自己嫌惡には未だ女性を罵つてゐる程の空虚がない。


 決定した態度を以つて人生の途を進んで行く人の姿程勇しくも亦羨しいものはない。此等の人の日に輝く凛々しさに比べれば、僕などは唯指を啣へて陰に潛むより仕方がない。併し汝等は何故に愚圖々々するぞと叱る人の姿を見る時其人の長き影には強制と作爲と威嚇と附景氣と、更に矯飾僞善の色さへ加はつてゐるのは如何したものであらう。彼等に比べれば僕等は丸で品等を異にする上品の人である。彼等は僞人である、僕等は眞人である。彼等は飴細工の加藤清正である。僕等は血の通つてゐる田吾作椋十である。吾人をして僅に自信を保たしむる者は實に此飴細工の加藤清正である。
 僕は自分のつまらない者であることを忘れたくない。併し自分のつまらないことさへ知らぬ者に比べれば僕等は何と云ふ幸な日の下に生れたことであらう。此差はソクラテスと愚人との差である。此事を誇としないで、又何を誇としようぞ。


 自分のつまらないことを知る者はつまらない者でなくなるか。――つまらぬ者でなくなる者は上品の人である。併し下品の者はつまらぬ者なることを知つて依然としてつまらぬ儘に止つてゐる。嚴密に云へば眞正に自覺せぬ者、眞正に碎かれざる者であらう。僕は上品中の下品に屬する。僕の心は未だ眞正に碎かれてゐない。眞正に碎かるゝ日の來る迄僕は此苦しい日夜を續けるのだ。
 二三年前の夏、朝じめりする草を踏んで高野の山を下つた。宿坊を出る時に、一ヶ月の馴染を重ねた納所先生は、柔かい白い餅に、細かに篩つた、稍※(二の字点、1-2-22)青味を帶びた黄粉をつけて、途中の用意にと持たして呉れた。山を下れば食料の必要なき僕も、人の好意を無にせぬ爲に難有く之を受取つて、稍※(二の字点、1-2-22)持餘し氣味に風呂敷に包んで寺を出た。神谷の宿を出外れた坂路で僕は自分の前を行く一人の癩病やみに追付いた。僕は突差の間にあの餅を此人に呉れて荷物を輕くしようと思ひついた。癩病やみは其きたない顏に美しい笑を見せて、丁度飢じくつて弱つてゐる處でしたと、幾度も〳〵禮を云つた。さうして僕が輕く挨拶して通り過ぎる後から繰返し〳〵嬉しさうに感謝の念をのべた。僕は人にものをやつてあんなに嬉しがられた事がない。人から禮を云はれてあんなに嬉しかつたことがない。僕は自分の餅を呉れた動機を考へて恥かしくなつた。
 僕は此眞正に飢ゑた人を見て羨しかつた。心の底から與へられた幸福を經驗する人を見て羨しかつた。癩病やみは柔に白い餅の返禮として、眞正に求むる者の幸福を僕の眼の前に突付けて呉れた。此中有ちゆううに迷ふ生活から逃れて寧ろ彼の癩病やみになりたいと思ひながら僕は重い心を抱いて山を下つた。三年後の今日もまだ僕は眞正に求むる者の幸福を知らずにゐる。
 僕は與へらるゝ日よりも寧ろ求め得る日を待兼ねてゐる。併し道草を食ふことの趣味に溺れたる者の上には、恐らく死ぬ迄も待兼ねる日は※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて來ないであらう。


 黒味を帶びた緑は日の影を濃くして、日の光を鮮かにする。初夏の森を彷徨つて、葉を洩るゝ光の戲れをじツと視凝めてゐると、自分は時として盲が眼を開いた時に感ずるだらうと思はれる程の驚きを感ずる。一瞬の間自然は「始めて見たる」ものゝの如く新鮮に自分の心に迫つて來る。何の誇張も虚僞もなく「驚いた」と名づけ得べき瞬間の經驗をすることが出來る自分は何と云ふ仕合者であらう。一切の哀歌に關らず僕の心は未だ死なゝかつた。嗚呼僕は黒ずんだ緑と、日の光と、初夏の空氣とに感謝する。
(五月十五日正午)
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 貧しき者、淋しき者の慰安は夢想である。現實に於いて與へられざる事實と雖も之を夢裡に經驗するは各人の可憐なる自由である。此貧しき國に生れて、貧しきが中にも貧しき階級に育つ者にとつて固より此夢は灰になる迄實現される期はあるまい。併し堅く汚れた床の中に困臥する身にも、豐富華麗なる生活を夢みるだけの自由は許されてゐるのである。西洋文明史家の説に從へば古代の心は其末期に至つて屡※(二の字点、1-2-22)怪しき夢の襲ふ所となつた、而して其怪しき夢は終に現實となつて、茲に新たなるロマンチツクの心が生れた。現今日本の住宅建築も亦正しく怪しき夢に襲はる可き時期に逢着してゐる。此夢は國家富力の充實と國民生活の精化とに從つて早晩實現されずには居ないであらう。自分の夢は此等の數多き夢の中の最も見すぼらしい、最も專門に遠い、而も最も實現し難き夢に屬してゐる。


 平安朝以後に發達して來た日本住宅建築の特色如何と云ふ問題に對しては專門家の間に定めて精到な解釋があることであらう。構架の樣式、材料の選擇、裝飾應用方法等悉く日本建築固有の特色があるに違ひない。併し住宅建築は直接に國民生活と緊密の關係を有する實際的設備として藝術家乃至好事者の意匠にのみ放任する譯に行かない。住宅建築の根本特色を決定する主義となるものは寧ろ國民生活の理想である。如何に國民生活の要求を充し、如何に國民生活に影響するかの點に於いて、住宅建築の精神と特色とは成立するのである。故に今此點に於いて日本住宅建築の特色を求むれば、從來美術史家の屡※(二の字点、1-2-22)自贊せる處に從つて、「自然との調和と抱合」とに在りとする外自分には新しい見解がない。固より昔の寢殿造書院造の如きは、今日吾々の起臥する家屋の樣に、吹晒し同樣とも云ふ可き程完全を極めたる「自然との抱合」を實現してゐなかつたであらう。併し其主義は依然として家屋内に於ける自然(外界)の支配を許容し歡迎するに在つたことは疑ひがない。


 尤も「自然との調和抱合」と云つても外より見ると内より見ると二樣の區別がある。外より見るとは街頭を行き若しくは山莊を訪ふ人の眼に周圍との調和が美しく浮び出ることである。此の如き調和は固より無條件に望ましいことに違ひない。併し住宅建築本來の目的から云へば此の如きは寧ろ枝葉の閑問題である。吾人は盆景の中に陶製の家屋を置く樣に、自然景を點綴し補充し裝飾する爲に住宅を築くのではない。快く、暖かに、柔かに其中に住み、靜かに讀書し思索し戀愛し團欒し休息し安眠するが爲に住宅の功を起すのである。從つて自然と抱合するの主義も亦主として内に住む人の立場から解釋しなければならぬ。縁に彳みて庭を眺めて蟲を聽き、障子を開いて森に對し月を見るの便を主とするが如きは即ち内より見たる自然との抱合である。


 自然が柔かに温く吾人の生活を包む限りに於いて、自然が吾人の思索と事業とに對する專念を妨げる程積極的に働きかけて來ない限りに於いて、自然との抱合を理想とする住宅は固より望ましいことである。併し自然は常に笑つてばかりは居ない。靜かに晴れ渡る若干の日と、降る雨のしめやかに、柔かに、煙籠むる若干の日とを除けば空は常に怒るか曇るか泣くかである。驟雨や強雨は障子を開けて眺めてゐる間こそ豪爽であるが、讀書思索勞作の孰れに對しても隨分落付かぬ氣分を誘ひ勝である。殊に灰色の雲の押かぶさる日と、風のざわ〳〵騷ぐ日は堪らない。然るに從來の住宅建築には此等の影響を調節する機關が具つてゐないから、吾人は野に彳む乞食の如く自然の支配に身を任せなければならないのである。雨の強い日風の烈しい日は雨戸を締めなければじつとして居られないのは吾人の住む明治の住宅である。而も障子を締めても雨戸を閉しても一家を包圍する自然の情調は遠慮なく室内に侵入して來るのである。殊に外部の音響に對する防禦機關の具備してゐない事は都會生活をする者にとつて取分け嚴酷なる責罰である。無數の騷音が波濤の如く沸き立つ中にあつて輕薄なる住宅に一身を托する生活は隨分堪らない。自然(街頭の音響周圍の人事をも含む)の調子の遙かに温柔であつた時代、若しくは自然の齎す情調を呼吸することを以つて生活の重なる内容とすることが出來た時代に於いては、自然との抱合を主義とする住宅も生活の理想と大なる矛盾を感ぜずに居られたであらう。吾人の如く興奮し易く疲勞し易き神經を持つて峻嶮なる自然と人事との中に生息する者にとつて、住宅建築は城砦の如く吾人の生活を外界の襲撃から保護して呉れるものでなければならぬ。自分の怪しき夢は既に根本主義に於いて在來の住宅に不滿を感ずるのである。特に借屋住居の身として節度なき自然の襲撃に疲れたる心には此不滿が一層の苦しさを以つて迫り來るのである。自分の夢想の家は「求心的統一」を、「外界よりの分離」を主義としてゐる。


 此の如き主義の轉換は日本建築の樣式に少からぬ變化を要求する樣になるかも知れない。漫遊の外客は必ず之を痛惜し、保守と事大とを兼ぬる美術家は必ず之に附和するであらう。併し吾人は祖先の爲に隱居所を建立するに非ずして、自己及び子孫の爲に住宅を建築するのである。外國人のエギゾテイシズムに滿足を與へる爲の見世物を造るに非ずして、自らの身と心とを住ましむ可き安宅を設計するのである。大極殿の再建と住宅建築の樣式とは自ら區別して考へられなければならぬ。内より迫る必要は内より吾人の生活を變形して行く。吾人は此力に身を任せるに何の躊躇をも要しないのである。自分は將來に向つて日本の美術と日本の文學と日本の思想と日本の文明とを造るに最も適當なる住宅を求むるに過ぎない。


 外界の侵入、特に音響の侵入を防ぐ爲に、夢想の家は石造でなければならぬ(石造と通氣及び温度との關係は專門家に諮るより仕方がない)。少くとも外界の威力を防遏して獨立の世界を形成するに堪へる程の威嚴ある材料によつて構成されなければならぬ。採光は自然の晴曇明暗に絶對的支配權を與へぬ範圍に於いて明るい方を好み、從來の日本建築に比して今少しく暗く今少しく深味のある光を採る。夢想の家に在つて自然は利用さる可き者であつて支配す可き者ではない。屋内の情調を構成する要素は其構造及裝飾から吹き來る一定の氣分でなければならぬ。屋内の情調に變化を與ふる權力も亦居住者の掌中に握つて、自然の氣まぐれなる干渉を許さない。


 夢想の家に在つては一構の總體が外界に對して獨立するが如く、各室も亦相互に獨立してそれぞれの自主を保たなければならぬ。在來の日本建築に在つては外界に對する獨立が曖昧であつたと同時に各室の獨立も亦甚だ不安であつた。襖と障子とは極めて信頼す可からざる障壁である。室と室との間には音響が無遠慮に交流し、各室の獨立は隨時の闖入を豫想する不安に慄へてゐる。從つて讀書も思索も安眠も戀愛も凡て其專念と集注と沈潛とを奪はれて、眞正なる孤獨の經驗は容易に居住者の精神を見舞はない。自らを孤獨の境に置くことの自由を奪はるゝは生活の眞味に徹せむとする個人にとつて誠に非常なる損害である。故に夢想の家の各室は相互の孤獨を十分に尊敬することを以つて理想とする。主要なる室には必ず次の間がある。次の間と廊下との境には重い扉があつて内から鍵をかける樣に設備されてある。夢想の家に住む者は重い扉と次の間とを隔てゝ廊下の遠い音を聽き乍ら、外界の闖入を防禦したる石造の室にあつて讀書し思案し戀愛するのである。眞正の孤獨と閑寂とを領して魂の眼を内に向けるのである。


 夢想の家の室内裝飾は各種の情緒情調と調和して此等と共鳴し助成するものでなければならぬ。餘りに積極的刺戟的に自己を主張する者は室内生活の凝滯を誘致する危險がある。書齋の壁は緑に燃ゆる五月の草の色に塗り(又は張り)たい。寢室の壁は北の國の新月に似た蒼色に塗らう。書齋の空氣は暖かに柔かに心を包むことを要する。寢室の空氣は寒いと云ふ感じもなく、悲哀の情緒をも刺戟せぬ限り、唯無限に沈靜の情調を吹いて精神を安靜の境に誘致することを理想とする。寢室の窓には深くカーテンを垂れて晝間と雖も刺戟に疲れて焦躁し興奮したる精神の避難所とする。


 夢想の家も決して自然との抱合を拒まない。靜かなる雨の音、遠き蛙の聲、曉の枕に通ふ鶯の音、寢室の硝子窓を覗く木立と月光、此等の情調を歡迎するが爲に開閉の自在なる厚い硝子の窓と樣々の色に染めたカーテンとを具へて、書齋又は居室に於いて直接に自然と親むの機縁を開いて置く。而して更に自然との親和を緊密にせむが爲に、夢想の家には廣いバルコンを造る。草色の縁をとつた帆布は日光と微雨とに對してバルコンの上に團欒する大人と子供とを保護する。圓卓を圍む椅子には肱つきがある。


 夢想の家は疊に寢そべる者の懶惰なる安逸を拒まない。併し疊の觸覺と温覺とは餘りに堅く餘りに冷たい。故に疊の代りにダーリヤの花の樣な深紅の色の天鵞絨を張つたソーフア數臺を備へて置く。


 最後に夢想の家の庭園には茶室がなければならぬ。茶室は日本從來の住宅建築の理想の精髓である。常住に自然の支配下に立つに非ざる限り、此處に掛物を愛玩し、此處に湯の沸る音に心を澄し、此處に花を品し、此處に雨を愛した祖先の心は凡て懷しい。夢想の家に住む者は現代の繁雜を脱れて、古き世の夢を見むが爲に時々此茶室に安息を求めるのである。


 夢想の家は時を經るに從つて益※(二の字点、1-2-22)其細條を明にして行くであらう。併し朝毎に厨の音と子供の泣く音とに醒める身には何と云ふ遠い世の幽な夢であらう。
(六月十七日朝)
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 赤城は柔かに懷かしい山である。併し頭上を密閉する雷雲と、身邊を去來する雲霧と、絶えて行人なき五里の山道とは人工に腐蝕せる都會の子を嚇すに十分であつた。自分は全存在の根柢を脅かして殺到し來る自然の威力の前に戰慄し乍ら、自分の生活の如何に宇宙の眞相に徹すること淺く、漂蕩し、浮動し、兒戲し、修飾する生活であるかを思つた。此大宇宙の中に在つて、自分が自由に快活に呼吸し得る空氣、自分の生活が眞正に自己の領域として享受し得る元素エレメントは極めて少い。一度家庭と朋友との團欒を離れ、一歩を都門の外に踏み出せば、自分の情調は直ちに混亂と迷惑とに陷らざるを得ない。今大自然の威力と面々相接して自分は頻りに自我の縮小を感ずる。併し此感情を征服して大自然と合一すること能はざるが故に、換言すれば生死を度外に附して威壓せらるゝの自己を威壓するの自然と融合せしむること能はざるが故に、自分の意識を占領する者は常に恐怖不安矛盾の情調であつて崇高エルハーベンの感情は遂に成立しないのである。自分の嘗て經驗したる崇高は自然と面接して其威力と融合し得たる雄偉なる先人の魂を掩堡として、藝術品の影に身を潛めつゝ、親の手に縋り乍ら僅かに怖ろしき物の一瞥を竊む小兒の如く、辛うじて近づき得たる矮小なる影の國に過ぎなかつた。眞正に崇高を解する者は、換言すれば眞正なる崇高の創造者は、自己の全存在を大自然の前に投出して其威力と親和抱合し、其威力と共に動き共に樂しむ者でなければならぬ。生活の根柢を深く宇宙の威力の中に托する者でなければならぬ。嗚呼我が魂よ、汝融和抱合の歡喜を知らざる矮小なる者よ、汝根柢に到らずして、浮萍の如く動搖する迷妄の影よ、肆意にして貧弱なる選擇の上に其生を托する不安の子よ。汝の道は遠い。汝の道は遠い。


 社會の前に、歴史の前に、他の人類の前に、自分は餘りに多くのジヤステイフイケーシヨンを持つてゐる。從つて眞正の謙遜を感ずることが出來ない。反語と皮肉とに飽和したる自分の道徳は自分の魂をゴムの如く碎け難く、鰻の如く捕捉し得ざる存在にして了つた。唯舊約の神エホバは自然の威力の名に於いて雷雲の中より自分の魂を壓迫する。自分の弱小なる精神と肉體とはエホバの前には何等のジヤステイフイケーシヨンもなく、赤裸々の姿を暴露して戰慄し慴伏する。文明と都會とに害毒せられたる自分の魂は、自然と野蠻との神によりて先づ其心を碎かれ、根柢から邪氣を洗はれなければならないのかも知れない。自分は今驕慢と恐怖と反抗と相錯綜する心を以つて人跡未到の深山大澤にエホバを禮拜する者の心を思ふ。先づ其魂を襲ひ來る可き無限の寂寞と恐怖と無力オーンマハトの自覺とは眉を壓する許り鮮かに自分の想像に迫つて來る。更に此感情をイーバーヰンデンして其上に出で、始めてエホバを我神、我父と呼び得可き日の曉の心――心を衝きて湧き來る無限の力と、青くひそやかに全心を涵す可き無限の靜寂と――も亦我が豫感する心の上に、幽かに遙かなる影を落して來る。


 自然は如何に荒涼寂寞を極めてゐても二人三人と隊を組んで此荒涼の中を探る者は要するに社會を率ゐて自然に迫るのである。社會の掩護の下に自然を強要するのである。徹頭徹尾唯自己一身を挺して、端的に自然に面する者に非ざれば、眞正に孤獨を經驗し、眞正に自然の威力を經驗することが出來まい。單身を以つてフレムトなる力の中に浸入して行く時、フレムトなる力の中に自己を沒却して而も其中に無限の親愛フロイントシヤフトを開拓し行く時、始めて眞正に自己の中に動く力の頼もしさを感ずるを得よう。自分は人跡未到の地に入る探檢者と名山靈地を開ける名僧知識の心境に對して大なる崇敬の情を捧げる。エホバと和げる心も、未知の領域に邁往する勇氣も、荒涼たる自然の中に在つて新鮮に緊張せる情調も――悉く羨ましからぬものはない。物質の世界に於いても、精神の世界に於いても常に此「深み」と「張り」と「力」が欲しい。


 人影も人里も見えぬ松の大木の並木路を辿る時には、どんなにか人と云ふものゝ臭が戀しかつたであらう。牛馬の踏み荒した無數の細路の間に迷つて、山巓から襲ひ來る霧の中に立盡した時、不圖眼に入つた牧牛者の影はどんなにか自分の心を温めたであらう。牧牛者は半里の山道を迂囘して自分を宿屋の前迄案内して呉れた。自分は禮心に袂の中にあつた吸ひ殘りの「八雲」をあげた。牧牛者は氣の毒さうに禮を云つて霧の中に隱れて行つた。
 社會を離れて自然と自己との中に沒入せむとする時、自分は愈※(二の字点、1-2-22)社會的要求の徹骨徹髓なるを悟る。自らを社會より遠ざける時、自分は益※(二の字点、1-2-22)社會と自己とを繋ぐ縷の如く細きものの如何に自分の生活にとつて切要であるかを知る。余は山に入るに先だつて、山巓に自分を待つ可き靜かなる旅舍と、綿の入つた蒲團と、温かなる飯と、夜を照す燈火と、身を浸す可き湯と、親切なる主人とを豫想して來た。山に落付いた後、日毎に待たれるものは親しき人の音信である。余が自然と自己との中に沈湎すればする程、自分の周圍に在つて此沈湎を支へて呉れる人と云ふもの――社會と云ふもの――の温かなる好意が必要になつて來る。山中に迷ふ者を正路に導くことは八錢の「八雲」を以つて報いらる可き好意ではない。自分を快適に心の世界に逍遙せしむる爲に萬般の煩瑣なる世話を燒いて呉れることは、決して五十錢や一圓の旅籠料を以つて償ひ盡すことが出來ない。余は山に入つて始めて切實に社會に對する感謝の念を覺える。全然社會を蔑視し去るは忘恩である。
 高きに翔る心が矮小なる者を蔑視し、卑俗なる者を嘲笑するはやむを得ない。併し純朴なる同胞の感情、小兒の如き社會的愛情を失ふことは決して些少なる損害ではない。


 社會を嫌惡するは余が生活の一面に過ぎない。社會と隔離するは余が要求の一面に過ぎない。人類を嘲笑するは余が感情の一面に過ぎない。眞正の希望は社會と融和し人類と親愛したいのである。自然と社會と自己と、三面協和するに非ざれば吾人の生活は遂に全きを得ない。一切を包容する底知れぬ心を思ふ時、余が心は羞恥と憧憬とに躍る。


 妥協を忌む、孤立を忌む、狷介を忌む。而も眞正なる融和包攝の心境の容易に到達し得ざることを思へば、慘として我が心痛む。


 都會の猥雜なる刺戟を脱れて、靜かに本を讀み仕事をする爲に自分は山の中に來た。併し山の中に來て見れば自然は餘りに問題に富み、自然は餘りに自らの命に溢れてゐる。紙に刷つた文字の奧に浮ぶ朧な人生や、概念と概念とを校量し區別し排列する思索などを押し退けて、自然は今自分の生活の内容を滿してゐる。讀書と思索とに倦んだ際のリフレツシユメントに利用せむとしたのは餘りに自然を輕蔑した仕打であつた。躑躅の花の咲き殘る細徑は楢の森を出つ入りつして、緩かに峠の方に上つてゐる。自分は朝露の置く若草を踏み乍ら、色々のことを思ひつゝ行く。


