或る年の、四月半ばの或る晴れた日、地主宇沢家の
邸裏の畑地へ二十人ばかりの人足が入りこんで、お
喋舌をしたり
鼻唄を唄つたりして
賑かに立働いてゐた。或る者は
鋤を持つて
溝を掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐる
凹みの
水溜を埋めてゐ、また或る者は
鍬の刃を時々
キラキラと太陽の光に照返へらせながら去年の
畝を
犂返してゐた。
漸く
雪解がすんだばかりなので、ところどころで
ちよろ〳〵
小流が出来てゐた。掘返へしても掘返へしても、かなり下の方まで土が
ぢく〳〵濡れてゐた。それで、人足たちの手も足も、着てゐる仕事着も、
頬かぶりにした
手拭まで――身体ぢゆう泥だらけになつてゐた。
方々で、泥の飛ぶ音や水のはねつ返へる音がしてゐた。
「やりきれやしないや。」と、
誰やらが
こぼしてゐる。
「ほ、滑つて、歩かれやしない!」と、どこかで、
他の男が怒鳴つてゐる。
と、こちらの、
邸境になつてゐる杉林に沿つたところを犂返へしてゐる一人の中年の男が、それに答へるやうに、何かで
酷く
咽喉を
害られてゐる
皺嗄声で、「何だつてまだ
耕作には時節が早過ぎるわ。」と
嘯いた。「地面の
奴、寝込みをあんまり早く
叩き起されたんで
機嫌を悪くしてゐやがるんだよ。」
「さうよ、土がまだ妙に冷たいもんな。」と、それと並んで同じ
労働をしてゐる同じ年格好の、もう一人の男が云つた。そして、どこか不平を
洩らすやうな調子で
訊ねた。「だが、
此地で一体何がおつぱじまるんだね?」
「
林檎林が出来るんだとよ。」と、皺嗄声の男が、これも何やら気に入らなさ相な口調で答へた。
「へえ、林檎林が出来るか。だが、この
界隈ぢや昔から林檎つてことは聞かないな、
俺等の
地方にや
適かないんぢやないかね。なあにさ、そりや、どうせ
旦那衆の道楽だから何だつて構はないやうなもののな。」
「ほんとによ。林檎がこの土地に適かうが適くまいが、そんなこと俺等に何の関係もないこつたが、その為めに、俺等が永年作り込んだ地面を、なんぼ自分の
所有だといつて、さうぽん〳〵と
無造作に取上げられたんぢや、全くやりきれやしない。」
「第一、
勿体ないやね。こんな上等な土地を
玩具にするなんて、全くよくないこつた! それには
些つと広過ぎるよ。」
「しツ!
止かつしやい。馬鹿言ふぢやない。お前がたの今言つてたやうな事が、あの若旦那の耳へ入りでもしたら、」と、その隣に並んで同じ
労働に従事してゐた三番目の男が、前の二人を
窘めるやうに言つて、その会話に加つた。「あの人は
真面目だから怒ると
恐いぜ。それに、今度のことぢや、若旦那、
篦棒な
のぼせやうをして居なさるんだつて言ふからな。」が、その調子には、どこか
一同と共通した不平と
嘲笑の影がひそんでゐた。彼は飽までも
恍けた
真面目な顔をして、なほも続けた。
「なんだつていふぜ、今度の事がうまく成功すると、追々手を拡げて、所有地を全部小作人から取上げてしまふんだつて。そして、村ぢゆうをその林檎林にしてしまふんだつて。いや、あの人のこつたからきつとやるぜ。」
「そんなことされて
堪るもんか。」と、誰やらが、それに反対した。
「だつて、堪るも堪らないもないぢやないか。地主様の
仕つしやる事、誰が苦情を申立てられよう!」と、
他の声が答へた。
「だが、さうなつたら、
俺等はどういふ事になるんだ?」と、最初皺嗄声の男と話し合つてゐた
中央の男が、
麻紐で腰へ下げてある竹の
箆で
餅のやうに
へばり着いてゐる鍬の土を払ひ落しながら、幾らか気になると云つたやうに
訊ねた。
「さうなつたら、みんなで手を
繋がつて北海道へでも出かけるより外ないさ。百姓が
田地にありつけなくなつたらもう、どうにも
終ないからな。」と、皺嗄声の男が答へた。ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて
