妖怪研究
伊東 忠太
一 ばけものの起源
妖怪
(
えうくわい
)
の
研究
(
けんきう
)
と
云
(
い
)
つても、
別
(
べつ
)
に
專門
(
せんもん
)
に
調
(
しら
)
べた
譯
(
わけ
)
でもなく、
又
(
また
)
さういふ
專門
(
せんもん
)
があるや
否
(
いな
)
やをも
知
(
し
)
らぬ。
兎
(
と
)
に
角
(
かく
)
私
(
わたし
)
はばけものといふものは
非常
(
ひぜう
)
に
面白
(
おもしろ
)
いものだと
思
(
おも
)
つて
居
(
ゐ
)
るので、
之
(
これ
)
に
關
(
くわん
)
するほんの
漠然
(
ばくぜん
)
たる
感想
(
かんさう
)
を、
聊
(
いさゝ
)
か
茲
(
こゝ
)
に
述
(
の
)
ぶるに
過
(
す
)
ぎない。
私
(
わたし
)
のばけものに
關
(
くわん
)
する
考
(
かんが
)
へは、
世間
(
せけん
)
の
所謂
(
いはゆる
)
化物
(
ばけもの
)
とは
餘程
(
よほど
)
範圍
(
はんゐ
)
を
異
(
こと
)
にしてゐる。
先
(
ま
)
づばけものとはどういふものであるかといふに、
元來
(
ぐわんらい
)
宗教的信念
(
しうけうてきしんねん
)
又
(
また
)
は
迷信
(
めいしん
)
から
作
(
つく
)
り
出
(
だ
)
されたものであつて、
理想的
(
りさうてき
)
又
(
また
)
は
空想的
(
くうさうてき
)
に
或
(
あ
)
る
形象
(
けいしやう
)
を
假想
(
かさう
)
し、
之
(
これ
)
を
極端
(
きよくたん
)
に
誇張
(
こてう
)
する
結果
(
けつくわ
)
勢
(
いきほ
)
ひ
異形
(
いげう
)
の
相
(
さう
)
を
呈
(
てい
)
するので、
之
(
これ
)
が
私
(
わたし
)
のばけものゝ
定義
(
ていぎ
)
である。
即
(
すなは
)
ち
私
(
わたし
)
の
言
(
い
)
ふばけものは、
餘程
(
よほど
)
範圍
(
はんゐ
)
の
廣
(
ひろ
)
い
解釋
(
かいしやく
)
であつて、
世間
(
せけん
)
の
所謂
(
いはゆる
)
化物
(
ばけもの
)
は一の
分科
(
ぶんくわ
)
に
過
(
す
)
ぎない
事
(
こと
)
となるのである。
世間
(
せけん
)
で一
口
(
くち
)
[#ルビの「くち」は底本では「くに」]
に
化物
(
ばけもの
)
といふと、
何
(
なに
)
か
妖怪變化
(
えうくわいへんげ
)
の
魔物
(
まもの
)
などを
意味
(
いみ
)
するやうで
極
(
きは
)
めて
淺薄
(
せんぱく
)
らしく
思
(
おも
)
はれるが、
私
(
わたし
)
の
考
(
かんが
)
へて
居
(
ゐ
)
るばけものは、
餘程
(
よほど
)
深
(
ふか
)
い
意味
(
いみ
)
の
有
(
あ
)
るものである。
特
(
とく
)
に
藝術的
(
げいじゆつてき
)
に
觀察
(
くわんさつ
)
する
時
(
とき
)
は
非常
(
ひぜう
)
に
面白
(
おもしろ
)
い。
ばけものゝ一
面
(
めん
)
は
極
(
きは
)
めて
雄大
(
ゆうだい
)
で
全宇宙
(
ぜんうちう
)
を
抱括
(
はうくわつ
)
する、
而
(
しか
)
も
他
(
た
)
の一
面
(
めん
)
は
極
(
きは
)
めて
微妙
(
びめう
)
で、
殆
(
ほとん
)
ど
微
(
び
)
に
入
(
い
)
り
細
(
さい
)
に
渉
(
わた
)
る。
即
(
すなは
)
ち
最
(
もつと
)
も
高遠
(
かうゑん
)
なるは
神話
(
しんわ
)
となり、
最
(
もつと
)
も
卑近
(
ひきん
)
なるはお
伽噺
(
とぎばなし
)
となり、一
般
(
ぱん
)
の
學術
(
がくじゆつ
)
特
(
とく
)
に
歴史上
(
れきしじやう
)
に
於
(
おい
)
ても、
又
(
また
)
一
般
(
ぱん
)
生活上
(
せいくわつじやう
)
に
於
(
おい
)
ても、
實
(
じつ
)
に
微妙
(
びめう
)
なる
關係
(
くわんけい
)
を
有
(
いう
)
して
居
(
ゐ
)
るのである。
若
(
も
)
し
歴史上
(
れきしじやう
)
又
(
また
)
は
社會生活
(
しやくわいせいくわつ
)
の
上
(
うへ
)
からばけものといふものを
取去
(
とりさ
)
つたならば、
極
(
きは
)
めて
乾燥無味
(
かんさうむみ
)
[#「
乾燥無味
(
かんそうむみ
)
」は底本では「
乾燦無味
(
かんさうむみ
)
」]
のものとなるであらう。
隨
(
したが
)
つて
吾々
(
われ〳〵
)
が
知
(
し
)
らず
識
(
し
)
らずばけものから
與
(
あた
)
へられる
趣味
(
しゆみ
)
の
如何
(
いか
)
に
豊富
(
ほうふ
)
なるかは、
想像
(
さうざう
)
に
餘
(
あま
)
りある
事
(
こと
)
であつて、
確
(
たしか
)
[#ルビの「たしか」は底本では「たかし」]
にばけものは
社會生活
(
しやくわいせいくわつ
)
の
上
(
うへ
)
に、
最
(
もつと
)
も
缺
(
か
)
くべからざる
要素
(
えうそ
)
の一つである。
世界
(
せかい
)
の
歴史
(
れきし
)
風俗
(
ふうぞく
)
を
調
(
しら
)
べて
見
(
み
)
るに、
何國
(
なにこく
)
、
何時代
(
なにじだい
)
に
於
(
おい
)
ても、
化物思想
(
ばけものしさう
)
の
無
(
な
)
い
處
(
ところ
)
は
決
(
けつ
)
して
無
(
な
)
いのである。
然
(
しか
)
らば
化物
(
ばけもの
)
の
考