 人を對手にする生活は隨分苦しいことが多い。對手にする人も亦自己と同じ樣に弱い、氣の變り易い、自己と自然と社會との凡てに就いて樣々の苦惱を裹んでゐる人間であることを思ふ時、少くとも對手の心持を察してこれを勞らなければならぬ丈の苦勞がある。自分の察しが至らぬ爲に不知不識其神經を無視することはあらう。巫山戲る興味の圖に乘つて或程度迄人の神經を玩具にする樣な粗野な振舞も亦ないとは云へない。併し大體から云へば、憤怒と憎惡と輕蔑とに燃えて敢てデリカシイを無視する僅少の場合を除けば、人と人との間には相互に交讓する可憐なる苦勞の絶間もない。交讓は固より愛の發表である。併し假令愛の發表であつても、常に自分を加減し鹽梅する不自然と、我儘に自分の全體を露出し得ざるもどかしさと、對手に對する愛の名に於いて其前に自分の幾分を詐つてゐると意識する心元なさと、此等の入り亂れた感情が人と人との間に霧の如く立迷つて眞正に心の底の底迄さらけ出した朗かな融合を經驗することは人の一生に幾度もないであらう。親愛する魂と魂との間に於いても既にさうである。況して複雜なる利害の關係が混入し易い他人同士の應接は甚だ厭はしい場合が多い。人間は同類の間に於いて多く孤獨である。途中の遭逢に當つても素朴なる同類の親愛を感ずる程の優しさを持つてゐ乍ら、人の魂と魂とは何故か容易に根柢から一致することが出來ない。
 同類の間に在つて孤獨なる人の魂は自然に向つて響を一つアインシテインメンにするの對手を求める。自然にも固より個性がある。或自然は自分を威壓し或自然は自分を拒斥する。併し自然には自分の弱い神經を痛ましめて迄も勞つてやらなければならぬ程の脆さがない。思ひがけない方面フエースに觸れて顏を反けなければならぬ程の卑さがない。自然の前に自分は我儘に露骨に自分の心をさらけ出すことが出來る。自分の心をさらけ出せば、苟も自分の親しみを感ずる程の自然ならば必ず自分と同じ心に動いて呉れる。自然の前に自分は孤獨ではない。暗室の中に一人淋しい思を培ふ時と、調を等しくする自然の中に獨歩する時と、吾人の經驗の色調の如何に性質を異にするかを思へ。同類の中に在つて孤獨なる人の魂に、自然は始めて奧底なき親しみと無限の融和アインシテインミヒカイトとの歡喜を教へるのである。
 併し自分の親愛を感ずるは唯特定の自然である。嗚呼エホバと親愛し得る魂となり得むには、雲霧と雷霆との中にあつて之を親愛し得る魂となり得むには――
(七月六日夕)
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死を怖れざることの論理――一厭世者の手記より。
 余の生に何の執着に價する内容があるか。凡ての經驗は之と矛盾する何等かの記憶、何等かの豫想、何等かの論理に脅かされて、酒は水と交り、形は影と混じ、現在は過去と未來とに汚されてゐる。全心を擧げて追求す可き目標も、全身を抛つて愛着す可き對象も、全存在を震撼す可き歡喜と悲痛とも最早余にとつては存在してゐない。絶滅の恐怖は唯絶滅せしむるに忍びざる何物かを確實に占有する者にのみ許さるゝ情緒である。眞正に生きる者にのみ許さるゝ經驗である。然るに今死が余より奪はむと脅す處は眞正の生に非ずして唯生の影である。余の前に置かれたる選擇は生か死かに非ずして、生の影か死か、死に劣る生か死かに過ぎない。固より余は淺薄なる愛情によつて親朋に繋がれてゐる。余は彼等の世界から消失することを悲しみ、余の死を慟哭す可き彼等の悲哀を憐む。併し余に眞正の生を教へるの力なき一切の關係は要するに余にとつて眞正に存在の價値があるものではない。彼等は畢竟未練に過ぎない。幻想に過ぎない。此未練を擺脱すれば、余は常に死に對して準備されてゐる。死よ。汝の欲する時に來りて余を奪ひ去れ。
 加ふるに死は生の自然の繼續である。最もよき生の後に最も惡き死が來る理由がない。死と死後とは人智の測り知る可からざる處であるが、唯死に對する最良の準備が最もよく生きることに在るは疑がない。名匠の手に成れる戲曲は最後の幕も亦美しいに違ひがない。余の問題は此苦痛と戰ひ、此悲哀と鈍麻との波をわけて、如何に斯生の價値を創造す可きかに在る。創造の成果は甚だ疑はしい。併し余が生存する間は此事を外にして第一義の問題がない、第一義の事業がない。死の恐怖は痴人の閑問題である。


死を恐怖することの論理――一懷疑者の手記より。
 我が生には未だ深き執着に價する内容がない。併し此判斷は現在の余の事實に適用するのみである。此判斷は一切の生を擧げて其價値を否定し、余が生の蓋然性プロバビリテイ可能性ポツシビリテイとを悉く破壞し去る丈の力を持つてゐない。一切の生と、其プロバビリテイとポツシビリテイとを擧げて無價値と斷じ去る者こそ眞正に死を怖れない者であらうが、此の如く斷じ去るは厭世者の誇張である。飛跳シプルングである。質實にして謙遜なる反省の上に立脚する者は、未だ知らざる生の豫感に動かされて、却て深く生を執着することを知る。眞正に生きたる者は即下に絶滅するも猶余は眞に生きたりと信ずる自覺が慰藉となる。眞生の豫想に生きる者は此豫想を絶滅せむとする死に對して特別の戰慄なきを得ない。死は其人の生を根柢から虚無に歸せしめるからである。余は生きず、余は生きむと欲す、故に余は死を恐る。余の死を恐るゝは嫩芽の霜を恐るゝ心である。
 余は到底生きる力を持つてゐない者かも知れない。生に對する憧憬を抱いて永久に生きることの出來ない者かも知れない。併し余が肉體の生命を保つ限り、現在の事實として余には「生きむと欲する意志」がある。「生きむと欲する意志」は盲目に本能的に死を怖れてゐる。然るに死は常に一躍して余を捕へることをしない。鼠を弄ぶ猫の如く屡※(二の字点、1-2-22)余の「生きむと欲する意志」を脅かして余が生に不安の影を落す。余を死に導く力に對して何等の覺悟なき限り、吾人の生には常に死の影が交つてゐる。一度自己を保護する薄弱なる人工の搖籃を離れて、人間と社會と文明とを包圍して其運命を掌中に握る偉大なるエホバの前に立つ時、死の不安は刻々吾人を脅かして、生きるだに堪へざらしめる。吾人は吾人の生を確立せんが爲に吾人を死なしむる力を凝視しなければならない。死の恐怖は吾人の生を生の根柢に驅る。
 而して死が最後に其鐵腕を伸して急遽に余を襲ふ時、死に對して何等の準備なき余は、此フレムトなる力と對抗して不安に滿ち、絶望に滿ち、戰慄と動亂とに滿ちて其手に落ちるであらう。余は死の刹那に於ける此の如き精神的苦悶を豫想するに堪へない。單に此刹那に對する準備の爲にも、死の恐怖は何等かの解決を強請する問題と云はなければならぬ。
 嗚呼「余を死に導く力」よ。余は汝を諦視し汝を理解せむと欲す。汝の中に潛む「必然」を認めて之と握手せむと欲す。これと握手して余の一身を汝に托せむと欲す。死を恐怖せざるの論理は胡魔化しに過ぎぬ。感覺鈍麻に過ぎぬ。


 余には死に對する何等の準備もない。余は暴漢の手に捕へられたる妙齡の處女の如く、全力を擧げたる抗爭と、肺腑を絞り盡したる絶叫の後、力盡きて漸く死の手に歸するであらう。


 余が急遽に死の手に奪ひ去られたとする。余の死後に此日記が殘つたとする。此日記を讀んで、余が唯死に對する不安恐怖の念にのみ滿されて、何等安立の地を得なかつたことを發見する時、余を愛する者の悲哀は實に絶大にして、全く慰藉の途なきを覺えるであらう。併し後人に殘す悲哀が如何に絶大であつても此事は事實である。余は死に對する不安と動亂とに滿ちて死んだのである。死に對する諦めもなく、死後の生活に對する光明もなく、みじめに力なく死んだのである――若し死の瞬間に奇蹟的の經驗が起つて余の精神を靈化するに非ざれば。


 余を包圍する不思議なる力よ。余は汝を神と呼ぶ可きか惡魔と呼ぶ可きか、攝理と呼ぶ可きか運命と呼ぶ可きか、自然と呼ぶ可きか歴史と呼ぶ可きかを知らない。唯余は汝が余の一切の生活――歡喜と悲哀と戀愛と罪惡と――を漂し行く絶大なる力なることを知る。やむを得ずんば余は汝に對して弱小なる余を憐めと云はう。併し許さる可くは余は一切のセンチメンタルなる哀泣と嘆願とを避けて、唯汝と一つにならむことを祈りたい。汝と共に働き、汝と共に戲れ、汝と共に殘虐し、汝と共に慈愛する者とならむことを祈りたい。
(七月六日夜)
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 人は我持てりと云ふ。余は我持たずと云ふ。人は確信し宣言し主張する。余は困惑し逡巡し、自らの迷妄を凝視する。人はニイチエの如く自覺の高みに在つて迷へる者を下瞰する。余は麓に迷ひて遙かに雲深き峰頭を仰ぐ。人は一筋に前へ前へと雄叫びする。余は前へ進まむとして足を縛られたるが如き焦躁に捕へられ乍ら、自らの腑甲斐なきに涙ぐむ。人は日の光の鮮かにり渡る中に在つて占有と勞働との喜びに充ち溢れてゐる。余は霧の如きものの常に身邊を圍繞して晴れざることを嘆ずる。彼等は樂觀し余は悲觀する。彼等は肯定し余は否定に傾く。余をして悲觀と否定とに傾かしむる者は余の生活と運命とを支配する不思議なる力である。不思議なる力の命ずる限り、余は此苦しき生活に甘じて、身邊方寸の霧を照す可き微光を點じて生き存へなければならぬ。嗚乎併し暗き否定の底にも洞穴に忍び寄る潮の如く微かににじみ來る肯定の心よ。思ひがけもなく、ひそやかに、ほのかに、夕月の光の如く疑惑の森に匂ひ來る肯定の歡喜よ。此悲しき中にも温かなる思は、強暴なる肯定者に奪はれて、獨り脆弱なる否定者にのみ惠まるゝ人生の味であらう。


 余は自覺せりと自信することは其自身に於いて既に力であるに違ひない。併し唯自覺せりと自信する輪廓のみあつて、自覺の内容が渾沌と薄弱とを極めてゐるならば――極めて薄弱なる内容にも極めて強烈なる自信が附隨し得ることを忘れてはならぬ――何の彼等を珍重する迄もなく、巣鴨に行きさへすれば其尤なる者が室と室とを相接して虎視してゐるのである。自覺の價値と眞實とを立證するものは自信に非ずして内容である。力に滿ちたる内容である。
 自覺することと自覺を發表することとは本來別物である、内容を有することと内容を發表することとも亦本來別物である。併し單に自覺の自信のみを發表して自覺の内容を發表せぬ者が、世間の眼から見て僞豫言者とせらるゝはやむを得ない。發表に價するものは自信に非ずして内容であるからである。
 今の世にも亦自覺せりと稱する者が尠くない。併し少數の謙遜なる自覺者を除けば、彼等の自覺の内容は、余の如き懷疑者の眼から見てさへ氣の毒な程新鮮さを缺き緻密を缺き眞實を缺いてゐる。余は無内容なる自覺者の外剛内柔なる態度を見る時、先づ微笑し苦笑する。彼等が猶自ら恥づることを知らずして、野蠻に他人を壓迫する時、余は聲を揚げて嘲笑をさへしてやらうと思ふ。自分にも身邊方寸の霧を照す微光がある。
 内容を示せ。内容を示せ。


 ダンテは自分の罪は傲慢プライド羨望エン※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)とに在ると云つたと聞く。余の罪も亦傲慢プライド羨望エン※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)とにあるらしい。力に於てダンテに似ずして罪に於いてダンテに似るは余の悲哀である。


 獨創を誇るは多くの場合に於いて最も惡き意味に於ける無學者の一人よがりである。古人及び今人の思想と生活とに對して廣き知識と深き理解と公平なる同情とを有する者は、到る處に自己に類似して而も自己を凌駕する思想と生活とに逢着するが故に、廉價なる獨創の誇を振翳さない。古人及び今人に美しき先蹤あるを知らずして、古き思想を新しき獨創として誇説する無學者の姿程醜くも慘ましくも滑稽なるものは尠い。
 自分の生活と思想とを獨得にせむが爲に古人及び今人と共通なる内容を驅逐するは、吾人の生活を極端に貧くすることである。プラトー、ポーロ、オーガスチン、聖フランシス、スピノーザ、カント、ゲーテ、シヨーペンハワー、ニイチエ、ロダン等の思想と生活とを拒んで吾人は如何なる新生活を獨創す可きであるか。
 机上の萬葉集をとる。「朝に行く雁の鳴く音は吾が如く物思へかも聲の悲しき」と云ふ歌の思ひは明治の今日に於いて更に歌ひ返す可き社會的必要のない歌であらう。萬葉歌人の歌の内容を其儘に歌ひ返すことは明治の歌人の恥辱であらう。併し歌ふ必要のないことも經驗する必要はある。此歌の思ひを沁々と身に覺える事が出來ないことは如何なる世に於いても其人の生活の缺陷である。一度書き表はされたことは其物が失はれぬ限り再び書き返す必要がない。一度發見せられたる眞實は凡ての時に渡りて凡ての人の胸に噛み締められることを要する。獨創を急ぐは發表にのみ生きる者の卑しさである。
 自己の生活を自然に發展せしめ行く間に、先人及び今人の經驗に逢着して「此處だな」と膝を打つ場合がある。彼等と同感して其の眞意義に悟入する場合がある。此等は凡て自己にとりて新たなる獲得であつて決して模倣ではない。
 自己の中に他人と異る性格があり、現代に他の時代と異る要求がある限り、吾人は先人及び他人と異る者とならずにはゐない。強ひて自己を他人と異れる者にしようとする努力は人生の外道に過ぎない。商賣人の成功策に過ぎない。此努力が如何に其人を高處に押し進めても、其人の生活には必ず人生の至醇なる味に接觸し得ざる一味の空虚があるに違ひない。
 自己を壓迫し強制するものとして先人の經驗は惡しき「型」である。自己の望んで得ざる處を實現せるものとして、自己の進撃せむとする方向を標示するものとして、先人の經驗はいとよき型である。吾人は惡しき型を蹂躪すると共によき型を崇敬することを知らなければならぬ。先人が經驗して吾人が未だ經驗せざる處、古人が殘し置きたる經驗にして吾人の悟入を要する處――吾人の前には如何にいとよき型の多いことであらう。吾等は此等のいとよき型の前に眞正の謙遜と敬虔とを學ばなければならぬ。悟入と模倣と一致と追隨を區別するは極めてデリケートな問題である。
 余は他人と區別する爲めの獨創を求めずして、唯生活の中核に徹する眞實を求める。余は先人及び今人と一致することを恥ぢずして寧ろ内的必然を離れたる珍説を恥とする。


 心の内に皮肉なる者の聲が聞える――汝の思想と生活とが先人及び今人と共通することの恥辱に非ざるは既に之を領す。汝の發表する思想と生活とが古人及び今人の思想と生活とに比して何の特色もなくば、何處に存在の理由があるか。
 余は此詰問に對して答ふる所以を知らない。無學にして懶惰なる余は、余の思想と生活とが如何に古人及び今人と一致し、如何に古人及び今人と異なるかを判定するの力をすら持つてゐない。唯余の云ふ處が古人の云ふ處と何の異る處がない場合に於いても、余自身の生命を裏付けて再び之を繰返す處に微かなる滿足を感ずる丈である。
(七月八日午前)
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 蚊帳は艶なもの、悲しいもの、親味の深い懷しいものである。木綿の蚊帳はあの手觸りのへな〳〵な處から、あの安つぽい褪め易い青色まで、如何にも貧乏らしくて情ないが、麻の蚊帳の古い錦繪に見る樣な青色や、打たての生蕎麥の樣なシヤリ〳〵した手觸りや、絽の蚊帳の輕い、滑かな、凉しい視覺觸覺など、蚊帳其者の感じが既に夏らしく爽かな氣分を誘つて來る。更に之を人事と聯關させて來ると蚊帳の齎す情調は隨分複雜に豐富になる。中形の浴衣に淡紅色の扱帶しどけなく、か細く白い腕もあらはに、鬢のほつれ毛を掻上げてゐる姿が、青い蚊帳の中に幽かに透いて見える場合もあらう。病人の蒼白い顏にフツ〳〵と浮ぶ汗の玉を蚊帳越しに覗いて見る痛ましい夜もあらう。幽靈は蚊帳の中には這入れないから、恨めしい人の寢姿を睨み乍ら夜通し蚊帳のぐるりを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ると云ふ。雷よけの晝蚊帳は加賀鳶梅吉の女房にあらぬ濡衣をも着せた。蚊帳と云ふ青い物は悽い上にも色つぽく夏の生活を彩つてゐる。


 一つ蚊帳に寢ることは一つ部屋に寢ると云ふよりも遙かに對手との親しみを深くする。久しぶりで逢つた友達でも、廣い部屋に離れ〴〵に寢るよりは小さい蚊帳の中に枕を並べて、互の汗の香を嗅ぎ乍ら寢苦しい一夜を明した方が、どの位思出の色が濃いことであらう。野と衢とは人と人との住む處として餘りに惶しく、餘りに空漠である。人と人との魂の距離を縮める爲に人の家はある。更に其距離を近くせんが爲に人の住む部屋はある。人の住む部屋の中に一區を劃して、人と人との魂の呼吸を最も親密に相通はしむる者は夏の夜の蚊帳である。


 夜遲く外から歸つて自分の居間に通る。細目に點けてあるランプの光が蚊帳にうつつてゐるのを見る時の心持。蚊帳の中に幽かな寢息をきく時の心持。


 母親は添乳の手枕を離れて、乳房を懷の中にかくし乍ら、スヤ〳〵と眠つてゐる子の上にソツと幌※(「巾+厨」、第4水準2-8-91)をかける。女性獨特の世界と女性獨特の幸福が涙を誘ふ柔かさを以て男の想像の世界に迫つて來る。


 自分は田舍で育つた。田舍では大抵の家に土藏があつて、蚊帳などは秋の初から翌る年の夏が來る迄土藏の隅に押し込められてゐる。下水の孑孑がそろ〳〵蚊になり出す頃に、祖母は屹度土藏に蚊帳を取出しに行く。根附の樣に祖母のあとを追※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)してゐた自分はよく土藏の中に隨いて行つたものであつた。藏の二階の薄暗い隅から幽かに呻り乍ら飛び出す二三の晝蚊の羽音と、一年目に日の目を見る蚊帳の古臭い臭とは、自分の幼い頭にどんなに入梅の豫感を刻み込んだ事であらう。今でも入梅を思ふと、あの音とあの臭とが幽かに浮んで來る。


 秋になつて蚊帳を釣らなくなつた晩の廣さ、淋しさ、うそ寒さも亦忘れることが出來ない。北の國では蚊帳の釣手の獨り殘る頃にはもう機織蟲が壁に來て鳴く。細めたランプの光を暗く浴び乍ら、蒲團の中に秋らしく小さくくるまつて、機織蟲の歌をきいて寢た頃の心持は未だにあり〳〵と意識の奧に浮んで來る。初めて蚊帳を釣らなくなつた晩に沁々と物懷しく秋になつたなと感じたあの心持――あの鮮かな、青く澄んだ、ふつくらした感覺をもう一度取返して、自然のあはれをつく〴〵味ふことが出來たら、それ以來積んで來た一切の經驗と知識とを代償とするに何の未練もない。
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 ニイチエは屡※(二の字点、1-2-22)「別れの時」と言ふ言葉を使つた。彼の超人は一面から云へば幾度か「別れの時」を經過し來れる孤獨寂寥の人である。私はツアラトウストラを讀む毎に、此「別れの時」と云ふ言葉の含蓄に撃たれる。ニイチエ自身も亦「別れの時」を重ねたる悲しき經驗を有し、「別れの時」の悲哀と憂愁と温柔と縹緲とに對する微細なる感覺を持つてゐたに違ひない。其極愛せる祖母の死は早くも彼に「別れの時」の切なさを教へた。後年ワグネル及び其徒と背き去つた事が如何に深刻なる「別れの時」の悲哀を彼の腦裡に刻み込んだかは今更繰返す迄もないことである。彼の思想は彼の生活の寂寞を犧牲として購はれたる高價なる「必然」であつた。此故に私は彼の思想の眞實を信じ、此故に私は彼の人格の純潔と多感とを懷しむのである。
 概括せる斷言は私の憚る處であるが、私の心臟の囁く處を何等の論理的反省なしに發言することを許されるならば、「別れの時」の感情はあらゆる眞正の進歩と革命とに缺く可らざる主觀的反映の一面である。あらゆる革命と進歩とに深沈の趣を與へて、其眞實を立證する唯一の標識である。「別れの時」の悲哀を伴はざる革命と進歩とは處僞か誇張か衒耀か、孰れにしても内的必然を缺く浮氣の沙汰とよりは思ひ難いのである。再び一己の感情に形而上學的背景を與へることを許されるならば、これは恐らくは世界及び人生の進化が一面に於いて必然に悲壯の要素を含蓄するからであらう。宇宙及び人生を此の如く觀、此の如く感ずる點に於いてはイプセンも亦吾人の味方である。
 進む者は別れなければならぬ。而も人が自ら進まむが爲に別離を告ぐるを要する處は――自らの後に棄て去るを要する處は――曾て自分にとつて生命の如く貴く、戀人の如く懷しかつたものでなければならぬ。凡そ進歩は唯別るゝを敢てし、棄て去るを敢てする點に於いてのみ可能である。曾て貴く、懷しかつたものに別離を告ぐるに非ざれば、新たに貴く、懷しき者を享受することが出來ない。新たに生命を攫む者は過去の生命を殺さなければならぬ。眞正に進化する者にどうして「別れの時」の悲哀なきを得よう。思へば此の如くにして進化する人間の運命は悲しい。「別れの時」の悲哀に堪へぬ爲に進化を拒み過去の生命に執着する卑怯未練の魂も、其情愛の濃かに心情の柔かなる點を察すれば、亦憎くないと云はなければならぬ。
 凡ての個人と等しく凡ての文明にも亦別れの時が來る。敢て之を乘り切ると逡巡して進化を拒むとの孰れを問はず、兎に角に別れの時は襲ひ來らなければならぬ。客觀的に見て日本の文明が「別れの時」に臨んでゐることは萬人の等しく認むる處である。然るに「別れの時」の感覺が痛切に人々の主觀を襲つて來ないのは何故であらう。
 今の世に「新しい人」を以つて自任する人は多い。一方に「過去」を理想として現實を呪ふ人も亦次第に其數を増して來る有樣である。併し所謂「新しい人」は果して過去の餘影を留めざる全然新しき人であらうか。所謂國民精神の擁護者も亦果して古代理想を一身に體現し盡した人であらうか。私の見る處では、此の如きは兩者共に殆んど絶無に近い。事實上彼等は共に半ば新しく半ば舊き、不可思議なる混血兒であつて、唯理想上或は新に赴き或は舊に傾向するに過ないのである。從つて新と舊との戰は敢て社會一般に投影する迄もなく、彼等自身の中に其慘憺たる姿を現じなければならぬ筈である。然るに何事ぞ事實は之に反して、所謂「新しき人」は全然自ら與り知らぬ者の如くに舊を嘲り、所謂「國民精神の擁護者」は暴君の如き權威と自信と――並びに無知とを以て新を難じてゐる。此の如きは未だ問題を其焦點に持來すことを知らざる無自覺の閑葛藤であつて、哲學的に云へば未だ眞正に「別れの時」の問題に觸れざる者である。「別れの時」の感覺が痛切に各人の主觀に迫り來らざるも固より當然と云はなければならぬ。「別れの時」の感覺を伴はざるが故に、保守と急進との理想は日本の文明に於いて未だ決然たる對立を形成してゐない。「別れの時」の感覺は保守と急進との間に一味心情の交感を與へる、同時に避く可からざる抗爭の悲壯なる自覺を與へる。
 所謂「新しき人」は先づ自己の中に在りて「舊」の如何に貴きかを見よ。見て而して之を否定せよ。「別れの時」の悲哀を力として却て更に強く「新」を肯定するの寂寥に堪へよ。所謂「保守」の士は先づ自己に感染して強健なる過去の本能を浸蝕せむとする「新」の前に恥ぢ且つ恐れよ。「別離」に堪へざるの濃情を以つて強く「舊」を保存し、烈しく「新」を反撥せよ。此の如くにして兩者の思想に始めて眞實と悲壯と深刻とがあるであらう。


