月令十二態
泉 鏡花
一月
(
いちぐわつ
)
山嶺
(
さんれい
)
の
雪
(
ゆき
)
なほ
深
(
ふか
)
けれども、
其
(
そ
)
の
白妙
(
しろたへ
)
に
紅
(
くれなゐ
)
の
日
(
ひ
)
や、
美
(
うつく
)
しきかな
玉
(
たま
)
の
春
(
はる
)
。
松籟
(
しようらい
)
時
(
とき
)
として
波
(
なみ
)
に
吟
(
ぎん
)
ずるのみ、
撞
(
つ
)
いて
驚
(
おどろ
)
かす
鐘
(
かね
)
もなし。
萬歳
(
まんざい
)
の
鼓
(
つゞみ
)
遙
(
はる
)
かに、
鞠唄
(
まりうた
)
は
近
(
ちか
)
く
梅
(
うめ
)
ヶ
香
(
か
)
と
相
(
あひ
)
聞
(
き
)
こえ、
突羽根
(
つくばね
)
の
袂
(
たもと
)
は
松
(
まつ
)
に
友染
(
いうぜん
)
を
飜
(
ひるがへ
)
す。をかし、
此
(
こ
)
のあたりに
住
(
すま
)
ふなる
橙
(
だい〳〵
)
の
長者
(
ちやうじや
)
、
吉例
(
きちれい
)
よろ
昆布
(
こんぶ
)
の
狩衣
(
かりぎぬ
)
に、
小殿原
(
ことのばら
)
の
太刀
(
たち
)
を
佩反
(
はきそ
)
らし、
七草
(
なゝくさ
)
の
里
(
さと
)
に
若菜
(
わかな
)
摘
(
つ
)
むとて、
讓葉
(
ゆづりは
)
に
乘
(
の
)
つたるが、
郎等
(
らうどう
)
勝栗
(
かちぐり
)
を
呼
(
よ
)
んで
曰
(
いは
)
く、あれに
袖形
(
そでかた
)
の
浦
(
うら
)
の
渚
(
なぎさ
)
に、
紫
(
むらさき
)
の
女性
(
によしやう
)
は
誰
(
た
)
そ。……
蜆
(
しゞみ
)
御前
(
ごぜん
)
にて
候
(
さふらふ
)
。
二月
(
にぐわつ
)
西日
(
にしび
)
に
乾
(
かわ
)
く
井戸端
(
ゐどばた
)
の
目笊
(
めざる
)
に、
殘
(
のこ
)
ンの
寒
(
さむ
)
さよ。
鐘
(
かね
)
いまだ
氷
(
こほ
)
る
夜
(
よ
)
の、
北
(
きた
)
の
辻
(
つじ
)
の
鍋燒
(
なべやき
)
饂飩
(
うどん
)
、
幽
(
かすか
)
に
池
(
いけ
)
の
石
(
いし
)
に
響
(
ひゞ
)
きて、
南
(
みなみ
)
の
枝
(
えだ
)
に
月
(
つき
)
凄
(
すご
)
し。
一
(
ひと
)
つ
半鉦
(
ばん
)
の
遠
(
とほ
)
あかり、
其
(
それ
)
も
夢
(
ゆめ
)
に
消
(
き
)
えて、
曉
(
あかつき
)
の
霜
(
しも
)
に
置
(
お
)
きかさぬる
灰色
(
はひいろ
)
の
雲
(
くも
)
、
新
(
あたら
)
しき
障子
(
しやうじ
)
を
壓
(
あつ
)
す。ひとり
南天
(
なんてん
)
の
實
(
み
)
に
色鳥
(
いろどり
)
の
音信
(
おとづれ
)
を、
窓
(
まど
)
晴
(
は
)
るゝよ、と
見
(
み
)
れば、ちら〳〵と
薄雪
(
うすゆき
)
、
淡雪
(
あはゆき
)
。
降
(
ふ
)
るも
積
(
つも
)
るも
風情
(
ふぜい
)
かな、
未開紅
(
みかいこう
)
の
梅
(
うめ
)
の
姿
(
すがた
)
。
其
(
そ
)
の
莟
(
つぼみ
)
の
雪
(
ゆき
)
を