(
かんが
)
へはどうして
出
(
で
)
て
來
(
き
)
たか、
之
(
これ
)
を
研究
(
けんきう
)
するのは
心理學
(
しんりがく
)
の
領分
(
れうぶん
)
であつて、
吾々
(
われ〳〵
)
は
門外漢
(
もんぐわいかん
)
であるが、
私
(
わたし
)
の
考
(
かんが
)
へでは「
自然界
(
しぜんかい
)
に
對
(
たい
)
する
人間
(
にんげん
)
の
觀察
(
くわんさつ
)
」これが
此
(
この
)
根本
(
こんぽん
)
であると
思
(
おも
)
ふ。
自然界
(
しぜんかい
)
の
現象
(
げんしやう
)
を
見
(
み
)
ると、
或
(
あ
)
[#ルビの「あ」は底本では「ある」]
るものは
非常
(
ひぜう
)
に
美
(
うつく
)
しく、
或
(
あ
)
るものは
非常
(
ひぜう
)
に
恐
(
おそ
)
ろしい。
或
(
あるひ
)
は
神祕的
(
しんぴてき
)
なものがあり、
或
(
あるひ
)
は
怪異
(
くわいい
)
なものがある。
之
(
これ
)
には
何
(
なに
)
か
其
(
その
)
奧
(
おく
)
に
偉大
(
ゐだい
)
な
力
(
ちから
)
が
潜
(
ひそ
)
んで
居
(
ゐ
)
るに
相違
(
さうゐ
)
ない。
此
(
この
)
偉大
(
ゐだい
)
な
現象
(
げんしやう
)
を
起
(
おこ
)
させるものは
人間以上
(
にんげんいじやう
)
の
者
(
もの
)
で
人間以上
(
にんげんいじやう
)
の
形
(
かたち
)
をしたものだらう。
此
(
この
)
想像
(
さうざう
)
が
宗教
(
しうけう
)
の
基
(
もと
)
となり、
化物
(
ばけもの
)
を
創造
(
さうざう
)
するのである。
且
(
かつ
)
又
(
また
)
人間
(
にんげん
)
には
由來
(
ゆらい
)
好奇心
(
かうきしん
)
が
有
(
あ
)
る。
此
(
この
)
好奇心
(
かうきしん
)
に
刺戟
(
しげき
)
せられて、
空想
(
くうさう
)
に
空想
(
くうさう
)
を
重
(
かさ
)
ね、
遂
(
つひ
)
に
珍無類
(
ちんむるゐ
)
の
形
(
かたち
)
を
創造
(
さうざう
)
する。
故
(
ゆゑ
)
に
化物
(
ばけもの
)
は
各時代
(
かくじだい
)
、
各民族
(
かくみんぞく
)
に
必
(
かなら
)
ず
無
(
な
)
くてならない
事
(
こと
)
になる。
隨
(
したが
)
つて
世界
(
せかい
)
の
各國
(
かくこく
)
は
其
(
その
)
民族
(
みんぞく
)
の
差異
(
さい
)
に
應
(
おう
)
じて
化物
(
ばけもの
)
が
異
(
ことな
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
二 各國のばけもの
ばけものが
國
(
くに
)
によりそれ〴〵
異
(
こと
)
なるのは、
各國
(
かくこく
)
民族
(
みんぞく
)
の
先天性
(
せんてんせい
)
にもよるが、
又
(
また
)
土地
(
とち
)
の
地理的關係
(
ちりてきくわんけい
)
によること
非常
(
ひぜう
)
に
大
(
だい
)
である。
例
(
たと
)
へば
日本
(
にほん
)
は
小島國
(
せうたうごく
)
であつて、
氣候
(
きこう
)
温和
(
をんわ
)
、
山水
(
さんすゐ
)
も
概
(
がい
)
して
平凡
(
へいぼん
)
で
別段
(
べつだん
)
高嶽峻嶺
(
かうがくしゆんれい
)
深山幽澤
(
しんざんゆうたく
)
といふものもない。
凡
(
すべ
)
てのものが
小規模
(
せうきも
)
である。その
我邦
(
わがくに
)
に
雄大
(
ゆうだい
)
な
化物
(
ばけもの
)
のあらう
筈
(
はず
)
はない。
古來
(
こらい
)
我邦
(
わがくに
)
の
化物思想
(
ばけものしさう
)
は
甚
(
はなは
)
だ
幼稚
(
えうち
)
で、
或
(
あるひ
)
は
殆
(
ほとん
)
ど
無
(
な
)
かつたと
言
(
い
)
つて
可
(
い
)
い
位
(
くらゐ
)
だ。
日本
(
にほん
)
の
神話
(
しんわ
)
は
化物
(
ばけもの
)
の
傳説
(
でんせつ
)
が
甚
(
はなは
)
だ
少
(
すくな
)
い。
日本
(
にほん
)
の
神々
(
かみ〳〵
)
は
日本
(
にほん
)
の
祖先
(
そせん
)
なる
人間
(
にんげん
)
であると
考
(
かんが
)
へられて、
化物
(
ばけもの
)
などとは
思
(
おも
)
はれて
居
(
ゐ
)
ない。それで
神々
(
かみ〳〵
)
の
内
(
うち
)
で
別段
(
べつだん
)
異樣
(
いやう
)
な
相
(
さう
)
をしたものはない。
猿田彦命
(
さるたひこのみこと
)
が
鼻
(
はな
)
が
高
(
たか
)
いとか、
天鈿目命
(
あまのうづめのみこと
)
が
顏
(
かほ
)
がをかしかつたといふ
位
(
くらゐ
)
のものである。
又
(
また
)
化物思想
(
ばけものしさう
)
を
具體的
(
ぐたいてき
)
に
現
(
あら
)
はした
繪
(
ゑ
)
も
餘
(
あま
)
り
多
(
おほ
)
くはない。
記録
(
きろく
)
に
現
(
あら
)
はれたものも
殆
(
ほとん
)
ど
無
(
な
)
く、
弘仁年間
(
こうにんねんかん
)
に
藥師寺
(
やくしじ
)
の
僧
(
そう
)
景戒
(
けいかい
)
が
著
(
あらは
)
した「
日本靈異記
(
にほんれいいき
)
」が
最
(
もつと
)
も
古
(
ふる
)
いものであらう。
今昔物語
(
こんじやくものがたり
)
にも