 他人の爲に自らの身を殺し得る人の心情は尊い。他人の生活を直ちに自己の生活の内容として、其人の死によりて直ちに自己の生活の中心義を奪はれたと感ずる程、深く他人を愛し、深く他人の魂と相結ぶことを得る人の心情は羨しさの限りである。眞正に愛を解し、眞正に他人と自己との融合を經驗するを得る純潔高貴なる魂にして、始めて他人の死を悲しみて自刃するを得るのである。私は此高貴なる魂の前に、眞正に他人との融合を經驗し得ず、純粹に個我を離れたる愛情に一身を托するを得ざる自分の矮小なる姿を恥ぢざるを得ない。少くとも純一なる主義、純一なる力を以つて自己の生活を一貫するを得ざる自らの迷妄を恥ぢざるを得ない。戀愛の爲に殉ずる人も、君主の爲に殉ずる人も、自分の不純を鞭つに於いては二致あるを感じないのである。
 私は乃木大將の自殺が純粹の殉死であるか否かを知らない。又假令純粹に殉死であるとしても、其道義的意義が客觀的に情死者と同一であると信ずる者ではない。唯若し大將の自殺に少くとも殉死の一面があるならば、其殉死には情死者と共通なる「人として」の美はしさあることを感ずる丈である。其殉死には誠實と純潔との不滅の教訓あることを感ずる丈である。而して私が此意味に於いて深く大將の死に動かされたことを告白する丈である。
 更に人をして其別離の情に殉ぜしむる所以の對象が殉死者の私情我慾と相渉る事少ければ少ない程殉死者の愛情は少くとも一層珍貴となり、稀有となり、哲學的となる。この意味に於いて君主に殉ずる者の心情が戀愛に殉ずる者の心情に比して獨得の意義を有し、特異の印象を與へ、特異の感化を及ぼすことは云ふ迄もない。吾人は大將の殉死によりて純潔と無我との教訓に接するのみならず、又特異なる愛情の實例を示された。私は人間心理の研究者として此特殊にして恐らくは次第に滅び行く可き現象に對して格段の興味を感ぜざるを得ない。大將の自殺は他人の愛情に殉ずる者の一般的關係を離れて尚一層深き問題を吾人の前に提出する。其問題は一面にトルストイの「他人に仕ふる生活」と共通の問題である、一面に社會と國家と、民衆と君主と、高調の方面を異にする點に於いてトルストイの立脚地と對立する。大將が其死後に遺したる此問題は一般國民の問題たること云ふ迄もないが特に公的生活によりて榮達し、公的生活によりて私情私慾の滿足を圖る人にとりて最も痛切なる問題であらう。大將の自殺によりて彼等の胸中に幾分なりとも不安の影が宿つたならば、私は彼等に與へたる不安の故に、大將の死に向つて感謝せざるを得ない。
 私は大將自刃の動機と問題とに就いて如上の感想を抱く。大將自殺の客觀的意義と、大將の信奉せる武士道とに就いては、茲に輕率なる感想を語ることを好まない。唯火を睹るよりも明かなるは大將の死が此の如き客觀的方面にも種々の問題を殘してゐることである。而して此方面に於いて自由討究を試みるは國賊でも非國民でもないことである。日本將來の文明を如何にす可きかは至難にして至重なる問題である。乃木大將の悲壯なる死を以つてするも此問題に鐵案を下して、反對者を強ひるの權利なきは云ふ迄もない。私は此點に就いて倫理學者並に社會學者の愼重なる審議を希望する。私は唯人間の行動並に心理に對して其内的意義を考ふることを喜ぶ。


 理想主義の人にとつて「ある事」は無意義にして、意義あるは唯「ある可き事」である。彼にとつて事實とは「ある事」に非ずして「ある可き事」である。此の如き主義及び教養の結果、「ある可き事」に關係すること少き或種の「ある事」は無に等しくなる。「ある可き事」のみを念頭に置くが故に「ある可からずして而もある事」は次第に意識より消えて、自然に自己を擧げて「ある可き事」のみを以つて充された人となるのである。彼等の世界は凡て意識と條理とである。彼等は此意識と條理との世界に於いて純潔に健全に感激に滿ちたる充實の生活をすることが出來るのである。
 乃木大將は旅順に其二愛兒を失つた。又大將は明治末期の時勢に就いて頗る慷慨の情を抱いてゐたとの事である。此二事を根據として推測すれば大將晩年の心情には頗る寂寞の影なきを得なかつたであらう。武士の條理に明かなる大將が此寂寞の故に自殺したのでないことは云ふ迄もない。併し此寂寞の情が無意識に大將を動かして自殺の氣分を助成したことは必ずしもないとは云はれまい。假に此の如き心理作用が意識の奧に働いてゐたとしても、大將は之を意識の明るみに牽出して自ら解剖する樣な必要は寸毫も感じなかつたであらう。徹頭徹尾殉死、若しくは責任を果すの死と信じて、透明なる意識と幸福なる道義的自覺とを以つて自刃し得たであらう。而も此間に寸毫も虚僞と粉飾との痕を留めざるは大將が完全なる理想主義の人であつたからである。理想主義が其人格となつてゐたからである。
 吾人は屡※(二の字点、1-2-22)吾人の周圍に墮落せる理想主義の老人を見る。「ある可き事」と「ある事」との中間に迷ひて「ある可からずしてある事」を意識し乍ら、之を粉飾し塗抹する老人を見る。吾人は此の如き老人に毒せられて、理想主義其物を輕蔑するに馴れた。然るに今乃木大將は吾人の爲に理想主義の崇高なるものを示された。人間心理の研究者として、吾人は此稀有にして恐らくは將來益※(二の字点、1-2-22)減少し行く可き實例に對して茲にも亦深き興味を感ぜざるを得ない。私は凡ての事件と行動とに就て其内的意義を觀察するを喜ぶ者である。
(十月六日)
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 俺は茲に一生の祕密を書きつける。俺の名は實は青田三太郎と云ふのではない。俺の親達は俺に瀬川菊之丞と云ふ美しい名前をつけて呉れたのだ。併し段々成長するに從つて此美しい名前は俺の御荷物になつて來た。俺は此のクラツシカルな美しい名前を護る爲に手も足も出ない達磨大師になつて了つた。俺の生活は正しく、嚴肅に、世間の眼から見て一點の非の打ち處もない生活であつた。併し同時に俺の生活の内容は、空しい、貧しい、仔の成長して了つた後の蜂の巣のやうなものであつた。俺の靈は、繼母の爲に糧を斷たれた小兒の樣に、日毎に青ざめて、痩せ衰へて來た。其處で俺は神樣に哀求して轉身メタモルフオゼの祕蹟を行つて貰つた。世間の奴は俺の前身を知らないが俺が青田三太郎となつたのは其時からである。瀬川菊之丞が青田三太郎となつたのは、表面から見れば、下情に通ずることを求める爲めに、殿樣が襤褸を着て御菰になつた趣があるとも云へよう。併し魂の方から見れば――之が本當の見方である――廣い世間を喰詰めた無頼漢が、河岸を變へて新しい眞面目な生活を始める爲に僞名をしてゐるのだと見る方が適當である。瀬川菊之丞の名を想出すのは恐ろしい。悲しい。だから俺は今まで自分の意識にさへ此事を祕密にしてゐた。俺は今一期の大事を打明ける樣におど〳〵しながら此事を自分の魂に囁くのだ。俺の云ひ樣が巫山戲てゐると云ふ人があるならば夫は巫山戲なければこんなことは云へないからだ。我魂よ、君は戀人を口説く前に酒を飮む男を卑怯だと許り貶して了ふ氣なのか。
 菊之丞は三太郎になると共に思ひ切り「惡い子」になつてやらうと思つてゐた。苟も靈の糧となつて之を肥すことならば姦淫でも裏切りでも何でもやつつけてやらうと思つてゐた。併し轉身の祕蹟を行ふ時に神樣の火が弱過ぎたと見えて、菊之丞の性質が未だ燒き盡されずに三太郎の中に殘つてゐた。菊之丞の最も惡い性質――いゝ子で通さうと云ふ性質――を三太郎も亦承繼いでゐた。三太郎は新しい周圍の中に立つて、脆くも亦いゝ子になりたいと云ふ希望を起した。三太郎は姦淫も裏切りも出來なかつた。彼は今新しい社會に立つて、再び手も足も出ぬ達磨大師に收らむとしつゝある。三太郎は之を苦しいと思つてゐる。
 尤も三太郎は菊之丞時代に比べれば少しは自由になつてゐる。菊之丞は學校に在つて論理學の成績の拔群な子供であつた。菊之丞の推論に誤りがないと云ふのではない。彼は時々隨分見當違ひの推論をしては自分でも苦笑してゐた。併し彼は不思議に論理學のエツセンスを攫んだ子であつた。論理的氣分と云ふ樣なものゝ強い子であつた。一言で云つて了へば彼にはコンゼクエンツを要求する氣分が隨分濃厚に働いてゐたのである。論理學の教師は菊之丞の此性質を見拔いて之を可愛がつた。併し此性質は決して菊之丞の幸福ではなかつた。彼は此性質の爲に自分の思想行動經驗氣分を檢査して一々其コンゼクエンツを討さなければ氣がすまなかつた。さうして其コンゼクエンツを檢査することは常にインコンゼクエンツを發見する結果に終つた。さうしてインコンゼクエンツに堪へざる彼にとつてインコンゼクエンツを發見することは同時に其生活に空虚を拵へることであつた。若しくは我と我身の自由に束縛を加へることであつた――轉身の祕蹟を行ふ時、神樣の火が菊之丞の此の性質を可なり燒盡したのは事實である。三太郎は其時の氣分次第で勝手に物を云つたり身を處したりすることが可成の程度迄出來る樣になつた。神々の火は三太郎に新しい信念を吹込んだ。三太郎は其時の心持にさへ詐りがなくばそれは自分にとつて常に眞實であると信ずる樣になつた。論理的不一貫ローギツシエ・インコンゼクエンツ人格的一貫ベルゼーンリツヘ・コンゼクエンツを妨げるに足りないと信ずる樣になつた。それで三太郎は可なり矛盾した事を平氣で云つたりしたりすることが出來るやうになつたのである。菊之丞としては出來ないことが三太郎として出來るやうになつたのである。――併し之はいましめの繩が少し緩んだ位に過ぎない。三太郎は更に一層の自由を望んでゐる。
 要するに三太郎は又自分の存在に苦しみ出した。三太郎はもつと氣紛れに物を云ひ、もつと氣まぐれに身を處することを切に望んでゐる。俺は更に神々に轉身の祕蹟を要求して阿呆の三五郎――我が魂よ、君は僕と一處に昇之助の紙治内を聽いた筈だ、何卒昇之助の調子で此の固有名詞を發音して呉れ給へ――と改名したくなつた。しかし轉身は神々から降る恩寵である。三太郎の哀求は唯降神を求めるイン※(濁点付き片仮名ヲ、1-7-85)ケーシヨンに過ぎない。幸ひにして三太郎には幻想の力がある。幻想によつて三五郎となることは三太郎の自由である。世間の物質論者から見れば三五郎は三太郎の頭の中の影に過ぎないであらう。併し三五郎は唯三太郎から物質と社會と論理との束縛を解き去つたといふ意味に於いて影となつたのである。現實は假相である。眞相は唯影の如く其奧に搖曳する。影となると云ふことは外面を擺脱して内面のみに生きると云ふことならば、影となることは人間の哲學的要求である。三五郎は三太郎の影として三太郎のなし得ざる所をなし、發表し得ざる所を發表し、經驗し得ざる處を經驗する。三五郎は益※(二の字点、1-2-22)人生の間に惡を行つて靈の糧を其處に求めよう。三五郎は益※(二の字点、1-2-22)其場限りのことを云つて辻褄の合はぬ出鱈目を並べよう。世間には自分の魂の爲めに善であり乍ら、他人を傷つける爲に惡とされる「惡」が多い。人の心には論理に於いて統一なくして魂に於いて統一ある矛盾が多い。此惡と此矛盾とを經驗するは影の人三五郎の役目である。


 アガトンの家の饗宴に臨んで洒落者アリストフアネスのした卓上演説は不思議に俺の頭に忘れ難い印象を殘してゐる。彼の説に從へば其昔人間には「男」と「女」と「男女」との三種類があつた。彼等は腹背兩面に其「性」の機關を持つた圓い存在であつた。彼等は甚だ強かつた。彼等は其力を恃んで「天」を征服することを企てた。諸神は之を知つて大に驚き彼等の驕慢を罰するが爲に人間を眞中から梨子割りにして其力を分ち、更に永久に其罪を記憶せしめむが爲に、其顏を半※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉して其切り割かれたる部分(現今の所謂腹)が常に其眼の前に見える樣にした。
 此の如くにして二分せられたる人は其半身を求めて哀泣し彷徨した。偶※(二の字点、1-2-22)相邂逅すれば緊く相抱擁して何時までも離れることを欲しなかつた。其爲に彼等は遂に飢餓と運動不足との爲に相踵いで死亡した。ツオイスは之を見て憐みを垂れ從來背部に殘つてゐた性の機關を前に移して、抱擁は繁殖を來し、少くとも一つになることによりて相互の慰藉を得る樣にしてやつた。人間の戀愛は分たれたる半身を求むるの憧憬である。男が女を求め、女が男を慕ふは即ち前生に「男女」であつたものである。女が女を、男が男を求めるのは即ち前生に「女」又は「男」であつた者の半身である。彼を自然とし此を不自然とするは論者の誤謬である。孰れにしても其半身を求める憧憬に二致がないから――
 凡ての深入りした經驗は世界の光景の全然一變する刹那を經過するに違ひない。此刹那に於いては道端の石塊も俄然として光を發する。個物は象徴となり、現實は幻影となり、夢幻は實在となる。此の如き刹那は固より吾人にとつて甚だ稀に許さるゝ刹那である。併し此高められたる世界の一瞥が尊いか現在日常の生活の明確なる意識が尊いかは疑問である。少くとも彼に許さるゝ歡喜と充實と福祉との意識は此に許されない。若し此甚だ稀に許さるゝ刹那を永續せしめ、又は頻繁にすることが出來るならば、自分は現實の「眞」に生きるよりも、高められたる世界の「夢」に生きたい。
 此高められたる世界に生きる時に、吾人の立脚地は自ら自然的科學的の立場を離れて宗教的神祕的の立場に移る。其刹那の經驗が宗教的神祕的の性質を帶びて來るからである。自然的科學的の立場がぐるりと其姿を代へて神祕的形而上學的の立場に變る刹那の經驗を持たない者は氣の毒である。甚だ稀有ながら此刹那の餘光を身に浴びて、魂の躍りを直接に胸に覺えることが出來る自分は幸福であつた。
「兩性」の生活に於いても此形而上的轉換を經驗し得た人は、換言すれば永遠の Zweisamkeit を刹那に經驗し得た人は、此刹那の經驗を説明するものとしてアリストフアネスの神話的假説を笑はないであらう。彼の假説には笑つてすますことの出來ない程嚴肅な――而も悲壯な――心の經驗が含まれてゐる。
 此廣き宇宙の間に離れ〴〵に投げ込まれた二片の運命を考へて見る。處女の美しさと頬の紅味とに輝いて、幸福に其半身の尋ね來るのを待つてゐる者は蓋し稀有であらう。其或者は父母の命ずる儘に靈魂の上の他人に其身を任せて、日毎に心の底に囁く空虚の訴へに戰慄し乍ら、罪と破滅との蔭に微かに其半身の近づき來る跫音を待設けてゐる。其或者は眼と血とに欺かれたる抱擁の熱の次第に醒めて行く淋しさに始めて其前半身に對する切なる憧憬を感ずる。其或者は友人若しくは友人の妻として我知らず深くなり行く親しみに前世の因果の怪しく現在に働きかけて居ることを覺つて身慄ひする。其或者は其半身に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りあはぬ間に空しく死んで了つてゐる。
 されば此等の半身の邂逅は多く「罪」の名に於いて、「裏切り」の名に於いて、「不幸」の名に於いて果されるのである。假りの契りにも馴染はある。多年の共棲に對する温かき囘想も、捨てゝ行く人に對する切なき哀憐も、魂の他人と共に産んだ子の運命に對する心痛も、互の額に刻まるゝ「姦淫」の烙印も、乃至相互に異性の第一印象を他人によりて印刻せられたる悔恨も――此等は凡て割かれたる半身が再び一つになる爲の租税となるのである。
 併し一切の暗き影にも拘らず、アリストフアネスの假説は樂天的である。其世界では何處かに自分を待つてゐる半身がある。死も猶其記憶と囘想とを奪ふことの出來ない半身がある。凡ての彷徨は唯其半身と邂逅する迄の假の姿である。
 併し若し此半身が何處にも存在しなかつたら……。若し常に新鮮なる戀愛の恍惚境ワイエに居らむが爲には、永遠に戀人から戀人に移らなければならないものとしたら……。若し次から次に別れを告げることが虚僞を許さゞる兩性生活の形式であるとしたなら……。若し無限の彷徨が本來の面目であるとしたなら……。
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ある朝
眼を開けば、近眼の眼に、
波立つて見える障子の棧。
眼を閉づれば眼瞼の奧に、
渦卷き流れる異形の色。
世界よ、暫くヂッとしてゐろ、
心の火よ、無闇にチラ〳〵動くな。
あはれ、しづけさよ。魂の悲しきふるさとよ。
精靈の如く來りて、我が神經を空色の中に包めよ。


三五郎は森の中に住めり。一日心寂しさに森を出でゝ市内の電車に乘り、電車の中にて鼻紙に書きつけたる歌。
電車待つ間の五分間の長さよ。
飯を食ひ乍ら食卓の上に
新聞を乘せて讀む心惶しさよ。
心よ、心よ、あはれ我が心よ、
汝の忙しげに求むるものは何ぞ。
乞食の子の如く、はきだめの隅に
芋のきれはしをあさる心よ。
冷たき疊の上にいぎたなくねそべりて、
時々ピク〳〵と手と足との先を動かす心よ。


同じく
心の隅の穴よ、北風の隱家よ。
貴樣は又ピュー〳〵やり出さうとしてゐやがるな――
此豫感する心の冷さと
美學一卷を讀み了へたる後の疲れと。


同じく
やい、「重壓の精」奴、
どけやい、
どけやい、
どきやアがれやい。
女王樣の御通りだぞ。
假令着物は黒くても
顏の色は青ざめても
髮の毛は痩せほゝけても
踵の音は寂しくても、
女王樣は女王樣だぞ。
女王樣の悲しみは
女王樣の歡びと
一つに光つていらつしやるのだ。
黄金の色は曇つても
氣高い匂ひに二つはない。
貴樣は何だ、鉛ぢやないか、
歡びも、悲しみも、怒りも、恨みも、
重く、鈍く、光なく、薄汚く、
よぼ〳〵と、のろ〳〵と、いざり行かしむる
貴樣は鉛の精ぢやないか。
御通りなさるは女王樣だ。
どけやい、
どけやい、
どきやアがれやい。


同じく
眞向ひには、ほくろが五つある、黄色い女の顏、
其隣りの男の、顎の疣に生えた赤毛は
三四寸のびて、電車の中の風に
もそろ〳〵と動いてゐやがる。
釣革につかまつてゐる小意氣な年増の
白粉のたまつてゐる耳の下には
眞赤な肉の上つてゐる瘰癧の切り痕、
瞼の上にやけどして片眼の釣上つた男は
平面の、顎の四角な、青ぶくれの其連と
何か話してはにた〳〵笑つてやがる。
前の男がちよいとよろければ
遠慮なくぷんと來る腋香の臭ひ。
眼をつぶれば我が胸の奧にて、
げえ〳〵上げてゐるコロリ病みの心――
外は師走のから風に
どんよりとした空の色。