拂
(
はら
)
はむと、
置
(
おき
)
炬燵
(
ごたつ
)
より
素足
(
すあし
)
にして、
化粧
(
けはひ
)
たる
柴垣
(
しばがき
)
に、
庭
(
には
)
下駄
(
げた
)
の
褄
(
つま
)
を
捌
(
さば
)
く。
三月
(
さんぐわつ
)
いたいけなる
幼兒
(
をさなご
)
に、
優
(
やさ
)
しき
姉
(
あね
)
の
言
(
い
)
ひけるは、
緋
(
ひ
)
の
氈
(
せん
)
の
奧
(
おく
)
深
(
ふか
)
く、
雪洞
(
ぼんぼり
)
の
影
(
かげ
)
幽
(
かすか
)
なれば、
雛
(
ひな
)
の
瞬
(
またゝ
)
き
給
(
たま
)
ふとよ。いかで
見
(
み
)
むとて
寢
(
ね
)
もやらず、
美
(
うつく
)
しき
懷
(
ふところ
)
より、かしこくも
密
(
そ
)
と
見參
(
みまゐ
)
らすれば、
其
(
そ
)
の
上
(
うへ
)
に
尚
(
な
)
ほ
女夫
(
めをと
)
雛
(
びな
)
の
微笑
(
ほゝゑ
)
み
給
(
たま
)
へる。それも
夢
(
ゆめ
)
か、
胡蝶
(
こてふ
)
の
翼
(
つばさ
)
を
櫂
(
かい
)
にして、
桃
(
もゝ
)
と
花菜
(
はなな
)
の
乘合
(
のりあひ
)
船
(
ぶね
)
。うつゝに
漕
(
こ
)
げば、うつゝに
聞
(
き
)
こえて、
柳
(
やなぎ
)
の
土手
(
どて
)
に、とんと
當
(
あた
)
るや
鼓
(
つゞみ
)
の
調
(
しらべ
)
、
鼓草
(
たんぽぽ
)
の、
鼓
(
つゞみ
)
の
調
(
しらべ
)
。
四月
(
しぐわつ
)
春
(
はる
)
の
粧
(
よそほひ
)
の
濃
(
こ
)
き
淡
(
うす
)
き、
朝夕
(
あさゆふ
)
の
霞
(
かすみ
)
の
色
(
いろ
)
は、
消
(
き
)
ゆるにあらず、
晴
(
は
)
るゝにあらず、
桃
(
もゝ
)
の
露
(
つゆ
)
、
花
(
はな
)
の
香
(
か
)
に、
且
(
か
)
つ
解
(
と
)
け
且
(
か
)
つ
結
(
むす
)
びて、
水
(
みづ
)
にも
地
(
つち
)
にも
靡
(
なび
)
くにこそ、
或
(
あるひ
)
は
海棠
(
かいだう
)
の
雨
(
あめ
)
となり、
或
(
あるひ
)
は
松
(
まつ
)
の
朧
(
おぼろ
)
となる。
山吹
(
やまぶき
)
の
背戸
(
せど
)
、
柳
(
やなぎ
)
の
軒
(
のき
)
、
白鵝
(
はくが
)
遊
(
あそ
)
び、
鸚鵡
(
あうむ
)
唄
(
うた
)
ふや、
瀬
(
せ
)
を
行
(
ゆ
)
く
筏
(
いかだ
)
は
燕
(
つばめ
)
の
如
(
ごと
)
く、
燕
(
つばめ
)
は
筏
(
いかだ
)
にも
似
(
に
)
たるかな。
銀鞍
(
ぎんあん
)
の
少年
(
せうねん
)
、
玉駕
(
ぎよくが
)
の
佳姫
(
かき
)
、ともに
恍惚
(
くわうこつ
)
として
陽
(
ひ
)
の
闌
(
たけなは
)
なる
時
(
とき
)
、
陽炎
(
かげろふ
)
の
帳
(
とばり
)
靜
(
しづか
)
なる
裡
(
うち
)
に、
木蓮
(
もくれん
)
の
花
(
はな
)
一
(
ひと
)
つ
一
(
ひと
)
つ
皆
(
みな
)
乳房
(
ちゝ
)
の
如
(