殊更らしく
滑稽だつたので、みんなが一斉に
どつと笑ひ出した。
「笑ひごつちやないぜ。全く、追々時勢が変つて来てるんだからな。」
と、さつきの、恍けて真面目な顔をした男が、笑つて〳〵眼から涙を流しながら言つた。
前よりも一層大きな、一層長く続く笑声が
湧起つた。と、その中の一人が、もう一度、
一同の笑を繰返へさせようとして、「若旦那も罪な
もくろみを初めなすつたものさね。」と言ひ放つた。そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く
易々とした
暢気な気持ちにさせた。なぜなら、そのなかに
使用はれた「もくろみ」といふ言葉が、彼等の間では
軈て直ちに『失敗』といふことを
聯想させるものであつたから。――これを機として、彼等の話題は他の方へふら〳〵と漂ひ流れて行つた。この村の、もう一軒の地主である寺本といふ家では
濁酒の醸造を
創めて、まだ十年と
経たない
今日、家屋敷まで
他人手に渡してしまつた……といふ、そんな
噂や、それから、近年この近在の地主たちによつて
頻々として演じられるその種の失敗の数々を次から次へと並べたてて行つた。彼等独特な、思ひきり明つ放しな高笑が、時々彼等の間で湧き起つた。
人々に
依つて犂返へされた湿つぽい土からは
ほか〳〵した白い水蒸気が立ちのぼり、それと共に永い冬の間どこにも

ぐことの出来なかつた或る一種の生々した
香が発散してゐた。その畑地の外側に沿ふて通じてゐる
灌漑用の堀割の中を、
雪解の水が押合ふやうにしてガボン〳〵流れてゐた。
地面は、燃えるやうな
憧憬を持つた青年を新らしく主人に迎へて喜こび、且つ彼を愛してゐるやうでもあつた。
新らしく植付けられた林檎や
葡萄や
実桜の苗は
何れも面白いやうにずん〳〵
生長びて行つた。
下作として経営した
玉葱やキャベツの
類もそれ〴〵成功した。
農林学校
出身の、地主の
悴の
欣之介は毎日朝早くから日の暮れるまで、作男の庄吉を相手に彼の
整頓した農園の中で余念なく労働した。玉葱やキャベツの
収穫時には、彼の小さな弟や妹たちまで
尻つ
端折をして
裸足で手伝ひに出かけた。玉葱を引抜いたり、キャベツを
笊に入れて畑から
納屋へ運んだりした。
燥やぎのジム(
飼犬の名)が人々の後を追ひかけ廻つて
叱られたり、子供たちが走つて
転んで
収穫物が笊の中から飛び出して地べたをころ〳〵ころがりあるいたり、……そんな日には
家中に愉快な、生々とした気分が
漲りあふれた。そんな騒ぎのあと四五日すると、いつも町から、近くの軍隊へ野菜類を納める御用商人の一人が荷馬車を持つてやつて来た。そして、山のやうに積んである納屋の
収穫物を
綺麗に持つて行つてしまふ。とその晩には、きまつて作男の庄吉が酒をのんで、酔払つて、
可笑しな唄をうたつたりして家の者を笑はした。
欣之介は或日、――それは麦打のすんだ後で、農家の
周囲には
到る
処に
麦藁が山のやうに積んである頃のことであつた――庄吉と二人で農園の一つの
隅へ小さな
小舎を一つ建てた。丸太を組合せて骨を造り、赤土を
捏ねて壁を塗り、近所から麦藁を譲つて
貰つて、屋根を
葺いた。そして、それが出来上ると
其翌日、七里も
先方に
在る
牧場へ庄吉をつれて行つて、豚の
仔を
一番荷車に乗せて運んで来た。彼は又優良な
鶏の卵を
孵化して、小作人たちの飼つてゐる古い、よぼ〳〵の、
性質のよくない
鶏とたゞで取替へてやることを申出た。なほ、近所の百姓たちに簡便に出来る
蔬菜の速成栽培のやりかたを教へたり、子供のある家では子供の内職として
家鴨を飼ふやうにといふやうな事を奨励してあるいたりした。
欣之介は、自分の農園の中央部に小さな洋風の
小舎を建てて、そこでたつた一人で寝起してゐた。その建物は八畳ばかりの広さの部屋と、それに
隣つた同じ広さの土間との二つの部分から成立つてゐた。出入口は土間の方についてゐた。土間には、こま〳〵した農具や