勝手にしやがれ、畜生め。
死にやどいつにも用がない。
どうなるものか、あきらめろ。
(十二月一日)
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 自分にとつては自明なことでも社會にとつては自明でないことがある。自分にとつて自明なことと、社會にとつて自明でないことと――此の二つが永久に並存して相互に關係しないものならば問題はない。併し社會は社會自らにとつて自明ならぬことは凡て許す可からざることゝ推定する。個人にとつて自明にして、社會にとつて自明ならぬ場合に、個人が自己にとつて自明なる道を進まむとすれば、社會は之に干渉し、社會は之を壓迫する。茲に於いて個人は自明の道を進まむが爲に社會と戰ふ必要を生ずる。自らの爲に云ふ必要なくして、社會の爲に云はなければならぬ必要に逢着する。自分は之に名づけて啓蒙言と云ふ。内面的道徳の説は自分の啓蒙言である。


 道徳とは偏に如何に行爲す可きかを教へるものとすれば、換言すれば行爲の規矩準繩を教へるものとすれば、道徳の人生に於ける價値は矮小卑吝である。そは精神的生活の末梢に位する、粗大な、外面的な價値を表示するに過ぎない。犬は飯を食ひ、人は飯を食ふ。飯を食ふことは犬と人とを分つに由ない。乞食も兵役に服し、市民も兵役に服する。兵役に服すると兵役に服せざるとは乞食と市民とを分つに由ない、大奸も遜り聖者も遜る。遜ると否とは大奸と聖者とを分つに由ない。飯を食ふことによつて價値を判ずれば犬と人とは價値を等しくする。兵役に服することを以つて價値を判ずれば乞食と市民とは價値を等しくする。遜ることを以つて價値を判ずれば、大奸と聖者とは價値を等しくする。外面的道徳も亦此の如き笑ふ可き價値の標準に過ぎない。天と地との如き相違を有する内的生活は、行爲の外形に於いて往々類似の形式をとる。形式の共通する行爲の外貌は往々天と地との如く相異る内的生活を包藏する。
 内的生活の機微を識るものには、不信の内容にも天より地に至る迄の無限の階級がある。姦淫の内容にも西より東迄の無限の間隔がある。不幸の内容にも山から海迄の無數の高低がある。猶友情の内容にも天より地に至る迄の無限の階級があり、貞操の内容にも西より東迄の無限の間隔があり、孝悌の内容にも山から海迄の無數の高低があると同樣である。外面的道徳は内面生活無限の風光に與らない。豐富なる、多彩なる、陰影と明暗とに饒かなる精神的價値の世界に與らない。そは唯芋蟲の如く栗のイガを知る。そは僞善者の、商人の、法律書生の、教育者の、老人の、檢査官の道徳である。彼はドン・ホアンの罪と雷小僧の罪と、エデイツプスの罪と御酌を汚す老人の罪との高下を知らない。彼等は盜賊の罪と探偵の罪との美醜を知らない。彼等は失敗者の罪と成功者の罪との善惡を知らない。彼等は善人の罪と罪人の罪との眞僞を知らない。


 併し内面生活に生きることを知る者にも亦道徳がある。道徳は精神的價値の世界に緊張と威嚴と「眞實」とを與へる。内面生活を支配する道徳は法律書生の、檢察官の道徳とは全然別樣の基礎の上に聳える。如何に行爲すべきかは今や枝葉の問題となる。如何なる態度に心を置く可きか、如何に精神を闊歩せしむ可きか、之が最高關心の問題である。精神の高貴、心情の純潔、動機の純粹――之が内面的道徳の世界に於いて無比の尊崇を受ける。此の世界に於いては紀伊國屋小春は盛名ある某貴族夫人の遙に上位に置かれる。衣食の保證を得むが爲に夫に貞操なる者はマダム・ボー※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)リーの靴の紐を解くことを命ぜられる。黴毒の爲に狂死したモーパツサンは内面道徳の天國に在つて、體面國大總領僞善氏の地獄に墮つるを快げに瞰下する。ドン・ホアンは選ばれ、御酌の貞操を破る老人は面に唾して豚小屋の中の女豚に交る可く追放せられる。探偵は陰暗の國に困臥して盜賊の輝ける姿を仰視する。


 外面道徳の世界に在つては、潛かに姦淫する者は、自己の姦淫を告白する者を嘲笑し、壓迫し、監督し、危險視するの權利を有する。彼等は僞善といふ外面道徳最高の善徳を有するからである。僞善によつて姦淫の暗示と傳染とを防ぐからである。併し内面道徳の世界から見れば道徳的悔恨を以つてする者は固より、藝術的誠實を以つて其姦淫を告白する者も遙に僞善者の上に置かれる。彼等は少くとも悔恨と誠實との美徳を有するからである。彼等は自己の眞價値に從つて他人から取扱はれることを恐れない程眞率だからである。彼等は其姦淫から精神的偉大を創造する丈の力を持つてゐるからである。最後に社會と人類とを此精神的創造によつて高貴にするの效果を齎すからである。内面道徳の世界には何處にも二重道徳を一元的道念の上に置くの論理がない――


 かう云つたら外面道徳の信者は云ふであらう。これはこれ大乘の教説、社會の公衆を導くには外面道徳の小乘説を以てするを要すると。彼等の矮小卑吝は遺憾なく此の一言中に暴露されてゐる。内面道徳は姦淫を奬勵するものに非ずして、姦淫の中にも高貴卑賤の階級あるを説くものである。心情の高潔を説く者に何の危險があらう。汝の外面道徳を保持せむとならば、之を内面道徳より流出派生せしめよ。此の外に櫻は絶對的に存在の理由を持たない。


 外面道徳の專權は精神を萎縮し窒息せしめる。外面道徳の專權は人を野卑陋劣にする。今や法律書生と檢査官との道徳は白晝公然として街衢を横行し、内面の世界に生きむとする者は彼等の喧噪と惡臭とに堪へない。内面道徳の説なきを得ざる所以である。
(十二、十五)
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 解決されぬ儘に何時の間にか意識の闇に葬られて居た問題は、幾度目かに又俺の心に蘇つて來た。生活と生存と――眞正に生きることゝ食ふ爲めに働くことゝ――の矛盾は又俺の心を惱まし始めた。
 吸收と創造とは交錯連續して魂を其往く可き途に導いて行く。創造の熱が鎭靜の悦に代る時、餘裕を得たる魂は快く息づき、身邊を繞つて流れる雰圍氣をば大らかに呼吸する。此の時に當つては世界との接觸も外物との交渉も、魂にとつて何の苦痛でもない。吸收は限りなき悦びである。魂は快活に、肯定的に一切を包容して流れ動く。
 併し幾許もなく魂は外物に飽和する。世界は夢と影とに充ち溢れて重苦しく魂を壓迫する。處理を要する問題と展開を要する局面とは魂を未だ知らざる新しき世界に推し進めんとする。茲に於いて醗酵と苦悶と創造との時が押寄せて來る。魂は内に渦卷き溢れるものに集注し沈潛するに專らなるが爲に、外界との接觸に堪へない。内界の動亂に具象の姿を與へる爲に外物に攫みかゝることはあつても、靜かに外物を享樂して之と同化してゐる餘裕がない。心は熱に呻く。その脈搏は高まつて來る。外物の些細なる干渉も、創造の過敏なる神經を攪亂する。
 吸收も創造もそれ自らに價値ある生活である。魂は此二つの層の交錯を通して其終局に――或者はオリンプスの蒼空に、或者は地獄の深みに――急ぐ。併し此二つの層が食ふ爲にする勞働――職業――に對する寛容の度には著しい逕庭がある。生活と生存との矛盾は、魂が此二つの層に出入する毎に明滅する。明滅の度に相違はあつても、恐らく此矛盾は魂が肉體と共に在る間永久に人間を惱ますことを止めまい。
 吸收は餘裕ある状態である。物と遊ぶ間に自己を活かして行く状態である。從つて此場合には些細の讓歩を以つて――若しくは自己を活かす途そのまゝに、職業と調和することが出來る。外物と應接して倦まざる心は、或特定の外物と應接するにも、特殊の苦惱を感ずること少きを原則とする。固より全然内界に共鳴を喚起し得ざる事物は、魂に倦怠と苦痛とを感じさせるであらう。併し吸收の状態に在る時、魂は極めて多數の事物と共鳴し得る。魂はその共鳴を感ずる事物の間にも、肉體を支へるに足るだけの職業を發見し得る筈である。
 之に反して創造の要求はあらゆる經濟的活動と矛盾する。創造の熱に惱む心は一部分を割いて職業に與へることを欲しない。創造の活動を中絶する經濟的活動は常に創造の熱を冷却する。創造の成果が偶然に或經濟的報酬を齎すことはあつても、經濟的報酬の要求と豫想とは常に創造の作用を不純にする。魂が醗酵し苦悶して内界に何等かの建設を試みる時、職業の強制は腸をかきむしる程の苦しさを以つて魂の世界を攪亂する。
 俺の心には常に創造の要求がある。魂の底に潛む一種の不安は常に靜かなる外物の享樂を妨げてゐる。本を讀み乍ら、人と話し乍ら、外を歩き乍ら、酒を飮み乍ら、俺の心は常に最深の問題を胡麻化してゐる樣な不安を感ずる。道草を喰つてゐるのだと云ふ意識は常に當面の經驗に沒頭することを妨げてゐる。從つて俺には本當に我を忘れた朗かな吸收の時期がない。併し創造の脈搏緩かな時、俺は外物と應接することによつて紛れることが出來る。大なる苦痛なしに職業の人となることが出來る。
 然るに運命は今俺の内面生活を危機クライシスに導いた。死と愛との姿は今眼について離れない。内界の平衡は著しく傾いて、此儘にしてはゐられないと云ふ意識は強く俺の魂をゆすぶる。俺の心は今此意識に面して顛倒してゐる。俺は苦しい。俺は此問題に對して正面からぶつつかつて行きたい。俺は今創造の熱に燃えてゐる。今一息押して行けば忽然として新しい世界が現前しさうだ。固より俺の創造は例によつて否定に向つてゐる。併し凡ての決然たる否定は常に積極的の創造である以上、何處に否定を恐れる理由があらう。俺には此儘にしてはゐられないと云ふ心がある。此心を押しつめた處に、何等かの形で新しい世界が開けて來ない譯はないと思ふ。
 併し此創造は職業を棄てたる專念を要求する。さうして何時迄かゝると云ふ時間の豫約をして呉れない。然るに俺は貧乏人である。俺には借金があつても貯金はない、勞働をやめると共に俺は食料に窮する。のみならず病弱の母は藥餌の料に窮し、知識の渇望に輝く弟は學資に窮する。俺の創造は、俺の眞正の生活は、俺の今に迫る内部の必然は、俺の生存と矛盾する。母の健康と矛盾する。弟の前途と矛盾する。飛躍を要求する魂と、魂の翼を束縛する骨肉の愛と――俺は此矛盾をどうすればいゝのだらう。
 忽然として頭の中に一つの聲が響いて來た。其聲は非難する樣な調子で俺の魂に囁く。――お前がどうしても職業に堪へないならば、母と弟とのことは心配するに及ばない。運命は屹度お前に代つて彼等を見守つて呉れるであらう。運命が見守つて呉れないならば、彼等は自分で苦しんで勝手に其途を拓いて行くに違ひない。又お前の肉身を支へる爲にはお前の物質的要求を極小に制限すればいゝのだ。お前は貧乏だと云ひ乍ら、必要以上に贅澤してゐる。其贅澤な習慣を抛棄するだけの決心が出來れば、お前の魂の徹底を障碍する樣な職業を無理にする必要を感じなくなるであらう。御前が餓死するまでには隨分時間がある。其時間を利用してお前の創造に專念してはどうだ。それが出來なければお前の魂は未だ本當に危機に臨んではゐないのだ。お前の心にはまだ職業に堪へるだけの餘裕があるのだ。此の問題にはつきりした解答を與へて見るがいゝ。その上でお前は始めて生活と生存との矛盾を云々するの資格を得るのだ。――
 俺の魂には淋しい諦めと謙遜とが浮んで來た。俺が創造の熱に苦しんでゐることは確かである。併し此熱は俺の愛憐の情を破壞し、俺の生活上の習慣を轉覆し盡す程の力を持つてゐない。生活上の現状維持を根本假定とする以上、俺は職業の間を縫つて、内界の創造を仕上げて行くより仕方がない。創造の熱は職業の虐待に反抗して鬱積するであらう。さうして早晩鬱屈に堪へない爲に爆發するであらう。忍ばれるだけ忍べ。抑へられるだけ抑へよ。魂は劬らなければ育たない――之も一面の眞理である。魂は虐待しなければ育たない――之も一面の眞理である。抑へるに從つて潛熱が増す。魂のいのちは石垣の間に咲く菫の樣に、職業に奪はれる心の合間にも育つて行く。職業と魂とを堪へ難い迄に爭はせることも亦痛快な一經驗たるを失はない。放つて開かせる時期の來る迄俺は俺の爆發を抑へて行くのだ。
 固より此樣に抑へて行けば何時迄經つても爆發する事がないかも知れない。抑へなければ育つ筈のものが、抑へた爲に枯れて死ぬことがあるかも知れない。併し抑へた爲に枯れて死ぬ樣な弱いものならば仕方がない。運命は枯れて死ぬことを命じてゐる。枯れて死ぬことを命ぜられたものは從順に萎れて死んで遣る迄のことだ。
 此處に來ると金持は職業の爲に創造の熱を抑へる必要がない。金持を俺の境遇に置けば彼は何の躊躇もなく此迄の仕事を全然抛棄して了ふに違ひない。さうして彼は心の動く儘に本を讀み、温泉に行き、旅行をして、自分の魂を劬りながらその問題を育てゝ行くであらう。問題は育てられるに從つて育つて行く。彼は進歩した思想と平衡を得た頭とを以つて再び東京の生活に歸つて來る。彼にはその醗酵に自然の經過を與へる爲に、生活の樣式を一變する必要がない。愛憐の情を傷つけることもなく、物質的要求を抑へることもなく、爾餘のものを否定するの苦痛なしに、彼は素直に、長閑に一大事の肯定に進むことが出來るのである。
 併し俺の樣な貧乏人はさうは行かない。俺は温泉に行くことも、旅行に出かけることも出來ないから、依然として机に向つて頭の勞働を續けて行く。魂の問題は時々仕事に行惱む頭の中に現はれてその進行を妨げる。仕事が捗取らないから癇癪を起す。勞働に妨げられて内から湧く問題を抑へつけるから自分が果敢なくなる。而も怒つたり悲觀したりしてゐる間に、仕事は兎に角進んで行く。問題も牛の樣にノロ〳〵と其歩みを運んで行く。其間に或種類の思想と感情とは芽を吹くか吹かずに闇から闇に葬られる。或種類の思想と感情とは素直な姿を失つてヒネクレて行く。思想の胎兒を流産するの寂しさも、行きたい方に行かずにムヅ〳〵するの腹立しさも、金持の人は恐らくは(此意味に於いては)知るまい。知ることのよしあしは別問題である。併し運命が金持と貧乏人とを導くに別々の徑路を以つてすることだけは爭はれない。貧乏人は虐待によつて育つて行く。虐待は彼を夭死に導き、又は彼を獨特の成長に導く。
 要するに貧乏人の創造は金持よりも酷しい試金石にかけられてゐる。從つて金持が「何物か」になり得る場合にも、貧乏人は「無」で了るかも知れない。併し生育す可き魂にとつては、固より貧乏と金持との差別がある譯はない。
 俺は貧乏人だ。俺は職業によつて食つて行かなければならない人間だ。此事を本當に覺悟するのは容易なことではない。未練なる俺の心は時々金持の眞似をしたくなつてフラ〳〵となる。併し俺は貧乏人だ。俺の煩されざる魂の生活は「汝等明日の糧を想ひ煩ふ忽れ」といふ言葉の意味を眞正に體得することによつて始まるのだ。此關門を通過するのは容易なことではない。併し「生存の爲の關心」を撥ね退けた力が爾後の生活にとつて無意味に了る譯はない。俺は貧乏人として特殊の發達を遂げなければならぬ苦痛を恨んではいけない。
 出家とならずに、魂の救を得られるかどうかは疑問である。少くとも俺一人にとつては。


 生きる爲の職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。然らざれば全然魂と關係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を賣り、魂を墮落させる職業は最も恐ろしい。
 俺は牧師となることを恐れ、教育家となることを恐れ、通俗小説家となることを恐れる。
(大正二年四月廿二日)
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 物と物とを差別すると云ふことは、之を永遠に再會することなき並行線に分離させると云ふことではない。デカルトの哲學に於ける物と心との關係の樣に、差別される存在と存在とに無限の別離を申渡すことではない。差別された物と物とはまつはり合ひ、からみ合ひ、もつれ合ひ、融けあつて、最後に一つの窈深なるものに歸する。内容に於ける無限の差別は、窈深なる一つの生命を形成する必然的の要素である。差別の豐富を除いて生命の充溢なく、豐富なる差別の認識を豫想せずに、活き、動く生命の認識は成立たない。私は差別することを知らざるものの――祖先の用ゐ慣れた熟語を用ゐれば、菽麥を辨ぜざるものゝ――所謂「渾一觀」を信ずることが出來ない。彼等の世界には陰影ニユアンスがない、遞層グラデーシヨンがない。調和ハーモニーがない。交響シンフオニーがない。從つて又眞正の意味の戰鬪がない。彼等の世界には唯盲目なる動搖があるのみである。一切を包む夜があるのみである。思ひあがりたる渾沌があるのみである。
 生命を、創造を、統一を、強調するは歡迎すべき思潮である。然し此等のものを強調すると稱して、創造の世界に於ける差別の認識を、生命の發動に於ける細部の滲透を、念頭に置かざるが如き無内容の興奮には贊成することが出來ない。否、啻に贊成が出來ないばかりではなく、私は彼等の所謂「生命」、所謂「創造」、所謂「統一」の思想の内面的充實を疑ふ。


 個性を理解するに個性型(Individualtypen)を以つてすることがどれ位の程度まで妥當であるかは問題である。人間を差別するに哲學者政治家等の個性型を以つてし、藝術家を差別するに畫家彫刻家建築家文學者音樂家等の個性型を以つてすることがどれ位の程度迄妥當であるかは猶更問題である。併し人間の性格に哲學者政治家等に分化して行く可き自然の傾向があり、藝術家の空想フアンタジーに繪畫に據り彫刻に據り建築に據り文學音樂に據らむとする自然の個性があることは爭はれない。而して此等の個性型が或程度迄無限なる個性の變化を概括する用をなすに足ることも亦爭はれない。此限りに於いて政治家哲學者畫家彫刻家建築家文學者音樂者等の名は意味のある内容を持つてゐる筈である。然るに輕躁なる「生命崇拜者」は此等の差別の意味をも一笑に附し去らむとしてゐるやうである。
 其處に生命があれば必ず個性があることは論者も固より異論のない處であらう。さうして或個性型に屬する個性はその人格開展の方向を――その内界建設の資料を――色と線とにとり、或者は之を量と面とにとり、或者は之を音響にとり、或者は之を思想にとり、或者は之を言語を所縁とする空想フアンタジーにとる。ヘーゲル以來云ひ古した通り、顏料をとるか石塑をとるか樂器をとるかは、藝術家の世界に對して――その創造と生命とに對して――決定的の意味を有する事件である。方向の相異はそれぞれの個性にとつて、生命の必然なるが如く必然である。政治家と哲學者と、音樂者と彫刻家とを内面的に區別するものは實に彼等の生命そのものに内具する特殊の傾向である。個性はその特殊の内面的傾向を最もよく實現する時に最もよく「人」である。從つてマイヨールは彫刻家として最もよく人であり、チヤイコフスキーは音樂者として最もよく人であり、セザンヌは畫家として最もよく人である。ロダンが彫刻と共に素描に長じ、カンヂンスキーが繪畫を描くと共に詩を作り、ワーグナーが音樂と共に劇詩と評論とを能くする等、近代的天才には精神的事業の諸方面に渉る者次第に多きを加へて來たとは云ふものゝ、彼等と雖も或る特殊なる藝術的性格として、始めて其「人」を實現してゐることは疑はれない。カントは哲學者である、さうして音樂者ではない。ルノアールは畫家である、さうして建築家ではない。彼等が哲學者に限られ、畫家に限られてゐることは、彼等の「人」であることに對して決して何の妨げにもならない。否寧ろ彼等は哲學者であり畫家であるが故に始めて「人」なのである。天才は自己を「人」として自覺すると共に「或もの」(哲學者音樂家其他)として自覺する。彼の「或もの」が――彼の個性を眞正に生かす可き或るエレメントの支配が――彼の「人」の内容だからである。(此「或もの)が此等の個性型の孰にも落付くことが出來ない限りに於いて、吾人は彷徨の「人」であつて哲學者でも藝術家でもない。)
「俺は畫家ではない、人だ」と云ふ言葉は、「畫家」の中から「職人」を排斥して「生命」を強調する點に於いてのみ意味がある。眞正に自分の個性を自覺した人が、まともの言葉を使つて云ふ場合には「俺は畫家として人だ」と云ふ可きである。繪を描く人がその「畫家」を殺して「人」を生さうとするのは、「俺の繪はゼロだ」と云ふに等しい。此の如き自覺の下に描かれた繪畫には、筆觸と色彩と形式と構圖との虐殺があるのみである。戸惑ひのシンボリズムとアレゴリーとがあるのみである。