ごと
)
き
戀
(
こひ
)
を
含
(
ふく
)
む。
五月
(
ごぐわつ
)
藤
(
ふぢ
)
の
花
(
はな
)
の
紫
(
むらさき
)
は、
眞晝
(
まひる
)
の
色香
(
いろか
)
朧
(
おぼろ
)
にして、
白日
(
はくじつ
)
、
夢
(
ゆめ
)
に
見
(
まみ
)
ゆる
麗人
(
れいじん
)
の
面影
(
おもかげ
)
あり。
憧憬
(
あこが
)
れつゝも
仰
(
あふ
)
ぐものに、
其
(
そ
)
の
君
(
きみ
)
の
通
(
かよ
)
ふらむ、
高樓
(
たかどの
)
を
渡
(
わた
)
す
廻廊
(
くわいらう
)
は、
燃立
(
もえた
)
つ
躑躅
(
つゝじ
)
の
空
(
そら
)
に
架
(
かゝ
)
りて、
宛然
(
さながら
)
虹
(
にじ
)
の
醉
(
ゑ
)
へるが
如
(
ごと
)
し。
海
(
うみ
)
も
緑
(
みどり
)
の
酒
(
さけ
)
なるかな。
且
(
か
)
つ
見
(
み
)
る
後苑
(
こうゑん
)
の
牡丹花
(
ぼたんくわ
)
、
赫耀
(
かくえう
)
として
然
(
しか
)
も
靜
(
しづか
)
なるに、
唯
(
たゞ
)
一
(
ひと
)
つ
繞
(
めぐ
)
り
飛
(
と
)
ぶ
蜂
(
はち
)
の
羽音
(
はおと
)
よ、
一杵
(
いつしよ
)
二杵
(
にしよ
)
ブン〳〵と、
小
(
ちひ
)
さき
黄金
(
きん
)
の
鐘
(
かね
)
が
鳴
(
な
)
る。
疑
(
うたが
)
ふらくは、これ、
龍宮
(
りうぐう
)
の
正
(
まさ
)
に
午
(
ご
)
の
時
(
とき
)
か。
六月
(
ろくぐわつ
)
照
(
て
)
り
曇
(
くも
)
り
雨
(
あめ
)
もものかは。
辻々
(
つじ〳〵
)
の
祭
(
まつり
)
の
太鼓
(
たいこ
)
、わつしよい〳〵の
諸勢
(
もろぎほひ
)
、
山車
(
だし
)
は
宛然
(
さながら
)
藥玉
(
くすだま
)
の
纒
(
まとひ
)
を
振
(
ふ
)
る。
棧敷
(
さじき
)
の
欄干
(
らんかん
)
連
(
つらな
)
るや、
咲
(
さき
)
掛
(
かゝ
)
る
凌霄
(
のうぜん
)
の
紅
(
くれなゐ
)
は、
瀧夜叉姫
(
たきやしやひめ
)
の
襦袢
(
じゆばん
)
を
欺
(
あざむ
)
き、
紫陽花
(
あぢさゐ
)
の
淺葱
(
あさぎ
)
は
光圀
(
みつくに
)
の
襟
(
えり
)
に
擬
(
まが
)
ふ。
人
(
ひと
)
の
往來
(
ゆきき
)
も
躍
(
をど
)
るが
如
(
ごと
)
し。
酒
(
さけ
)
はさざんざ
松
(
まつ
)
の
風
(
かぜ
)
。
緑
(
みどり
)
いよ〳〵
濃
(
こまや
)
かにして、
夏木立
(
なつこだち
)
深
(
ふか
)
き
處
(
ところ
)
、
山
(
やま
)
幽
(
いう
)
に
里
(
さと
)
靜
(
しづか
)
に、
然
(
しか
)
も
今
(
いま
)
を
盛
(
さかり
)
の
女
(
をんな
)
、
白百合
(
しらゆり
)
の
花
(
はな
)
、
其
(
そ
)
の
膚
(
はだへ
)
の
蜜
(
みつ
)
を
洗
(
あら
)
へば、
清水
(
しみづ
)
に
髮
(
かみ
)
の
丈
(
たけ
)
長
(
なが
)
く、
眞珠
(
しんじゆ
)
の
流