往々
(
わう〳〵
)
化物談
(
ばけものだん
)
が
出
(
で
)
て
居
(
ゐ
)
る。
日本
(
にほん
)
の
化物
(
ばけもの
)
は
後世
(
こうせい
)
になる
程
(
ほど
)
面白
(
おもしろ
)
くなつて
居
(
ゐ
)
るが、
是
(
これ
)
は
初
(
はじ
)
め
日本
(
にほん
)
の
地理的關係
(
ちりてきくわんけい
)
で
化物
(
ばけもの
)
を
想像
(
さうざう
)
する
餘地
(
よち
)
がなかつた
爲
(
ため
)
である。
其後
(
そのご
)
支那
(
しな
)
から、
道教
(
だうけう
)
の
妖怪思想
(
えうくわいしさう
)
が
入
(
い
)
り、
佛教
(
ぶつけう
)
と
共
(
とも
)
に
印度思想
(
いんどしさう
)
も
入
(
はい
)
つて
來
(
き
)
て、
日本
(
にほん
)
の
化物
(
ばけもの
)
は
此爲
(
このため
)
に
餘程
(
よほど
)
豊富
(
ほうふ
)
になつたのである。
例
(
たと
)
へば、
印度
(
いんど
)
の三
眼
(
め
)
の
明王
(
めうわう
)
は
變
(
へん
)
じて
通俗
(
つうぞく
)
の三
眼
(
め
)
入道
(
にふだう
)
となり、
鳥嘴
(
てうし
)
の
迦樓羅王
(
かろらわう
)
は
變
(
へん
)
じてお
伽噺
(
とぎばなし
)
の
烏天狗
(
からすてんぐ
)
となつた。
又
(
また
)
日本
(
にほん
)
の
小説
(
せうせつ
)
によく
現
(
あら
)
はれる
魔法遣
(
まはふづか
)
ひが、
不思議
(
ふしぎ
)
な
藝
(
げい
)
を
演
(
えん
)
ずるのは
多
(
おほ
)
くは、一
半
(
はん
)
は
佛教
(
ぶつけう
)
から一
半
(
はん
)
は
道教
(
だうけう
)
の
仙術
(
せんじゆつ
)
から
出
(
で
)
たものと
思
(
おも
)
はれる。
日本
(
にほん
)
が
化物
(
ばけもの
)
の
貧弱
(
ひんじやく
)
なのに
對
(
たい
)
して、
支那
(
しな
)
に
入
(
い
)
ると
全
(
まつた
)
く
異
(
ことな
)
る、
支那
(
しな
)
はあの
通
(
とほ
)
り
尨大
(
ぼうだい
)
な
國
(
くに
)
であつて、
西
(
にし
)
には
崑崙雪山
(
こんろんせつざん
)
の
諸峰
(
しよぼう
)
が
際涯
(
はてし
)
なく
連
(
つらな
)
り、あの
深
(
ふか
)
い
山岳
(
さんがく
)
の
奧
(
おく
)
には
屹度
(
きつと
)
何
(
なに
)
か
怖
(
おそろ
)
しいものが
潛
(
ひそ
)
んでゐるに
相違
(
さうゐ
)
ないと
考
(
かんが
)
へた。
北
(
きた
)
にはゴビの
大沙漠
(
だいさばく
)
があつて、これにも
何
(
なに
)
か
怪物
(
くわいぶつ
)
が
居
(
ゐ
)
るだらうと
考
(
かんが
)
へた。
彼等
(
かれら
)
はゴビの
沙漠
(
さばく
)
から
來
(
く
)
る
風
(
かぜ
)
は
惡魔
(
あくま
)
の
吐息
(
といき
)
だと
考
(
かんが
)
へたのであらう。
斯
(
か
)
くて
支那
(
しな
)
には
昔
(
むかし
)
から
化物思想
(
ばけものしさう
)
が
非常
(
ひぜう
)
に
發達
(
はつたつ
)
し
中
(
なか
)
には
極
(
きは
)
めて
雄大
(
ゆうだい
)
なものがある。
尤
(
もつと
)
も
儒教
(
じゆけう
)
の
方
(
はう
)
では
孔子
(
こうし
)
も
怪力亂神
(
くわいりきらんしん
)
を
語
(
かた
)
らず、
鬼神妖怪
(
きじんえうくわい
)
を
説
(
と
)
かないが
道教
(
だうけう
)
の
方
(
はう
)
では
盛
(
さかん
)
に
之
(
これ
)
を
唱道
(
しやうだう
)
するのである。
形
(
かたち
)
に
現
(
あら
)
はされたもので、
最
(
もつと
)
も
古
(
ふる
)
いと
思
(
おも
)
はれるものは
山東省
(
さんとうしやう
)
の
武氏祠
(
ぶしし
)
の
浮彫
(
うきぼり
)
や
毛彫
(
けぼり
)
のやうな
繪
(
ゑ
)
で、
是
(
これ
)
は
後漢時代
(
ごかんじだい
)
のものであるが、
其
(
その
)
化物
(
ばけもの
)
は
何
(
いづ
)
れも
奇々怪々
(
きゝくわい〳〵
)
を
極
(
きは
)
めたものである。
山海經
(
さんかいけう
)
を
見
(
み
)
ても
極
(
きは
)
めて
荒唐無稽
(
くわうたうむけい
)
なものが
多
(
おほ
)
い。
小説
(
せうせつ
)
では
西遊記
(
さいいうき
)
などにも、
到
(
いた
)
る
處
(
ところ
)
痛烈
(
つうれつ
)
なる
化物思想
(
ばけものしさう
)
が
横溢
(
わうえつ
)
して
居
(
ゐ
)
る。
歴史
(
れきし
)
で
見
(
み
)
ても
最初
(
さいしよ
)
から
出
(
で
)
て
來
(
く
)
る
伏羲氏
(
ふくぎし
)
が
蛇身
(
じやしん
)
人首
(
じんしゆ
)
であつて、
神農氏
(
しんのうし
)
が
人身
(
じんしん
)
牛首
(
ぎうしゆ
)
である。
恁
(
こ
)
ういふ
風
(
ふう
)
に
支那人
(
しなじん
)
は
太古
(
たいこ
)
から
化物
(
ばけもの
)
を
想像
(
さうざう
)
する
力
(
ちから
)
が
非常
(
ひぜう
)
に
強
(
つよ
)
かつた。
是皆
(
これみな
)
國土
(
こくど
)
の
關係
(
くわんけい
)
による
事
(
こと
)
と
思
(
おも
)
はれる。
更
(
さら
)
に
印度