 藝術には技巧が必要である。と云ふ意味は資料(顏料、塑土、金石、言語等)のゲーニウスを完全に掌握することが必要だと云ふ意味である。更に適切に云へば資料のゲーニウス空想の精フアンタジーゲーニウスとが神會融合してゐることが必要だと云ふ意味である。從つて或資料のゲーニウスを完全に掌握してゐることは必ずしも他の資料を完全に掌握してゐると云ふことにはならない。或資料の中に實現されることを熱慕する空想世界は、往々他の資料を反撥して、その中に實現されることを嫌ふ。故に如何に彫刻の大家と雖も、強ひて顏料を以つてその空想を實現することを迫られる場合には、戸惑ひするのに何の不思議もない。彼は彫刻家だが畫家ではないと云ふ言葉は此點に於いてその意味を有するのである。
 既に藝術内に於いてさへさうだとすれば、藝術と思想との間に於いては此間隔が更に甚しいのは當然である。彼は藝術家だが思想家ではないと云つたり、彼は思想家だが藝術家ではないと云つたりするのは決して無意味な言葉ではない。吾々は一つの部門に於ける強みが直に他の部門に於ける強みではないことを眞正に理解して、自己の能力に對する眞實な愛惜と敬虔な謙遜とを持たなければならない。吾等の「人」として「藝術家」としての眞正の發展は此自覺を基礎として始めて迷はざる途をとることが出來るのである。
 固よりかう云ふのはあらゆる藝術的資料のゲーニウスを掌握し、一切の藝術世界に妥當なる空想を兼有して、その上に思想上の創造にも卓越してゐるやうな偉大なる個性の可能を否定するのではない。又偉大なる藝術家であることが偉大なる思想家であることの一つの資格であり、偉大なる思想家であることが偉大なる藝術家であることの一つの資格であることを否認するものでもない。偉大なる藝術家はその豐富な藝術的經驗を以つて、思想家に極めて貴重なる材料を供給し、偉大なる思想家はその精神的訓練と哲學的人生觀とを以つて深く藝術家を指導するは寧ろ當然のことである。私は唯彫刻家の完成が直ちに畫家の完成でないことと、藝術家の完成が直ちに思想家の完成でないことを明かにしたいのである。此の如くにして彫刻と繪畫と、藝術と哲學との間には差別を生ずる。さうしてその差別の中に、又奧に、大なる「人」の統一が君臨するのである。


 藝術は創造である。之は疑がない。併し藝術は創造であると云ふことは、一切の創造は藝術であると云ふ意味ではない。藝術は特殊の創造である。云はゞ第一の創造を描出する第二の創造である。藝術は一種の創造として人生そのものである。併し第一の創造(人生そのもの)を描寫するものとして、それは人生にあらずして、藝術である。云はゞ藝術は第二の人生である。
 藝術の内容は人生である。故に藝術家は大なる人生を經驗したものでなければならない。換言すれば大なる「人」でなければ、大なる「藝術」の創造者となることが出來ない。併し之は大なる人生を經驗した者が、換言すれば大なる「人」が悉く大なる「藝術」を創造し得ると云ふ譯ではない。大なる藝術の創造者は第一の創造を深く内面的に把握して、之を外化エキスターナライズし、之を感覺界に投射する第二の創造に堪へる人でなければならない。經驗を内化するが故に外化する祕義を攫んでゐる人でなければならない。此意味に於いて藝術家は「生」を深くすると共に「生」を殺戮する。此意味に於いて藝術家は質料を殺して「形式」を創造する。藝術家の個性は此形式フオームを外にして現はれることが出來ない。從つて藝術はなまのまゝではいけない、質料そのまゝではいけない。云はゞ第一の創造は第二の創造によつて新しく蘇へる。蘇へる爲には第一の創造がなければならない。蘇へらせる爲には第二の創造がなければならない。要するに大なる「人」と大なる「藝術家」と――男なるアダムと、アダムの肋骨から出たイヴと――の交りによつて大なる「藝術」は生れるのである。
 此の第二の創造に對して敬虔に跪くことを知らざる者は眞正に藝術を理解する者とは云ひ得ない。私はルノアールの繪に對する時――勿論原圖を見たのはたつた一枚であるが――此第二の創造の生氣溌剌たるを崇敬する。然るに人の語る處によればK氏はルノアールを唾棄すると云つたさうだ。私はK君の云つた意味を詳しく知らない。併しもしそれがルノアールの藝術に對する輕蔑をも意味してゐるならば、私はそんな人の藝術を信用しない。さうして其の人がセザンヌの繪の或エツセンシヤルな一面を理解してゐることをも信用しない。それにも拘らずK君の繪に或藝術的價値があるのは、K君の粗笨なる思索の※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ールの底に、未だ眞正に眼醒めぬ藝術家が隱れてゐるからであらう。私はK君の樣な有望な畫家が――私は敢て畫家と云ふ――未だその渾沌たる思想を恥づる迄に自覺して呉れないことを惜しいと思ふ。


 藝術が創造ならば、その中心生命は藝術品の如何なる細部にも滲透しなければならない筈である。私は色彩も筆觸も構圖も――換言すれば微細なる技巧テクニツクが――問題にならない樣な繪は信用しない。文章や句調や其他のデテイルが問題にならない樣な文學は信用しない。舞臺裝飾や採光や人物の出入や場面のとり方が問題にならないやうな演劇は信用しない。街路や家屋や服飾や裝飾品の一々に波及する傾向を持たないやうな「美術界の新潮流」は信用しない。


 藝術は自己内生の表現であると云ふ。湧き上る心をおし出したものであると云ふ。藝術家の個性の創造であると云ふ。凡て正しくその通りである。併しその表現される内生とは何ぞ。その湧上る心の内容は何ぞ。その個性によつて創造されるところのものは何ぞ。それは死んだ兒の着物をひろげて見せる三千代の姿である。サランボオの足に下に落ちてゐる金の鎖である。パオロの腕の上に見えるフランチエスカの顏とそのうしろにひいた腰の恰好とである。兩手を以つて髮を抑へてゐる裸の女と黒奴との上に落つる光である。それは凡て此等具象的のものであつて、藝術家の「哲學」でも、乾物の「個性」と「自己」とでも何でもない。もし表現を求める内生が、おし出して來る心が、個性によつて創造されるものが、此等抽象的のものならば、それが三千代となり、金の鎖となり、姿となり色となるのは餘りに間接に過ぎる。餘りに「おし出す」趣がなさすぎる。此等のものは哲學の講義となり、自己又は個性の讚美演説とはなつても、小説と彫刻と繪畫とにはならない筈である。唯藝術家の中からおし上げて來る内生が、姿であり色であり形であればこそ、その直接なる表現が藝術となるのである。藝術家の製作に當つて、直接にその意識に上つて來るものは、哲學や自己や個性であつてはいけない。此等のものは藝術家に作爲と強制と誇張と打算とを教へるにすぎない。藝術家の意識に上るものが色と形と姿とで――更に適切に云へば、いのちと融け合つた色と形と姿とで――あればこそ、その藝術は自然に直接に生氣があるのである。さうして藝術家の哲學や自己や個性は、自らその上に漂ひ、その中に顫へるのである。哲學や自己や個性の表現は自然の結果であつて努力の目的ではないのである。約言すれば藝術家の第一の努力は對象――物、自然、空想世界――の心の捕捉である。さうして藝術家の個性は對象を統覺アツパーシープする形式の上に、必然に、併し無意識に表現されるのである。
 吾等は此の如き見地から藝術家の自然――現在の意味に於いて自然は對象の一代表者である――に對する崇敬を理解することが出來る。自然と自己と孰れが原本的實在なりやは藝術家の關知する處ではない。彼等は唯自己の前に――哲學的に云へば自己の中に――展べられたる美の無盡藏を見る。さうしてその美を自己の藝術中に生擒せむと踴躍する。私の見る處では、藝術家の自然に對する態度の相違は、自然の本質に對する理解の相違である。物質的に見るか精神的に見るか、如何に深く、如何なる方面より、如何なる強調を以つて自然を見るかの相違である。若しくは對象を狹義の自然にとるか、抽象的形式にとるか、空想的自然にとるかの相違である。自然を殺して自己を活すか、自己を殺して自然を活すかの問題ではない。若し意識的に此デイレンマに陷つた藝術家がありとすれば、それは其人の論理的迷妄であつて、實際彼の藝術の價値を上下するものは此デイレンマに對する解答ではあるまい。形象(對象)の熱愛に動かされざる藝術家は、必ず無價値なる藝術を殘したに違ひない。
 ロダンの自然に對する崇敬は今更繰返す迄もない。彼の誇張は自己を表現する爲の誇張ではなくて、自然の心を生かす爲の誇張であつた。私の見る處では所謂表現派の代表者フアン・ゴーホの如きも實によく自然の心を攫み、物の精を活かした畫家であつた。ゴーホの強烈なる個性が常に畫面の上に渦卷いて、其中心情調をなしてゐることは今更云ふ迄もないことであるが、個性が猛烈に活きてゐると云ふことは物の虐殺を意味するとは限らない。彼の描く着物は暖かに人の身體を愛撫する、手觸りの新鮮な毛織である。彼の火は農婦の手にする鍋の下に暖かに燃えた。木の骨に革の腰掛をつけた椅子も、ガタ〳〵の硝子窓も、彼の繪の中には凡て活きた。彼の天を燒かむとするシプレスも、ゴーホの眼には確かにあの樣に恐ろしい心を語つたに違ひない。ゴーホは自然を心の横溢と見た。さうして自分も自然と一つになつて燃え上つた。併し私はゴーホの繪の前に、自然か自己かのデイレンマを見ることが出來ない。自己表現のイゴイズムが自然と物とを虐待してゐることを見ることが出來ない。哲學的に云へばゴーホの自然に生命を附與したものは固よりその特色ある個性である。併し藝術家ゴーホは自ら生命を附與した自然の前に跪いた。彼の活かさむとした處は、恐らくは自己でなくて自然であつたであらう。寧ろ自然を包む靈であつたであらう。
 藝術家は個性の修錬によつてその藝術的形式を獲得し精練する。此意味で藝術家に個性の修練を説くのはよいことである。又藝術を説明して表現であり創造であると云ふのは固より結構である。併し個性の表現とは作爲と打算との奬勵ではない。創造と云ふのは對象の壓迫と主觀の放恣(換言すれば客觀的有機性の蔑視)ではない。此點に就いて特に念を押す必要があるやうに思ふ。
(註。ゴーホはテオドールに送つた手紙の中に、「例へば一友の肖像を描くに、單に眼に映じた處に拘泥することなく、自己を強く表現する爲に、彼に對する余の愛を表現する爲に、勝手に誇張して着色する云々」、と云ふ意味のことを云つてゐる。その云ふ處は一見私の説に反對することばかりのやうである。併し少し考へれば兩者の間に精神上の矛盾のないことは直に明かになるであらう。勝手に誇張して着色するのは對象の外形を無視してその本質を表現する爲である。自己を表現し對象に對する愛を表現するのは換言すれば人を牽引し人を感動させる對象の力を表現することである。此處には自己表現と對象の本質の表現との間に何の矛盾もない。自己表現の中に對象の精を壓迫する何のイゴイズムもない。私の非難の理由は此矛盾此壓迫此イゴイズムにあつて、對象の表現に即する自己表現を難ずる意味ではないのである。)


 藝術家は對象を――物を、自然を、色を、線を、形を、空想世界を――活かすことによつて自ら活きる。對象を活かす外に決して自ら活きる途がない。
 藝術家らしい素朴を以て對象を自然と呼ぶも、又哲學者らしく之を自己と呼ぶも、それはどちらでも構はない。唯その自己は常に對象的内容を持つてゐることを忘れてはならない。
 藝術家は物と遊ぶものである。その血まみれ汗まみれの勞苦によつて到達せむとする究竟の境地は、物と遊ぶの歡喜ヲンネである。吾人の祖先が「天地の化育に參す」と云つたり、「萬物と遊ぶ」と云つたりした意味に於いて。シラーが「人は遊ぶ時にのみ完全に人である」と云つた意味に於いて。換言すれば物を深く、痛切に、而も自由に經驗すると云ふ意味に於いて。
 此意味に於いて物と遊ぶものには、如何に慘苦なる内容に對する時と雖も、根柢に靜かなる歡喜ルーエフオレヲンネがあるに違ひない。之はクラツシツクの藝術家のみならず、デカダンの藝術家にも表現派の藝術家にも適用するに違ひない。


 私達は戀愛によつて「成長」する。戀は成つても破れても、兎に角戀愛によつて成長する。併し成長する爲に、戀するのは、戀愛ではなくて戀愛の實驗エキスペリメントである。成長の目的が意識にある限り、その戀愛の經驗は根柢に徹することが出來ない。成長も破滅も此戀に代へられなくなる時に、戀愛は始めて身に沁みる經驗となる。さうしてその戀の結果として私達は成長するのである。
 之を一般的の言葉に移せば、私達は成長の目的を意識せずとも、凡て與へられたる經驗に深入りすることによつて成長(事實上)する。之に反して成長の意識は一度具體的經驗の深みに陷つて死ななければ、其目的を實現することが出來ない。成長の欲望を一度殺して蘇らせることを知つてゐる者でなければ、人生に於ける個々の經驗の意味を汲み盡すことが出來ない。その人の精神的生活の中心は永久に「成長の意識」に在つて、經驗内容の意識に移ることが出來ないからである。此の如き人生のパラドツクスは主我主義に固執する者が自我の内容を眞正に豐富にすることが出來ないのに似てゐる。


 俺は強いぞと云ふ言葉は本當に強い人にとつては云ふを要しないことである。本當に強くない人にとつては、云ふ可からざることである。否啻に云ふ可からざることであるにとゞまらず、彼は此誤信によつて身分相應の謙遜を忘れ、自己の眞相に對する自覺を誤る。さうして彼は自ら膨れることによつて内容を空しくする。
 曾て私は内省の過敏によつて苦しめられた。さうして殆んど内省の拘束なしに行きたい處に行き、したいことをなし得る人を羨んだ。併し私は今抑へる力の如何に眞正の生活に必要であるかを悟つた。膨れ上る力を抑へて、内に内にと沈潛して行くことによつて、私達は始めていのちの道に深入することが出來る。弱い者の人生に入る第一歩は自分を弱いと覺悟することの外にあり得ない。強い者に必要な謙遜は自分の強さを過信しないことである。鋭敏なる内省は如何なる意味に於いてもよいことである。私の罪は唯内省の過敏に釣合ふ程の旺盛な發動力を持つてゐないことであつた。此點に於いて私は本當に謙遜な心を以つて周圍の友人から學ばなければならない。併し私の内省は如何なる場合に於いても私の強みに違ひない。私は眞正の内省から出發しない思想の人間的眞實を信ずることが出來ない。
 眞正に強さを示すものはその實現である。敵對力の征服である。この實現なしに、強者は自己に對してもその強さを承認させることが出來ない筈である。少くとも思想上ゲダンクリヒにその強さを實現して見なければ――之は俺は強いぞと繰返すことではなくて、頭の中で想定した敵對力を實際ヰルクリヒに征服することでなければならぬ。――自分は強いとは云はれない筈である。若しこの順序を經ず、だしぬけに俺は強いぞと云ふ人があらば、私はその人の力の意識が内省の缺乏に因してゐることを何の疑惑もなく斷言することが出來る。若し又その事實により、その實現によつて眞正の強さを示す人があらば、私はその人の前に跪かうと思ふ。さうしてその人が自分の強さに就いて沈默すればする程、私は愈※(二の字点、1-2-22)その人を崇敬する。
 他人が眞正に強いか弱いかを檢査するのは、私の仕事ではない。唯繰返して云ふ、弱者は唯その弱さを自覺する處に人生の第一歩がある。さうして弱者と雖もその行く可き道を與へられてゐないのではない。弱者の行く可き道にも幾多の懷かしい先輩が我等を待つてゐるのである。弱者は決して強者の口眞似をすることによつて強くはならない。強者の眞似をすることによつて弱者は唯膨れるのみである。青膨れ又は赤膨れになるのみである。私は此の事を私自身の爲めに、又私自身と同じく弱い人達の爲めに云つて置きたい。
(九月十一日)
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 私は此一兩年になつて始めて自分より若い人の存在を感じ出した。此感じは一種不思議な經驗として、私に刺戟と鞭韃と悲哀とを與へてゐる。私は未だ此新しい經驗に馴染むことが出來ない。私の心は一種物珍らしい落付かない驚きを以つて、此新しい感じを――私の意識内に於ける新來の珍客を、右から左から眺めてゐる。
 此迄私は唯思想文藝の世界に於ける最も若いゼネレーシヨンとのみ意識して、何の不思議をも感じなかつた。私の前には先輩がゐた、私の周圍には私と同じ樣に自分の世界を開拓して行かうとする友人がゐた。さうして私のあとから來るものは、未だ思想上文藝上何の問題とするに足らぬ子供ばかりだと思つてゐた。私は自分を日本に於ける最も若いゼネレーシヨンだと信じて、唯現在を開拓すること、未來を翹望することにのみ生きて來た。
 現今と雖も、私は自分を如何なる意味に於いても完成品だなどとは思はない。自分の本當の仕事も――否、寧ろ本當の準備も、本當の創造に備へる眞劍な吸收も、凡て之からだと思つてゐる。併し自分でも知らずにゐる間に、日本の社會にはいつしか更に若いゼネレーシヨンが生れた。自分より年の若い幾多の人々はそれ〴〵活氣の多い、注目に値する仕事を始め出した。さうして彼等の或者は自分よりも更に新しい時代に育つて來た特徴を、鮮かにその思想と文藝との上にあらはすやうになつた。私は次第に自分より若い人の存在を信じない譯に往かない樣になつて來た。
 さうしてゐるうちに、彼等と私との間に色々の私交が生れて來た。彼等の或者は私の宅へ尋ねて來たり、手紙を寄せたりして、樣々の相談を持込むやうになつた。さうして彼等は私を遇するに先輩を以つてした。何等かの意味に於いて「與へる者」に對するが如き態度を以つて私に對した。從來單に「受ける」者としてのみ生きて來た私は――現今と雖も「受ける者」以上の資格を持つてゐると自信することの出來ない私は、此新しい待遇に對して不安と壓迫と不思議とを感ぜざるを得なくなつた。併し私の如何なる遁避も、私を「與へる者」として待遇する少數の人の存在を防遏する譯に往かない。自ら知らぬ間に、私は小なる先輩の一人になつてゐることを感ずる。私の内省のあらゆる抗辯に拘らず、社會的に云へば私は小さい先輩の中の一人になつて了つたに違ひない。悲しむべき自覺は私にこの事實の承認を強ひる。
 さうして此悲しむ可き自覺は、若い人達――私自身がこんな言葉を使はなければならないやうになつた。何と云ふ驚きだらう――との交りによつて、内容的にも亦確められざるを得なかつた。彼等との親しい交りによつて、私は彼等の或者が嘗て自分の經過した道を新しく經過する爲に苦しんでゐることを發見した。又私が落付いて正視するを得る事物の前に、彼等が困惑し動亂してゐることを發見した。併し之と同時に、私は彼等が新鮮なる感情と驚異とを以つて對する若干の事物に、最早同樣の感情と驚異とを以つて對する事が出來なくなつてゐることをも感ぜざるを得なかつた。さうして私の年少時代に與へられなかつた若干の經驗が彼等に與へられて、その精神の一養分となつてゐることをも亦感ぜざるを得なかつた。要するに私は彼等によつて、嘗て私の中に經過したものと、既に私の中に死滅したものと、運命が私に與へ惜んだところのものを發見せざるを得なかつた。此等の發見は私に「經過」を思はせた。漸く三十になつたばかりの私にも既に「過去」と云ふものがあることを思はせた。悲しいことには私が「先輩」になつてゐることは最早何の疑もなかつた。私は年と共に益※(二の字点、1-2-22)痛切を加へ行く可き此新しい經驗の萌芽に面して困惑を感ずる。
 併し此自覺は單に悲觀的の色彩をのみ帶びた經驗ではない。私は此自覺と共に、從來の樣々な疑惑と混亂とに拘らず不知不識の中に私の人格に凝成した些細な或者を感ずる。從來の模索と瞑搜との底に、些細ながらも或「確かなもの」のいつしか出來かゝつてゐることを感ずる。「更に若いゼネレーシヨン」との相違如何に拘らず、私には私の爲に與へられた一つの道が開けてゐることを感ずる。さうして之と共に「更に若いゼネレーシヨン」の功過を批評すべき人生の視點を與へられてゐることを感ずる。大體から云へば先輩と云ふ名は私にとつて甚だ厭ふ可き名である。併し自然の齎す善惡一切の經過は到底人力の能く囘避する處ではない。私は唯年少諸友の狂奔に對するにたじろがざる沈着と獨立とを以つてして、先輩と云ふ名の淋しさと果敢さとを堪へて往きたいと思ふ。