(
ながれ
)
雫
(
しづく
)
して、
小鮎
(
こあゆ
)
の
簪
(
かんざし
)
、
宵月
(
よひづき
)
の
影
(
かげ
)
を
走
(
はし
)
る。
七月
(
しちぐわつ
)
灼熱
(
しやくねつ
)
の
天
(
てん
)
、
塵
(
ちり
)
紅
(
あか
)
し、
巷
(
ちまた
)
に
印度
(
インド
)
更紗
(
サラサ
)
の
影
(
かげ
)
を
敷
(
し
)
く。
赫耀
(
かくえう
)
たる
草
(
くさ
)
や
木
(
き
)
や、
孔雀
(
くじやく
)
の
尾
(
を
)
を
宇宙
(
うちう
)
に
翳
(
かざ
)
し、
羅
(
うすもの
)
に
尚
(
な
)
ほ
玉蟲
(
たまむし
)
の
光
(
ひかり
)
を
鏤
(
ちりば
)
むれば、
松葉牡丹
(
まつばぼたん
)
に
青蜥蜴
(
あをとかげ
)
の
潛
(
ひそ
)
むも、
刺繍
(
ぬひとり
)
の
帶
(
おび
)
にして、
驕
(
おご
)
れる
貴女
(
きぢよ
)
の
裝
(
よそほひ
)
を
見
(
み
)
る。
盛
(
さかん
)
なる
哉
(
かな
)
、
炎暑
(
えんしよ
)
の
色
(
いろ
)
。
蜘蛛
(
くも
)
の
圍
(
ゐ
)
の
幻
(
まぼろし
)
は、
却
(
かへつ
)
て
鄙下
(
ひなさが
)
る
蚊帳
(
かや
)
を
凌
(
しの
)
ぎ、
青簾
(
あをすだれ
)
の
裡
(
なか
)
なる
黒猫
(
くろねこ
)
も、
兒女
(
じぢよ
)
が
掌中
(
しやうちう
)
のものならず、
髯
(
ひげ
)
に
蚊柱
(
かばしら
)
を
號令
(
がうれい
)
して、
夕立
(
ゆふだち
)
の
雲
(
くも
)
を
呼
(
よ
)
ばむとす。さもあらばあれ、
夕顏
(
ゆふがほ
)
の
薄化粧
(
うすげしやう
)
、
筧
(
かけひ
)
の
水
(
みづ
)
に
玉
(
たま
)
を
含
(
ふく
)
むで、
露臺
(
ろだい
)
の
星
(
ほし
)
に、
雪
(
ゆき
)
の
面
(
おもて
)
を
映
(
うつ
)
す、
姿
(
すがた
)
また
爰
(
こゝ
)
にあり、
姿
(
すがた
)
また
爰
(
こゝ
)
にあり。
八月
(
はちぐわつ
)
向日葵
(
ひまはり
)
、
向日葵
(
ひまはり
)
、
百日紅
(
ひやくじつこう
)
の
昨日
(
きのふ
)
も
今日
(
けふ
)
も、
暑
(
あつ
)
さは
蟻
(
あり
)
の
數
(
かず
)
を
算
(
かぞ
)
へて、
麻野
(
あさの
)
、
萱原
(
かやはら
)
、
青薄
(
あをすゝき
)
、
刈萱
(
かるかや
)
の
芽
(
め
)
に
秋
(
あき
)
の
近
(
ちか
)
きにも、
草
(
くさ
)
いきれ
尚
(
な
)
ほ
曇
(
くも
)
るまで、
立
(
たち
)
蔽
(
おほ
)
ふ
旱雲
(
ひでりぐも
)
恐
(
おそろ
)
しく、
一里塚
(
いちりづか
)
に
鬼
(
おに
)
はあらずや、
並木
(
なみき
)
の
小笠
(
をがさ
)
如何
(
いか
)
ならむ。
否
(
いな
)
、
炎天
(
えんてん
)
、
情
(
なさけ
)
あり。
常夏
(
とこなつ
)
、
花
(
はな
)
咲
(
さ
)
けり。
優
(
やさ
)
しさよ、
松蔭
(
まつかげ
)
の
清水
(
しみづ
)
、
柳
(
やなぎ