(
いんど
)
に
行
(
ゆ
)
くと、
印度
(
いんど
)
は
殆
(
ほとん
)
ど
化物
(
ばけもの
)
の
本場
(
ほんば
)
である。
印度
(
いんど
)
の
地形
(
ちけい
)
も
支那
(
しな
)
と
同
(
おな
)
じく
極
(
きは
)
めて
廣漠
(
かうばく
)
たるもので、
其
(
その
)
千
里
(
り
)
の
藪
(
やぶ
)
があるといふ
如
(
ごと
)
き、
必
(
かなら
)
ずしも
無稽
(
むけい
)
の
言
(
げん
)
ではない。
天地開闢以來
(
てんちかいびやくいらい
)
未
(
いま
)
だ
斧鉞
(
ふいつ
)
の
入
(
い
)
らざる
大森林
(
だいしんりん
)
、
到
(
いた
)
る
處
(
ところ
)
に
蓊鬱
(
おううつ
)
として
居
(
ゐ
)
る。
印度河
(
いんどかは
)
、
恒河
(
こうか
)
の
濁流
(
だくりう
)
は
澎洋
(
ほうやう
)
として
果
(
はて
)
も
知
(
し
)
らず、
此
(
この
)
偉大
(
ゐだい
)
なる
大自然
(
たいしぜん
)
の
内
(
うち
)
には、
何
(
なに
)
か
非常
(
ひぜう
)
に
恐
(
おそ
)
るべきものが
潛
(
ひそ
)
んで
居
(
ゐ
)
ると
考
(
かんが
)
へさせる。
實際
(
じつさい
)
又
(
また
)
熱帶國
(
ねつたいこく
)
には
不思議
(
ふしぎ
)
な
動物
(
どうぶつ
)
も
居
(
を
)
れば、
不思議
(
ふしぎ
)
な
植物
(
しよくぶつ
)
もある。
之
(
これ
)
を
少
(
すこ
)
し
形
(
かたち
)
を
變
(
か
)
へると
直
(
す
)
ぐ
化物
(
ばけもの
)
になる。
印度
(
いんど
)
は
實
(
じつ
)
に
化物
(
ばけもの
)
の
本場
(
ほんば
)
であつて、
神聖
(
しんせい
)
なる
史詩
(
しし
)
ラーマーヤナ
等
(
とう
)
には
化物
(
ばけもの
)
が
澤山
(
たくさん
)
出
(
で
)
て
來
(
く
)
る。
印度教
(
いんどけう
)
に
出
(
で
)
て
來
(
く
)
るものは、
何
(
いづ
)
れも
不思議
(
ふしぎ
)
千
萬
(
ばん
)
なものばかり、三
面
(
めん
)
六
臂
(
ぴ
)
とか
顏
(
かほ
)
や
手足
(
てあし
)
の
無數
(
むすう
)
なものとか、
半人
(
はんにん
)
半獸
(
はんじう
)
、
半人
(
はんにん
)
半鳥
(
はんてう
)
などの
類
(
るゐ
)
が
澤山
(
たくさん
)
ある。
佛教
(
ぶつけう
)
の五
大
(
だい
)
明王等
(
めうわうとう
)
も
印度教
(
いんどけう
)
から
來
(
き
)
て
居
(
ゐ
)
る。
印度
(
いんど
)
から
西
(
にし
)
へ
行
(
ゆ
)
くと、ペルシヤが
非常
(
ひぜう
)
に
盛
(
さかん
)
である。ペルシヤには
例
(
れい
)
の
有名
(
いうめい
)
なルステムの
化物退治
(
ばけものたいぢ
)
の
神話
(
しんわ
)
があり、アラビヤには
例
(
れい
)
の
有名
(
いうめい
)
なアラビヤンナイトがある。
埃及
(
えじぷと
)
もさうである。
洋々
(
やう〳〵
)
たるナイル
河
(
かは
)
、
荒漠
(
くわうばく
)
たるサハラの
沙漠
(
さばく
)
、
是等
(
これら
)
は
大
(
おほい
)
に
化物思想
(
ばけものしさう
)
の
發達
(
はつたつ
)
を
促
(
うなが
)
した。
埃及
(
えじぷと
)
の
神樣
(
かみさま
)
には
化物
(
ばけもの
)
が
澤山
(
たくさん
)
ある。
併
(
しか
)
し
之
(
これ
)
が
希臘
(
ぎりしや
)
へ
行
(
い
)
くと
餘程
(
よほど
)
異
(
ことな
)
り、
却
(
かへ
)
[#ルビの「かへ」は底本では「かへつ」]
つて
日本
(
にほん
)
と
似
(
に
)
て
來
(
く
)
る。これ
山川
(
さんせん
)
風土
(
ふうど
)
氣候等
(
きこうとう
)
、
地理的關係
(
ちりてきくわんけい
)
の
然
(
しか
)
らしむる
所
(
ところ
)
であつて、
凡
(
すべ
)
てのものは
小
(
こ
)
じんまりとして
居
(
を
)
り、
隨
(
したが
)
つて
化物
(
ばけもの
)
も
皆
(
みな
)
小規模
(
せうきも
)
である。
希臘
(
ぎりしや
)
の
神
(
かみ
)
は
皆
(
みな
)
人間
(
にんげん
)
で
僅
(
はづか
)
にお
化
(
ばけ
)
はあるが、
怖
(
こわ
)
くないお
化
(
ばけ
)
である。
夫
(
それ
)
は
深刻
(
しんこく
)
な
印度
(
いんど
)
の
化物
(
ばけもの
)
とは
比
(
くら
)
べものにならぬ。
例
(
たと
)
へば、ケンタウルといふ
惡神
(
あくしん
)
は
下半身
(
しもはんしん
)
は
馬
(
うま
)
で、
上半身
(
かみはんしん
)
は
人間
(
にんげん
)
である。
又
(
また
)
ギカントスは
兩脚
(
れうあし
)
が
蛇
(
へび
)
で
上半身
(
かみはんしん
)
は
人間
(
にんげん
)
、サチルスは
兩脚
(
れうあし
)
は
羊
(
ひつじ
)
で
上半
(
かみはん
)
が
人間
(
にんげん
)
である。
凡
(
およ
)
そ
眞
(
しん
)
の
化物
(
ばけもの
)
といふものは、
何處
(
どこ
)
の
部分
(
ぶぶん
)
を
切
(
き
)
り
離
(
はな
)
しても、一
種
(
しゆ
)
異樣
(
いやう
)
な
形相
(
げうさう
)
で、
全體
(
ぜんたい
)
としては