 私は中學校から高等學校にかけて内村鑑三先生の文章を愛讀した。出來るならば先生に親炙して教を請ひたいと思つてゐた。之は私のゐた高等學校の位置と便宜の上から云つて決して出來ないことではなかつた。私の友達は段々先生の私宅を訪問したり、日曜日の聖書講義に出席したりするやうになつて來た。併し私は私の個性の獨立が早晩明瞭に發展して遂に先生に背かなければならぬ日が來ることの恐ろしさに、先生の親しい御弟子になる氣にはなれなかつた。思想の分立は遂に生活の分立となるは洵にやむを得ざる自然の經過である。併し、此最後の日の豫想は――先生の感ぜらる可き淋しさと、私の感ず可き苛責との豫想は、私の勇氣を挫いた。私は勇氣ある諸友の斷行を羨みながら、自分は依然として先生の文章にのみ親しんで、遠くから隱れて先生の感化に浴してゐた。
 私は私のとつた態度を他人に薦めようとは思はない。今の私が本當に崇拜す可き人を發見するならば、あの樣な痴愚にして卑怯な態度をとらずに、逡巡しながらもその人の膝下に跪くに違ひないと思ふ。併しその時分にはどうしてもそれが出來なかつた。さうしてそれが出來なかつた心持が今でもまざ〳〵と私の記憶に殘つてゐる。
 今になつて事情が轉換した。さうしてこの轉換した事情の上から、私は近頃又あの時分の心持をしみ〴〵思ひ返して見るやうになつた。私の性格から云へば、私は一生かゝつても先生の樣なセンセーシヨンを起すことが出來ないにきまつてゐる。併し小さくかすかながらも兎に角私は先輩の一人になつた。私の周圍には二三の「求める者」がゐる。從つて私は先輩の虚名に伴ふ特殊の離合を經驗す可き地位に置かれてゐる。嘗て内村先生の爲に考へてあげたことが、今は自分の爲に考へなければならないやうになつた。どんな意味に於いても別離は淋しいものである。
 さうして嘗て求めるに怯懦であつた心は、今や與へるに逡巡する心となつて私に隱遁の誘惑を投げてゐるやうである。併し私ももう羞恥の情にのみ支配される紅顏の少年ではない。私も少しは強くなつた。私はもう求める者の身邊にあることを恐れない。詳しく言へば、逡巡はするが退却はしない、はにかみはするが隱遁はしない。求める者を身邊に吸收することを嫌ふが、求める者の自然に集つて來ることをば恐れない。
 私の身には或る些細なものがあるやうだ。之が他人の發育に滋養となるならば、勝手に近づいて勝手にこれをとつて行くがいゝ。もし滋養分をとる爲に近づいても、其實彼等を益する何物もないのに失望するならば、勝手に自分を捨てゝ走るがよい。もし又自分の中から吸收し得るものは吸收し盡して、最早私に用がないならば、自由に私を離れて新しい途を往くがよい。此等の一切は私の本質に何の増減する處もない。求める者の集散去來に拘らず、私は常に私である。私の中には或る些細なものがあるやうだ。此些細なものを生育させるのが私の唯一の本質的事業である。
 此迄も自分の奧底の問題に觸れる毎に、自分は常に孤獨であることを感じて來た。先輩も友人も父兄も愛人も自分の奧底には何の觸れる處がないことを感じて來た。さうして此孤獨に堪へて來た。私は今後と雖も、此孤獨の心を以つて求める者の去來を送迎するの寂しさに堪へることが出來ることを信ずる。求める者の到着を迎へる空しい華かさも、去る者の遠ざかり行く影を見送る切ない寂しさも、その時々の過ぎ行く影を投げるのみで、私の本質的事業には何の影響する處もないことを信ずる。「求める者」が隊をなして自分を圍繞しても、私の魂は遂に孤獨である。「求める者」の群が嘲罵の聲を殘して遠く去つても私は常に私である。
 私は「求める者のむれ」を持つてゐない。さうして私の周圍にゐる二三の求める人は未だ一人も私を捨てない。併し神經質な私の心は、此等二三の友人との間に、屡※(二の字点、1-2-22)小なる別離と小なる再會とを經驗する。さうして更に大なる別離と再會との心を思ふ。來る者を拒まず去る者を追はざる程の覺悟は既に私に出來てゐると信ずる。願くは去る者を送るに祝福を以つてする程の大いなる心を持ちたい。少くとも思想の上でその先輩に背かない樣な後輩は、要するに頼もしくない後輩に相違がないのだから。


 崇拜者を求める爲に徒に聲を大きくして叫びたくない。崇拜者をつなぎとめる爲に、徒におどしたりすかしたりしたくない。之は私の樣な性格と境遇とにゐる者には殆んど何の誘惑にもならない心持である。併しもつと華かな、もつとセンセーシヨンを以つて迎へられるやうな性格と境遇とにゐる友人には、少くとも無意識の底に多少の誘惑になつてゐるらしい。
 崇拜者の歡呼に浮かされて不知不識いゝ氣になつて納まつて了ふことは先輩に與へられる誘惑の一つである。自己の内生に對する感覺が鈍麻して、環境に對する神經のみが過敏になつて了ふことは先輩に與へられる一つの誘惑である。崇拜者の歡心を買ふに專らにして、内生の流動を公表するに怯懦となることは先輩に與へられる一つの誘惑である。殊に年少諸友の狂奔に暗示されて、自己の進路に迷ふ樣な先輩は憐憫に堪へない。
 吾人は年少諸友の傾向を批評するに臆病であつてはいけない。吾人は「求める者」の群を捨てゝ新しい途に進むだけの勇氣を持たなければいけない。要するに自然によつて與へられた先輩の地位を、何等の意味に於いても、内なる「人」を縛る力としてはいけない。
 ロマンテイクの運動が始まつてもゲーテはたじろがなかつた、さうして靜かに落付いて自分自身の途を進んだ。


 眞正に自己の生命を愛惜する者は模倣と獨創との意味を深く理解して置く必要がある。模倣を嫌惡する意識と暗示に對する敏感とが手を携へて増長して行くことは注目すべき現象である。獨創を求める意識と作爲誇張とが蔓を並べてはびこつて行くことは看過す可からざる事實である。その結果として生れるものは獨創の外見とフレテンシヨンとの中に模倣の内容を盛つた鼻つぱしの強い思想と文藝とである。
 新しい言葉と珍らしい思想との刺戟にひかされて、此新しい言葉を綴り合せ、此珍らしい思想をはぎ合せて嬉しがつてゐるのは、淺薄な、無邪氣な模倣である。此の如き模倣の經驗は私達の少年時代にも隨分あつた事である。今でも中學や女學校にゐる文藝愛好者の多數は、恐らくは此種の模倣衝動に浮かされてゐることゝ思ふ。此種の文藝には珍らしがり、新しがりの臭氣が著しく人の鼻を衝くから、他人も當人も此種の模倣によつて欺かれることが少ない、淺薄なだけに罪も少く又害も少い。
 併し模倣とは此種のものばかりだと思ふのは大なる誤である。新しがり、珍らしがりの意識から出てゐるのでないから模倣でないと云ふ申開きは成立たない。模倣の深いもの、精かなものは「意識」に現はれずに「心」に潛んでゐる。「意志」にあらはれずに「本質」に隱れてゐる。模倣者に模倣せむとするつもりがなくとも、猶彼のする處は模倣に過ぎない場合が決して少くない。現今の青年によつて嫌惡されること模倣の名の如く劇しいものは滅多にないであらう。それにも拘らず彼等の思想文藝の多くに模倣の名を強ひなければならないのは悲しむ可き事實である。
 模倣とは個性の底から湧いて來ない一切の精神的營爲に名づけらる可き名である。起源オリヂンを外面のあるものに發し、經過の方向を外面のあるものより來る暗示によつて規定される行動は總て模倣である。碎いて云へば、自分の中から發する自然の衝動が溢れ出るのでなしに、眼に視耳に聽いたものに動かされて、視聽に映じた外部的存在と同じ型に從つて行動するものは總て模倣である。從つて模倣せむとする意志がなくとも猶模倣の事實がある。如何に興奮と熱情とを以つてする行爲の中にも猶模倣の事實がある。模倣を嫌惡する強烈な意識と獨創を誇りとする勇猛な自覺の下になされた行動の中にも猶模倣の事實がある。或る行動が模倣でないことを證據立てるものは興奮でも熱情でも獨創の自覺でも何でもない。それは唯興奮と興奮との推移の間に證明される深い人格的の連續性である。その行動がその人の全生活全生涯を押通して行く深い貫徹性である。この連續性と貫徹性とによつて證據立てられない行爲は、總て獨創として承認されることを要求する資格がない。此連續性と貫徹性とを裏切る樣な經過をとる一切の行動は、如何に興奮と熱情と獨創の自覺とを以つてするものと雖も畢竟するに模倣である。今の人は獨創と云ふことを餘りに廉價に考へ、模倣と云ふことを餘り淺薄に解しすぎてゐるやうだ。私達は自らに獨創の名を許すことが容易でないことを思ひ、自分から模倣の名を斥けるには深い内省を要することを思はなければいけない。
 性情の輕薄で頭腦の雋敏なものは、外來の刺戟によつて容易に興奮する。さうして熱情と無意識(若しくは獨創の輕信)とを以つて模倣的に行動する。彼の模倣を證明するものはその興奮と興奮との間に人格的の連續がないことである。外來の刺戟に差等を附する人格的の判別が働かないことである。強力なる刺戟を反撥する餘儀なさと、世間の潮流と背進する寂しさとを知らないことである。外來の刺戟によつて生ずる興奮と興奮との間に、自ら道を開かむとする要求を感ぜざる懶惰が挾まれることである。彼等は自然主義來れば自然主義によつて興奮し、浪漫主義來れば浪漫主義によつて興奮する才人である。個性と獨創とを要求する聲が盛んとなれば、個性と獨創とを要求する叫びをさへ模倣し得る程「幸福」な人である。實際頭腦の雋敏な才人は、その興奮を抑へて内省するだけの底力を持つてゐない限り、殆んど模倣者に墮することを免れることが出來ない。彼等が模倣を斥け獨創を誇りとするの輕易なることは寧ろ彼等の模倣性に富む證據である。
 先輩の影響は唯個性の萌芽を成育せしめる際にのみ、進路に困惑する個性の爲に新たなる道を指示する際にのみ、獨創の助けとなる。其他の影響は暗示にすぎない。模倣性の刺戟に過ぎない。此事は私一個の經驗として、私の閲歴から來る懺悔としても亦云ふを得ることである。
 教育學者の説によれば模倣は兒童の發達に缺く可からざる階段であると云ふ。恐らくは教育學者の云ふ處に誤があるまい。併し模倣者が獨創者として自ら誇ることは孰れにしても不遜にすぎるやうだ。自ら知らざるに過ぎるやうだ。私は年少の諸友に向つて模倣と獨創との意味を再考することを要求したいと思ふ。


 自分の天分を問題とすることは近來の一風潮である。さうして此問題に觸れる人は大抵自分は強いと云ふ自覺を得て自分のちからの意識に就いて飽くことを知らざる享樂を恣にしてゐるやうである。私は此の自覺を諸友と共にすることが出來ない自然の結果として、此等の人の自信に對しても亦多少の疑惑を感じない譯に行かないが、併し私には此等の人の内省に立入つて其缺陷を指摘するの資格もないし、又此の自信を持つことそれ自身は彼等にとつて非常の幸福に違ひないから、彼等の爲に之を悲しまうとも思はない。併し此自信が彼等の中に如何に働いてゐるかに就いては、多少の憂慮がないでもない。
 或る天分を持つてゐるといふことは、その天分が實現して價値ある精神内容を創造することによつて始めて意味のあるものとなる。天分の有無は唯精神内容の創造に堪へるか堪へないかの問題に對する準備として始めてその意義を生ずるのである。從つて精神内容の創造に沒頭する人は大抵天分の問題を第二義の問題として閑却する。自己の天分に對する意識がなくとも、精神的内容の創造に堪へ得る人は寸毫もその價値を減じない。實際天分に對する神經過敏なる顧慮を缺くことは第一流の天才に共通なる特徴のやうに思はれる。彼等の内生の異常なる豐富と※(「扮のつくり/土」、第4水準2-4-65)湧とは、輪廓に對する顧慮を問題としてとりあげてゐるの餘裕をなくなすからであらう。
 併し或種の天才は自分のちからに對する自信がなければ精神内容の創造に堪へない。自己感情の興奮を原動力として、彼は始めて精神内容の創造に猛進することが出來るのである。此の如き人の精神的所産には、必ず強烈なる自己崇拜の色彩を伴つて來る。併し此際に在つても價値あるは精神的内容の精彩と芳烈とであつて、自己の耽溺にあるのではない。ニイチエの勇ましく慘ましい哲學を除いて、彼の自我狂エゴマニヤが何であらう。彼の自己崇拜は、彼の精神的創造によつて許容と是認とを受く可き附加物に過ぎない。
 自己の天分を問題としてゐる先輩同輩を通じて、私にも同感の出來るのは殆んど武者小路君一人の心持だけである。私の見る處では、彼は先づ認識論から始めなければ承知の出來ない哲學者のやうに、自分の天分に對する強烈な自信がなければ精神内容の創造に猛進することを得ざる弱い(此だけの意味で弱い)性格を持つてゐるやうに見える。それで彼は「お前には力があるかどうだ」と反復自問自答した。さうして最初には屡※(二の字点、1-2-22)自信の動搖を感じて失望したり寂しがつたりした。併し内省の反復と共に彼には次第に自信が出來て來た。さうして彼は此自己感情の興奮を原動力として自分の事業に安んずることが出來るやうになつた。從つて此問題に對する彼の態度には内部的必然性を見ることが出來る。さうして此問題に對する肯定によつて精神的創造を勵まして行く趣を看取することが出來る。私は此意味で彼の自己崇拜を是認する。而も彼の價値はこの感情によつて仕上げて行く精神的創造の内容にあるので、自己崇拜の感情そのものゝ如きは其價値の末の末にすぎない。さうして彼の強烈な自信の當否は畢竟將來に於ける事業の分量によつてのみ決定される問題である。
 併し武者小路君の結論を以つて直ちに其出發點とする年少諸友の自己肯定には、之と同じ位に深い根を認めることが出來ない。少くとも彼等の文章には之と同じ位に深い根を認めることが出來ない。凡そ或人の強いことを證明するものは之に敵對する偉力の征服である。險難を通じて其途を開いて來た閲歴である。此閲歴を提供せずして、其強さを承認させることは自分自身にとつても出來ない筈である。況んやその強さが客觀的妥當性を得るが爲めには、「俺は強いぞ」と云ふ宣言だけでは到底駄目である。然るに年少諸友の或者は此閲歴の報告をする前に、だしぬけに「俺は強いぞ」と云ふ。さうして之によつて他人を凌辱する當然の權利を要求する。併し第三者から見ればこの種の強がりは一種の愛嬌にすぎない。本當に強い者は敵對力の征服によつて自己を語るがよい。さうして自己の力を宣言することは強者をして更に強きものたらしむる所以ではないのである。
 自己のちからに對する享樂は事業の成績のあり餘る人にのみ許される處である。假令その人格の中にちからが渦卷いてゐることを感ずるにしても、その貧弱なる實現と貧弱なる征服の記録を恥づる者は自己感情の興奮に耽溺すべきではない。ちからの必然の發現は詠嘆ではなくて事業である。さうしてちからの天賦が少い者と雖も、之を最もよく實現することによつて最もよく生きることが出來ることを知る者にとつて、天賦の大小は要するに第一義の問題ではない。
(九月八日)
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 自己の天分に對する自信は、その天分の發展にたじろがざる歩調を與へるであらう。自己の力に對する自覺は、艱苦との鬪爭に屈撓せざる勇氣を與へるであらう。さうして自己の「成長」に對する意識は、その成長のいとなみに朗かなる喜びを與へるであらう。その限りに於いて、此等の自覺と意識とは、歡迎せらる可きものに相違ないのである。
 しかし自己の天分と力と「成長」とを不斷の意識として、反復念を押して喜んでゐることは、必ずしも自己を大きくする所以ではない。輪廓の大小強弱に拘泥する心は、往々その生活内容に對する餘念のないいとなみを閑却する。抽象的なる「自己」に執する心は、往々自己の内容が全然そのいのちの中に開展する「世界」の充實と豐富とにかゝることを忘れる。さうして「自己」の名のために却て「世界」を貧しくする。換言すれば自己の輪廓のために却て自己の内容を空しくする。彼等は自ら住まむがために家を建てるかはりに、垣根の修繕にその日を暮す愚かな人たちである。
 又自己の天分と力と「成長」とに對する不斷の懸念は、往々その公正なる内省の力を鈍くして、自己の周圍に徒らにはなやかなる妄想ワーンのまぼろしを描き上る。心の世界の中に内容自意識との二つが分離して、神經は專ら自意識の上にあつまり、自意識はその内容と實力とに無關係に、自分勝手に大きく膨れる。さうして内容と實力とは尨大なる自意識の薄暗い下蔭に日の目を見ぬ草のやうに影の薄い朝夕を送つて行く。自意識と生活内容との懸隔甚だしくなるにつれて、彼等の次第に接近し行く方向は誇大妄想狂と云ふ精神病である。さうして彼等の自信と並行して昂進するものは、第三者の眼に映ずる空虚と滑稽との印象である。彼等の住む國は「自己」の末梢ペリフエールである。中樞ツエントルムは末梢の病的成長につれて萎縮の度を加へる。彼等は象のやうな四肢と、豆のやうな頭を持つ怪物として、自己の外廓をめぐる塵埃の多い日照道を倦むことなき精力を以つて匍匐して行くのである。併し無窮の匍匐も遂に彼等を眞正なる自己の國に導くことが出來ない。眞正なる自己の國に導く力は、どう〳〵めぐりではなくて、掘り下げ、推し進め、かつぎ入り、沈み込む力でなければならない。生活内容に對する――眞正の意味に於いて自己の「現實」に對する――公正な氣取り氣のない自覺は、先づ吾人に力の集注と結束とを教へる。更に生活内容そのものに内具する「神聖なる不安」は吾人に進撃と爆發との力を與へる。さうしてこの内容の實相に對する自覺と、内容の不安から推し出される張力とは、天分の大きいものと小さいものと、力の強いものと弱いものとの差別なく、各人を自己開展の無限なる行程に驅り出すのである。此やむにやまれぬ内部的衝動に驅らるゝものは、右顧左眄するの餘裕がない。(天分の大小強弱を問題とするは要するに右顧左眄である)。與へられたる素質と與へられたる力の一切を擧げて、專心に、謙遜に、純一に、無邪氣に、その内部的衝動の推進力に從ふ。眞正に生きる者の道は唯この沈潛の一路である。いのちの中樞を貫く、大らかな、深い、靜かな、忘我によつて實在の底を搜る心を解する者の一路である。外部との比較と他人の輕蔑とを生命とする所謂「自己肯定」はあづからない。自我の末梢に位する神經過敏はあづからない。


 沈潛のこゝろを解せむと欲するものは、「神聖なる無意識」の前に跪くことを知らなければならぬ。
 俺は偉大だぞと意識する者の中に、必ずしも「偉大」が存在するのではない。自己の偉大に對する意識が全然缺如する處に、必ずしも「偉大」が存在しないのではない。偉大と云ふ事實は、俺は弱小無力だと感ずる碎かれたる意識の底にも、猶存在しないとは限らないのである。眞正の偉大は無意識の底にあるので、意識の表面に浮草のやうに漂つてゐるのではない。偉大の意識は慾望の生むまぼろしとして、自己の眞相を覆ふ霧のやうに湧いて來ないとは限らないのである。意識と無意識との間に行はるゝ微妙なる協和不協和の消息を知らない者は、俺は偉大だと叫ぶ處に、本當に偉大があるのだと思つてゐる。さうして俺は偉大だぞと云ふ御題目の百萬遍を繰返すことによつて自己を偉大にし得ると妄信してゐる。併しこの御題目の功徳によつて顯現するものは唯萍のやうな偉大の意識であつて底から根を張つて來る偉大の事實ではない。意識と無意識との矛盾を解する者は、偉大の意識の中にも眞に侮蔑に堪へたる空虚と自己諂諛とを見る。さうして弱小無力の意識の底にも、涙を誘ふ純一と無邪氣との中にスク〳〵と延び行くいのちの尊さを看過しない。
 私は刻々に推移する氣分の變化の、意識の把住力を超越し、意識の抗拒力を超越して、恣に出沒することを感ずる。私は私の心の奧に、或知られざるものゝ雲のやうに徂徠し、煙のやうに渦を卷いてゐることを感ずる。さうして私は私の心の底にある無意識の測り知る可からざる多樣のこゝろを思ふ。
 私は逡巡を以つて始めたことの思ひがけぬ熱を帶びて燃えあがる驚きを經驗する。悲觀と萎縮との終局に、不思議なる力と勇氣とが待受けてゐて、窮窘の中にも新しい路を拓いて呉れることを經驗する。さうして私は意識の測定を超越する私の無意識の底力を思ふ。
 私は又力の湧き立つ若干の日と夜とに、身も挫けよとばかり衝當る勢の、徒らに冷かなる扉によりてはね返される焦躁を經驗する。力の蓄積が缺乏を告げて、張りつめた勢が、空氣枕から空氣が拔け去るやうに音を立てゝ拔け去る刹那を經驗する。さうして私は意識の果敢なさと無意識の深さとのこゝろを思ふ。
 又私は自ら努めず自ら求めざる無心の刹那に心の果實の思ひがけもなく熟して落つる響に驚かされる。無意識の中に行はれたる久しき準備と醗酵とが、天惠の如く突如として成熟せる喜びにいそ〳〵とする。さうして私の心は頻りに此無意識の讚美が一紙を隔てゝ運命と他力との信仰に隣することを思ひ、何時の日か迷妄マーヤの面※(「巾+白」、第4水準2-8-83)が熱の落つるやうに落ち去る可きことを思ふ。
 神聖なる無意識に跪くこゝろは、私に弱いものゝ前に遜ることを教へた。大らかに、ゆるやかに、深く、靜かに歩みを運ぶことの、喧噪しながら、焦躁しながら、他人の面上に唾を吐きかけながら、喚叫しながら、驅け出すよりも更に尊いことを教へた。それは又待ち望むことゝ、疲れたときに休むことゝ、力の拔けたときに怠けることゝ、巫山戲たい時に巫山戲ることゝ、結果と周圍とに無頓着に内面の聲に從ふなげやりの快さとを教へた。さうして私の心は此等の緊張と弛緩との幾層を通じて、不斷に或る人生の祕奧に牽引されることを感ずる。何處に往くかはわからない。何處まで行けるかもわからない。併し私の心に牽引されるちからの存在する限り、私は兎に角何ものかに沈潛するのである。さうして力盡きた時に破滅するのである。
 私は自己の天分の強さと「成長」とを造次も忘れることの出來ない文士よりも、寧ろ貧苦の中にその妻子を愛護する農夫の間に、戀愛の熱に身を任せて行衞も知らぬ夢又夢の境を彷徨ひ行く少年男女の間に、遙かに眞率にして純一な、しめやかにして潤ひのあるいのちの響きを聽く。
 生活の全局を蔽ふ深沈なる創造のいとなみに從ふ者は、固より困惑せる農夫と少年との無意識を以て滿足すべきではない。彼は無意識に伴ふ安詳にして鞏固なる意識を――明かに眞實を見る内省と、障碍と面爭してたじろがざる自信とを――持つ必要がある。併しいづれにしても無意識は君主にして意識は臣僕である。無意識の君主を蔑視するものは――「無意識」の神聖なる祭壇を蹂躪して我は顏をするものは、必ず神罰を蒙つて、眞實を視る眼と、人生を味ふ心と、實在に沈潛する力とを奪はれるに違ひない。