)
の
井
(
ゐ
)
、
音
(
おと
)
に
雫
(
しづく
)
に
聲
(
こゑ
)
ありて、
旅人
(
たびびと
)
に
露
(
つゆ
)
を
分
(
わか
)
てば、
細瀧
(
ほそだき
)
の
心太
(
ところてん
)
、
忽
(
たちま
)
ち
酢
(
す
)
に
浮
(
う
)
かれて、
饂飩
(
うどん
)
、
蒟蒻
(
こんにやく
)
を
嘲
(
あざ
)
ける
時
(
とき
)
、
冷奴豆腐
(
ひややつこ
)
の
蓼
(
たで
)
はじめて
涼
(
すゞ
)
しく、
爪紅
(
つまくれなゐ
)
なる
蟹
(
かに
)
の
群
(
むれ
)
、
納涼
(
すゞみ
)
の
水
(
みづ
)
を
打
(
う
)
つて
出
(
い
)
づ。やがてさら〳〵と
渡
(
わた
)
る
山風
(
やまかぜ
)
や、
月
(
つき
)
の
影
(
かげ
)
に
瓜
(
うり
)
が
踊
(
をど
)
る。
踊子
(
をどりこ
)
は
何々
(
なに〳〵
)
ぞ。
南瓜
(
たうなす
)
、
冬瓜
(
とうがん
)
、
青瓢
(
あをふくべ
)
、
白瓜
(
しろうり
)
、
淺瓜
(
あさうり
)
、
眞桑瓜
(
まくはうり
)
。
九月
(
くぐわつ
)
殘
(
のこん
)
の
暑
(
あつ
)
さ
幾日
(
いくにち
)
ぞ、
又
(
また
)
幾日
(
いくにち
)
ぞ。
然
(
しか
)
も
刈萱
(
かるかや
)
の
蓑
(
みの
)
いつしかに
露
(
つゆ
)
繁
(
しげ
)
く、
芭蕉
(
ばせを
)
に
灌
(
そゝ
)
ぐ
夜半
(
よは
)
の
雨
(
あめ
)
、やがて
晴
(
は
)
れて
雲
(
くも
)
白
(
しろ
)
く、
芙蓉
(
ふよう
)
に
晝
(
ひる
)
の
蛬
(
こほろぎ
)
鳴
(
な
)
く
時
(
とき
)
、
散
(
ち
)
るとしもあらず
柳
(
やなぎ
)
の
葉
(
は
)
、
斜
(
なゝめ
)
に
簾
(
すだれ
)
を
驚
(
おどろ
)
かせば、
夏痩
(
なつや
)
せに
尚
(
な
)
ほ
美
(
うつく
)
しきが、
轉寢
(
うたゝね
)
の
夢
(
ゆめ
)
より
覺
(
さ
)
めて、
裳
(
もすそ
)
を
曳
(
ひ
)
く
濡縁
(
ぬれえん
)
に、
瑠璃
(
るり
)
の
空
(
そら
)
か、
二三輪
(
にさんりん
)
、
朝顏
(
あさがほ
)
の
小
(
ちひさ
)
く
淡
(
あは
)
く、
其
(
そ
)
の
色
(
いろ
)
白
(
しろ
)
き
人
(
ひと
)
の
脇
(
わき
)
明
(
あけ
)
を
覗
(
のぞ
)
きて、
帶
(
おび
)
に
新涼
(
しんりやう
)
の
藍
(
あゐ
)
を
描
(
ゑが
)
く。ゆるき
扱帶
(
しごき
)
も
身
(
み
)
に
入
(
し
)
むや、
遠
(
とほ
)
き
山
(
やま
)
、
近
(
ちか
)
き
水
(
みづ
)
。
待人
(
まちびと
)
來
(
きた
)
れ、
初雁
(
はつかり
)
の
渡
(
わた
)
るなり。
十月
(
じふぐわつ
)
雲
(
くも
)
往
(
ゆ
)
き
雲
(
くも
)
來
(
きた
)
り、やがて
水
(
みづ
)
の
如
(
ごと
)
く
晴
(
は
)
れぬ。
白雲
(
しらくも
)
の
行衞
(
ゆくへ
)
に
紛
(
まが
)
ふ、
蘆間
(
あしま
)
に