泥のついた彼の
仕事衣やが一方の壁に立かけたり
ぶら下げたりしてあつた。一つの隅に
囲炉裏が設けられ、それを取まいて三四脚の粗末な
椅子が置かれてあつた。冬の
夜永などには、よく三四人の青年が
其処へ集つて来て、
粗柔を
焚きながらいつまでも〳〵語り続けた。それ等の客のなかに、一人の年若い小学教師があつた。彼は、いつも誰かの詩集を
懐にしてゐて、よく文学や恋愛のことを熱のある口調で語つた。
「人間は(心)のほかの何物をも所持しようとしてはならない。」かういふのが彼のきまり文句であつた。
「人々がみんなさういふ考の上に生きてゆければ、その上に何の革命も必要としない。」
定連の一人に、病気で都会の学校から帰つてゐる大学生があつた。彼は一種の
瞑想家で、「自分には、この世に、生れたり死んだりするものの外に何か
永劫に変らない、少しの
揺ぎすらない
或る理法と云つたやうなものが存在してゐるやうな気がしてならない。」などと、静かな調子で語り出すのが彼の癖であつた。
欣之介は、彼自身、自分の考へてゐることを他の人達のやうに口に出して話すことをあまり好まなかつたが、さうした人達のさうした話を
凝つと聞いてゐるのが愉快で
堪らなかつた。
彼の小舎の外側には
木蔦が一ぱいに
纏ひつかせてあつた。春先きから夏へかけて美しい柔かな葉が
繁つて、柱から羽目から屋根から
凡てを、まるで緑色の
天驚絨の夜具を頭から
すつぽりひつかぶつたやうに
掩ひ隠してしまつた。彼は又、その家の
周囲に
薫ばしい
匂ひを放ついろいろの草花を植えた。彼の部屋の、
書卓を
据ゑてある窓へ、
葡萄棚の葉蔭を
洩れる月の光がちら〳〵と
射し込んだ。たつた一人で過す多くの夜を、その窓に
倚れて、彼は
幾度か〳〵自分の仕事、自分の将来についていろ〳〵に思ひを
馳らせた。そんな時、いつも彼の心の
中には抑へきれない
憧憬が波うつてゐた。彼の
所謂「幸福な幻影」が彼の目の前に
顕々と描き
出された。――最も合理的に耕作された田畑、緑の
樹蔭に掩はれた村、肥えて
嬉々として戯れてゐる牧獣や
家禽の群、薫ばしい草花に包まれた家屋、清潔に
斉然と整理された納屋や倉、……
甦つた農業!
愚昧な怠慢な奴隷達から開放された、自由な、生々とした土地! そこでは凡てが新鮮で、気持よく、そして、これまでのやうな乱雑や、下劣や、
廃頽やが
何処の隅にも見ることが出来ない。……
「僕の力で
きつとさうならせて見せる!」
かう思ふと、彼は、いつもきまつて、何ものかに
祈祷を
捧げたいやうな、涙ぐましい気持ちになるのであつた。
欣之介が予定してあつた春に、
園の林檎が花をつけた。その美しい淡紅色の花が、
嘗つて見たことのない村人の眼を驚ろかした。小作人のあるものは、「ひよつとしたら、若旦那の
計画がうまく成功するやうな事になるのではないか。」などと、愚かな心配をしながら
囁き合つたりした。
微風が
日毎林檎林を軽く吹いて通つた。欣之介はその中で何かの仕事をしながら、「眼には見えないが花粉がうまい工合に吹き送られてゐるんだ!」と思ひ、人知れず心の中で微笑した。
「いよ〳〵これからだ。」
が、丁度その頃から、彼と彼の父との間に、金銭上の事で何か
ごたごたした不機嫌な会話が
屡々取交はされるやうになつた。
父は、初めから
忰の
企画を賛成してはゐなかつた。忰が生涯を捧げようとまでしてゐる理想に対しても、たゞ、ほんの若い者の
気紛れ位にしか考えてゐなかつた。父は二言目にはよく、
「そんなに
何時までも何時までも
俺の
援助に
俟たなければならないやうなものなら、何もかも
止して、地面を俺にかへして
貰はなければならない。」と言ひ〳〵した。
そんな訳で、欣之介は、大切な時に充分に肥料を施すことが出来なかつたり、手入れが思ふやうに出来なかつたりした。彼は歯を
喰ひしばつて
口惜しがつた。が、やつぱりどうすることも出来なかつた。
覿面なもので、林檎林はその後、日に増し生気を失つて行つた。と、それにつけ込んで綿虫や