渾然
(
こんぜん
)
一
種
(
しゆ
)
の
纏
(
まと
)
まつた
形
(
かたち
)
を
成
(
な
)
したものでなければならない。
然
(
しか
)
るに
希臘
(
ぎりしや
)
の
化物
(
ばけもの
)
の
多
(
おほ
)
くは
斯
(
かく
)
の
如
(
ごと
)
く
繼合
(
つぎあは
)
せ
物
(
もの
)
である。
故
(
ゆゑ
)
に
眞
(
しん
)
の
化物
(
ばけもの
)
と
言
(
い
)
ふことは
出來
(
でき
)
ないのである。
然
(
しか
)
らば
北歐羅巴
(
きたようろつぱ
)
の
方面
(
はうめん
)
はどうかと
見遣
(
みや
)
るに、
此
(
この
)
方面
(
はうめん
)
に
就
(
つい
)
ては
私
(
わたし
)
は
餘
(
あま
)
り
多
(
おほ
)
く
知
(
し
)
らぬが、
要
(
えう
)
するに
幼稚
(
えうち
)
極
(
きは
)
まるものであつて、
規模
(
きぼ
)
が
極
(
きは
)
めて
小
(
ちい
)
さいやうである。つまり
歐羅巴
(
ようろつぱ
)
の
化物
(
ばけもの
)
は、
多
(
おほ
)
くは
東洋思想
(
とうやうしさう
)
の
感化
(
かんくわ
)
を
受
(
う
)
けたものであるかと
思
(
おも
)
ふ。
以上
(
いじやう
)
述
(
の
)
べた
所
(
ところ
)
を
總括
(
そうくわつ
)
して、
化物思想
(
ばけものしさう
)
はどういふ
所
(
ところ
)
に
最
(
もつと
)
も
多
(
おほ
)
く
發達
(
はつたつ
)
したかと
考
(
かんが
)
へて
見
(
み
)
るに、
化物
(
ばけもの
)
の
本場
(
ほんば
)
は
是非
(
ぜひ
)
熱帶
(
ねつたい
)
でなければならぬ
事
(
こと
)
が
分
(
わか
)
る。
熱帶地方
(
ねつたいちはう
)
の
自然界
(
しぜんかい
)
は
極
(
きは
)
めて
雄大
(
ゆうだい
)
であるから、
思想
(
しさう
)
も
自然
(
しぜん
)
に
深刻
(
しんこく
)
になるものである。そして
熱帶
(
ねつたい
)
で
多神教
(
たしんけう
)
を
信
(
しん
)
ずる
國
(
くに
)
に
於
(
おい
)
て、
最
(
もつと
)
も
深刻
(
しんこく
)
な
化物思想
(
ばけものしさう
)
が
發達
(
はつたつ
)
したといふ
事
(
こと
)
が
言
(
い
)
へる。
縱令
(
たとへ
)
熱帶
(
ねつたい
)
でなくとも、
多神教國
(
たしんけうこく
)
には
化物
(
ばけもの
)
が
發達
(
はつたつ
)
した。
例
(
たと
)
へば
西藏
(
ちべつと
)
の
如
(
ごと
)
き、
其
(
その
)
喇嘛教
(
らまけう
)
は
非常
(
ひじやう
)
に
妖怪的
(
えうくわいてき
)
な
宗教
(
しうけう
)
である。
斯樣
(
かやう
)
にして
印度
(
いんど
)
、
亞刺比亞
(
あらびや
)
、
波斯
(
ぺるしや
)
から、
東
(
ひがし
)
は
日本
(
にほん
)
まで、
西
(
にし
)
は
歐羅巴
(
ようろつぱ
)
までの
化物
(
ばけもの
)
を
總括
(
そうくわつ
)
して
見
(
み
)
ると、
化物
(
ばけもの
)
の
策源地
(
さくげんち
)
は
亞細亞
(
あじあ
)
の
南方
(
なんぱう
)
であることが
分
(
わか
)
るのである。
尚
(
なほ
)
化物
(
ばけもの
)
に一の
必要條件
(
ひつえうぜうけん
)
は、
文化
(
ぶんくわ
)
の
程度
(
ていど
)
と
非常
(
ひぜう
)
に
密接
(
みつせつ
)
の
關係
(
くわんけい
)
を
有
(
いう
)
する
事
(
こと
)
である。
化物
(
ばけもの
)
を
想像
(
さうざう
)
する
事
(
こと
)
は
理
(
り
)
にあらずして
情
(
ぜう
)
である。
理
(
り
)
に
走
(
はし
)
ると
化物
(
ばけもの
)
は
發達
(
はつたつ
)
しない。
縱令
(
たとひ
)
化物
(
ばけもの
)
が
出
(
で
)
ても、
其
(
それ
)
は
理性的
(
りせいてき
)
な
乾燥無味
(
かんさうむみ
)
なものであつて、
情的
(
ぜうてき
)
な
餘韻
(
よいん
)
を
含
(
ふく
)
んで
居
(
ゐ
)
ない。
隨
(
したが
)
つて
少
(
すこ
)
しも
面白味
(
おもしろみ
)
が
無
(
な
)
い。
故
(
ゆゑ
)
に
文運
(
ぶんうん
)
が
發達
(
はつたつ
)
して
來
(
く
)
ると、
自然
(
しぜん
)
化物
(
ばけもの
)
は
無
(
な
)
くなつて
來
(
く
)
る。
文化
(
ぶんくわ
)
が
發達
(
はつたつ
)
して
來
(
く
)
れば、
自然
(
しぜん
)
何處
(
どこ
)
か
漠然
(
ばくぜん
)
として
稚氣
(
ちき
)
を
帶
(
お
)
びて
居
(
ゐ
)
るやうな
面白
(
おもしろ
)
い
化物思想
(
ばけものしさう
)
などを
容
(
い
)
れる
餘地
(
よち
)
が
無
(
な
)
くなつて
來
(
く
)
るのである。
三 化物の分類
以上
(
いじやう
)
で
大體
(
だいたい
)
化物
(
ばけもの
)
の
概論
(
がいろん
)
を
述
(
の
)
べたのであるが、
之
(
これ
)
を
分類
(
ぶんるゐ
)
して
見
(
み
)
るとどうなるか。
之
(
これ
)
は
甚
(
はなは
)
だ六ヶしい
問題
(
もんだい
)
であつて、
見方
(
みかた
)
により
各
(
おの〳〵
)
異
(
ことな
)
る
譯
(
わけ
)
である。
先
(
ま
)
づ
差當
(