船
(
ふね
)
あり。
粟
(
あは
)
、
蕎麥
(
そば
)
の
色紙畠
(
しきしばたけ
)
、
小田
(
をだ
)
、
棚田
(
たなだ
)
、
案山子
(
かゝし
)
も
遠
(
とほ
)
く
夕越
(
ゆふご
)
えて、
宵
(
よひ
)
暗
(
くら
)
きに
舷
(
ふなばた
)
白
(
しろ
)
し。
白銀
(
しろがね
)
の
柄
(
え
)
もて
汲
(
く
)
めりてふ、
月
(
つき
)
の
光
(
ひかり
)
を
湛
(
たゝ
)
ふるかと
見
(
み
)
れば、
冷
(
つめた
)
き
露
(
つゆ
)
の
流
(
なが
)
るゝ
也
(
なり
)
。
凝
(
こ
)
つては
薄
(
うす
)
き
霜
(
しも
)
とならむ。
見
(
み
)
よ、
朝凪
(
あさなぎ
)
の
浦
(
うら
)
の
渚
(
なぎさ
)
、
潔
(
いさぎよ
)
き
素絹
(
そけん
)
を
敷
(
し
)
きて、
山姫
(
やまひめ
)
の
來
(
きた
)
り
描
(
ゑが
)
くを
待
(
ま
)
つ
處
(
ところ
)
――
枝
(
えだ
)
すきたる
柳
(
やなぎ
)
の
中
(
なか
)
より、
松
(
まつ
)
の
蔦
(
つた
)
の
梢
(
こずゑ
)
より、
染
(
そ
)
め
出
(
いだ
)
す
秀嶽
(
しうがく
)
の
第一峯
(
だいいつぽう
)
。
其
(
そ
)
の
山颪
(
やまおろし
)
里
(
さと
)
に
來
(
きた
)
れば、
色鳥
(
いろどり
)
群
(
む
)
れて
瀧
(
たき
)
を
渡
(
わた
)
る。うつくしきかな、
羽
(
はね
)
、
翼
(
つばさ
)
、
霧
(
きり
)
を
拂
(
はら
)
つて
錦葉
(
もみぢ
)
に
似
(
に
)
たり。
十一月
(
じふいちぐわつ
)
青碧
(
せいへき
)
澄明
(
ちようめい
)
の
天
(
てん
)
、
雲端
(
うんたん
)
に
古城
(
こじやう
)
あり、
天守
(
てんしゆ
)
聳立
(
そばだ
)
てり。
濠
(
ほり
)
の
水
(
みづ
)
、
菱
(
ひし
)
黒
(
くろ
)
く、
石垣
(
いしがき
)
に
蔦
(
つた
)
、
紅
(
くれなゐ
)
を
流
(
なが
)
す。
木
(
こ
)
の
葉
(
は
)
落
(
お
)
ち
落
(
お
)
ちて
森
(
もり
)
寂
(
しづか
)
に、
風
(
かぜ
)
留
(
や
)
むで
肅殺
(
しゆくさつ
)
の
氣
(
き
)
の
充
(
み
)
つる
處
(
ところ
)
、
枝
(
えだ
)
は
朱槍
(
しゆさう
)
を
横
(
よこた
)
へ、
薄
(
すゝき
)
は
白劍
(
はくけん
)
を
伏
(
ふ
)
せ、
徑
(
こみち
)
は
漆弓
(
しつきう
)
を
潛
(
ひそ
)
め、
霜
(
しも
)
は
鏃
(
やじり
)
を
研
(
と
)
ぐ。
峻峰
(
しゆんぽう
)
皆
(
みな
)
將軍
(
しやうぐん
)
、
磊嚴
(
らいがん
)
盡
(
こと〴〵
)
く
貔貅
(
ひきう
)
たり。
然
(
しか
)
りとは
雖
(
いへど
)
も、
雁金
(
かりがね
)
の
可懷
(
なつかしき
)
を
射
(
い
)
ず、
牡鹿
(
さをしか
)
の
可哀
(
あはれ
)
を
刺
(
さ
)
さず。
兜
(
かぶと
)
は
愛憐
(
あいれん
)
を
籠
(
