フランク・ハリスと云へば聞えた英国の文芸家だが、(ハリスを英人だと言へば
或は
憤り出すかも知れない、生れは
愛蘭で今は
亜米利加にゐるが、自分では
巴里人の積りでゐるらしいから)今度の戦争について、持前の皮肉な調子で、「
独逸は
屹度最後の独逸人となるまで戦ふだらう、
露西亜人もまた最後の露西亜人となるまで戦ふだらうが、唯
英吉利人は――さうさ、英吉利人は最後の
仏蘭西人がといふところまでは
行るに相違ない」と言つてゐる。
流石にハリスで、よく英吉利人を
視てゐる。
「
吾等は世界に
唯一つの健康を与へて
呉れる戦争を歌はうと思ふ。軍国主義、愛国心、アナアキストの
捨鉢な
行為、人殺しの美しい思想、そしてまた婦人に対する
侮蔑――かういふものを
凡て歌ひたい。」――未来派の詩人マリネツチはこんな事を言つたが、
他の事は
兎に
角、
婦人に対する
侮蔑を思はせるだけでも、戦争は吾々にとつて鉄剤同様一種の健康剤たるを失はない。
トルストイの『アンナ・カレニナ』の終りの章に多くの人が蜂小屋の近くで
塞耳維戦争の
噂をしてゐるところがある。その時
或人が好戦論者を戒めるために普仏戦争の前アルフオンス・カアルの言つた言葉を引証してゐる。――「戦争が
何うでも避ける事が出来ないものならそれもよからう。だが、そんな場合には戦争論を唱へた新聞記者だけには是非とも一隊を組ませ、どこの
戦闘にも前衛としてそれを使ふ事にしたいものだ。」と言ふのだ。欧洲出兵論も誠に結構だが、どうかそんな場合には黒岩
涙香君のやうな出兵論者は、誰よりも先に前衛の一
人として出掛けて
貰ひたいものだと思ふ。カタヴソウでは無いが、私はこの名誉ある選抜兵の後姿を想ふ
毎に、腹を抱へて吹き出さぬ訳に
往かない。
私の
故郷は瀬戸内海の
海つ
辺で、ヂストマと
懶惰漢と国民党員の多い所だが、今度の総選挙では少し毛色の
異つた人をといふので、
他の県で余計者になつた男を
担ぎ込み、それに先輩や知人の紹介状を
附着けてさも新人のやうに見せかけてゐる。ゴオゴリの『
死霊』を読むと、名義だけは生きてゐるが、実は
夙に亡くなつてゐる農奴を買収し、遠い地方へ持ち込んで、そこで銀行へ
抵当に入れて借金をする話が出てゐるが、今の選挙界の新人も
一寸それに似てゐる。
デイケンスは『ぴくゐつく・ぺえぱあす』のなかで、「被告の身にとつては人の
好い、
福々した、
朝餐を
甘く食べた裁判官に
出会すといふ事が
大切だが、原告になつてみると、
平常も不満足たらしい、腹の減つた裁判官を見つけるやうにしなくてはならない」と言つた。この
頃議員候補者や、その運動者がぴし〳〵
引張られてゐるが、
皆有罪の判決を受けてゐる所を見ると、
可憎と腹の減つた、
家では
夫婦喧嘩の
絶間が無い裁判官が多いと見える。