さしあた
)
り
種類
(
しゆるゐ
)
の
上
(
うへ
)
からの
分類
(
ぶんるゐ
)
を
述
(
の
)
べると、
(一)
神佛
(
しんぶつ
)
(
正體
(
しやうたい
)
、
權化
(
ごんげ
)
)
(二)
幽靈
(
ゆうれい
)
(
生靈
(
いきれう
)
、
死靈
(
しれう
)
)
(三)
化物
(
ばけもの
)
(
惡戲
(
あくぎ
)
の
爲
(
ため
)
、
復仇
(
ふくしう
)
の
爲
(
ため
)
) (四)
精靈
(
せいれう
)
(五)
怪動物
(
くわいどうぶつ
)
の五となる。
(一)の
神佛
(
しんぶつ
)
はまともの
物
(
もの
)
もあるが、
異形
(
いげう
)
のものも
多
(
おほ
)
い。そして
神佛
(
しんぶつ
)
は
往々
(
わう〳〵
)
種々
(
しゆ〴〵
)
に
變相
(
へんさう
)
するから
之
(
これ
)
を
分
(
わか
)
つて
正體
(
しやうたい
)
、
權化
(
ごんげ
)
の二とすることが
出來
(
でき
)
る。
化物的神佛
(
ばけものてきしんぶつ
)
の
實例
(
じつれい
)
は、
印度
(
いんど
)
、
支那
(
しな
)
、
埃及方面
(
えじぷとはうめん
)
に
極
(
きは
)
めて
多
(
おほ
)
い。
釋迦
(
しやか
)
が
[#「
釋迦
(
しやか
)
が」は底本では「
釋迦
(
しやか
)
か」]
既
(
すで
)
にお
化
(
ば
)
けである。卅二
相
(
さう
)
を
其儘
(
そのまゝ
)
現
(
あら
)
はしたら
恐
(
おそ
)
ろしい
化物
(
ばけもの
)
が
出來
(
でき
)
るに
違
(
ちが
)
ひない。
印度教
(
いんどけう
)
のシヴアも
隨分
(
ずゐぶん
)
恐
(
おそろ
)
[#ルビの「おそろ」は底本では「おそ」]
しい
神
(
かみ
)
である。
之
(
これ
)
が
權化
(
ごんげ
)
して千
種
(
しゆ
)
萬樣
(
ばんやう
)
の
變化
(
へんくわ
)
を
試
(
こゝろ
)
みる。ガネーシヤ
即
(
すなは
)
ち
聖天樣
(
せうてんさま
)
は
人身
(
じんしん
)
象頭
(
ざうづ
)
で、
惡神
(
あくしん
)
の
魔羅
(
まら
)
は
隨分
(
ずゐぶん
)
思
(
おも
)
ひ
切
(
き
)
つた
不可思議
(
ふかしぎ
)
な
相貌
(
さうぼう
)
の
者
(
もの
)
ばかりである。
埃及
(
えじぷと
)
のスフインクスは
獅身
(
ししん
)
人頭
(
じんとう
)
である。
埃及
(
えじぷと
)
には
頭
(
あたま
)
が
鳥
(
とり
)
だの
獸
(
けもの
)
だの
色々
(
いろ〳〵
)
の
化物
(
ばけもの
)
があるが
皆
(
みな
)
此内
(
このうち
)
である。
此
(
この
)
(一)に
屬
(
ぞく
)
するものは
概
(
がい
)
して
神祕的
(
しんぴてき
)
で
尊
(
たうと
)
い。
化物
(
ばけもの
)
の
分類
(
ぶんるゐ
)
の
中
(
うち
)
、
第
(
だい
)
二の
幽靈
(
ゆうれい
)
は、
主
(
しゆ
)
として
人間
(
にんげん
)
の
靈魂
(
れいこん
)
であつて
之
(
これ
)
を
生靈
(
いきれう
)
死靈
(
しれう
)
の二つに
分
(
わ
)
ける。
生
(
い
)
[#ルビの「い」は底本では「き」]
きながら
魂
(
たましひ
)
が
形
(
かたち
)
を
現
(
あら
)
はすのが
生靈
(
いきれう
)
で、
源氏物語
(
げんじものがたり
)
葵
(
あをひ
)
の
卷
(
まき
)
の六
條
(
でう
)
御息所
(
みやすみどころ
)
の
生靈
(
いきれう
)
の
如
(
ごと
)
きは
即
(
すなは
)
ち
夫
(
それ
)
である。
日高川
(
ひだかがは
)
の
清姫
(
きよひめ
)
などは、
生
(
い
)
きながら
蛇
(
じや
)
になつたといふから、
之
(
これ
)
も
此
(
この
)
部類
(
ぶるゐ
)
に
入
(
い
)
れても
宜
(
よ
)
い。
死靈
(
しれう
)
は、
死後
(
しご
)
に
魂
(
たましひ
)
が
異形
(
いげう
)
の
姿
(
すがた
)
を
現
(
あら
)
はすもので、
例
(
れい
)
が
非常
(
ひぜう
)
に
多
(
おほ
)
い。
其
(
その
)
現
(
あら
)
はれ
方
(
かた
)
は
皆
(
みな
)
目的
(
もくてき
)
に
依
(
よ
)
つて
異
(
こと
)
なる。
其
(
その
)
目的
(
もくてき
)
は
凡
(
およ
)
そ三つに
分
(
わか
)
つことが
出來
(
でき
)
る。一は
怨
(
うらみ
)
を
報
(
はう
)
ずる
爲
(
ため
)
で一
番
(
ばん
)
怖
(
こわ
)
い。二は
恩愛
(
おんあい
)
の
爲
(
ため
)
で
寧
(
むし
)
ろいぢらしい。三は
述懷的
(
じゆつくわいてき
)
である。一の
例
(
れい
)
は
數
(
かぞ
)
ふるに
遑
(
いとま
)
がない。二では
謠
(
うたい
)
の「
善知鳥
(
うとう
)
」など、三では「
阿漕
(
あこぎ
)
」、「
鵜飼
(
うがひ
)
」など
其
(
その
)
適例
(
てきれい
)
である。
幽靈
(
ゆうれい
)
は
概
(
がい
)
して
全體
(
ぜんたい
)
の
性質
(
せいしつ
)
が
陰氣
(
いんき
)
で、
凄
(
すご
)
いものである。
相貌
(
さうぼう
)
なども
人間
(
にんげん
)
と
大差
(
たいさ
)
はない。
第
(
だい
)
三の
化物
(
ばけもの
)
は
本體
(
ほんたい
)
が
動物
(
どうぶつ
)
で、
其
(
その
)
目的
(
もくてき