こ
)
め、
鎧
(
よろひ
)
は
情懷
(
じやうくわい
)
を
抱
(
いだ
)
く。
明星
(
みやうじやう
)
と、
太白星
(
ゆふつゞ
)
と、すなはち
其
(
そ
)
の
意氣
(
いき
)
を
照
(
て
)
らす
時
(
とき
)
、
何事
(
なにごと
)
ぞ、
徒
(
いたづら
)
に
銃聲
(
じうせい
)
あり。
拙
(
つたな
)
き
哉
(
かな
)
、
驕奢
(
けうしや
)
の
獵
(
れふ
)
、
一鳥
(
いつてう
)
高
(
たか
)
く
逸
(
いつ
)
して、
谺
(
こだま
)
笑
(
わら
)
ふこと
三度
(
みたび
)
。
十二月
(
じふにぐわつ
)
大根
(
だいこん
)
の
時雨
(
しぐれ
)
、
干菜
(
ほしな
)
の
風
(
かぜ
)
、
鳶
(
とび
)
も
烏
(
からす
)
も
忙
(
せは
)
しき
空
(
そら
)
を、
行
(
ゆ
)
く
雲
(
くも
)
のまゝに
見
(
み
)
つゝ
行
(
ゆ
)
けば、
霜林
(
さうりん
)
一寺
(
いちじ
)
を
抱
(
いだ
)
きて
峯
(
みね
)
靜
(
しづか
)
に
立
(
た
)
てるあり。
鐘
(
かね
)
あれども
撞
(
つ
)
かず、
經
(
きやう
)
あれども
僧
(
そう
)
なく、
柴
(
しば
)
あれども
人
(
ひと
)
を
見
(
み
)
ず、
師走
(
しはす
)
の
市
(
まち
)
へ
走
(
はし
)
りけむ。
聲
(
こゑ
)
あるはひとり
筧
(
かけひ
)
にして、
巖
(
いは
)
を
刻
(
きざ
)
み、
石
(
いし
)
を
削
(
けづ
)
りて、
冷
(
つめた
)
き
枝
(
えだ
)
の
影
(
かげ
)
に
光
(
ひか
)
る。
誰
(
た
)
がための
白
(
しろ
)
き
珊瑚
(
さんご
)
ぞ。あの
山
(
やま
)
越
(
こ
)
えて、
谷
(
たに
)
越
(
こ
)
えて、
春
(
はる
)
の
來
(
きた
)
る
階
(
きざはし
)
なるべし。されば
水筋
(
みづすぢ
)
の
緩
(
ゆる
)
むあたり、
水仙
(
すゐせん
)
の
葉
(
は
)
寒
(
さむ
)
く、
花
(
はな
)
暖
(
あたゝか
)
に
薫
(
かを
)
りしか。
刈
(
かり
)
あとの
粟畑
(
あはばたけ
)
に
山鳥
(
やまどり
)
の
姿
(
すがた
)
あらはに、
引棄
(
ひきす
)
てし
豆
(
まめ
)
の
殼
(
から
)
さら〳〵と
鳴
(
な
)
るを
見
(
み
)
れば、
一抹
(
いちまつ
)
の
紅塵
(
こうぢん
)
、
手鞠
(
てまり
)
に
似
(
に
)
て、
輕
(
かろ
)
く
巷
(
ちまた
)
の
上
(
うへ
)
に
飛
(
と
)
べり。
大正九年一月―十二月
出典:青空文庫(
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/4148_6476.html
)
青空文庫の奥付
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:米田進
2002年4月24日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
keyboard_double_arrow_left
menu