 沈潛のこゝろを解せむと欲するものは、内省の意義を蔑視することを許されない。
 内省は自己の長所を示すと共に又その短所を示す。内省は自己のちからを示すと共に又その弱小と矛盾と醜汚とを示す。内省の眼は、苟もそれが眞實である限り、如何なる暗黒と空洞の前にも囘避することを許さない。故に内省は時として吾等を悲觀と絶望と、猛烈なる自己嫌惡とに驅る。眞實を視るの勇なき者が、常に内省の前に面を背けて、その人生を暗くする力を呪ふのは洵に無理もない次第である。併し胸に暗黒を抱く者は、その暗黒を凝視してその醜さを嘆くの誠を外にして、暗黒から脱逸するの途がない。眞實の直視から來る悲觀と絶望と自己嫌惡とは、弱小なる者を生命の無限なる行程に驅るの善知識である。暗黒を恐れる者は、悲觀を恐れる者は、さうして此等のものを生むの母なる内省を恐れる者は、到底人生に沈潛する素質のない者である。
 内省は時として理智の戲れとなる。力強い無意識の背景を缺く時、空洞なる者は空洞なる自己を觀照することによつて、其處に果敢ない慰めを發見する。無意識の底から押し上げて來る「神聖なる不安」を原動力とせざる限り、内省は唯まぼろしの上にまぼろしを築く砂上の戲れに過ぎない。さうして此の如き理智の戲れは直ちに情意の方面に於ける悲哀と憂愁との耽溺を伴つて來る。此種の内省、此種の多涙が、自意識の耽溺、「自己肯定」の耽溺と共に人生の左道たることは云ふまでもない。否、憂鬱症メランコリヤが誇大妄想狂や躁狂に比して一層不幸だと同じ意味に於いて、此種の「自己否定」は「自己肯定」に比して更に不幸である。さうして人生に於ける歡喜と活動とを拘束する意味に於いて更に有害である。私は從來屡※(二の字点、1-2-22)此の意味に於けるセンチメンタリズムの領域とすれ〳〵に通つて來た。從つて私は可なり深くその危險を了解してゐると信ずる。私の内省を説くのは決して此意味に於いて自己辯護をするためではない。唯此處に明瞭に區別せむと欲するのは、内省そのものが決して此の如き理智の戲れと、之に伴ふ情感の耽溺とを意味するに限らないことである。理知の戲れと情感の耽溺とは内省の齎す必然の結果ではなくて、寧ろ無意識の空虚と疲勞とから來てゐる。此等のものを難ずることは決して内省そのものを難ずることにはならないのである。眞正の内省は無意識の底から必然に湧いて、その進展の方向を規定する。理智の戲れと情感の耽溺が此上もなく危險なるに拘らず、眞正の内省は依然として必要である。此種のセンチメンタリズムを難ずることは、決して無鐵砲なる「自己肯定」を正當とする申譯にはならないのである。
 眞正なる内省は無鐵砲と盲動との正反對である。從つてそれは或意味に於いて行動の自由を拘束する。さうして時として無鐵砲と盲動とから來る僥倖をとり逃すことがあるに違ひない。併し眞正なる内省によつて抑へられるやうな行動は、本來發動せぬをよしとする行動である。さうして無鐵砲と盲動とによつて始めて得られるやうな僥倖は、之をとり逃しても決して眞正の意味の損失ではない。
 眞正なる内省は征服せらる可きものを自己の中に視る。勇ましく、慘ましく、たじろがずに之を正視する。さうして征服せらる可きものゝ征服し盡されざる限り、彼れの内面的鬪爭は日星の運行の必然なるが如くに必然である。日星の運行の不斷なるが如くに不斷である。從つて彼は此の内面的衝動に促がされて、堅實に、鞏固に、深く、大きく、必然に動いて行く。彼の發動には躁急と強制と射僥の心とがない。彼の進路に内外兩面の障礙と機會とを置くものは運命である。此障礙の征服と機會の利用とによつて自己を建設し行く者は彼自身の内なる力である。或行動を拘束するのは、彼の人格の自由によつて、發動の氣まぐれを制御する更に深い力の發現である。盲動より來る僥倖を期待せざるは内面的必然によつて作り出されざる遭逢エルフアールングの遂に無意味に過ぎないことを知つてゐるからである。盲動から來る僥倖は事功の機縁とはなるであらう。軍人に金鵄勳章を與へ、政治家に公爵を授ける機縁とはなるであらう。併し精神上の生活に於いて、僥倖は全然無意味である。内面的必然に促されたる魂は、明かなる内省と靜かなる人格の發動とによつて、その要求にそぐふ程の世界を創造することを知つてゐる。さうして内からの準備の完からざる魂にとつては、如何なる外面的機縁も、常にその頭上を辷つて行つて了ふ。
 無鐵砲は一切の内面的經驗を上滑りして通るに十分なる眼かくしである。彼等は自己の弱點を弱點として承認せず、自己の缺乏を缺乏として承認せざるが故に、その内面に何の征服せらる可き敵對力をも認めることが出來ない。從つて一切の精神的進歩の機縁たる可き内面的鬪爭の必然性を持たない。彼等は自己の弱點を樂觀することによつて、苦もなくその弱點の上を滑べる。さうしてその滑べり方の平滑なることを基礎として「自己肯定」の信仰を築き上げるのである。固より彼等はその無鐵砲によつて種々の外部的葛藤に遭逢するであらう。併しこの葛藤は永久に外面的葛藤たるに止つて、内面に沁み入る力を持たない。從つて彼等の遭遇す可き代表的運命は一切を經驗エルフアーレンして一物をも體驗エルレーベンせざる大なる白痴である。此の如くにして無鐵砲なる勇者の生涯は、矮小なる實驗家エツキスペリメンタリストの生涯と内容的に相接近して來る。
 弱い者はその弱さを自覺すると同時に、自己の中に不斷の敵を見る。さうして此不斷の敵を見ることによつて、不斷の進展を促す可き不斷の機會を與へられる。臆病とは彼が外界との摩擦によつて内面的に享受する第一の經驗である。自己策勵とは彼が此臆病と戰ふことによつて内面的に享受する第二の經驗である。從つて臆病なる者は無鐵砲な者よりも沈潛の道に近い。彼は無鐵砲な者が滑つて通る處に、人生を知るの機會と自己を開展するの必然とを經驗するからである。弱い者は、自らを強くするの努力によつて、最初から強いものよりも更に深く人生を經驗することが出來る筈である。弱者の戒む可きはその弱さに耽溺することである。自ら強くするの要求を伴ふ限り、吾等は決して自己の弱さを悲觀する必要を見ない。
 繰返して云ふ。無意識の背景を缺く内省の戲れと之に伴ふ情感の耽溺は無意味である。併し内省の根柢を缺く無鐵砲な自己肯定は更に更に無意味である。無鐵砲を必然だと云ふのは蹣跚たる醉歩が醉つぱらひにとつて必然だと云ふに等しい。醉つぱらひには遠く行く力がない。無鐵砲な者には人生に沈潛するこゝろがわかる筈がない。


 大なるものを孕む心は眞正に謙遜を知る心である。
 謙遜とは無力なる者の自己縮小感ではない。無意識の奧に底力を持たぬ者が自己の懶惰を正當とする申譯ではない。謙遜とは此の如きものであるならば、人生の道に沈潛せむとする者は決して謙遜であつてはいけない。
 謙遜とは奸譎なる者がその處世を平滑にする爲の術策ではない。他人の前に猫を被つて、私はつまらない者でございますと御辭儀をして※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る者は、盲千人の世の中に在つては定めて得をすることであらう。併し此類の謙遜は内省に基かずして打算に基いてゐる。誠實に基かずして詐欺に基いてゐる。謙遜とは自己の長所に對する公正なる自認を塗りかくして周圍の有象無象に媚びることによつて釣錢をとることならば、奸詐を憎み高貴を愛する者は決して謙遜であつてはいけない。
 謙遜とは人格の彈性を抑壓する桎梏ではない。謙遜とは月並の基督教が罪の意識を強ひる樣に、吾等の良心に對する税金として課せられるものならば、精神の高揚と自發とを重んずる者は決して謙遜であつてはいけない。吾等人格の獨立は此の如き謙遜を反撥することによつて漸く初まるのである。
 眞正に輕蔑し反撥することを知る魂のみが、無邪氣に公正に自己を主張するの彈力ある魂のみが、眞正の謙遜を知る。謙遜とは獨立せる人格が自己の缺點を自認することである。覆ひかくす處なく、粉飾する處なく、男らしき公正を以つて自己の足らざるを足らずとすることである。此意味の謙遜を除いて眞正に人間に價する謙遜はある筈がない。
 吾等の自ら認めて長所とする處が、總て矮小にして無意味なるを悟るときに、吾等の自ら恃みとする處が相踵いで崩落することを覺える時に、吾等は初めて絶對者の前に頭を擡げることが出來ない程の謙遜を感ずるであらう。偉なる者の認識が始まる時に、凡ての人は悉く從來の生活の空虚を感じなければならぬ。小なる世界の崩落を經驗し、大なる世界の創始を感じ始める者は、必ず謙虚な心を以つて絶對の前に跪く筈である。眞正なる謙遜を知らざる者は、大なる世界の曙を知らざる者である。私は此事を特に私自身に向つて云ふ。私は究竟の意味に於いて未だ謙遜のこゝろを知らない。さうして私は眞正に碎かれざる心の苦楚の故に黯然としてゐる。私の極小なる世界は一二の稍※(二の字点、1-2-22)大なる世界を孕んだ。さうして私は一二の小なる謙遜のこゝろを味つた。併し大なる謙遜のこゝろの前に、私の小我は猶愚かなる跳梁を恣にしてゐることを感ずる。さうして私は先づ「大なる謙遜のこゝろ」の前に、知らざる神に跪くが如くに跪いてゐる。
 謙遜のこゝろは孕むより産むに至るまでの母體の懊惱のこゝろである。


 自己の否定は人生の肯定を意味する。自己の肯定は往々にして人生の否定を意味する。何等かの意味に於いて自己の否定を意味せざる人生の肯定はあり得ない。少くとも私の世界に於いてはあり得ない。私の見る處では、之が世界と人生と自己との組織である。私の見る處では、古今東西の優れたる哲學と宗教とは、凡て悉く自己の否定によつて人生を肯定することを教へてゐる。一本調子な肯定の歌は唯人生を知らぬ者の夢にのみ響いて來る單調なしらべである。
 基督は死んで蘇ることを教へた。佛陀は厭離によつて眞如を見ることを教へた。ヘーゲルは純粹否定ライネ・ネガテイ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)テートを精神の本質とした。さうして私の見る處では現代肯定宗の開山とも稱す可きニイチエと雖も、亦よく否定の心を知つてゐた人である。彼は超人を生まむが爲に放蕩と自己耽溺とその他種々なる人間性を否定した。彼の所謂超人が人間の否定でなくて何であらう。固より自己の如何なる方面を否定するかに就いては各個の間に大なる意見の相異がある。肯定せられたる究竟の價値と否定せらるゝ自己の内容との關係に就いても亦大なる個人的意見の差異があることは拒むことが出來ない。併し何れにしても大なる哲人は自己否定の慘苦なる途によつて、人生の大なる肯定に到達するこゝろを知つてゐた。彼等の中には渾沌として抑制する處なき肯定によつて、廉價なる樂天主義を立てた者は一人もゐない。人生と自己との眞相を見る者は此の如き淺薄な樂天觀を何處の隅からも拾つて來ることが出來ないからである。
 一向きの否定は死滅である。一向きの肯定は夢遊である。自己の否定によつて本質的價値を強調することを知る者にとつては、否定も肯定である。肯定も否定である。之を詭辯だと云ふものは總ての宗教と哲學とに縁のない人だと云ふことを憚らない。
 生活の焦點を前に(未來に)持つ者は、常に現在の中に現在を否定するちからを感ずる。現在のベストに活きると共に現在のベストに對する疑惑を感ずる。ありの儘の現實の中に高いものと低いものとの對立を感ずる。從つて彼の生活を押し出す力は常に何等かの意味に於いて超越の要求である。此の如き要求を感ぜざる者は遂に形而上的生活に參することが出來ない。
 女は愛して貰ひたい心と、思ふ男に身も心も任せた信頼の心やすさと、母たらむとする本能とに慄へてゐる。さうして此心は女の生活を不斷の從屬に置き、常住の不安定に置く。此從屬と不安定との苦楚を脱れむが爲に、何等かの意味に於いて女性を超越せむとするは、女の哲學的要求である。
 人は現象界の流轉に漂はされる無常の存在である。人の中には局部に執し、矮小に安んじ、自己肯定の己惚れに迷はむとする淺薄な性質が深くその根柢を植ゑてゐる。此無常と此猥雜と此局小とを超越せむとするは人間の哲學的要求である。
 自己超越の要求は要するに不可能の要求であるかも知れない。併し生活の焦點が前に押し出す傾向を持つてゐる限り、不可能の要求は遂に人性の必然に萌す不可抗の運命である。人は此不可抗の運命に從ふことによつて、許さるゝ限りの最もいゝ意味に於いて人となるのである。押し出されるより外に生きる道がない。牽かれるより外に生きる道がない。
 さうしてこの不可抗の要求に生きる者のこゝろは常に謙遜でなければならない。足らざるを知るこゝろでなければならない。いゝ氣になる事(Self-sufficiency)ほど人生の沈潛に有害なものは斷じてあり得ない。その一切の方面を盡して、そのあらゆる意味を通じて Self-sufficiency は人生最大の醜陋事である。
(二、九、二五)
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 何を與へるかは神樣の問題である。與へられたるものを如何に發見し、如何に實現す可きかは人間の問題である。與へられたるものの相違は人間の力ではどうすることも出來ない運命である。唯稟性を異にする總ての個人を通じて變ることなきは、與へられたるものを人生の終局に運び行く可き試煉と勞苦と實現との一生である。與へられたるものの大小に於いてこそ差別はあれ、試煉の一生に於いては――涙と笑とを通じて歩む可き光と影との交錯せる一生に於いては――總ての個人が皆同一の運命を擔つてゐるのである。若し與へられたるものゝ大小強弱を標準として人間を評價すれば、或者は永遠に祝福された者で或者は永遠に呪はれた者である。之に反して、與へられたるものを實現する勞苦と誠實とを標準として人間を評價すれば、凡ての人の價値は主として意思のまことによつて上下するものである。さうして天分の大なる者と小なる者と、強い者と弱い者とは、凡て試錬の一生に於ける同胞となるのである。
「天才」の自覺から出發す可きか、「人間」の自覺から出發すべきか。此二つが必ずしも矛盾するものでないことは云ふまでもない。併し出發點を兩者の孰れにとるかは人生に對する態度の非常な相違となる。「人間」の自覺を根柢とせざる「天才」の意識は人を無意味なる驕慢と虚飾と絶望とに驅り易い。或者は自己の優越を意識することによつて自分より弱小な者を侮蔑する權利を要求する。或者は天才を衒ふ身振によつて自己の弱小なる本質を強ひる。或者は天才の自覺に到達し得ざるがために、自己の存在の理由に絶望する。此種の驕慢と虚飾と絶望とは、彼等が能力ケンネンの大小強弱の一面から人生を觀てゐる限り到底脱却し得ない處である。彼等の過は「人間」に與へられたる普遍の道を發見するに先だつて、特殊の個人に與へられたる特殊の道を唯一の道だと誤信する處にある。
 天才には天才のみに許されたる特殊の寂寥と特殊の悲痛と特殊の矜持とがあるに違ひない。從つて天才には天才のみの歩む可き特殊の道があるに違ひない。併し天才としての自覺を人間としての自覺の根柢の上に築くことを知れる者は、己れ一人の淋しい道を歩み乍らも、猶平凡に生れついた者の誠實な、謙遜な、勞苦にみちた、小さな生涯に對して尊敬と同情とを持たなければならぬ筈である。平凡な者を指導す可き使命を感じなければならぬ筈である。若し世に平凡な者に對する同情と尊敬とを缺き、平凡な者を指導すべき使命の自覺を缺く天才があるならば、彼の非凡は妖怪變化の非凡に過ぎない。彼は人間の代表者ではなくて仲間外れである。平凡な者が彼の暴慢と自恣とに報いるに反抗と復讐とを以つてするは當然に過ぎる程の當然事である。
 凡人には天才の知らざる拘泥と悲哀と曇りとがある。實現せむと欲して實現し得ざる焦躁と、些細の障碍と戰ふに當つても血の膏を搾らなければならぬ勞苦と、無邊の世界の中に小さく生きる果敢さのこゝろとがある。從つて凡才は常に天才の知らざる羞恥の心を以つて天才の天空を行く烈日の如き眩しさを仰ぎ見る。併し凡人としての自覺の底にも猶確乎たる「人間」の自覺を保持することを知る者は、決して天才に非ざるの故を以つて自分の生涯に失望しない。小さい者がその小さい天分を實現し行く勞苦の一生の中にも、猶人間の名に價する充實と緊張とがある。内より温める熱と自然に滲み出る汗と涙とがある。内からの要求に生きる者にとつて、第一義に於ける自己の問題は「天才」の有無ではなくて、精神生活に於ける不安である。自分が天才でないと云ふ自覺によつて全存在を覆す程の打撃を受けるのは、周圍の人との腕競べに生きようとする間違つた心掛を持つてゐるからである。
 俺が天才であるか、俺が天才でないか、そんなことは凡て俺にはわからない。併し俺は今「人間」の自覺を生活の中心とすることによつて、漸く此意味に於ける「天才」の問題を確實に超越することが出來るやうになつたことを感じてゐる。假令俺は天才でなくても――多分俺は天才ではあるまい――俺には猶「人間」の自覺がある。さうして此自覺は確實に俺の將來の進展を指導して呉れてゐる。俺は天才でないにしても俺の生涯は決して無意味ではない。又萬々一俺は天才に生れてゐるにしても、俺が天才の自覺から出發せずに人間の自覺から出發することは少しも俺の天分を損ふ所以にはならない。さうして此自覺は他人に對する尊敬と包容とのこゝろを――一切の人類に對する同胞の感情を俺に教へて呉れた。
 價値の標準を天賦の大小に置かずに、意志のまことに置く點に於いて、俺は古い古い宗教の徒弟である。俺は決して此事を恥としない。寧ろ俺は此によつて全人類を同胞として包容すべき新しい限界の漸く開け始めたことを嬉しいと思つてゐる。
 俺は天才を崇敬する。同時に誠實なる凡人を尊敬する。俺は特に弱小にして誠實な者の味方である。俺は特に驕慢にして天才を衒ふ者の敵である。


 天才の本質を能力ケンネンの強さと大さとに置かずに、人生の祕奧に貫徹する力の深さに置く時、天才と凡人との關係は獅子と羊との對照にあらずして、導師と法弟との關係となる。更に天才と凡人とを、試煉と勞苦とに喘ぐ人間共通の運命に照し出す時、彼等は温情を以て涙と笑とを分かつ可き兄弟として、能力の大小強弱による相互の墻壁を撤する。
 凡人が天才の出現を翹望するは、彼が彼等を代表して更に奧深い世界を開く可き鍵を握つてゐることを信ずるからである。從つて深く人類の惱みとあこがれとを體得して、人類全體の問題を一身に擔ふ者でなければ此翹望に答へることが出來ない。自己の未熟を鞭つ代りにその優越の意識に耽溺し、弱小なる凡人を救濟する代りに之を嘲笑して自ら高しとする樣な者は、反抗には價しても決して崇敬には價しない。


 如何なる天分を有するかは何處に往く可きかの先決問題である。從つて天分の性質は各個人にとつて必然の問題である。併しその天分の大小強弱は各個人にとつて前者と同樣の必然性を持つ問題ではない。人が「或るもの」として生れて來た限り、その天分の大小強弱如何に拘らず、當然その天分の性質によつて動いて行かなければならぬ不安を植ゑ付けられてゐるからである。その不安の衝動力が生々と作用する限りに於いて、常により大きく、より強くなつて行くことが出來る筈だからである。自己開展の極限はその極限に到達して見なければ本當にわかる筈がない。その極限を性急に見極めなければ氣がすまないのと、極限の問題を度外に附して、現在の衝動力に信頼することが出來るのとは、各個人の性格の差別であつて、一切の人に通ずる必然の問題ではない。


 天才は凡人に比して遙かに偉大なる事に堪へる。故にその用に就いて云へば凡人が天才の下位にあることは勿論である。從つて社會的又は人文史的見地より見る時、天才が殆んど一切なるに反して、凡人は殆んど零に近いのは止むを得ない。
 天才の衷に實現せらるゝ世界が、凡人の慘憺たる勞苦によつて獲得せる世界に比して、遙かに豐富に、遙かに深遠に、遙かに自由に、遙かに精彩あることは云ふ迄もない。故にその世界の價値に就いて云へば、凡人の世界が天才の世界の下位にあることは勿論である。天才は下瞰して與へ、凡人は仰視して受ける。自然の世界に於いて大小強弱の對照が儼存することは洵にやむを得ない。
 或人がなし得る處を或人はなし得ない。或人が到達し得る處に或人は到達し得ない。故に或る事をなし得るか得ないか、或る點に到達し得るか得ないかを主要問題とする時、各個人の天分はその性質に就いて問題となるのみならず又その大小強弱に就いて問題となる。此方面から見れば各個人の價値は殆ど宿命として決定されてゐることは否むことが出來ない。
 併し觀察の視點を外面的比較的の立脚地より内面的絶對的の立脚地に遷し、成果たる事業の重視より追求の努力の誠實の上に移し、天分の問題より意志の問題に遷すとき、吾人の眼前には忽然として新なる視野が展開する。從來如何ともす可からざる對照として儼存せしものは容易に融和する。さうして一切の精神的存在は同胞となつて相くつろぐ。此世界にあつては各の個人がその與へられたる天分に從つてそれぞれ彼自身の價値を創造するのである。さうして此創造によつて「人間」としての意義を全くするのである。
 内面的絶對的見地よりすれば、三尺の竿を上下する蝸牛は、千里を走る虎と同樣に尊敬に價する。さうして虎は蝸牛を輕蔑することの代りに、千里の道を行かずして休まむとする自己を恥づる。蝸牛はその無力に絶望することの代りに、三尺の竿を上下する運動の中にその生存の意義を發見する。