)
によつて
惡戯
(
あくぎ
)
の
爲
(
ため
)
と、
復仇
(
ふくしう
)
の
爲
(
ため
)
とに
分
(
わか
)
つ、
惡戯
(
あくぎ
)
の
方
(
はう
)
は
如何
(
いか
)
にも
無邪氣
(
むじやき
)
で、
狐
(
きつね
)
、
狸
(
たぬき
)
の
惡戯
(
あくぎ
)
は
何時
(
いつ
)
でも
人
(
ひと
)
の
笑
(
わら
)
ひの
種
(
たね
)
となり、
如何
(
いか
)
にも
陽氣
(
やうき
)
で
滑稽的
(
こつけいてき
)
である。
大入道
(
おほにふだう
)
、一つ
目
(
め
)
小僧
(
こぞう
)
などはそれである。
併
(
しか
)
し
復仇
(
ふくきう
)
の
方
(
はう
)
は
鍋島
(
なべしま
)
の
猫騷動
(
ねこさうどう
)
のやうに
隨分
(
ずゐぶん
)
しつこい。
第
(
だい
)
四の
精靈
(
せいれう
)
は、
本體
(
ほんたい
)
が
自然物
(
しぜんぶつ
)
である。
此
(
この
)
精靈
(
せいれう
)
の
最
(
もつと
)
も
神聖
(
しんせい
)
なるものは、
第
(
だい
)
一の
神佛
(
しんぶつ
)
の
部
(
ぶ
)
に
入
(
い
)
る。
例
(
たと
)
へば
日本國土
(
にほんこくど
)
の
魂
(
たましひ
)
は
大國魂命
(
おほくにたまのみこと
)
となつて
神
(
かみ
)
になつてゐる
如
(
ごと
)
きである。
物
(
もの
)
に
魂
(
たましひ
)
があるとの
想像
(
さうざう
)
は
昔
(
むかし
)
からあるので、
大
(
だい
)
は
山岳
(
さんがく
)
河海
(
かかい
)
より、
小
(
せう
)
は一
本
(
ぽん
)
の
草
(
くさ
)
、一
朶
(
だ
)
の
花
(
はな
)
にも
皆
(
みな
)
魂
(
たましひ
)
ありと
想像
(
さう〴〵
)
した。
即
(
すなは
)
ち「
墨染櫻
(
すみぞめのさくら
)
」の
櫻
(
さくら
)
「三十三
間堂
(
げんだう
)
」の
柳
(
やなぎ
)
、など
其
(
その
)
例
(
れい
)
で、
此等
(
これら
)
は
少
(
すこ
)
しも
怖
(
こわ
)
くなく、
極
(
きは
)
めて
優美
(
いうび
)
なものである。
第
(
だい
)
五の
怪動物
(
くわいどうぶつ
)
は、
人間
(
にんげん
)
の
想像
(
さうざう
)
で
捏造
(
ねつざう
)
したもので、
日本
(
にほん
)
の
鵺
(
ぬえ
)
、
希臘
(
ぎりしや
)
のキミーラ
及
(
および
)
グリフイン
等
(
とう
)
之
(
これ
)
に
屬
(
ぞく
)
する。
龍
(
りう
)
麒麟等
(
きりんとう
)
も
此中
(
このなか
)
に
入
(
い
)
るものと
思
(
おも
)
ふ。
天狗
(
てんぐ
)
は
印度
(
いんど
)
では
鳥
(
とり
)
としてあるから、
矢張
(
やはり
)
此中
(
このうち
)
に
入
(
い
)
る。
此
(
この
)
第
(
だい
)
五に
屬
(
ぞく
)
するものは
概
(
がい
)
して
面白
(
おもしろ
)
いものと
言
(
い
)
ふことが
出來
(
でき
)
る。
以上
(
いじやう
)
を
概括
(
がいくわつ
)
して
其
(
その
)
特質
(
とくしつ
)
を
擧
(
あ
)
げると、
神佛
(
しんぶつ
)
は
尊
(
たうと
)
いもの、
幽靈
(
ゆうれい
)
は
凄
(
すご
)
いもの、
化物
(
ばけもの
)
は
可笑
(
おか
)
しなもの、
精靈
(
せいれう
)
は
寧
(
むし
)
ろ
美
(
うつく
)
しいもの、
怪動物
(
くわいどうぶつ
)
は
面白
(
おもしろ
)
いものと
言
(
い
)
ひ
得
(
う
)
る。
四 化物の表現
此等
(
これら
)
樣々
(
さま〴〵
)
の
化物思想
(
ばけものしさう
)
を
具體化
(
ぐたいくわ
)
するのにどういふ
方法
(
はうはふ
)
を
以
(
もつ
)
てして
居
(
ゐ
)
るかといふに、
時
(
とき
)
により、
國
(
くに
)
によつて
各々
(
おの〳〵
)
異
(
こと
)
なつてゐて、一
概
(
がい
)
に
斷定
(
だんてい
)
する
事
(
こと
)
は
出來
(
でき
)
ない。
例
(
たと
)
へば
天狗
(
てんぐ
)
にしても、
印度
(
いんど
)
、
支那
(
しな
)
、
日本
(
にほん
)
皆
(
みな
)
其
(
その
)
現
(
あら
)
はし
方
(
かた
)
が
異
(
こと
)
なつて
居
(
ゐ
)
る。
龍
(
りう
)
なども、
西洋
(
せいやう
)
のドラゴンと、
印度
(
いんど
)
のナーガーと、
支那
(
しな
)
の
龍
(
りう
)
とは
非常
(
ひぜう
)
に
現
(
あらは
)
し
方
(
かた
)
が
違
(
ちが
)
ふ。
併
(
しか
)
し
凡
(
すべ
)
てに
共通
(
けうつう
)
した
手法
(
しゆはふ
)
の
方針
(
はうしん
)
は、
由來
(
ゆらい
)
化物
(
ばけもの
)
の
形態
(
けいたい
)
には
何等
(
なんら
)
か
不自然
(
ふしぜん
)
な
箇所
(
かしよ
)
がある。それを
藝術
(
げいじゆつ
)
の
方
(
ちから
)
で
自然
(
しぜん
)
に
化
(
くわ
)
さうとするのが
大體
(
だい〳〵
)
の
方針
(
はうしん
)
らしい。
例
(
たと
)
へば六
臂
(
ぴ
)
の
觀音
(
くわんのん
)
は
元々
(
もと〳〵
)
大化物
(
おほばけもの
)
である、
併
(
しか
)
し
其
(
その
)
澤山
(
たくさん
)
の
手
(
て
)