天狗虫が急にどこからか発生して、盛んに繁殖し初めた。
ある時、何かの事で葡萄の木の下を掘つてゐた欣之介は、土の中から出て来た水気のない
痩せた
鬚根を
摘み上げて、
劇しい痛ましさを覚えた。そして伸び上つて幹を
検べてみると、それは明らかに或る一種の恐ろしい病気に襲はれてゐることが
判つた。
「あゝ、可哀相に、父が自分の考へてゐることを理解してくれさへしたら。」
彼は
落胆して吐息をついた。持つてゐた
鍬が彼の手から滑り落ちて、力なく地べたに倒れた。
幾年かして、欣之介の仕事はやはり一向いゝ成績をあげ得なかつた。
ある夜、彼は父の部屋へ呼ばれて行つた。そして、そこから長いこと出て来なかつた。部屋の戸を締め切つて、父と子とは、夜が
更けて家の人がみんな寝静まつた後まで、何やら
頻りに話し合つてゐた。
それから一ヶ月ばかりして、林檎林で、十数年
前の最初の
犂返へしの日以来見たことのない
賑やかな騒ぎが初まつた。二十人ばかりの
日傭人がそこへ入りこんで、林檎や葡萄や
実桜の
樹を片つぱしから
伐り倒してゐるのだ。樹は
何れも衰へて
痩せてゐたが、まだ枯れては居なかつた。幹に
鋸を入れてゴリ〳〵やる度び、それにつれて
梢の方で落ち残つてゐる紅葉した葉がカサ〳〵と鳴つた。そして、今切離されたばかりの生々しい傷口を持つた切株は一つ〳〵、自分の場所から退去されるのを拒みでもするかのやうに、それを掘り抜くのにひどく骨を折らせた。しかし、三四日するうちに、そこには何もなくなり
真裸な、穴だらけな、
醜態な土地が残された。
畑の中央部に
在つた可愛らしい小さな家も無論取こぼたれた。それを取囲んでゐた
薫はしい
香を放つ多くの草花は無造作に引抜かれて、
母家の庭の隅つこへ移し植ゑられた。
この騒ぎの最初の日、欣之介は自分の家に
留つてゐるに
堪へない気がして、朝から
隣家の病身の大学生のところへ出かけて行つた。友達は以前から見るとまた一層弱つてゐた。この分ではとても長くは生きられない、などと自分から言つて嘆息していた。そして、
落胆して、悲観してゐる欣之介に対しても
寧ろ「君などは身体がいゝんだから、これからだつて何をしようとも好きだ。」と云つて
羨しがつてゐた。
そこへ、午後になつて、小学校の教師が学校の帰りだと云つて
訪ねて来た。
「今、お宅へ伺つたら、こちらだといふ事でしたから。……
一寸畑の方をのぞいて来たんですが、まあ、何と言つたらいゝんでせうかね。僕等のやうな弱い
心臓を持つた者には、とてもあゝした痛々しい光景を立止つて見てゐるに堪へませんな。」こんなことを言ひながら、二人の間に置いてある
火鉢の上へ
白堊の粉のついた手を
差翳した。
この人は――運命はこの人にだけ何時も
心地よい
微風を送つてゐるやうであつた――その後間もなく互ひに思ひ合ふ人が出来、やがて願ひが
叶つて結婚の式をあげ、今では既に二人の幼い者の父親でさへある。しかし、彼の物を言ふ調子は昔と少しも変らなかつた。
「だが、今度のことだつて考へてみれば――、僕は思ふんです――あなたにとつては全く何の損失でもありませんよ。たゞ、
徒らに悩ましい青春が去つただけです。ほんとに事をなさるには、これからです。」
欣之介は物をいふ元気すらないと云つたやうに、妙に真面目な顔をして、黙つて沈みこんでゐた。
秋の末のことで、
霙でも降つて来さうな空合ひであつた。
林檎林のところ〴〵に
焚火がされてゐた。その火が、三人の話してゐる大学生の部屋の窓からチラ〳〵見えた。そこから起つて来る
日傭人たちの明つ放しの高笑ひ混りの話声が、意地悪く欣之介の耳について離れなかつた。
欣之介から取上げられて再び小作人たちの手に
委ねられた裏の畑地は、何事も起らなかつたもののやうに、間もなく、以前と少しの変りもない
旧の姿に
復つて行つた。
こま〳〵した幾つかの小さな畑に
区劃され、豆やら大根やら
黍やら
瓜やら――様々なものが
ごつちやに、