 輕蔑に價するは小さい者が小さい者として誠實に生きて行くことにあらずして、小さい者が大きい者らしい身振りをすることである。或る眞理と或る價値とを體得しない者がその眞理と價値とを口舌の上で弄ぶことである。要するに Pretension と Reality との矛盾に對する無恥である。
 詩人又は哲學者でない故を以つて、野に耕す農夫を嘲ることは出來ない。併し天才でもない癖に天才の積りになつて威張つてゐる文士は笑はずにはゐられない。況して天才でもない癖に天才の積りになつて平凡な者を凌辱する文士は憎まずにはゐられない。
 乞食の子に石を投げるは冷酷なる惡戲小僧の強がりである。併し孔雀の羽根をさした烏を嘲笑するは、虚僞を憎む者の道義的公憤である。


「成長の意識」(詳しく云へば「成長の事實に對する意識」)と「成長の慾望」とは同一事ではない。成長の意識は過去と現在との比較がなければ成立することが出來ない。過去に熟せざりしものと現在に成熟せるものとの比較が始めて成長の意識を成立させるのである。さうしてこの成長の意識は或は自欺より生れて自己諂諛となり、或は公正なる内省より生れて靜かにして朗かなる自信となる。
 之に反して「成長の慾望」は未來に對する翹望である。さうして成長の慾望は或は他人を凌駕せむとするアンビシヨンから生れて、必然の段階を履むの餘裕なき躁急となり、或は現實の矛盾から生れて、一歩を人生の奧に踏み込ましめる必然となる。從つて成長の慾望をその最も精神的な、最も内面的な、最も純粹な意味に於いて云ひ換へて見れば、それは「内容の不安から押し出される張力」である。さうして自己の道を發見せざる者が之を發見せむとする努力も、既に之を發見せる者がその途を拓かむとする努力と等しく「内容の不安から押し出される張力」である。等しく「成長の慾望」である。此意味に於いて「成長の慾望」を持たない者は始めから問題にならない。
 但し「成長の慾望」は必ずしも常に「我の成長の慾望」として意識に現はれて來るのではない。多くの場合それは「個々の具體的經驗内容の不安」として意識に現はれて來るのである。從つて心理的に云へば「成長の慾望」と云ふ言葉は十分に妥當だとは云はれない。


 トルストイを追越さうとする Ambition よりも、強く深く眞理を攫んで、人生究竟の價値に參せむとする Aspiration の方が、更に純粹な、更に精神的な、更に内面的な、さうして更に大きい慾望である。
 比較の對象を自分の外に、自分に近く、さうして具體的な個人として持つてゐる時に、その人の努力は一層眞劔に、一層猛烈に、一層死物狂ひになるかも知れない。此意味に於いて、アンビシヨンは精神的創造の原動力として決して無意味なものではないであらう。アンビシヨンから行くのも一つの人情に近い行き方に相違ないことゝ思ふ。
 併しトルストイを追越さうとするアンビシヨンは、強く深く眞理を攫んで、人生究竟の價値に參せむとするアスピレーシヨンに變形するに非ざれば實現の途に就く事が出來ない。他人に勝つ爲の唯一の途は、其競爭者よりも更に深く眞理の中に沈潛する事である。此途によらずして他人に勝たむとする者は、空虚なる名譽慾に囚はれて實質の問題に參する事を知らざる人生の外道である。從つてアンビシヨンの問題も其本質的意義に於いてはアスピレーシヨンの問題に歸する。アスピレーシヨンとならざるアンビシヨンは無意味である。併しアンビシヨンの背景を缺くアスピレーシヨンは決して無意味ではない。自己の周圍に競爭者なき場合と雖も、其人の精神に現實の不安から押し出さるゝ張力が働いてゐる限り、アスピレーシヨンは其純粹なる形に於いて作用する事が出來る筈だからである。
 自分はアンビシヨンによつて眞理に深入りした二三の人を知つてゐる。さうして其人が眞理に深入した程度に從つて其人を尊敬することを忘れる者ではない。併しアンビシヨンは個人的性癖の問題であつて、アスピレーシヨンと同じ意味に於いて人間全體の問題ではない。アンビシヨンがなければ駄目だと云ふのは、個人的性癖を人間全體に通ずる必然として主張せむとする誤謬である。
 自分は「人を對手にせずして天を對手にせよ」と云つた人の意味深い言葉を忘れることが出來ない。アンビシヨンからはひる道の外にも猶眞理に深入する途は儼存してゐるのである。自分は天を對手にするアスピレーシヨンが精神的創造の無限なる行程を導くに足る力であることを確信して疑はない。


 俺の今云はむとすることを曾て先輩が更に力強い言葉で云つてゐるにしても、俺の今云ふ言葉は空にはならない。俺の今云ふ言葉に體得したる眞理の響が籠つてゐる限り、俺の弱い言葉は先人の聲によつて打消されはしない。先人の聲は基音として俺の聲を支へて呉れてゐる。さうして俺の言葉は先人の言葉の倍音としてその響に參加してゐる。俺の言葉には猶存在の理由があり、猶存在の意義がある。
 俺の今悟入する處が先人の曾て發見した處以上に一歩も出でないにしても、俺の新しい悟入は無意味にはならない。俺の心は此悟入によつて新しい世界に入り、眞理は新しく俺の胸に生きることによつて其光を増す。先人の靈は恐らくは新しい同胞を得たるが爲に歡喜するであらう。さうして「精神生活」の殿堂は新たに一つの燈光を加へることによつて更に輝くであらう。俺の今悟入した眞理は新しくないにしても、俺が今此眞理に躍入した事は新しい事實である。此新しい事實は俺自身にとつて、俺の生存する時代にとつて、最後に眞理そのものにとつて、決して無意味に終る筈がない。最も重要なるは眞理が生きて働くことである。現在生きて働いてゐる眞理が過去に類似を有するか否かは要するに第一義の問題ではない。
 俺はドストイエフスキーよりも小さいが俺はドストイエフスキーをその儘に縮小した模型ではない。俺の衷に俺でなければ何人も入り得ない世界があるのは、俺が自分と他人とを區別する必要から拵へ上げたのではなくて、俺の中に、俺の個性の芽が植ゑ付けられてゐるからである。俺の聲が他の何人とも異つてゐるのは、俺が自分の聲を他人の聲以上に耳に立つものにしようと努力したからではない。俺の聲には俺の音色が自然に與へられてゐるからである。若し俺が獨特の世界と聲音とを與へられてゐないとすれば――換言すれば他人の模型として拵へ上げられてゐるとすれば――俺は芝居をするより外に此宿命を脱れる途がない。併し俺は芝居によつてオリジナルな人になるよりは、寧ろ宿命に從つて完全な模型になりたいと思ふ。
 俺は他人と自分とを區別しようとする慾望から出發しても、自然に俺自身になることに落ちて行くであらう。併し俺が俺自身になるには必ずしも他人と自分とを區別せむとする努力を要しない。内容の不安から押し出される張力は自然に俺を俺自身にして呉れるに違ひない。
 俺の道が先輩の道と一致するならば、俺は一緒に行ける限り先輩の跡を追つて行かう。さうして愈※(二の字点、1-2-22)一緒に往けなくなつた時にさやうならと云はう。俺が終生その先輩の跡を追ふにしても、或は幾許もなく俺一己の道に踏込むにしても、兎に角俺は眞理に深入することによつて最もよく生きるのである。さうして最もよく俺の事業を完成し、最もよく日本と世界とに貢獻するのである。
(十二月十三日)
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「俺の事」が今俺の問題になつてゐる。俺は今自己を語らむとする衝動を感ずる。
 俺は偉くも強くもない。俺は偉くなり強くなれる人間かも知れないが、兎に角今の俺は偉くも強くもない。偉いと云ふ言葉、強いと云ふ言葉は、俺にとつて深い、大きい、恐ろしい、容易に近づく可からざる内容を持つてゐる言葉である。此小つぽけな、ケチな、弱蟲の俺を偉い者強い者の中に置くのは、此等の者に對する觀念の純粹と態度の敬虔と――隨つて憧憬の信實とを傷つける恐ろしい冒涜である。俺は此の如き肯定によつて、偉いと云ふ言葉、強いと云ふ言葉を路傍の石のやうに輕易に弄ぶ野次馬の輩と同樣の滑稽に陷る。併し俺は如何に安價に見積つても、此等の輩と類を同くする恥知らずではない。俺は偉くもなく強くもない事實を恥とする、併し決して此自覺を恥としない。
 俺は偉くも強くもないが、俺の周圍に蠢く張三李四に比べて確に一歩を進めてゐる。俺は俺の周圍に、俺よりも遙に劣等な生活内容を持ちながら、その劣等な生活内容を裏付けるに稀世の天才にのみ許される自信を以つてするチグハグな「自己肯定者」を見た。さうして彼等に比べて俺の知慧が確かに一歩を進めてゐることを思はずにはゐられなかつた。俺は又俺の周圍に、眼前の喜怒哀樂に溺れて、永遠の問題に無頓着なる胡蝶のやうな「デカダン」を見た。さうして此逡巡と牛歩と不徹底とを以つてするも、猶彼等に比べて俺の思想が確かに一歩を進めてゐることを思はずにはゐられなかつた。最後に俺は又俺の周圍に、他人の賞讚によつて僅に自信を支へてゐる「弱者」と、媚を先輩に呈することによつて僅にその存在を保つ「寄生蟲」と、斷えず流行の假聲を使ふことによつて漸く文壇を泳いで行く「游泳者」とを見た。さうして此小さゝと弱さとを以つてするも、猶俺は彼等の樣に無性格ではないと思はずにはゐられなかつた。彼等に比べれば俺の人格は、もつと獨立獨行で、もつと高慢で、もつと自己に眞實だと思はずにはゐられなかつた。凡て此等のことは未だ俺の中に生成せざるものの――未だ俺の中に實現せざる價値の羞恥に比べれば固より何者でもない。俺は張三李四を比較にとる優越感に溺れることの危險を深く恐れてゐる。俺は俺の生活の礎を決して此優越感の上に置いてはならない。併し俺は俺と彼等との間に或種の距離を感ずることが不當だとはどうしても考へられない。俺は此等の自己肯定者、デカダン、弱者、游泳者、寄生蟲と自分とを等位に置くことによつて、僅かに俺の中に實現したる「眞理」を辱しめる。俺は此優越感に耽溺することを恥ぢ、此優越感を刺戟すること多き張三李四の中に活きることを悲しむが併し此優越感を持つことをば恥ぢない。
 俺は偉くも強くもない。併し俺は周圍の張三李四よりも一歩を進めてゐる。さうして俺は一歩を彼等の上に進めたものとして張三李四に對する。


 俺は「優越感を持つことを恥ぢない」と云つた。俺が此意識を恥としないのは、これが虚僞の事實に基いてゐないからである。併し此意識がよい事、あつてほしい事、なければならぬ事、價値のある事――換言すれば理想だからではない。俺は張三李四に對して優越感を持つことを恥ぢない。併し此優越感を超越すればするほど俺の人格は益※(二の字点、1-2-22)高まつて行くのである。俺は次第に此優越感を超越するやうに自分を養つて行かなければならない。俺は長く此優越感に固執することを恥とする。固執を恥とするは此意識が虚僞の事實に基いてゐるからではない。意識するに價せざることに或重さを置き、重さを置くに足らざる意識を執拗に把住する人格の矮小を恥づるのである。
 優越感を超越する第一歩は意識の重心を眞理の實現者三太郎の優越に置かずして、三太郎の心に實現せられたる眞理の優越に置くことである。重心を眞理の優越に置くことによつて、俺は羊を屠る獅子の優越感を超越して、牧羊者としての――眞理の使者としての自覺に到達する。俺の優越感は弱者の陵辱として發現せずに、使命の自覺として――救濟の使命の自覺として發現して來る。俺は俺の優越に對して嚴肅なる愛惜と、眞理に對する敬虔と、小我の固執を離れたる謙抑とを感ずる。張三李四の前に優越の地歩を占めるのは畢竟自分の中に實現せられたる眞理を敬重するからである。自己の中に眞理の宿れることを信ずる者は、空しき謙遜を以つて、易々と他人に地歩を讓ることが出來ない。
 併し自己の中に實現せられたる眞理の優越を意識することも要するに比較の見地を離れては成立し難い。此處に我を置き彼處に彼を置いて始めて我の――眞理の實現者三太郎及び三太郎の中に實現せられたる眞理の――優越感は成立するのである。人が若し絶對に、全然内面から、泉の溢るゝが如く自然に生きるやうになれば、假令相對を根本假定とする他人との應接に於いても、亦比較の見地を離れて動くことが出來る筈である。優越を意識せずして優越者の實績を擧げ、教化を目的とせずして自ら他人を薫化することが出來る筈である。茲に至つて優越者の中に於いて優越の意識が無意味となる。彼の問題は唯自然に生きることであつて、優越非優越は全然問題にならない。全然問題にならないと云ひきつて了ふのが惡いならば、全然問題にならない筈である
 今俺の心の中には此三つの層が――三太郎の優越感と、眞理の優越感と、優越の問題を超越せる自然と――相重つて横たはつてゐる。柔かなものゝ底に峻しいものが、峻しいものゝ底に汚いものが隱されてゐる。俺は優越感によつて生きてゐない――俺は此事を社會の前に、先哲の前に、自分の前に、公言することを憚らない。併し俺の優越感は容易に觸發される。さうして眞理の優越を意識する心の傍に三太郎の優越を意識する心が全然交らないとは云ひ難い。俺は深い屈辱の念を以つて此事實を承認する。俺は深い羞恥の情を以つて特に論爭が俺を醜化することを――三太郎の優越感を觸發することを承認する。此事を云ふは苦しい告白である。
 併し俺は過度に自分を貶めてはいけない。如何なる場合にも俺の優越感は虚僞の事實を基礎としてはゐない。さうして俺の人格は少しづゝ優越感を超越せる至純の境地に向つて動きつゝあることを感ずる。俺は次第に小敵の前に喧嘩腰になる衝動を感じなくなつて來た。俺は持てる者の必然の流出は唯與へることにあることが漸く心の底からのみこめて來た。
 俺の優越感を超越する道は、未來を信じて人格の成長を待つことである。此優越感を強ひて抑壓することは、俺を道學先生にはしても、俺を生きた人にはしない。俺は依然として傲慢なる敵である。同時に傲慢を恥づる求道者である。


 俺の心が隅から隅まで渾沌に滿ちてゐると思つてゐた時には、他人のことがちつとも俺の問題にならなかつた。俺は唯悲しい、内氣な心を以つて俺一人の問題に沈湎してゐた。
 併し俺の心に或確かなものが出來かゝつて來たと感ずると共に、俺は自分で確かだと感ずる點に就いて他人のことが問題になり出して來た。さうして他人のことが氣になる心持は、自分の中に確かだと感ずるものが増加するにつれて大きくなつて來た。俺にとつては、他人のことを氣にするとは自分のことを御留守にすると云ふ意味にはならない。從つて俺は他人のことが氣になることを恥づ可き事だとは思はない。
 嘗て優れたる人は、天下に一人の迷へる者あるは悉く自分の責任だと感じたと聞く。俺も亦此の優れたる人のやうに、凡ての人のことが悉く氣になるやうになりたいと思つてゐる。換言すれば全人類を包容する博大なる同情を持つやうになりたいと思つてゐる。


 眞理の愛によつて言動することは自分にも出來ると思つてゐる。併し敵に對する愛によつて言動することは容易なことではない。俺は如何なる場合にも他人に對する惡意や他人の損失を目的とする嫉妬によつて動いたことはない。併し常に他人に對する好意と温情のみによつて動いてゐるとは中々云ひ難い。眞理を愛する心と眞理に反する者を憐憫する心とは決して兩立し得ぬことではない。然るに俺は眞理を愛するが故に、眞理に反する者を憎まずにゐられない心持に煩はされ通しである。
 眞理の愛を外にして言動しないことは自分にも出來ると思つてゐる。併し眞理の愛のみによつて言動することは容易なことではない。俺は眞理の愛を外にして論難攻撃した事はない。併し俺の論難攻撃が眞理の愛からのみ出てゐるとは中々云ひ難い。彼の心には人生を滑稽化する喜劇作者の衝動が根を張つてゐる。俺の論難攻撃には眞理の愛と喜劇作者の衝動とが雜居してゐる。俺は眞理を明かにする要求の底に、自分の敵を喜劇役者に仕立てる要求を包んでゐないとは云ひきり難い。俺は此意味で俺から喜劇役者に仕立上げられる人の反感を或程度まで是認しない譯に行かない。
 喜劇癖によつて煩はされる事甚しい時に、俺は三太郎の優越感が此處に噴出の口を求めてゐるのではないかと自分自身を邪推する。併し之は自分を貶しめることを喜ぶ三太郎の誇張に過ぎない。本當の三太郎はもつと無關心に戲れることを知つてゐる。


 俺は或事をする。さうして俺は自分のする事を凝視し、解剖し、理解する。俺には俺自身を見窮めむとする衝動が不可抗に働いて居るからである。
 或人は或事をする。さうして自分のすることを註釋し、辯護し、説明する。他人が眞相を誤解することを――若しくは不利益なる眞相を看破することを恐れるからである。
 自分で自己解剖の要求を感じない人は、他人の自己解剖の誠實を信ずることが出來ない。さうして自己に就いて語ることの一切を悉く淺い意味の自己辯護と解釋して了ふ。彼等には此以外の動機は理解し難いからである。
 自分は自己解剖の衝動を感ずる。さうして之を語ることを恐れない。世人の誤解は自分に不安を感じさせずに却て彼等の粗大なる理解力に對する憐憫を感じさせる。


 俺は特殊から普遍に漂ふこゝろを知つてゐる。俺は特殊から觸發されて普遍が中心問題となるこゝろを知つてゐる。俺は普遍の問題の中に特殊が溺れ死ぬこゝろを知つて居る。一時の問題から永遠の問題に、個體の問題から人類の問題に、個人の問題から潮流の問題に、漂ひ行くこゝろを知らぬ者は恐らくは哲學的素質を持つ者とは云ひ難からう。
 普遍の問題に導くものは多く特殊なる個々の經驗である。併し一度普遍の問題に入れば考察は「特殊」のデテイルによつて拘束されない。問題が普遍に深入すればする程、かくて掘出されたる眞理は益※(二の字点、1-2-22)「個體」の底に横たはる「人」に肉迫するであらう。併し細密に云へば此の如き眞理は如何なる「個體」にも當嵌らない。而も猶普遍の眞理は寸毫もその價値を減じないのである。
「個體」のデテイルを細密に闡明する努力と、「個體」に關する漠然たる直覺に觸發されて「普遍」の中に衝き進む努力とは全然相異る方向である。後の道をとるものは「個體」のデテイルを闡明する責任を負はない。此責任を負はないのは卑怯ではなくて、興味の中心が移動してゐるからである。
 一種の文明評論家として日本現代の文明に對する時、俺は現在の俺をデテイルの細密なる闡明に驅る程興味ある個人を殆んど一人も發見しない。併し俺は此等の凡常なる人物によつて構成される潮流には無頓着であることが出來ない。故に茲暫くの間俺の問題は殆んど全く「文明の潮流」に限られてゐる。
 嘗て俺は此の如き潮流の一つを問題とした。さうして俺の問題は潮流であつて個人ではないと云つた。然るに一人の畏敬する友人は、「君がその潮流を論ずる時君の頭の中には或特殊の個人があつたかも知れないのに、自分の問題は潮流に在つて個人にはないと云ふのは卑怯だ」と云つた。併し俺は此批評を承服しなかつた。潮流に對する興味は確に個々の事例によつて觸發されたに違ひない。併し俺は此等の事例に深入するだけの興味を持たなかつた。さうして問題は直に潮流の上に移つて行つた。俺の下す斷定は潮流の上に適用されるのみで、個人の上に適用されることを要求しない。故に俺の問題は潮流に在つて個人にはない。之は道徳の問題ではなくて、論理の問題である。
「お前は俺の惡口を云つたな」と云ふ時、「それがどうした」と買つて出るのは一應の意味で元氣さうな返事である。併し俺はそんなヒロイズムを尊敬しない。俺は哲學者の無感動アパテイを以つて、自分の最初の立場を固執する。さうして「俺の云ふのはお前達を對手にした賣言葉ぢやないよ」と冷かに問題をはぐらかす。俺が「男子の意地」に誘はれて、フラ〳〵と當初の立脚地に反する喧嘩に出かけない限り、此返事が最も自己に忠實な返事だからである。
 卑怯だと云ふ非難に對する俺の返事は、哲學的考察の心持を理解せよと云ふことである。


 俺は書かずにゐられない心持を知つてゐる。俺の中にたしかなものを感ずるにつれて、俺の此心持は愈※(二の字点、1-2-22)切實になつて來る。
 俺は書くことが出來ない心持を知つてゐる。大なる醗酵の時、大なる動亂の時には、肚の中に渦卷くもの、燃えるものを感ずるのみで姿が定まらない。半成の姿は之を筆にするに及ばずして、之を熔解し、之を破壞する力に逢着する。書けないと云ふ事は沒落の徴候ともなり又大なる準備の徴候ともなる。發育のカーヴが急轉する時、書くことが出來なくなるのは當然である。俺は書けない意味を知つてゐるつもりである。
 俺は又書くことの危險を知つてゐる。或經驗を深く掘つて行く努力の方向と、或經驗を總攬し形成し――從つて書く――努力とは必ずしも一致しない。經驗の爛熟を待たずして、意識をその表現に轉向する時、經驗は往々その歩みをとゞめる。さうして徒に紙上に形成せられたる人形として、流産せる經驗はその死骸を晒す。俺は書かない者の多數にとつて、經驗は眞正に具體的の姿をとらないことも知つてゐるが、俺は又書かないものに比べて書く者の方に、經驗を半熟の姿に玩弄するオツチヨコチヨイが多いことをも知つてゐる。
 書けることはよいことである。併し書けないことは必ずしも惡いことではない。書けない時に書くよりも――本當に書かずにゐられない事がないのに書き散らすよりも、書かない方がよいことである。さうして同じく書く可からざる状態にありながら、書けないことの苦しみを知らぬ者よりも、書けないことの苦しみを本當に經驗する者の方が優つてゐる。
(三、一、一八)



青空文庫の奥付



底本:「合本 三太郎の日記」角川文庫、角川書店
   1950(昭和25)年3月15日初版発行
   1966(昭和41)年10月30日50版発行
※底本の亀甲括弧は、アクセント記号と重複するため、山括弧の「〈」(1-1-50)と「〉」(1-1-51)に代えて入力しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:山川
2011年8月4日作成
2021年10月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。