の
出
(
だ
)
し
方
(
かた
)
の
工夫
(
くふう
)
によつて、
其
(
その
)
手
(
て
)
の
工合
(
ぐあひ
)
が
可笑
(
おか
)
しくなく、
却
(
かへ
)
つて
尊
(
たうと
)
く
見
(
み
)
える。
決
(
けつ
)
して
滑稽
(
こつけい
)
に
見
(
み
)
えるやうな
下手
(
へた
)
なことはしない。
此處
(
こゝ
)
に
藝術
(
げいじゆつ
)
の
偉大
(
ゐだい
)
な
力
(
ちから
)
がある。
此
(
この
)
偉大
(
ゐだい
)
な
力
(
ちから
)
を
分解
(
ぶんかい
)
して
見
(
み
)
ると。一
方
(
ぽう
)
には
非常
(
ひぜう
)
な
誇張
(
こてう
)
と、一
方
(
ぽう
)
には
非常
(
ひぜう
)
な
省略
(
しやうりやく
)
がある。で、これより
各論
(
かくろん
)
に
入
(
い
)
つて
化物
(
ばけもの
)
の
表現
(
へうげん
)
即
(
すなは
)
ち
形式
(
けいしき
)
を
論
(
ろん
)
ずる
順序
(
じゆんじよ
)
であるか、
今
(
いま
)
は
其
(
その
)
暇
(
ひま
)
がない。
若
(
も
)
し
化物學
(
ばけものがく
)
といふ
學問
(
がくもん
)
がありとすれば、
今
(
いま
)
まで
述
(
の
)
べた
事
(
こと
)
は、
其
(
その
)
序論
(
じよろん
)
と
見
(
み
)
るべきものであつて、
茲
(
こゝ
)
には
只
(
たゞ
)
序論
(
じよろん
)
だけを
述
(
の
)
べた
事
(
こと
)
になるのである。
要
(
えう
)
するに、
化物
(
ばけもの
)
の
形式
(
けいしき
)
は
西洋
(
せいやう
)
は一
體
(
たい
)
に
幼稚
(
えうち
)
である。
希臘
(
ぎりしや
)
や
埃及
(
えじぷと
)
は
多
(
おほ
)
く
人間
(
にんげん
)
と
動物
(
どうぶつ
)
の
繼合
(
つぎあは
)
せをやつて
居
(
ゐ
)
る
事
(
こと
)
は
前
(
まへ
)
に
述
(
の
)
べたが、それでは
形
(
かたち
)
は
巧
(
たくみ
)
に
出來
(
でき
)
ても
所謂
(
いはゆる
)
完全
(
くわんぜん
)
な
化物
(
ばけもの
)
とは
云
(
い
)
へない。ローマネスク、ゴシツク
時代
(
じだい
)
になると、
餘程
(
よほど
)
進歩
(
しんぽ
)
して一の
纏
(
まと
)
まつたものが
出來
(
でき
)
て
來
(
き
)
た。
例
(
たと
)
へば
巴里
(
ぱり
)
のノートルダムの
寺塔
(
じたふ
)
の
有名
(
いうめい
)
な
怪物
(
くわいぶつ
)
は
繼合物
(
つぎあはせもの
)
ではなくて
立派
(
りつぱ
)
に
纏
(
まと
)
まつた
創作
(
さうさく
)
になつて
居
(
ゐ
)
る。ルネツサンス
以後
(
いご
)
は
論
(
ろん
)
ずるに
足
(
た
)
らない。
然
(
しか
)
るに
東洋方面
(
とうやうはうめん
)
、
特
(
とく
)
に
印度
(
いんど
)
などは
凡
(
すべ
)
てが
渾然
(
こんぜん
)
たる
立派
(
りつぱ
)
な
創作
(
さうさく
)
である。
日本
(
にほん
)
では
餘
(
あま
)
り
發達
(
はつたつ
)
して
居
(
ゐ
)
なかつたが、
今後
(
こんご
)
發達
(
はつたつ
)
させようと
思
(
おも
)
へば
餘地
(
よち
)
は
充分
(
じうぶん
)
ある。
日本
(
にほん
)
は
今
(
いま
)
藝術上
(
げいじゆつじやう
)
の
革命期
(
かくめいき
)
に
際
(
さい
)
して、
思想界
(
しさうかい
)
が
非常
(
ひぜう
)
に
興奮
(
こうふん
)
して
居
(
ゐ
)
る。
古今東西
(
ここんとうざい
)
の
思想
(
しさう
)
を
綜合
(
そうがふ
)
して
何物
(
なにもの
)
か
新
(
あたら
)
しい
物
(
もの
)
を
作
(
つく
)
らうとして
居
(
ゐ
)
る。
此
(
この
)
機會
(
きくわい
)
に
際
(
さい
)
して
化物
(
ばけもの
)
の
研究
(
けんきう
)
を
起
(
おこ
)
し、
化物學
(
ばけものがく
)
といふ一
科
(
くわ
)
の
學問
(
がくもん
)
を
作
(
つく
)
り
出
(
だ
)
したならば、
定
(
さだ
)
めし
面白
(
おもしろ
)
からうと
思
(
おも
)
ふのである。
昔
(
むかし
)
の
傳説
(
でんせつ
)
、
樣式
(
やうしき
)
を
離
(
はな
)
れた
新化物
(
しんばけもの
)
の
研究
(
けんきう
)
を
試
(
こゝろ
)
みる
餘地
(
よち
)
は
屹度
(
きつと
)
あるに
相違
(
さうゐ
)
ない。(完)
(大正六年「日本美術」)
出典:青空文庫(
https://www.aozora.gr.jp/cards/001232/files/46337_28722.html
)
青空文庫の奥付
底本:「木片集」萬里閣書房
1928(昭和3)年5月28日発行
1928(昭和3)年6月10日4版
初出:「日本美術」
1917(大正6)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:しだひろし
2007年11月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
で作られました。入力、校正、制作にあたつたのは、ボランティアの皆さんです。
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