風も
態もなく
無闇に仕付けられた。小作人たちは
其処で再び彼等独有な、祖先伝来の永遠の労苦を訴へるやうな、地を
匍ふやうに響く、
陰欝な、退屈な
野良唄を唄ひ出した。そして、その
周囲の
物懶げな、動かし難い単調が再びそこを
蔽ひ尽してしまつた。
永い一日の間に、ほんの一寸した雲の切目から薄い日の光が、ほんの一寸の
間ぱーつと
洩れて来た。と思ふともう消えてしまつた。欣之介の傷ついた心には、その後の曇天が以前にも増して一層暗欝に一層
厭はしいものに感じられた。彼は、世に
容れられない不遇の詩人のやうに
徒らに
苛々した。悩ましい、どうしようもない、悲しい一日々々を重ねた。しかし、彼の内部に一度巣くつた
憧憬は、やがてまた新らしい形となつて頭を
擡げ初めた。
「
此地でない、どこか
他の
処に広々とした、まだ何者にも耕し古るされてゐない新鮮な
沃野が拡がつてゐる。そこには
旧るくさい不自由な
式たり、何とも知れず
厭な様々な
因縁――邪魔をするものが何もない。思ひのまゝに力一ぱいに仕事をすることが出来る!」
青年の心は再び新らしく呼び起された。彼の机の上に、オーストラリア、カリフォルニア、テキサス、ブラジル……さういふ国々の土地に関したことを書いた書物が幾冊か取集められた。それ等の書物の中に、方々の耕作地や、牧場や、山林や、港やの写真が沢山載つてゐた。その中の一つには、
人間の
背丈の三倍もあるやうな高さの
綿花の木が見渡す限り
涯もなく繁つてゐる図があつた。と、他の一つに――これは
何処かの港の図で――何か袋につめた収穫物が大きな丘のやうに積み重ねてある。それを大勢の人足共がその
周囲に集つて端から〳〵と運び出してゐる。人足共の
蟻の行列の末は
埠頭に
繋いである大きな汽船の中へと流れ込んでゐる。……
ある年の夏の初め、欣之介のゐる
離家の横手にある
灰汁柴の枝々の
先端へ小さな粒々の白い花が咲き出した頃の或る日暮方、
革紐で堅く
結へた白いズックの
鞄が一つ、その灰汁柴の
藪蔭に置いてあつた。が、誰もそれに気づくものがなかつた。そして、その
翌朝、下男の庄吉が
庭掃に出た時には、それはもう失くなつてゐた。
その日から、欣之介の姿はそのあたりに見ることが出来なかつた。
更らに又十幾年かの歳月が
経つた。
その間に、村では、宇沢家の老主人が亡くなり、その後を次男の敬二郎が相続し、病身の大学生が死に、欣之介のところへよく話しにやつて来た小学校の教師が永年の勤続の結果として校長にあげられたりした。が、それ等は何れも
如何にも尋常に、少しの
際立つことなく、いつも穏かに取片附いてゆき、そこには
殆んど何の推移もなかつたやうにさへ思はれた。
家出をした欣之介はその後或る便宜を得てアメリカへ渡つて行つたが、
其地で何をしたか、今何をしてゐるか? それに答へるものは、彼が向ふから弟の敬二郎に書き送つた幾通かの手紙の外にない。それには次のやうな事が書いであつた。――
*
(前略)余は
ふとした機会で思はしき手頃の土地見当りし
故、今冬より満四ヶ年の契約にて借受け、試み
旁々事業着手のことに
致し
候。余がこれまで寝食せし所、それは
賄付の宿屋などとは以つての外のこと、テント同様の仮小屋にて、板敷の床へ薄つぺらの
蒲団を敷きて寝るといふ始末、最初は身体が痛くて困難せしも、だん〳〵日を
経るに従ひ格別苦にもならぬやうに
相成候。賄は七八人以下の
団体稼ぎの時分には廻りコックにて、これにも初めは
極く閉口したが今では仲々
下手なおさんどんなど
はだしだよ。食べ物は日本と大差はないが、味は肉類野菜類
何れも日本のそれとは比較にならぬほど
まづい。(中略)昨今のところでは何事も
堪忍に堪忍、他日の勝利を期するのみにて
只管愚となり、変物となり居り
候。(後略)
*
(前略)昨年は無経験に加ふるに、収穫半ばに不時の天災に出会ひし為め全く失敗したものの、
今年は多少様子もわかり、且つは幾分考ふる所もあり、こゝ一番と努力せしこととて今後非常の天変などのない限りは多少の収益が見られることと思ふ。今二週間も経てば
青豌豆の収穫に取かゝるべく、しかしこれは副産物として利益も細いが、余
今年の
本稼ぎは実に六月初旬よりなれば目下その方の準備で仲々忙しい。(後略)
*
(前略)既に御身にも新紙
等にて御承知の事と
被存候が、当国は昨秋以来経済界に
大恐惶有之、農産物はその種類の何たるを問はず低廉無此
或るものは
市場へ出荷するもその運賃さへとれぬやうな次第
殊に当地方の
苺耕作者の
如き実に
惨澹たるものにて
破綻又破綻、目も当てられぬ有様、全く気の毒千万の事に候、右は一つには
苺作が耕すに
易く比較的利益多きところより
権も八も植付に急なりし結果当××市郊外のみにて約三千
英加といふ苺畑出来候為め産出過多加ふるに今回の経済界の大恐惶に出会ひし事とて実際話しにならず候。余は幸ひ苺作には力を入れ
居らざりし為め
左程にも
無之候へども、目下のところ五百
弗程の負債出来奮闘真最中に候。
尤も春作は安価の為め失敗せしもので、main crop は一昨日より出荷を始め候へばこれにて何とか当分の
遣繰付く事と存ぜられ候。(後略)
*
(前略)……もとより創業費とて不充分なりし
事故、
如何とも進退出来ざるやうになり、昨年
極末遂に七百弗足らずの負債を背負ひ農業の方手を引き候。その後は市内働きと事きめ就働し
来りしも、不拍子の時は不拍子々々々と或程度まで重なるものにて或時は主人破産せし為め働き金も大半
無になり、或時は主人の店火災に
罷りし為め余の働口一時途切れ、加ふるに去月十日より
風邪の気味にて三週間ばかりぶらぶらし、かた〴〵
碌な事これなく候。(中略)向ふ三四年間は或程度までの金を作る為め雇人として働き、その間は多少読書もし、至つて平静(今までは余りに落付かなかつた)な生活を送る
考に候。近来種々感ずるところあり、
如何してもこの国に永住の事に決心せしに
就いては、来春早々、此較的人種に区別をおかぬ東部へ出向く考に候。そして相当の資金を得し後は再び田園に引込み、今まで及び昨今のやうでも困るから多少余裕のある趣味ある生活をしたいと思ひ居り候。(後略)
*
(前略)この五日より洗濯業研究に着手致し候。昨今は
唯器械的に他人の
工場内に働き居り候へども二ヶ年位後には本式に独立してやる考に候。
*
(前略)不運は
何故かくまで
執拗に余に
附纏ふことに候や。今春は
複々損失、××銀行破産の為め少しばかりの預金をおぢやんに致し候。その後とて引つゞき一つ所に働き居り候はば
斯くまで不如意にも陥らざりしものを、……(中略)当今は渡米以来一等の貧乏に候。今度こそは何とかして或る一定の専門技術を修得し、一日も早く普通労働者の域を脱したく、裁縫学校へ入学志願致し候。いろ〳〵の抱負もさる事ながら、
一人前に自分の口を
糊することが先決問題かと
被存候。この頃つく〴〵その様な事を考へるやうに
相成り
候。(後略)
*
(前略)一昨々年春以来他へ転居候為め、御書面昨日
漸く落手致し候次第、その後の
御不沙汰何とも申訳
無之候。
迂生事、昨年七月より近郊にて(現今のところ)約六
反歩の土地つき家屋を借受け、昨秋切花用として
芍薬二千株程植付け候。されど、今年は
勿論、明年とて格別の収入無之かるべく候へば、当分のうちは日曜の外毎夜電車にて下町へ通ひ何かと労働に従事致し居る次第、お問合せの妻帯などは
迚も迚も以ての外のこと、
未だに独立も出来ず相変らずの貧乏書生に候。向ふ三四年中には一度皆様にお目にかゝりに帰朝致したく存じ居候。
迂生昨年五月以来、一晩も欠かさず冷水浴を継続致居り候為めか、身体の工合致つて
宜しく、明けて四十二歳になるが人々にはどうしても三十五歳にしか見えぬ由に候。
呵々。
今秋は
御地より
山百合二千個、芍薬
種子三升程、
花菖蒲五百株送附し来る都合に相成居り候間、追つて明年の結果御報知申上ぐべく候。(後略)
(大正六年十月)